46 やがてやって来る
「あぁ、まず殿下に報告せねばならない事がありました」
野苺の串に手を伸ばしかけたアシが、ふと思い出して座りなおす。
床に茶碗を置く『クマリ風』に四苦八苦しながら給仕していた義仁も、玄徳の前に置きかけた野苺の小皿を脇へと置き、軽く頭を下げて視線も下げる。身につけた作法は、国境も関係なく主従関係を露わにしていた。玄徳は、まっすぐに背筋を伸ばしたまま軽く頷く。
「昨晩の繭玉、無事に玉獣となりました。全部で36頭、今はクマリが管理しています。ですが、今回の騒動での殿下の功績と感謝を込め、大連五家は半数の18頭を李薗に進呈する事を決定しました」
「おぉ…18頭をも…」
「なんと…」
言葉が続かない二人をみて、ハルンツは新しい野苺の串に手を伸ばしながら首を傾ける。
「普通の玉獣一頭、エリ金貨300枚ってとこよ。普通の人生送るなら、困らない金額」
素早くはいったリリスの解説を聞きながら、ハルンツは野苺を頬張る。金貨300枚と言われても、実感がわかない。むしろ、目の前の野苺の砂糖漬けに換算してくれた方がいいかもしれない。
「ってことは全部で…金貨5400枚…って、えぇ?! 」
「小さな国なら、大体一年の国家予算ぐらいねぇ」
「こ、こっかよさん? 」
総額を計算して固まるマダールとハルンツを横目にリリスは淡々と茶を味わっている。
「国にお帰りになられるまで、我等の方で管理いたします。詳しい目録は大霊会までには、お渡ししたく思っています。」
「こ、これは、かたじけない」
頭の中で玉獣の数が踊っているんだろう。呆然と玄徳が頭を下げ、義仁にいたっては固まったままだ。
「それから、ハルンツ殿にも伝言があります」
唐突に話題を振られ、ハルンツは串を咥えたまま顔を上げてしまった。微笑むアシの顔を見て、慌てて串を小皿に置いて姿勢を正す。
指先に付いた甘い野苺の汁を舐めそうになっていた自分が、ひどく悲しい。
「兄上が、是非ともハルンツ殿にも会いたいと。今宵、月待ちの宴を開きたいと申しています」
「う、宴ですか? 月待ちの宴? ボクもですか? 」
慌てて、周りの仲間を見渡す。誰もが、驚きの表情だ。
「兄上と申しますと、ジクメ殿ですか? 月待ちの宴という事は…個人的にハルンツと会いたいと? 」
「いえ。その……話せば長くなりますが。ご存知のとおり、ハルンツ殿が『ダショー様』と呼ばれるエアシュティマス様は、我等クマリ族では昴家出身のソンツェ様とされています。もちろん、定かではありませんが」
ハルンツの代わりのように聞き返した玄徳に気遣って、アシがさりげなく付け加える。李薗は、エアシュティマス直系と豪語しているからだ。その主張を昨晩、本人によって否定された訳だが、玄徳も義仁も黙っている。あの屈辱は、秘密にするつもりらしい。
「私の持っていた横笛『六華』(ろっか)をご存知だったと話したところ、やはり本物だろうと。ならば、昴家の血族でもあるハルンツ殿に会いたいと」
「なるほど。そうであろうな。そなたの里帰りだ。行ってみるといい」
「それが……申し訳ないのですが、下屋敷で宴を開くと言ってるのです」
予定外の答えに、その場の全員がアシの顔を見た。色白の頬を薄紅色に染め、目線は床をしばらく漂っている。やがて、意思を決めたように視線を上げると、開き直りのような笑いが含まれていた。
「お恥ずかしいのですが、兄はその、妙なクセがあるのです。やたら私を驚かそうとしたり……例えば突然、下屋敷を訪れるのです。もちろん、下といえ昴家の屋敷に当主の兄が訪れるのは何ら不都合はありませぬ。ですがその、いかに手を煩わせてでも私を驚かす事が趣味のような、妙なクセがあるのです。おそらく、今回も客人がいらっしゃるのに先触れなく屋敷に来るやもしれません……あぁ……この事はどうか内密にお願いします……。」
一気に喋ると、高潮した頬を冷ますように両手で顔を覆った。
そして、玄徳と義仁、リリスは互いの顔を見合す。
その探るような雰囲気に、マダールとハルンツは首を傾げる。
先触れ。確か、玄徳と初めて会った時にあった覚えがある。
『今からいらっしゃる方はコレコレの肩書きを持つ偉い方です。もうすぐ見えますよ』というような予告をする事だった。
「それって、そんなに変わった事なんだ……」
「う〜ん。先触れを出すのが普通といえばそうだけど……。でも、下屋敷だし、ね」
「お、おう。妹君に会うのに、先触れもいらぬであろう」
義仁も頷き、妙な緊迫感が漂いだす。
「では、準備をせねばいけませんね。月待ちの宴となれば夕刻にはいらしゃるでしょう」
「え、えぇ。急に申し訳ありません。私的な宴ですから、略式で結構です」
「お嬢様……」
突然、おばあさんがアシの背後で囁く。
滞在中に聞いた事のないような、気迫を込めた声。
「まさかお嬢様、その格好で済まそうと思われてはおりませんな」
「……駄目ですか? 」
「駄目に決まっとりましょう。先日、送られた打ち重ねの衣をお召しにならんと」
小声で何度も押し問答を繰り返す。どうやら、アシは動きやすい水干や狩衣を好むようだ。
かっこいいのに。
横で聞いている身のハルンツは、ぼんやりと思ってしまう。男装だろうが、何であろうが、活動的なのがこの姫には似合う。
でも、世間はそれは許さない。我等の上に立つ人ならば、より麗しく、より賢く、より従順で、現実をとる人を。
そして、どうやら押し問答はアシが負けたようだ。
「お休みの所、急がせて申し訳ありませんが……宜しくお願いします。兄上が到着したら、真っ先にお知らせいたしますから。妙な事はせぬよう、念を入れますし」
「いえ、こちらの事は気遣い無用で」
「じゃあ、私はアシ様の手伝いをします。奥向きも忙しいでしょう」
慌ただしく着替えの為に立ち上がるアシに、微笑みかけながらマダールが茶碗を置く。
「職業がら、着付けは慣れてますから。それにクマリの装束を色々見てみたいし」
「まぁまぁ……」
遠慮しかけるおばぁさんだったが、アシが嬉しそうな顔を見せたことで、次の言葉を言いかけた口を閉じる。
丁寧に礼を述べつつ、談笑しながら退室していくマダールとアシの後姿を見送る。その顔が一瞬、浜で見上げていたおばぁに重なる。……気のせい?
お辞儀をしながらも、慌ただしくおじぃさんとおばぁさんも後を追っていく。
どの色の衣を合わせようかと、早速話し出す華やかな女性達の声が小さくなっていくと、途端に場が変わって静かになってしまった。
「マダールはすっかり、姫に気に入られたようだな」
「そりゃあ、いい子だもの。でもまぁ、ここも色々事情ありね」
「じじょう……」
突然、リリスの口元が歪む。ほんの一瞬だったが、人が変わったような表情になる。
ぼんやりと呟きながら、ハルンツの頭は先の朝を思い出していた。
宿場で大祓をした、あの気だるい朝の事。
訳もなく、心臓が早さを変えて動き出す。
頭から、胸から、沸騰したような熱い脈が体中に刻み込まれていく。
えーと,金貨の価値が出てきました(泣) 経済は苦手なのになぁ。と,とりあえず江戸時代(後期……だったかな)を参考に使いたいと思います。表長屋の大工さん四人家族(当時の中流家庭。たしか)が一月暮らすのが,金貨一枚って感じだった記憶が……。私の記憶なのであまり当てには出来ません(笑)。間違っていたら,ご一報を。