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59 三章 〜あの入道雲つきぬけて〜 御旗の里

 風の音が聞こえる。

 ようやく空全体が明るくなる。朝日が赤く染め上げていた空に、青みが出てきた。

 あぜ道や街道へとつながる道に等間隔に立てられた竹棹につけられた旗。軒先や庭先の大木の頂から地面に張られた綱につけられた五色の小旗。全てが風が吹くたびにはためき、軽やかな音を立てている。もうじき始まる祭りを待ちわびるざわめきのようだ。

 世界の五大元素を現す五色の御旗は、それぞれを賛美する祭文を刷り込んである。赤、黄、青、緑、白。炎、大地、水、風、宇宙。 御旗がはためく度に、祭文が風に乗り祈りが世界を回るとされるのだ。


 「今年は大霊会ももうじきだし、御旗はこのまま飾っておこうか」

「それがいい。めでたいもんは飾っておこう」

「そだなぁ。いい景色だしなぁ」


 大人達の言葉に、集まってきた子ども達が歓声を上げて飛び上がる。

 本当は、畳んで再び飾らなければいけないのが大変なのだ。祭事にはかかせぬ御旗。今日の早乙女祭の一月後には、クマリ最大の祭事である『大霊会』の目玉『御前披露』と『奉納演奏』がある。半月もすれば細かい祭事が日々あり、御旗も飾られたままになる。昨日からの重労働を思い出せば、男衆は無言のうちに飾りっぱなしにする事になったようだ。


 「楽師さん達もご苦労さん。人手が足らなかったから助かったよ」

 「私達でお役に立てたのなら嬉しいです」


 リリスがにこやかに返事をした。


 「そこの娘さん……ハルさんだっけ?子守り、ご苦労さん。大変だったろ。ワンパクばっかだからな」


 不意に声をかけられ、口が半開きになっていた。無意識に返事の声をだそうとしていた事に気付き、慌てて首を振る。頭から被った薄布が僅かに揺れた。

 ハルンツは、『ハル』と偽名を名乗っていた。しかも、娘の装束を着ている。可憐な小桜草が染め抜かれた小袖。結い上げた髪に紅珊瑚玉の簪で薄布を留めている。

 外見は、可愛らしい少女そのものになってしまった。

 監修をしたリリスによれば、人見知りが激しく口数も少ないという設定。だから、自分から喋らないようにキツク言われている。さすがに、声は少年の色が出てしまうからだ。


 「ハル姉さん、もう少し遊ぼうよ。また三線弾いておくれよう」

「なんか弾いて」

「小鳥の歌を弾いてよう」

「もっと御旗を見に行こうよ。街道の塚に登るとキレイに見れるんだ」


 周りに集まった子ども達が、好き勝手な事を言い出し袖を引っ張り出す。一人が引っ張ると、負けじと次々に引っ張っていく手が増えていく。


「こらこら。楽師さん達も今日は忙しいんだぞ。宴の演奏をされるんだ。訪問客の前で疲れた音をさせる訳にゃ、いかん」


 男達が御旗を立てる力仕事をしている間、ハルンツは子守りの担当になってしまった。喋れないので、子どものせがむままに三線を弾いていた。子守唄も、祭り囃子も。その中で小鳥のさえずりや風の音を即興で奏でてみた。それが、子ども達の関心を一気にひいて懐かれてしまったようだ。

 男達が止めようとする素振りに、子ども達の非難の声が一斉に吹き出した。


「いいですよ。まだお仕事があるのなら、あと少しぐらい見てましょうか。ね、ハルちゃん」

「いいんかね? そりゃ、俺達は助かるが」

「宴は昼前からだから大丈夫。この子達を連れて台所へ行ってきましょう。子ども達もまだ朝食も食べてないですし」


 台所には、女達が食事の準備に大忙しだ。

 村人総出の早乙女祭で、母親達は日の出前から子どもを父親に預けていた。その父親も、力仕事に借り出され忙しい。まだ朝食すら、とれない忙しさだ。


「そりゃいい。母ちゃん達に握り飯こさえてもらえ。楽師さん達も、まずは子どもと腹ごなししてくだされ」

「では、後ほどそちらにもご飯を運びます」


 リリスの提案に、父親達も感謝の言葉を口にした。子ども達は、気も早くハルンツの背を押し、手を引っ張り屋敷へと導き出す。

 くすぐったい感覚に、ハルンツは自然に小さな笑い声を上げていた。子ども達の歓声も大きくなる。小川の流れに乗る笹船のように、小走りにあぜ道を抜けていく。

 薄布を通した景色は、緑と小さな野の花に満ちている。伸びてきた稲の葉が揺れるたびに、故郷の小波を思い浮かべた。子ども達の元気な歓声と飛び跳ねるように走る姿は、とてもまぶしい。

 どことなく、故郷の浜に似ている。でも、何もかも新鮮だった。

 昔と同じ薄布を被っていても、小波に似た稲葉の音を聞いても、見える世界はまぶしいほどに生命力に満ち溢れている。そして、その中にいるハルンツ自身が興奮しているのを感じていた。

 まるで、細胞が沸騰するような、言葉に出来ない静かな高ぶり。

 魂の、記憶。遠い思い出。

 ふと、そんな考えが頭をよぎる。

 この目の前の光景は、遠い祖先が過ごした光景。ダショーでありエアシュティマスの過ごした故郷。ハルンツ自身が覚えてなくとも、体に流れる血の中の記憶があるのかもしれない。

 

 「母ちゃん! 腹減ったぁ」

 

 一斉に子ども達が叫びながら裏口になだれ込む。

 辺りは米を炊く甘い香りに包まれている。薪の燃える音も煙に燻された塩豚の脂の香りも、全てが食欲につながっていく。


 「まぁまぁ。せわしないねぇ。行儀が悪い。お屋敷ん中をそんな大声だしてみっともないったら」


 口は悪いが、湯気の向こうから覗く母親達の顔は微笑んでいる。慌ただしいが、子ども達の姿を一目見れて安心したのだろう。

「火傷しちゃいけないから、入ってきちゃいけないよ」と言いながら、にこやかに答える。


 「忙しいところを申し訳ない。子ども達に何か食べるものはないでしょうか」

「おんやリリスさん。子守りさせてすまないねぇ。」

「ちょっと待っててよ」

「今日もいい男っぷりだねぇ。うちのダンナとは大違いさ」


 愛想のよいリリスは、すっかり女衆に気に入られているようだ。笑顔を振りまくリリスを、ハルンツは尊敬の眼差しで見つめてしまう。自分は、こんな風に見知らぬ相手と喋れない。


「ほら、握り飯もってきな。皆で仲良く食べるんだよ」


 喧騒と湯気の向こうから、水仕事をし続けた赤い手が幾つも大きなお盆を渡してくる。炊きたての飯で作った握り飯が、湯気を立ててびっしりと並んでいる。


「小さい子の分、取るんじゃないよ」

「食べ終わったら、もう一度おいで。父ちゃん達のも持っていっておくれよ」


 リリスが頼む前に、全て準備されていたようだ。野菜の塩漬けを載せた盆と温かい茶で満たされた大きな急須を抱えたマダールが奥からやってくる。


「楽師さん達もご苦労さん。先に休んでておくれよ」

「すみません。お言葉に甘えさせてもらいます」


 マダールの袖は紐でくくられている。夜明け前から台所で立ち仕事を手伝っていたから、さすがに疲労の色が見えている。


「やだねぇ。あんた達はこれから忙しいんだから無理するんじゃないよ」

「いい音聞かせとくれ」

「楽しみにしてるよぉ」


 背中を押されるように、マダールも台所から締め出される。

 お盆を掲げて小走りにかけていく子ども達を見ながら、裏庭へ歩いていく。


「お疲れ様。台所は大忙しだね」

「うん。私は料理の盛り付けとか、箸や食器の乾拭きとか、そんな仕事だけだったけどね」


 楽師にとって、手は商売道具だ。白魚のような手の美しさを保つ為、料理などの水仕事は基本的にしない。マダールはあまり気にせず「たまにするぐらいなら大丈夫」と手伝いを申し出たが、さすがに女衆は遠慮したらしい。

 なにせ、下屋敷の女主の(すばる)アシが招いた楽師になっているからだ。李薗(りえん)帝国の後宮のお抱え楽師だった経歴も伝わり、村人達からも大事に扱われる結果になった。大事な客人でもある。


 「とにかく、少し休憩しましょう。ほら、手が冷えるとよくないわ。袖を戻しなさいな」


 リリスは大振りの急須を持ちながら、器用にマダールからお盆を奪い、袖を止めたひもを取るように目で促す。

 まるで母親か姉のような気配りをみせ、子ども達が敷いたゴザに座らせる。


 「あぁ〜。足がパンパンだぁ」

「はい。お茶」

「ありがと。ハルンツも休憩したら」

「……今日、初めてハルンツって呼ばれた。やっぱり、女の子は大変だよ。クシャミも小さくしろって怒られた」


 少しおどけて言うと,マダールは小さく笑ってハルンツの差し出した湯呑みを受け取った。

 玄徳(げんとく)と別れてから三日。マダールが一度も泣いていない。少なくとも、ハルンツが見る限りは。

 リリスもそれが気になるんだろう。いつもどおり接するようで、さりげなく気を使っているし、ハルンツも様子を伺ってしまう。

 当のマダールは、見た目はいつもどおりだ。それが、かえって痛々しい。


 

 

 



 

 

 

作中の御旗は,ブータンのダルシンと呼ばれる経文旗を参考にしました。新年早々にブータン特集のクイズ番組があったので見た方もいるでしょうか。美しい光景ですよ。祈りを風に乗せて天に送るそうで……いつか実際に見てみたいなぁ。

 

 

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