55 予期せぬ再会
「でもいいんですか? 義仁さん、マダールと玄徳さんが仲良くなるの、反対してた感じだったのに」
過去を思い出しかけて落ち込みそうになるのを、話題を変えて持ち直す。もう、過ぎた事だ。時々、胸が痛むのは、腹立だしいけどしかたがない。
「そうですね。最初は反対でしたよ。この旅の目的がありましたしね」
申し訳なく、義仁は軽くハルンツに頭を下げた。
「マダールは、明らかにエリドゥ地方の血を強く引いています。いくら出自を偽っても李薗の皇子が正妃として迎えるには、無理があります。……あの殿の性格では、今の時点で第二夫人では納得出来ないでしょうし」
どちらかといえば、玄徳が熱をかなり上げている。義仁はそう見ているようだ。確かに、マダールは、身分差を考えていつも影に隠れるようにしていたのを思い出す。
「でも、昨夜のマダールは奏者になる事を殿にお願いしなかったでしょう? やろうと思えば出来たはずです。長年の夢だったようですしね。想いはかなりあったはずなのでしょう? それでも、政には一切口を挟まなかった。あれだけ、きちんとされればこちらとしても安心です。マダール自ら身をわきまえているのならば、私が反対する理由は今はありません」
一気に喋ると、僅かに視線を天井に向ける。板の向こうでは、二人が仲睦まじく食事をしているだろう。
「そう、ね。あの子なりに、色々考えているだろうし……あの子の母親は生粋の流れの楽師でね」
茶色に染まった茶碗を置き、湯呑みを手に取りながらリリスが話し出した。ハルンツさえ、今まで聞かなかった話。
エリドゥの大きな商家の旦那に望まれて嫁いだものの、旦那が若くして死すとまだ乳飲み子のマダールと共に追い出された事。母親について家を出たのはリリスのみだった事。
「私は、その数年前に奥様に拾われたのよ。……実は,深淵の神殿で稚児をしてたんだけど、ほら、この美貌でしょ? 色々と危ない目にあって飛び出したトコを拾ってくださって、屋敷で働けるようにしてくださったの。色んな大人を見てきたマダールは、身分差や建前と本音の事とか……よく判っている。だから、身の施し方は判っているはずよ」
「そう、ですか。ならば、もうしばらくは様子を見ていきましょう」
二人はしんみりと話し合う。
マダールと玄徳のことを話しているんだろう。でも、よく判らない。あまり楽しそうではない。幸せそうでもない。
話の内容をきいてみよう。そう口を開けかけた。
「……なんでこんな所で食事してるんですか? 」
階段を軽やかに下りてくる足音がしたら、狩衣姿のアシが不思議そうな顔をしてやって来た。
昨晩の艶やかな装束姿ではない事に、ほんの少し落胆してしまう。
「いえ、その、もう終わりますよ」
「あぁ……殿下とマダールさんに水入らずの時間をって事ですね」
にっこり微笑まれ、謀らずもそうなった結果に、笑顔でリリスと義仁と互いの顔を見合ってしまった。まぁ、良いか。
「ハルンツさんに会わせたい人がいるんですよ」
「ボク、ですか?」
ボクにお客さん、という事?
思わずアシを見つめると、意味深な笑顔で頷いた。
「上の座敷ですよ。ところで……」
今度は、不思議なモノを見る表情でリリスを見つめる。
「そのご飯に、何をかけて食べられたんですか? 李薗では、そのような味が流行っているのですか? 」
視線の先には、茶色のご飯粒が付いた茶碗があった。
まるで悪戯を仕掛けた子どものような顔をして、アシが襖を開けろと目で促す。成り行きで付いてきた義仁とリリスも、興味深そうに眺めてくる。
襖の向こうに何があるのか。手をかけ、思い切って引き開く。
朝の光を一杯に入れた座敷の奥の縁側に、二人の人影。それを確認した途端、ボクは走り出していた。
「浩芳さん! お久しぶりです! 」
「おや。ずいぶんと背が伸びたねぇ。無事に着いて何よりだよ」
変わらない柔和な笑顔を、向けてきた。手には、大振りの茶碗を包み込んでいる。
近くまで駆け寄れば、ふんわりと潮の香りがした。
「海から、来たんですか? 」
「察しがいいね。エリドゥから香料を積んできたんだよ。ここ数日は港で荷の確かめに追われていてね。ようやく秀全の監督から逃れられたところさ」
「あ、お久しぶりです。秀全さん」
慌てて側にいた秀全を見ると、僅かみ頬を痙攣させている。
「お前、お前、絶対に俺の名前、忘れてただろう……」
図星だった。そして、大抵、ボクの考えている事は顔に出てしまう。
「何 秀全だっ。お前のこの、空っぽの頭の中に俺の名前を叩き込んでやるっ」
「うわ、ゴメンナサイごめんなさいすみませんーっ。痛たたたーっ」
抱きこまれるようにして頭を抱えられて、コメカミを拳で押し付けられてしまった。
「うわっ、本当に背がのびたなぁ。もっとチビだったし、細かったぞ。体、でかくなったなぁ」
「そう、ですか?」
「元気そうでなによりだよ。さて、後の御仁方もこちらにどうぞ。アシから聞いたところでは、随分とハルンツがお世話になったようですね」
浩芳が、にこやかに義仁とリリスに円座を勧める。秀全は、ハルンツの肩をポンと叩くと家人での顔に戻っていた。甲斐甲斐しく円座を差し出し、用意してあったらしい茶と菓子が運ばれてきた。
僅かに赤く、花のような香りのする茶。葉を模した小麦を焼いたような菓子。異国の物だ。
「初めてお目にかかります。リリスと申します。流れの楽師です」
「玄武家玄徳殿下付き家人 謝 義仁と申します。以前、春陽で拝見いたしました」
「劉 浩芳です。不思議な縁ですね。このようにお会いするとは。殿下も、滞在中とか」
「昴家には、多大なる恩を受けています。主に成り代わり、取りあえず御礼を」
「聞いたところでは、昴家こそ恩を受けるよう。同盟を結ばれたとか」
浩芳の言葉に、義仁が顔を跳ね上げた。
「私が話しました。これから、浩芳おじ様にも一働きして頂けなければなりませんもの。手紙を、運んでもらうつもりです」
早速、異国の菓子を手に取りながら、アシが微笑んだ。
「いくら私が兄上に手紙をという名目でも、頻繁になれば怪しまれるでしょう。浩芳おじ様のからの荷に混ぜれば、かなりの回数や量を運べると思うのです」
「なるほど……。李薗側も浩芳殿の店より品を買えば、何の不思議はないですね。殿下に許可を頂けると思いますので、また後ほど」
「ご贔屓、ありがとうございます。いくらか、おまけいたしましょう」
菓子にも茶にも手をつけない義仁と違い、茶を飲みながら主人の目の前で返事をしていく秀全。
同じ白姓の朱雀家に火傷を負わされたのに、商売となれば別人格が出てきているのか。玄武家の家人と商談をすすめるその姿勢に、ハルンツは舌を巻いていた。
「失礼ですが、私も一つお尋ねしてよろしいでしょうか」
太い男の声が、礼儀正しく声をかけた。
リリスが、まっすぐに姿勢を正して浩芳を見据えていた。
「無知な楽師の戯言としてお聞きくださってかまいません。大店のとはいえ、何故に商人の浩芳殿がここまで政治に関わるのでしょうか。いくら昴家と縁があるとはいえ、私にはわかりません」
「リリスっ」
「ハルンツ、止めなくてよい。これは最もな質問だ。君もこのくらい疑って考えなければだめだよ」
リリスの質問に不機嫌になるどころか、面白そうに顔をほころばした。
「私が昴と李薗の同盟に加担するのは、もちろん戦を避けるためさ。戦は、商売の敵だからね」
「しかし、武器を売れば大きな儲けになります」
「それは外道のすること。そんな汚れた金を手に入れて、己の手も心も汚したくないねぇ」
リリスと義仁の言葉に、両手を袖に差し入れて答えていく。
「エアシュティマス様の神殿設立から五百数十年。小競り合いは起きたが、大きな争いは未だ起きてない。そのお陰で大陸中を商人が安全に往来して経済は大きくなった。工業も、農業も。その余裕を何故、捨てねばならないのか。戦は一部の者に富が集中するだけだ。多くの民は傷を負い、飢えに苦しむ結果になるのは明らかだ。戦ほど、世を後退させるものはないと、何故判らないのか。いや……目先の、自分の利益だけ、追っているのだろうな。自分の子孫の事など、考えていないのだろう。でなくては、この戦は起きないだろうに」
初めて零された浩芳の言葉に、頭から大きく揺さぶられた。
この人は、大陸を見渡して考えていた。
未来の子孫の事まで考えて行動している。
ボクは、ただ、戦が怖かっただけだ。
さらに家や里を失うのが、怖かっただけだった。
「さて、大仕事だねぇ。相手はファリデ王妃殿下と斗家当主のグムタン様か……」
まるで空気を入れかえるように、浩芳が話題を変える。
リリスは,浩芳の出した答えに、敬意を払うように頭を下げていた。
「ご存知ですか?」
義仁の質問に、一層微笑む。
「商売相手だよ。なかなかにしたたか。肝が座った方々だ。誰が何を必要か、こちらが何を欲しているか、よくご存知だ。特にファリデ王妃は心の機敏を読み取る才に長けたお方だ」
「たしか、アプドル王が若くして病で半分隠居状態なのに王妃が政の大半を受け持ているとか」
「よくご存知ですね。才女として有名だよ。後宮の王としても、なかなかに豪胆だ。時に、昨年皇子が誕生したのをご存知ですか」
浩芳の言葉に、義仁は宙を睨む。アシも首をかしげた。
「アプドル王とファリデ王妃には、べザド皇子が一人だけと聞いておりますが」
アシの言葉に浩芳は微笑んだまま続けた。
「後宮で、侍女が懐妊し出産しました。が、皇子は生まれてその日に亡くなった。その一月前、王妃はセリカツゥムを根ごと購入されたそうだ」
とたん、場が静まった。周りの人々は、固まったまま。
ハルンツはリリスをつつく。
「セリカツゥムは、観賞用の植物よ。ただ、その根を煎じれば無味無臭の劇毒になるのよ」
「そんな危ないもの、買えるの? 」
「観賞用と言われれば、簡単な事さ。現に、王妃所有の中庭に植えられたそうだ。普通は、そんな疑われる事はしないが……王妃を疑う声すら上げれないのだろう。侍女は、皇子殺しの罪を着せられて処刑されたよ。もっとも、かの物を購入したのは商売仲間のみ知っている話だけどね」
文中に出てきたセリカツゥムは,今はどのようなモノか,使用法もわからない薬草か香辛料の名を借用しました。(参照……『王の軟膏』より)
あまり深く考えなくていいですので。作者も考えてません。