62 ウソも方便
慌ただしく、追加の敷物が用意される。少し質は落ちるもの、古いものもあるが、まぁ問題なさそうだ。
アシはグムタンが連れてきた下人達にも、屋敷の使用人達よりも離れた所だったが、宴の席を設けさせた。予期せぬ幸運に、グムタン側の下人は、顔をほころばせている。
そして慌ただしく準備される中、ぼんやりとアシの狙いがわかってくる。
極力、開放的に見せるつもりのようだ。
つまり「疑わしい事は何もない」と。言い換えるのなら「探せるものなら探してみろ」と。
グムタンに酒を注ぎ微笑む上座のアシは、内心に吹き荒れているだろう嵐を、微塵にも感じさせない完璧な笑顔。むしろ、傍に控えるおばぁさんの方が、不安げだ。
「さすがねぇ」
「やっぱり、姫様だよ。あの変わり身、すごいよ」
「と、取り合えずボク達も出来る事、しようか」
ボクらの出来る事。この場の雰囲気を何も隠し事のないような、和やかなものに変える事。となれば、演奏だ。
「落ち着いた……雅な旋律がいいわね」
「品のよさそな、感じかぁ。古典かな」
「季節は春だし」
楽師の席は、上座と村人達の席の間に設けられている。
聞こえないと思うが、小声で演目を打ち合わせる。
軽く、マダールの笛に合わせて弦を鳴らし調律をし直す。途端、視線を感じて顔を上げる。
目を見開いたアシが、固まっていた。
「大丈夫だよ」
そう囁き、小さく頷いて見せる。
隠れたままで、いられない。ジクメの予想通り、グムタンは早乙女祭を狙って屋敷にやって来た。ここは、徹底的に見せなければいけない。
やましいものなどなく。隠すような事もなく。エアシュティマスを感じさせる人物もいないと、見せなくてはいけない。
腹の探り合い。懐を、どこまで開いていけるか。それが、ボクらに試されている事。
「ハルちゃん。本気だしちゃだめよ。ほんの僅かだけ、そぞろな感じで弾けばいいわ」
珍しく、リリスが注文をだす。
「マダールもよ。あの晩みたいな完璧じゃなくていい。精霊動かしたらいけないからね」
リリスの言葉に納得する。
相手は大連の当主。精霊の動きには敏感のはずだ。
でもそれって、普通に弾くより難しそうだ。
なにより、そういう小技など使ったことがない。弓を握る手の平が、急に汗ばむ感覚。慌てて、右手に息を吹きかける。
「……ふぅ……」
マダールの笛の独奏が始まり、リリスが微かな溜息と共に撥を動かす。
いつもより静かな音。その中にほんの僅かに混ざった感情が、ハルンツの中にしみこんでくる。
この感情を言葉にするのなら「あぁ、めんどくさい」とでも言うのか。
そして、マダールの音も、心ここにあらずな雰囲気で流れ出す。さっきの気迫のこもった演奏が、嘘のようだ。同じ人物の演奏とは思えないほどの、気の抜け方。
「……」
あぁ、他ごとを考えながら演奏すればいいのか。
心の中で笑いながら、弓を動かす。この時ばかりは、薄布を被った姿でよかった。そうでなくては、薄笑いを浮かべたのがばれてしまう。
ハルンツは、演奏が終わったら食べる料理を考えながら、弓を動かしていった。
怠慢な春の陽気に、これまた怠慢な演奏が流れ、宴は進んでいく。
「これは、雅な音ですなぁ」
「もう一献、いかがです? 」
「おぅ、姫の注ぐ酒ならば、断る理由もござらんわ」
上機嫌なグムタンの言葉が、微かに聞こえる。宴のざわめきの中でも、グムタンの濁声は聞こえる。盗み聞きには、最適だ。
ハルンツの頭の中が、料理の事から切り替わる。演奏の音を追いながら、その向こうからの会話に耳を澄ます。
「時に姫。神苑の変化はお聞きしましたかな」
「えぇ。あの澱みきった空気が、僅かに変化したと」
「李薗の皇子が大祓をしたお陰ですな。お体を壊されたと聞きましたが、先日 参内された様子では元気でしたな」
「それはようございました。お体を壊されたままお国に帰られては、申し訳ありませぬ」
まるで他人事のようだ。アシのほうを見れば、先と同じ姿勢で銚子を持って微笑んでいる。
玄徳がこの屋敷に滞在した事など、微塵も感じさせない。
「して、その時に先達をしたのは姫と伺っていますがな」
「えぇ。私です」
グムタンが、頬の無駄肉を僅かに上げる。とたん、顔は笑顔のまま目が鋭くなった。
「姫は隠しておられる。もう少し、賢い方と思っていましたが」
「どういう事でしょう」
「皇子一人で、大祓をしたのでしょうかね。ワシの聞くところでは、李薗の皇子……玄徳殿下か。さほど共生者の力はなかったとか。ならば、誰がいたのでしょうな。我がクマリでも手をこまねいた神苑の澱みを一掃した力。三十数頭もの妖獣を玉獣へ還す力。それは、かの大魔術師エアシュティマス様の再来のような力ではござらぬか。皇子が体調を崩されたのも、何かの口実でしょう。おそらく、もうひとり何者かをお隠しになったのではござらぬか。エアシュティマスもの力をもつ、何者かを」
それは、ボクの事。
気付いている。気付かれている。
「姫が京へと先達されたのなら、下屋敷にお隠しになられるのが最適でしょうな。昴家上屋敷では、継承式の準備で人目がありすぎる」
玄徳が滞在した事だけではなく、ハルンツ自身の存在に、気付いている。
ハルンツの左手が、かすかに揺れ始める。一瞬、弦を押さえる指が弱くなる。
それを察したのか、心なしかリリスの琵琶の音が大きくなった。
薄布の向こうの、虚空を見つめるアシは動かない。精巧に作られた人形のような白い顔は、なんの感情も見せないまま。
やがて銚子を膳に置き、姿勢を正してグムタンと向かい合った。
「グムタン殿は私が皇子を誘い入れた、そう言いたいのでございますか」
「は?」
アシの言葉の意味が、判らない。
頭が回らない。ただ、手だけが演奏をぼんやりと続けていく。
「そのような……そのような奇想天外な事を仰る、その理由が、私には、判りかねます……」
「ひ、姫?! 」
「姫様! 」
まるで悲鳴のようなおばぁさんの声に、宴のざわめきが凍りつく。
人々が口を閉ざし、上座の異変を見守る。アシの次の言葉を待ち望むように。
「待った」
リリスの小さくも鋭い声に、マダールとボクは演奏を止める。
リリスが目を細めて注視する先のアシは、白い頬に一筋の涙を零している。
「私を、男を誘う下賎な女と仰りたいのでしょうか……」
宴の席に火を放ち、油を注いで炎上させた。アシの言葉は、そう形容するに相応しい激変を起した。
村人達が、アシの言葉に総立ちになる。そして、互いの下人達もにらみ合う。
酒の勢いもあるのだろう。男達は憤怒の表情を見せて、大連の当主であるはずのグムタンを睨みつける。女達は、氷のような呪詛めいた言葉を吐き出す。
アシの屋敷の下人達は姫を泣かせた事に。グムタンの連れてきた下人達は、主人の面目を守るために。どちらも若いだけあり、何時殴りあうか、どちらが先か、探るような気配すら漂いだす。
宴の席が、修羅場と化した。
「そ、そのような……ワシはそのような事を言うつもりではなく……いや、姫は誤解をされておる! 間違いじゃ! 」
「グムタン様。姫の涙を見て、そのような言い訳をおっしゃるか! 」
あの穏やかなおばぁさんの一喝と村人の変容に、グムタンは頬肉をプルプルと震わせて否定を繰り返す。
アシはその顔を袖で覆い、支えるように腕を差し出したおばぁさんに、身を寄せている。
そのはかなげな姿に、ますます村人は燃え上がっていくようだ。
「ワシはただ、皇子が一人で大祓をしたのが納得できぬと、いや、これは……つまり」
先の老獪さは、消えうせている。薄くなり生え際が後退したのか広い額に、汗が光りだす。小さな髷から湯気も出てきていそうな慌てぶりで、立ち上がったグムタンは解説を始めようとするが、話の内容が内容だけに口ごもる。それがまた、村人達の視線をきつく、態度を硬化させていく。
それは、そうだろう。
グムタンがアシに揺さぶりをかけ聞き出そうとした内容は、神苑の激変に関する事。一応、友好関係をもつ李薗帝国の皇子に疑いをかける事。そしてなにより、自分の斗家の不正に関する事だ。どれも知られてはマズイ事柄。
「アシ姫よ、判るであろう? ワシが姫をそしるような事、するとでも」
「えぇ、思いませぬ。グムタン殿がそのような……あぁ……私こそ取り乱して申し訳ございませぬ……」
グムタンの顔から汗が滴り落ち、ようやくアシが顔を上げた。頬を袖で隠しながら、そっと見せた瞳は潤んではいた。
「グムタン殿が仰る、屋敷に誰かを隠したとの噂……彼らの事かも知れませぬ」
アシは優雅に袖を動かした。
その指先の先にいるのは、ボクら。
リリスが琵琶を置き、頭を垂れた。慌ててマダールとボクもその動きを真似た。
「こちら、玄徳殿下お抱えの楽師達でございます。殿下が大祓された際、彼らも演奏をしておりました。それはもう、素晴らしい光景でしたよ」
「楽師、か? 」
「えぇ。先程からお聞きになられているでしょう? 」
グムタンの口が、目が、力なく開かれたまま放置された。
早乙女祭は造語です。早乙女は,田植えの日に作業する女性の事です(BY Wiki)。作中の田んぼは,少々成長が早い描写になってしまいました(汗)。すいません。異世界って事で勘弁してください。