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 5 希望と絶望

 幾人の囁き声と物音に、眼が覚めた。

 見慣れた壁板の隙間からこぼれた柔らかい光で、小屋は薄明るい。朝からなんの騒ぎだろう。

 甘い菓子を食べ過ぎた生まれて初めての胸焼けをこらえて、小屋の隙間から外を覗いて固まる。見知った村のおばさん達と、場違いな都人。慌てて駆け出した。

 まだ朝焼けの残る空、水平線の上に微かに見える朝焼けで僅か色づいた入道雲、白い砂浜に数人の村人も連れて満面笑みの浩芳が立っいる。朗らかに爽やかに挨拶を。片付けたはずの敷物や茶器が、再び砂浜に並べられている。湯気をたたせる食器、香ばしい香り。芋を蒸かした甘い匂い。


「さぁ、少しは滋養をつけないと。こんなに痩せててはいかん。体力をつけないとね」

「あの、まさか、後ろのは」

「朝ごはんさ。一緒に食べようと思ってね。昨日の菓子は食べたみたいだね。安心安心」


 眼が合った村のおばさんは、ハルンツに苦笑いを見せた。

 多分、昨夜村の宿屋に帰った後に強引に頼み込んだんだろう。幾人かの顔を知った村のおばさん達が、質素だがまだ湯気の立つ料理を並べだす。秀全(しゅうぜん)も欠伸交じりに細かく食器の配膳を指示している。よく見れば、2人分のようだ。


「誰の、朝ごはんですか・・・」


 まさかの予感を口に出さずに言うと、秀全(しゅうぜん)が眉と頬を痙攣させながら睨む。


「君と私に決まっているだろう。食べやすいように、ここの郷土料理を用意したんだ。なかなか、美味しそうじゃないか」


 いつもは、魚のスープと蒸かした芋ぐらいで、こんなに沢山の品数は、祭りの時ぐらいだ。

 にわかに襲う吐き気と驚きと戸惑いで、ハルンツが硬く眼を閉じる。落ち着け、眼を開ければいつもの現実があるんだから。


「頂けません。あの、こんなにしてもらう訳は、ボクにはありません」

「私にはあるんだよ」

蓮迦(れんか)さんの事なら、もう依頼は終わりました。もちろん、浩芳(こうほう)様の願いなら、いつだって遠見(とおみ)はします。声を届けます。でも、でもその」


 ここまでしてもらう訳にはいかない。ボクはただの占い師だ。田舎の、異端者だ。

 その言葉を飲み込んで、そっと眼を開けた。笑顔のままの浩芳(こうほう)がいる。


「君は、優しい子だ」


 そうだろう。浩芳(こうほう)から見たら、ひ弱い存在なんだろう。咄嗟に下を見て視線を外した。痩せて薄汚れた素足が、嫌でも眼に入る。


「どうだろう。ハルンツくんは、本格的に勉強するつもりはないかな。占いでも呪術でもなく、魔術とかを勉強したくないかい」

「旦那様?」


 秀全(しゅうぜん)の裏返った声に、思わずハルンツが顔を上げる。変わらない笑顔のまま、浩芳(こうほう)は真っ直ぐな視線を向けた。


「昨夜、長老から話は大体聞いた。村の風習として祭事をする者に決められ忌み小屋で祭事をしていかなければいけないのを、父親が強引に辞めさせて占い師をさせているそうだね。もっと勉強をしたいと思わないか」


 無茶苦茶です!叫びだした秀全(しゅうぜん)の声が、遠くで聞こえる。

 こんな田舎の子を相手に何言ってるんですか。もっと春陽の都には優秀な子がいるでしょうに。

 そうだろう。そう思う。反面、おばさん達の小声の歓喜も聞こえる。

 この土地から逃げるチャンスじゃないか。でもウチの子のほうが、賢いはずだよ。なに言ってんだい。魚の数だって数え間違える馬鹿息子だろうが。ダジョーの子がいなくなったら、祝福がこない。祝福なんて、とっくにない。ならいっそこのまま。

 そうだ。ボクは、ずっとこのまま祝福のために、祭文を読んでいくんだ。父さんに殴られながら、この半島の端にしがみついて生きていくんだ。

 他に、どこに行けばいい。どこで生きていけばいい。この忌み小屋と、ニライカナイの祠しか、居るべき場所はないじゃないか。


「長老との話なら,私がつけよう。どうだい、考えてみてくれないか」

「おい、契約は昨日で終わったぞ。そいつには、次の客が来てるんだよ」


 ドラ声に、夢が途切れた。勝手に喋っていた周囲が、口を空けたまま村の方を見る。浜辺を大股でトンサが歩いてきていた。

 眉をひそめておばさん達が逃げ出し、怪我を負わされた下人達も後ずさる。

 「けっ」と吐き出した秀全(しゅうぜん)と、浩芳(こうほう)だけが、たじろぎもせずにトンサを見据えた。


「昨日、充分すぎるほどの金を渡しただろう」

「俺ぁ、今夜だけっていったぞ。先約があるんだよ。なんだ、朝飯まで用意していたんか」


 歩きながら配膳されていた蒸かし芋を奪い、そう薄笑いを浮かべて浩芳を覗き込む。

 上客が出来た。そう思ったんだろう。猫なで声で続けた。もっとも、幾らか払えば別ですがね。


「あいにくと、今はお前の望むだけは持ち合わせてはおらんな」

「そいつぁ、残念だ。いつでも来てくださいよ。ほら、ハルンツ、仕事だ」


 乱暴に腕を引っ張られる。よろけて砂浜に座り込んで気付いた。体の力が入らない。


「こいつを着ろ。こんなボロ着じゃぁ、会えない御方なんだよ」


 力任せに立ち上がらせて、されるがままに服を羽織らされた。やけに肌の上を滑る光る服。


「お、おや。誰かと、思えば、劉浩芳(りゅうこうほう)殿、ですか?」


 息も途切れ途切れの男が、トンサの背後から現れた。

 痩せて貧相な髭を生やした顔に、秀全(しゅうぜん)は再び「けっ」と吐き出す。


「珍しい所でお会いしますね」

「お互いに、忙しいですからね。では急いでいるので」

「ほれ、しっかり歩け」


 トンサがハルンツを引っ張っていき、男が肩で息をしながら上がらぬ足で飛沫を盛大にあげて波打ち際を歩いていく。

 何度もよろめく後姿から眼を離さず、浩芳(こうほう)は横の秀全(しゅうぜん)に問いかけた。


 「あの男、どこの家人だ」

「忘れませんよ。勾玉を銜えた朱雀(すざく)が描かれた御車に就いてました。南の朱雀家(すざくけ)です」

白楊燕(はくようえん)か」


 大陸広しと言えど、水神の紋章を掲げる恐れ知らずな家は李薗(りえん)帝国の(はく)王家しかない。四方を護る神獣になぞられ、四つの宮家が存在していた。


「都一気難しくて鼻が高いって噂の皇族様が、この田舎になんの用なんですかね。ウチも人のこと言えませんけど。あ、今のは違いますよ。白楊燕(はくようえん)の噂ですよ。あそこの家人や下人も、そりゃあ評判悪くて… 」


 慌てて取り繕う秀全(しゅうぜん)を置いて、浩芳(こうほう)は波打ち際へ歩く。


「旦那様?」

「今から春陽へ戻り、ハルンツを手に入れる手筈を整える。お前は荷物と下人をまとめて船へ移動していろ。誰にも私がいなくなったと悟られるな」



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