49 天から一滴
「うわぁ」
思わず感嘆の声が出た。階段を上りきると、大きく開けた舞台を思わせる所。足元に気をつけ、狩衣の裾を踏まぬよう、細心の注意をはらって階段を上りきる。
慣れない衣装の息苦しさと緊張でかいた汗を、遮るものがなく吹き渡る微風が爽やかに変えていく。
三線を置いて欄干に寄ると、周囲の田園風景はもちろん、遠く街道まで見渡せて行き交う人々が米粒のように小さく見える。思わず身を乗り出して下を覗くと、目が眩む高さに驚く。
「一階が玄関とかで、上に座敷……あれ?」
それにしては、高すぎる。もう少し確かめようと、さらに欄干から身を乗り出しかけたハルンツに声がかけられる。
「玄関の下は倉庫。その下は家畜小屋。それ以上身を出せば落ちる」
「えっ……」
慌てて振り返る。でも、誰もいない。吹き晒しの空間に、身を隠せる場所はない。ただ、屋敷の背後に当たる裏山から、大木の枝が枝垂れかかってきている。誰かいるとしたら、そこだ。
緊張感が肌の上を走っていく。が、声は上からかけられた。
「危なっかしい子ども」
慌てて空を見上げる。
昼過ぎの僅かに傾いた陽の中から、一つの影が舞い降りた。
あまりの眩しさと、迫ってくる気迫に、足がすくんだまま動けなくなる。欄干を、無意識に握り締めた。
「今この時に帰還してきた」
声が、近くなった。そおっと、目を開けてみる。
握り締めた欄干の横に、鷹が止まっていた。ハルンツの片腕ほどあろうか、大きな純白の鷹。
「クマリに吉兆となればよい。凶事となるなら、立ち去れ」
「……喋ってる?」
目の前の大鷹は、金色の瞳をハルンツに向ける。その迫力に、口を閉じた。
ただの鷹ではないのは、わかった。
欄干を握る鋭い鍵爪よりも、肉をも抉り出せるクチバシよりも、金色の瞳で体の芯から震えてくる。
存在する恐怖。ただ、そこにいるだけで、圧倒的な迫力が襲ってくる。絶対的な存在。体中の器官が叫んでいる。
それと同時に、縋りつきたくなるような、魂をもぎ取られるような、厳かな美しさ。
そう、例える事が許されるなら、吹き荒れる冷風の中にある清らかさ。真っ白な光の欠片。
「わたしを見据える事が出来るのか。ソンツェの血の者。ハルンツか」
「は、はい。ボクがハルンツです」
「よい目だ。無知な者だが、純白でもある。今度はお前がその血と力を継いだ。救いだ」
「あ、あの!」
勝手に喋っていく大鷹に、思わず話しかける。そして、またあの金色の瞳に見据えられて、固まる。
恐ろしい。この鷹が、本当に、恐ろしい。
「わたしは、『主』。連れはそこで覗き見をしておる。情けない」
「の……ぞきみ……」
のぞきみとは、覗き見の事だろうか。
神聖さを感じる大鷹から覗き見という不埒な台詞が出るのが、とても不可解で似つかわしくなく、何か別の意味でもあるのかと首を傾げると、「あそこだ、あそこ」と言わんばかりに片方の翼を大きく広げて大木の枝垂れた枝を指す。
そうっと、足音を忍ばせて近づき、枝を掻き分けて頭を欄干の外に差し出してみる。
深い藍の狩衣を纏った若い男が、大枝に腰掛けて屋敷の中を見下ろしている。その先は、アシとマダールの行った一間の辺り。
ハルンツの頭の中に、怒りが爆発した。
「そこの男! 何してるんですか!! 」
「お……わあっ」
大きく宙に手を差し出し、空を掻く。そして、盛大に枝を折り葉を撒き散らしながら、男が落下していく。
「覗き見なんて、なんて失礼なっ」
鼻息荒くハルンツが言うと、一点の汚れのない大きな翼を広げ、ハルンツの横に『主』が留まる。そして、呟く。
「あれが、連れの昴 ジクメだ」
一呼吸後、ハルンツは絶叫して階段に走った。
「本当に見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ありませぬ」
「いや、まさか、妹の他に女人がおるとは知らずに……アシよ、そんな目で見なくとも……本当だ! まだ何も見ていなかったのだからっ」
「見ていなかったとか、そういう問題ではありませぬ! 」
ジクメが落下してから半刻後もしないうちに、アシとジクメは深く頭を下げている。
大慌てで着替え終わった一同は、驚きと戸惑いで、目の前で繰り広げられていく兄妹ケンカに見入っていた。
アシは薄手の色鮮やかな衣を重ね着した、美しい装束に長い黒髪を背に流し、クマリの貴婦人になっていた。が、外見を変貌させても、中身は活動的なアシに変わりない。
「どうして普通に訪れられないのですかっ。客人が、しかも李薗の皇子が」
「アシ、声が大きい。殿下の滞在は内密だ」
「……っ。と、とにかくですね」
ジクメが玄徳に微笑みかける。その視線で、アシはその場に玄徳達がいた事を思い出したようだ。一気に落ち着いて、でもしっかりとジクメを睨みつける。
この人、かなり賢い。ハルンツはぼんやり、アシの謝罪の言葉を流して、ジクメを眺める。
藍の狩衣を纏った若い男は、あまりアシには似ていない。
頬骨が張り、彫りが深い顔立ち。アシとは違う大きな瞳には、愛嬌が見え隠れする。笑った顔は子どもっぽくみえるが、その肌や首筋を見れば20代後半だろう。アシより十歳ほど年上なのは、間違いなさそうだ。
「聞いているのですかっ」
「もちろん。いや、珍しいリスが手に入ったから宴の前に見せようと思ってな。これ、怖がるな」
あまりアシの説教は聞いてないのだろう。袖の中に手を入れて、何かを掴み取り出した。
「兄上。私、もう18です。子リスに誤魔化される子供ではありませぬ」
「室の叔父上がアシに是非とな」
「叔父上が……まぁ! 」
大きなジクメの手から、小さな影が飛び出した。
素早くアシの肩に上り、長く背に流れる黒髪で遊びだす。
「これは、珍しいですな。白いリスとは」
「こっそりアシに渡して驚かそうと思ったのですが。いやはや、このような騒動を起こしてしまい、面目ない」
あまり面目なく思ってなさそうな笑顔を向けて、玄徳に頭を下げた。
金糸銀糸で亀が勾玉を捧げ持つ紋様が刺繍された豪奢な衣を上に重ね、玄徳は外見も皇子にかえっていた。
「昴家当主 昴 ジクメと申す。とんでもない対面にしてしまい、弁解の言葉もない」
「李薗帝国 玄武家当主 白玄徳です。今回は帝の名代として参りました。こちらこそ、アシ姫には気をかけて頂きありがとうございます」
「まぁ、肩苦しい挨拶はここまで。無礼講としましょう」
「兄上が言う言葉ではありません。でも、こちらの方々の紹介もさせてもらいますよ」
肩で戯れる子リスは、気に入ったようだ。すっかり機嫌を直したアシが、やや離れた場所に座ったマダールとリリスを手招きする。
「殿下付きの楽師です。十二番宿場で高砂で妖星を浄化したのですよ。こちらがマダール、殿方はリリス。それから……」
「ハルンツ殿ですな。ソンツェ様直系の子孫だとか」
「そう、みたいです……」
こういう場は、苦手だ。ジクメからの強い視線が、体を突き刺すような感覚を作り出す。だから、マダール達と一緒にいた。少しでも、『やんごとなき貴人』の上座から離れていたかった。でも、その願いも虚しく破られた。お尻をリリスが突付いてくる。
「ほら、ハルンツちゃんの席はあっち」
「嫌ですってば。場違いですっ」
「さっさと行かなきゃ、バチで突付くわよ」
物騒な言葉に、思わず身を乗り出してしまった。
アシの装束ですが,十二単を連想して頂いて構いません。色々調べたのですが,現代の洋装の常識では書ききれない,想像できない用語が多いので (少なくとも,私には写真付き解説でしか理解不能……。変換不可能な字も多くて無理) 曖昧な表現とさせていただきました。作者の力不足です。すみません。