51 同盟
「流された玉獣は、自由貿易都市で売り飛ばされていました。マリ南方の貿易港です。南の果てならば、点在する島々に沿って運ぶ事も容易い」
「では、エリドゥ王国を経由しているはずですが」
「そうです。エリドゥ王国と縁が深い斗家がやっているのです。他は気付いてない様子ですな。まさかエリドゥからの船に玉獣が乗せられているとは、思わないでしょう」
「それは、確かな裏付けがされた話でしょうか。事は、大きいです。間違った情報では困ります」
「末代までの恥すべき罪を背負ったと、まだ良心の残っていた者が口を割りました。調べも付いております。身内の恥を殿下に話しているのです。確証は確かにあります」
淡く照らされた場が、静まり返る。
身内である大連の一つ斗家と、西の大国が犯罪をしている。
それを、次期族長とされているジクメが、自身の口で李薗の皇子に話している。
「しかし……そのような手の込んだ事をしてまで」
「それだけ闇値が高いという事だ」
「それだけの悪事をしていれば、神苑が妖獣だらけになるはずだ。エアシュティマス様の言う、族長不在だけでは……やはりなかったのか。しかし、なんと間の悪い……」
玄徳が漏らした「間の悪い」という言葉は、本心なのだろう。
略式で小ぶりとはいえ、豪奢な袖を揺らして頭を抱えた。質素な冠がわずかに揺れた。
「どう、するの?」
深刻そうな様子に思わず、ハルンツが玄徳の肩に手を当てる。
「た、他人事のように言うでないっ」
玄徳が吼えた。
「玉獣を闇値で売っていたという事は、途方もない大金が回っているという事だ! エリドゥ王国のような軍事馬鹿の国に大金が入っているという事は、戦の準備以外ないであろう! エリドゥが戦をする相手といったら、東の雄 李薗帝国しかない! クマリが落ちれば、そこで手に入れた共生者と玉獣を使い、一気に攻め入ってくるのは明白! しかも、そんな時にエアシュティマス様は出てくるし、ハルンツが出てくるし……あいつら、絶対にハルンツを手に入れようとするぞ! そうなれば、この大陸全土が戦火に飲まれるのは避けられぬ! 」
西の大国エリドゥ王国を「軍事馬鹿」に「あいつら」呼ばわりした玄徳は、一気にまくし立ててハルンツの襟元を掴んだ。
「戦は、避けねばならぬ。多くの者が死ぬ。お前のように、里を失くす者も多くでるだろう。それでいいのか! お前のその力を、いかなる手を使ってでも悪用しようとするぞ! これは、他人事ではない! ハルンツ、お前の存在もすでに知られているやもしれん」
「……まさか」
「殿下の言葉、杞憂にはならんだろう。相手は斗。同じ大連。しかも、皮肉にも財力も発言力もある家だ。先の神苑の騒ぎで、大連の面々は殿下の入国を知っております。どこに滞在しているかは伏せておりますが、時間の問題でしょうな。そうなれば、共にいるハルンツ殿にも気付く」
大きな鼻から勢いよく息を吐き出し、袖の中で腕を組みなおす。
揺れる燭台の炎を睨むジクメの顔に、揺れる影がうつる。
「恐れながら、殿下並び当主様に申し上げます」
突然、深い男の声が響いた。その声はよく聞きなれたものだったけど、聞きなれない言葉使いだ。
「下賎の身ですが、意見を述べさせて頂く許しを是非に」
「ほう……殿下付きの楽師殿。リリス殿でしたな」
「申し訳ない。リリス、口を挟むべきではない」
「ハルンツちゃんの一大危機なのよ。口挟まずにいられるか」
最後は男言葉になり、膝を進め、頭を深く垂れる。その作法は自然な流れの動作で行われる。まるで、体に染み付いていた仕草のように。
「事は重大。下手をしたらクマリは斗側と昴側、しかもエリドゥと李薗で二分されかねません。それでも、当主様は殿下の力を借りようというのですか? それとも、何か切り札になる策があるのでしょうか。エリドゥ出身の身から言わせていただければ、深淵の神殿の動きにも注目していくべきかと」
「深淵の神殿、か」
「たしかに、彼らは常にエリドゥ王国の動きは注目している。上手くいけば、こちらの味方に出来るやもしれぬ。危険かもしれぬが」
玄徳がそう呟いたきり、顎に手を添えて宙を睨み続ける。
「深淵の神殿は、エリドゥ王国とは仲が悪いんですか?」
思わずアシに質問すると、その場の全員が息を飲む。そして、気まずい雰囲気に包まれる。
「なんだ、エアシュティマス様は何も言ってないのか? 」
「それじゃあマズイわよ。何せ五百年も前の事だから誰も本当の事は判らないし。本人がいるのに私達の口から言うのはマズイと思うんだけど……いかがしましょう」
リリスまで、気遣わしげな視線を上座の玄徳とジクメに向ける。マダールとアシも、不安げに上座の二人を見詰めていた。
「そうだな……。やはり、エアシュティマス様から直々に聞くのが良いだろう」
「我々が知っていることは、五百年も口伝いで伝わる話だ。どこかで事実が歪められているかもしれん。色々と、聞いてみなされ」
「でも、神苑の森の騒動以来その姿を見る事も出来ません」
「それこそ、五百年ぶりの故郷。どこか思い出の地に赴いているのでしょうな。さて、何故エアシュティマス様が大陸を統一するほどの力がありながら、族長にならなかったのか判りますか? 」
突然の質問に、首を傾げる。強引に話題を変えられた気がする。
「族長とは、天の気の雫を受け継ぐ聖獣の許しを得た者です。そして、同じ天の雫を秘めた刀大黒丸を持てる者の事です。つまり、私しかおらん。斗の当主でも、どうにでも出来ん。この事実があるかぎり、クマリが二分する事はない。斗が軍を動かそうとも、クマリ族から見れば反逆であり謀反者。おそらく彼らは、エリドゥ王国という後ろ盾を使い、大きな勢力となりたいのでしょう。が、誇りを捨てた者達についていく者もおるまい。所詮、斗家はエリドゥ王国の使い走りに成り下がる。何と言いくるめられたかは、判らぬ。だが結局、金と肩書きに目が眩んだ行く末だ」
「しかし、何かを人質に取られてとか」
「ありえませんわ」
玄徳の疑問に、アシが微笑んで否定した。
「族長に刃向かうとは、すなわち天の気、御心に背くと同罪。聖地を護るクマリ族では、なくなります。誇りを捨ててまで生き延びようとする者は、クマリでは多くないでしょう」
穏やかな表情のまま、アシは言い切った。
それは、強い意志。堅い覚悟。気高き誇り。
クマリ族としての気性を見せられて、思わず背筋を伸ばした。自分に、こんな覚悟はあるだろうか。常に、自分を見つめる視線を、持ち続けていけるだろうか。
「まぁ、そういう訳でクマリが二分される事はない。ただ、深淵の神殿には気をつけねばですな。各国家王家に諜報の網を張るツワモノだ。斗の策略の裏もかかねばならぬし」
「諜報なら、吾らが李薗にお任せください」
唐突に、玄徳が切り出した。その顔には、自信と嘲りの色が深い。
「確かに、各国に神殿を置く深淵の神殿も素晴らしいが、李薗の諜報技術も高いですよ。あまり詳しくは申せませんが」
「そうでしょうな。先代が亡くなった時の対応は実に早かった」
「そういう事です。クマリの地を荒らす事はありません。保障します」
「では、身内の恥を晒して申し訳ないが、お任せいたしましょうか。クマリと李薗の……即席ではあるが同盟になりますかな」
「こちらもエリドゥ王国の侵略がかかっています。同盟でしょうね」
昴家は、斗家の暴走を止めてエリドゥ王国の介入を避け、独立を護りたい。
李薗帝国は、西の盾であるクマリの混乱を止めることで、帝不在の中での戦を阻止したい。
どうやら、話がまとまったようだ。
ジクメと玄徳が膳に乗せられていた杯を取る。誓いの杯を交わすために。
アシは、長い裾を見事に裁きながら二人の間に歩み寄り、そっと漆の銚子をジクメの杯に近づけた。
「あぁ!! 忘れていました!! 」
突然、銚子を持ったままアシが叫んだ。