47 心のトゲを
「先触れなしで来るとは、やられたな。いきなり非公式の会談とは」
「そうですね。こちらがまだ動けないのを判っていて手を打ってこられるとは。どうされます?」
「いまさら間に合わないだろう。先の伝書では、太極殿の者は明日の朝に到着だ。我等でなんとかするしかあるまい」
ようやく野苺を頬張りながら、玄徳は宙を睨む。大商家の御曹司から、大国の皇子の顔に戻っている。
訳も分からず早くなった脈を落ち着けよう。
ハルンツは何気なさを装って、そっと開け放たれた縁側の景色を眺める。一面の緑が広がる田園は、風に揺られて光沢を微妙に変化させていく。
波が、そこにあった。
失くした故郷の海が重なる。傍らには、ハルンツを利用しようと近づいてきた李薗の皇子。
今は友だといった。ハルンツ自身も仲間だと思っている。
でも、今コレを出したらどう思うだろう? 夕暮れの浜辺でもらった手紙。
「昴家の者に必ず渡すんだよ。それ以外の人に渡してはいけない」
念を押されて、里を失った五日間の騒動に居合わせた恩人、劉浩芳から渡された手紙。
中身は知らない。読んでいない。あの時は、ただ一刻もはやく浜辺と李薗の軍隊から離れる事しか頭になかったから。
そして、せいぜい親戚という昴家に、身柄の安全を頼む程度の内容だと思っていた。
でも、違うかもしれない。昴家の存在の大きさを確認してから、その気持ちは大きくなっていく。着物の上からそっと懐の手紙の感触を確かめると、胃がキュッと熱を持つ。
あの明け方、はっきりと玄徳は言っていた。李薗に危害が加えられないよう、気心を知り手中に収めようとして旅に同行したと。エリドゥ王国は必ず手を出してくるだろう、と。深淵の神殿群も黙ってはいないだろう、と。
なら、クマリはどうだろう。この昴家も何も考えていないといえるだろうか。
昴家に手紙をだしたハルンツを見て、玄徳はなんて思うだろう。もう、友ではないと、言うだろうか……。
着物の上からそっと懐に仕舞い込んである手紙に感触を確かめると、お腹がギュウっと熱くなってくる。
「月待ちの宴って言ってたけど……やっぱり下心ありな訳? 」
「宴というのは、おそらく建前だろう。次期族長が、妹の屋敷を訪れる為の口実だ。ひょっとしたら、すでに入国した他国の王族の目をそらせる為かもしれぬし」
「目を、そらせる」
「ここに滞在しているのが誰か、伏せているという事ですね。そのうえで、殿の力量を見てみようと官僚が到着していない時を狙ってきた、と」
「おそらくな。どうしたハルンツ。さっきから手が休んでいるぞ」
「そんなこと、ないよ」
慌てて串に手を伸ばす。二本まとめて口に頬張って見せると、横からリリスは手拭いを差し出してきた。
「あのねぇ、なんか隠してるなら言っちゃいなさい」
その一言で、野苺のかけらでむせた。盛大に咳をして、差し出された茶を流し込んで、ようやく顔を上げると三人が苦笑いをしている。
「ほんと、嘘がつけないのねぇ」
「それでは、世の中渡ってゆけませんよ」
「言ってみろ。悩みを抱えても解決はしない」
微笑んだ玄徳をみて、心が揺らぐ。今、ここで言ってしまっていいだろうか。
変わっていく? そう、仲間だと思っていたのが。友と思っていたものが。あの明け方の告白は、真実なのか。だから、ここは黙っていくべきか。でも、だからって、黙っていく?
そう。ボク自身は、玄徳と義仁とリリス、マダールを仲間だと思っている。大切な仲間だと思っている。たとえ、最初に計算ずくで近づいてきていても、全てを今まで見てきた。命を懸けて行動を共にしてきた。たった十日ほどの仲だけど。
正直に言えば、玄徳や義仁やリリスとマダールに嫌われたくない。出来れば、いい奴と思われたい。だって,ボクは、彼らを大切な仲間だと思っているから。失くしたくない友と思っているから。
けど、真実を知ってどうするかは、彼らの決める事だ。
計算されていたって、謀られていたって、かまやしない。それで利用されるなら、ボクはその程度だ。
ただ、ボクは、彼らの事をずっと、愛していく。信じていく。だから。
「ここに、手紙があります」
だからこそ、言わなくてはいけない。
「劉浩芳さんからの、手紙です。昴家に行けと、そう言われて、ココまで来たんです」
「そう、か。だから、クマリを目指したんだな……」
一呼吸、深い溜息を玄徳がもらす。
そっと、懐から手紙を取り出してみる。丈夫な厚手の紙で包んであるが、角は擦れて僅かに中の純白な紙を見せている。
「では、大事な手紙は懐中にしまっておけ。もうじき、渡すのだろう」
「殿……よろしいのですか?」
「なにがだ」
義仁がそっと声をかけた。続く言葉は、言わなくても伝わる。
李薗の豪商が、親戚筋である隣国クマリの次期族長に宛てた手紙。持っているのは、稀代の魔術師の血を引く力を持つ少年。
少年を味方に取り込むよう進言する内容か。そうでなくても事情がわかれば、手中に収めようとするだろう。未加工の宝玉が、自ら飛び込んできたようなものだ。
それが判っていて、手紙を見過ごせば『李薗がクマリが有利になるのを、黙ってみていた』事になる。
「義仁よ。そなた、この旅の間にハルンツを見ていたであろう? 吾を見ていただろう? ならば、愚問だ」
両手で顔を撫でるように覆い、大きく息を吐き出した。大きな手から現れた顔は、思いつめていた。幾つもの感情が、濃く深く影を落としている。
「ハルンツは、誰かの思うままに動く事はない。その大食いの腹の中の信念に従って、生きていく。だから吾が何を言う? 玄徳として、助言はする。だが、李薗帝国の白玄徳としては、今は……何も言えぬ。ハルンツ、吾は……そなたに黙っていた事がある」
「殿!」
「吾は、そなたに李薗を敵とさせぬ為に近づいた。判るか? そなたの里を壊した李薗が、ハルンツとエアシュティマス様の恨みを受けぬよう、そなたらの怒りを収めさせ親しみを持たせるために考えて旅に同行したのだ。ただ、吾の趣味で楽人一行についてきた訳ではないのだ。今まで黙っていた事、申し訳なかった。……ハルンツ? 」
「ありがとう……ありがとう、玄徳さん……」
「何故、そなたが泣くのだ……」
同じ思いだった。友だと思っていたのは、ボクだけじゃなかった。
秘密にしていた事を、ボクの前で言ってくれた。
ただ、嬉しくて涙が零れていく。信じていこう。信じていける。
「義仁、いい主人もって幸せね」
「……まったく、気が休まりません。軽率です」
「でも、さっき嬉しい顔したじゃない。一瞬さ、こう、ニコ〜って」
「げ、幻覚でしょう」
「素直になりなさいな」
「あーもう、ふざけている余裕はないぞ。ジクメ殿が来る前に着替えておかねばならぬ。義仁、用意を頼むぞ」
やや顔を赤らめた玄徳が乱暴に立ち上がり、懐から分厚い懐紙の束を取り出しハルンツに差し出す。
「ほら、顔を拭いておけ。略式でいいと言っていたな。用意はあるか」
「はい。只今用意を」
「じゃ、演奏がいるかもしれないし私も用意しとこうっと。そうそう、マダールの演奏用の服、可愛いわよぉ。エリドゥ風で少しオヘソ見えるのよ」
途端、玄徳が手にしていた懐紙の束を床に落とす。黒光りする床に、純白の紙が広がる。
「へ、へそ……」
「殿っ! 平常心をお忘れなく!」
「お、おう……大丈夫だ」
「こう、腰を振ってね、鈴は足首につけて、ステップを踏んで」
「リリス!! それ以上話せば、李薗への妨害行為として拘束しますよ! ほら、殿、雑念は追い払ってください! 殿! 」
「だ、大丈夫だ。大丈夫…へそ…」
呪文のように呟きながら、よろめきながら奥の襖へと消えていく。
「今宵の宴が失敗したら、リリスのせいですよっ。責任は取ってもらいます! 」
「玄徳ならちゃんとこなすに決まってるじゃない。ほら、さっさと行きなさいよ」
動揺する義仁の様子を楽しむように、リリスが手を振って見送る。その傍ら、ぼんやりと床に散らばった懐紙を拾い集めながらハルンツは首を傾げる。
「演奏用の服って?」
「やぁね。ハルンツちゃんは、ジクメ様と会うんだから、そんなチャラチャラしたの着たらだめよ。こう、そうね、せめて狩衣的な……狩衣とか、他に服あんの?」
「いえ、その、着替えの一着ぐらいで……これって、まずいですか? 」
長旅で、すっかり着擦れた生地の着物は、ここ最近の成長で丈すら短めになっている。李薗の庶民服が二着。これがハルンツの持つ服全て。
絶叫が二つ、座敷をつんざいていった。