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 63 使者,来る

 「私、すっかり気に入ってしまいましたの。それで、殿下に無理を承知で大霊会(だいりょうえ)まで下屋敷での滞在をお願いしたのです。お優しい方で、私の我が儘をお聞きくださって……後宮のお抱えであったとか。李薗(りえん)の帝も愛されたこの音、グムタン殿も聞きほれましたでしょう? 」

 「お、おう。まこと、美しい調べ。姫が惚れるのも無理はござらぬが……」


 グムタンがようやく頷く。濁った細い目は、何度もアシとハルンツ達と村人達の間を動いている。頭の中で、様々な考えが駆け回っている様子が、手に取るように感じる。


 「そ、そうであったか。なるほど、ワシとした事がなんという事だ! てっきり、姫の身を案じてしまった! 姫に何かあっては一大事、すっかり動転して姫を泣かせてしまった! 申し訳ない。皆の衆よ、そなた達の愛する姫を泣かせてすまなかった。これ全て、ワシの不徳の致すところ」


 グムタンが、大きく手を広げ、声を張り上げる。大げさな謝罪に、辺り一帯に漂いだした毒気が、間抜けな空気に変っていく。


 「先程から素晴らしい音を奏でると思っていたが、いやぁ……玄徳(げんとく)殿下の愛される音とは、真に美しい。このような音を聞いておきながら先のような間違いをしてしまうとは……。ワシもモウロクですなぁ」

「こちらこそ、グムタン殿に誤解を与えてしまい、申し訳ありませぬ。せっかくの宴に水を差してしまい、申し訳ありませぬ」

「いやいや。ワシの早とちりだ。ほれ、皆の衆、宴を続けよ」



 当事者二人の促しに、不可解な顔を見せながらも村人達が座りだす。一部の下人はまだ血がたぎっているのだろう。上座にぎらつく視線を投げる者や、諭されながらもまだ立っているものもいる。

 そんなに容易くは納得できないだろう。なにせ、自分の主人の面目もかかっている。泣かした方も、泣かされた方も、どちらも主人の事情は知るはずもないままにらみ合いは続いている。


 「少し悪酔いになりそうじゃな……そろそろ帰るとしようか」

「まぁ、こんなにお早く」

「いやいや、早乙女祭の祝いの品を渡す目的も終わったことだしな」

「では、お見送りを……」


 引き止める素振りも見せず、アシは微笑みながら立ち上がる。

 その顔を見たグムタンの口元が、硬く一文字に結ばれた。口から出そうな言葉の数々を飲み込んでいるのだろう。頬が幾度も痙攣し、その度に頬肉が跳ね上がり中途半端な笑顔のように見せている。

 傍に控える家人が、何度も気遣わしげにグムタンを見ながら、退出の準備を指示していく。すでに顔を赤らめた下人が、いきがる仲間の腕を取りながらも席を立ち輿の準備を始める。牛舎から黒く大きな牛二頭、さっそく留め具をつけられ輿につながれていく。流れるような手際のよさで輿は準備され、上座近くに留められた。豪奢な飾りが施された輿に、グムタンがその巨体を押し込む。


 「では、雲上殿でまた」

「ふん。邪魔をしたな」


 すでに村人達が見えない輿の陰で、グムタンが鼻息荒く返答をしたのと同時、輿の扉が音を立てて閉められる。目の前で行われた無作法な仕草に、アシは微笑んだまま軽く会釈をする。

 アシと数人の家人の見送りを受け、グムタンの輿が牛に引かれて屋敷をでていく。二頭の牛に引かれ、行きと違い手ぶらになった下人達を引き連れて、輿の軋む音が遠くなっていく。


「心配をかけました。さぁ、宴を続けましょう」

「姫様、大丈夫ですか?! 」

「なんちゅう御仁だ」

「そうじゃ。(ひつき)の当主様ともあろうお方が」


 まさか、その姫様の涙が嘘だなんて、言えない。

 事情を知るハルンツから見ると、アシもアシだ。

 従う下人達の前で、恥をかかせた上に追い出してしまったのだから。


「まったく……冷や汗かいたわよ」

「アシさま、凄すぎるよ」

「よく憶えときなさい。女ってのは、怖いわよ。それに女の武器は、涙だけじゃないの」

「ま、まだあるんですか?! マダールも使うの? 」


 リリスの言葉に驚き、マダールを見る。

 遠く、街道目指して遠ざかっていく牛輿の影を見つめている。まるで、遠い昔を思い出しているような横顔。それにしては、やや顔色が悪い。


「マダール……どうしたの? 」

「あら、顔色、良くないわね」

「気のせい……えっ……そ、そうかな、うん、肝を冷やしちゃったしね」


 両頬を包むように手をそえたマダールが、苦笑いして大きく息をはく。


「本当。息するのも、怖いぐらいだったな」

「あれが政の怖さよねぇ……あら、やだ。みんな、もう酒飲んでるわ。私の分がなくなっちゃう」


 一瞬、『政』という単語を使ってしまった気まずさだろう。リリスはハルンツの肩を叩くと、琵琶を置いて酒席へ飛び込んでいく。


 「あたしは、もう大丈夫なんだけどなぁ」


 玄徳(げんとく)を思い出させまいとしているリリスの心遣いに気づいているのだろう。マダールと、ハルンツの視線が交わる。薄布の向こうのマダールは、小さく笑っていた。


「なんか、つまめるもの取りにいくね」


 笛を置き、マダールも身軽に酒席へ走り出している。

 顔を上げれば、アシはハルンツに軽く微笑みかけて、村人達の所へ歩いている。

 先程、背筋が凍りつく賭けをした本人と思えない、優しげな微笑。銚子を傾け、村の老人たちの輪の中へと入っていく。


「女の武器、かぁ」


 恐ろしいものが世の中にはあるもんだ。

 思わず苦笑いして、ハルンツは三線の弦を緩める。この調子では、楽を奏でる必要はなさそうだ。そっと三線を置いて、マダールとリリスの笛と琵琶も横へ片付けた。その視線の先に、泥のついた小さな足が二本飛び込んでくる。


「ハル姉ちゃん、これ」


 顔を上げると、まだ舌足らずな言葉と共に小さな手が差し出される。先に子守りをした時、小袖の先を握っていた坊やだった。

 草木の汁が染み込んだ指先に握られたのは、野の花が添えられ結ばれた小さな純白の紙束。小ぶりの黄色の花が、可憐さを演出している。


 「これ、渡せって」

「……」


 恋文でしょ、これ。

 心の中で思いっきり、雷が落ちたかのような衝撃。訳ありで女装した途端にもらった恋文ほど悲しい事はない。時期が時期ででなかったら、自分の姿が素であったなら、これほど心躍らせるものはないだろうに。


「今すぐ読んでほしいって」


 無垢な瞳が、ハルンツを射抜く。

 この手紙の送り主を、蹴り飛ばしてやりたい。物知らぬ子どもに、こういう微妙なものを渡し、厚かましくも『読んで欲しい』と言わせるその神経が、許しがたい。断りたくとも、純真な子どもを前に読まない訳にもいかない。

 しかたなく受け取り、花は目の前で待っている子どもの耳に飾ってやり、そっと結び目を解いて紙に目を走らせる。

 青い墨でかかれた文字は、緩やかな曲線を規則的に描いている。まるで優雅に伸ばした蔓のような文字の羅列。文字にクセはあるが、読みやすいように簡潔に書かれていた。

 その文字を読みきった途端、思わず辺りを見渡す。人垣の中、その向こうのリリスとマダールを探る。二人とも、早くも酔い始めた村人達に捕まり杯を持たされている。


「ちょっと、風に当たってくるね。楽師のお姉ちゃんとお兄ちゃんに、そう伝えて」


 出来る限り、甲高く囁く。少女の声になっただろうか。ハルンツ自身、怪しいと思う声だったが、それしか出せない。ここのところ、風邪じゃないのに喉が変だ。


「手紙の事は、君とボク……あたしとの秘密。ね? 」


 懐から財布を取り出し小さな貝殻を見せると、子どもの顔が輝いた。不審な声の事は、すっかり頭の片隅に投げやられた正直な様子に苦笑い。

 里の餞別の中に入っていた小さな守り貝だ。里では、よく落ちていた巻貝だが、この辺りでは珍しい種類なのだろう。子どもの目が釘付けになっている。

 数少ない里の物。さらに子どもを騙すような行為に、後ろめたさはある。でも、ここは口止め料。

 溢れ出した未練を断ち切るよう、思い切ってその小さな手に握らせる。


「うん。おら、内緒にする」

「いい子」


 満面の笑みで、駆け出した子どもの後姿に、やや不安は残る。あの貝殻で、秘密は何処まで守られるんだろう。


 「ケホッ……」


 いくら酒に誤魔化されても、宴の最中であったとしても、時間がとれるのは僅かだろう。

 裾を品よくつまみ、小走りで屋敷の中へ入っていく。

 勝手知った屋敷内を、慌ただしい使用人に愛想よく振舞いながら、奥の階段を上っていく。楽器を取りに戻ったか、ちょっと着替えをするように見えた事だろう。

 ハルンツは内心の動揺を隠し、最後の階段を上り、そっと板戸を開ける。

 吹く風の中に、昼過ぎ独特の湿気を含んだ涼しさが含まれている。海からの風のその向こうに、一人の影を見つけた。


 「ようやくお会いできましたが、出来ればダジョー様とお呼びしてはるエアシュティマス様にも、会いとうございましたな」


 山に沈もうとしている光に照らされた人は、身を包んだ藍色の外套の頭巾を、ゆっくりと落とした。

 白いと形容してよいほどの、象げ色の肌。切れ長の瞳。ゆったりと肩で結ばれた漆黒の髪が、その優雅な動作とともに揺れる。


 「深淵(しんえん)の神殿から……いえ、(はつゐ)のと申したほうが分かりやすうおますか。コムと申します。ハルンツ様を、お迎えに参りましたえ」


 

 



 





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