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 66 恐れる迷い子

 天鼓(てんこ)の泉での奉納奏者を決めるのは、人ではない。

 クマリの宝であり族長に受け継がれる霊刀『大黒丸(だいこくまる)』によって決められる。

 そもそも、大霊会(だいりょうえ)は新たな族長が力を受け継ぎ、世界を紡ぐ天地の糸を張りなおすためと言われている。天鼓(てんこ)の泉は、天地を繋ぐ場所。そこで、正しい音を奏でて『大黒丸(だいこくまる)』と共鳴し、霊獣(れいじゅう)の御力を借りて、判りやすく言えば世界そのものを調律し直す。水底に溜まった澱を、清め払う。そんな比喩もあるだろう。

 その調律を行う『正しい音』を奏でられる楽師を探し出すのが、また一苦労だ。

 大霊会(だいりょうえ)の一ヶ月前になりお触れが出ると同時に、クマリの京で音が一斉にあふれ出す。

 人の集まる市場だけでなく、広場だけでなく、町中を巡る水路にかかる数多の橋の上、大小の辻で、演奏が始まる。

 この地で生まれ育った者は耳が肥えている。大霊会(だいりょうえ)の諸事情から小さな時から腕自慢の楽師達が奏でる音に馴染んでいる。さらにその身に流れるクマリ族特有の共生能力が無意識に楽師の魂を見つめていく。本当に清らかな者か。『正しい音』を出せれるのか、選別していく。さらに、群集に紛れて大連の者が音を聞き比べていく。

 半月もたたない内に、大方の楽師はふるい落とされる。落ちた楽師達は、失意のうちに楽器を下ろしていく。ある者は旅支度をはじめ、ある者は奏者の音を聞くためにクマリに残る。

 そうやって僅かに残った幾人もの、幾集団もの楽師達に出されるのが、御前披露への召しだしの触れ紙。それが唯一最後の機会。

 鞘から出された霊刀『大黒丸』を前に、演奏をする。その刀身が鳴れば、奏者となれる。

 最初は大連(おおむらじ)の中で行われた儀式だったが、今は大霊会(だいりょうえ)出席の為に集まった各国の王族や部族長を招待し、雲上殿(うんじょうでん)の中庭で行われる。この日ばかりは一般の民にも中庭が解放され、妙なる演奏の数々と艶やかな王族達と有難い霊刀が一度に拝めるという訳だ。それはもう、新族長の継承式と並ぶ大霊会(だいりょうえ)最大の祭事になっている。

 




 「判る? 御前披露にたどり着くまで、すんごく大変なの。……ねぇ、聞いてるの」

「うん、うん、聞いてるよ。ばっちり聞いてる……よ、ケホッ」


 反射的に首を縦に振ると、リリスの疑わしげな視線が突き刺さる。

 正直に言えば、上の空だった。


 「寝てたんじゃないでしょうね」

「目、開けてたよ……コンッ」

「目を開けたままでも寝れるのよ。ほら……」


 目配せをするその先を見れば、明らかだ。

 茶碗を持ったマダールが、大通りを見ながら座っている。砂埃を含んだ春風がハチミツ色の髪を揺らしていく。物憂げな雰囲気の美少女に道行く人々が視線を投げかけているが、マダール本人は微動だにしない。


 「これは寝てるんじゃなくて、他事考えているんじゃないかな」

「この次元かでいったら、寝てるっていうのよ。目ぇ開けて寝てるの。まったく。早乙女祭の時はまだやる気に溢れてたのにっ」


 そう。早乙女祭以来、マダールは元気がない。ぼんやりと宙を見つめて溜息を繰り返している。

 玄徳への思いが、それほどにも深いのか。ただ、ハルンツにはマダールから重い不安の気持ちだけが伝わってくる。


 「失恋がこんなに酷いのなら、あの時一発殴っておけばよかったわ」


 物騒な言葉と溜息を形の良い高い鼻から吐き出すと、リリスは胡麻をかけた甘い餅菓子にかぶりつく。

 京の南北を貫く大通りから一本裏の茶店で、一服をしていた。

 その前の演奏の反省会といった所か。

 一応、大きな拍手を貰っていた。ここ数日の手ごたえは上場だ。日ごとに観衆は増えている。この茶屋だって、大通りでの演奏を聴いた店主が「ウチでご馳走するから」と招いてくれたから。

 

 「まぁね。マダールはまだ良いわよ。演奏になればいつもの気合いが入るからね」


 リリスの次の言葉が予想出来たハルンツが、無意識に肩をすくめた。


「ハルちゃんは酷いわよ。なんか、気がそぞろよ。ひょっとしたら、この一回で大連からの改め役が来てるのかもしれないのよ。まったく風邪まだなおらないし」

「だから……ケホッ……風邪じゃないんだけど、喉が変なんだよ」

「この兄ちゃんの言う通りだぜ。ネェちゃん、いい音出してるんだからよ。ほら、ウチの餡子食べて気合入れなおしな」


 店の主人が、漆塗りの皿に山盛りの餡子餅を二人の間に置いていく。店先まで出た長いすに腰を降ろし、履物も履いたまま食べる量ではない。無言で「ゆっくりしていけ」との合図のようだ。すぐに看板娘らしき若い娘が奥からやってきて、店主にせっつかれて大きな土瓶を二人の茶碗になみなみと茶を入れていく。注がれた茶色の液体からの香ばしい香りが心地よいが、耳まで赤く染めた娘はリリスへ遠慮がちに視線を送っている。気付いたリリスに微笑まれて、慌てて奥へと走り去る。土瓶を大きく揺らし茶をこぼしそうなその勢いに、馴染みらしき幾人の客がはやしたてた。

 

 和やかな喧騒とリリスの溜息を聞きながら、ハルンツは空を見上げる。茅葺きの屋根の向こう、天頂高くに輝く太陽。浮かぶ雲は眩しいくらいに白く、夏が確実に近づいている事を知らしめている。

 日に日に日差しが強くなってきて、生温い春の陽気の中に浜を思い出させる強い陽のにおいが感じられる。

 ここの所、頭の中は同じ事ばかりだ。

 海の彼方に漕ぎ出していった里の皆を守るには、どうすればいいのだろう。判らない。

 戦は、始まってしまうのだろうか。判らない。

 雲上殿(うんじょうでん)からの手紙は、ハルンツ達が無事に過ごしているか気に掛ける内容しかない。取り合えず、玄徳(げんとく)達は色々と工作をしているようだ。現に李薗(りえん)帝国の皇子の玄徳(げんとく)の参内は、その豪奢な行列と神苑(しんえん)妖獣(ようじゅう)玉獣(ぎょくじゅう)に換えた功績で京の民に熱狂的な歓迎の声を受けている。

 李薗の力の大きさを人々はしきりに口にしているのも、計算された工作活動の一つの結果だと、アシが説明していた。今は互いの力と出し方を見定めて時を図っているのだろうと。

 だけど、どう説明されようと、玄徳(げんとく)は文字通り雲の上の人となり、未だ戦の影も見えていない。

 そしてハルンツは奏者より戦を避けるために動こうと決意したまま、何をどうすべきか判らないままでいた。マダールとリリスに先日の決意をどう伝えようか迷ったままでいた。

 共に奏者を目指そうと、クマリを目指したのに。その約束を破ってしまう後ろめたさ。

 そして、最近感じる自分の腕のなさ。そう。やはり、楽師として生計を立ててきたマダールとリリスは、楽の腕はかなり高い。ハルンツは所詮、田舎村の祭事で三線を奏でていたにすぎない。いくら音色が飛びぬけて良いと言われても、ここ一月でみっちり手ほどきを受けていても、その腕の差は縮まる事はない。むしろ、合奏すればするほど腕の差を感じられて虚しさが増していく。ハルンツ自身の腕を実感するほど、マダールとリリスが雲の向こうに輝く太陽のように感じられて眩暈がする。

 エリドゥ王国とダショーことエアシュティマスとの関係も気になる。深淵(しんえん)の神殿側のコムの動きも気になる。その中で、どう動けばいいのか、判らない。そして、奏者を目指したいと思いつつも、自分の腕の限界を感じてしまった。

 なにもかも、中途半端。一生懸命に動いている玄徳やジクメ達に、なんて顔をすればいいんだろう。


 「はぁぁ」


 思わず溜息をつくと、目の前の薄布が揺れる。

 大体、こんな布を被っているから周りが見えないんだ。世の中を薄布越しに見てるからに違いない。

 衝動的に布の手をかけむしり取ろうと手を上げる。


 「元気ないなぁ。なんだよシケた顔しちゃって」


 布の向こうに、見知った太い眉の顔が覗き込んできた。


「これ、旦那様からの差し入れ。少しはマダールさんの元気の素になればいいんだけど」


 裾が短い袴に笠を被った旅行支度の秀全が、洒落た風呂敷に包んだ手荷物を持って立っていた。



 


 

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