42 満天の星の下で
「よいか、そなたの声だけで、精霊は集まるし、好意的に動く。だが、それだけでは完璧な大祓は出来ぬ。効果的に、効率よく、的確に、精霊達に力を発揮してもらう為、精霊文字を描いていく。それは、吾が担当しよう」
「じゃあ、ボクは…謡えばいいだけ?」
「その通り。それが、一番に難しい事なんだが…まあいい。ハルンツの思うままに謡え。吾は、それに合わせよう…さあ、息を合わせるぞ」
視界の端で、アシによる守護陣に集まる仲間の不安げな顔の頷きかけてから、玄徳と額を合わせる。
緊張で荒々しい呼吸を肌で感じながら、互いの頭をつかみ、体温も脈も呼吸も、合わせていく。
「大丈夫…出来る」
「「出来る」」
気が合わさった。
その瞬間、ゆっくりと離れていく。玄徳と向かいあったまま、二人そろってゆっくりと手を宙に捧げる。抱き込むように。全ての精霊に、抱き込まれるように。
「 八百万の神々の 住まう天地深淵の果て 全てに響かせ轟かそう 」
空気の粒が、微動しだす。
傍らの白雪が、空を見上げて遠吠えのように謡い出す。途端に、空気の密度が濃くなる感覚。精霊がすざまい速さで集まってくる。意識の遠くから、妖獣の咆哮が聞こえる。それは嘆きの叫び。
「 天地合わさる果てにまで 全てを包む風に乗せ 汝の僕ハルンツは謡いましょう 汝の僕玄徳は舞いましょう 」
自らの体を構成する粒子すら、震えていく感覚。祭文を謡うたびに、体と精神すら大気に溶けていくような感覚に襲われる。
それは、恐怖ではなく、心地よさ。目が眩むほどの快感。安心感。
その中で頭に入ってくる法則。これは、この世の理。完璧な法則。
その秩序に習い、玄徳は精霊文字を描いていく。
水の流れを留まらせないように。澱んだ水を流してやるように。そう、左手には水の精霊を扱う。
全てを燃やすのではなく。慈しみをもって、燃やす事で不純なものを清めるように。右手には炎の精霊を扱う。
どれだけ削られようと、不動で動かぬようで、柔軟に形を変えていく。両足で大地の精霊を扱う。
世界を駆け巡り、誰よりも強く優しく、誰よりも慈悲深く、荒々しい。吐息で風の精霊を扱う。
全ての動きには意味がある。両手指先全てを使い、精霊達の力を貸してもらえるように祝福と感謝の文字を送っていく。両足で四股を踏むような動作をしながら、平安を祈る。
蝶が漂うように、ゆったりと玄徳は動き舞っていく。その動きを、目を閉じたまま肌で感じていた。
「 天道そびえる十二の宮 巡り巡り六十支 永久の契約の下 吾は叫ぼう 汝の威光と栄光を その御力は世界を回す その慈悲の下 我等は従いましょう これをもって 全ての終わり 全ての始まりとする 」
白雪の遠吠えが、まるで時を知ったようにピタリとやむ。ゆっくりと目を開けると円陣の外側にびっしりと妖獣が集まっていた。
それは異形の獣達だった。
大きく抉れたような口から荒い息をするもの。歪んだ角を生やしたもの。上半身と下半身がちぐはぐの大きさのもの。
「 この拍手は 拍手でなく 神の御息吹なり 鼓動なり 」
つらかったね。痛かったね。悲しかったね。体の痛みも、他のものを殺さなくてはいけない怒りも、全て終わりますように。どうか、彼らに安息の時を。
目をそらさずに、玄徳と同時に拍手を打つ。その空気の震えは、共鳴するように大きく広がっていく。まるで空気の粒子が瞬くように、光を帯びて二人を中心に煌めいていく。
その輝きに触れた妖獣が、淡い光を放ち繭のように球体に包まれていく。それは、まるで胎児に戻っていくのを連想させた。
やがて、全ての妖獣が繭に包まれたのを確認して、ハルンツは地面に座り込む。玄徳も、ほぼ同時に崩れる。
安心したとたん、途方もない疲労感に襲われていく。もう、立ち上がれる自信がないほどに疲れていた。
大祓を謡っていた時は、あんなに気持ちよかったのになと、靄がかかった頭でぼんやりと考える。おかしいな…。
「殿! 」
「やった! 助かったよ! 」
「きゃあー! ハルンツちゃん、大丈夫?! 」
リリスの叫びが脳天を直撃して、眩暈に襲われる。ドスドスと大きな足音が近づいて、大きな手が肩を揺さぶる。
「しっかりしてぇ! 」
「そなた、ハルンツを揺すり壊すつもりか…。大丈夫、大きな術をして、疲れている、だけだ…」
「玄徳も大丈夫なの?! 」
リリスは肩を離さずに掴んでくる。壊れた人形のように、力なく揺らされながら腹の底から笑いがこみ上げる。肩を抱かれるのは、なんて心地良いんだろう。
他人の体温は、なんてあったかく気持ちいいんだろう。
誰かが心配してくれるなんて、なんて幸せだろう。
見上げた夜空には、いつの間にか雲が流れて満天の星が瞬いている。先の術で感じた心地よさより、体で感じるこの幸せと快感の方が、ずっといい。
この肉体で、感じる事が出来る幸せ。苦痛すら、ありがたい。
「自分の道は、自分で切り開けられる…ハルンツ、そなたの言葉通りになったぞ。そなたも、その力、無駄では、ないぞ…」
「うん、本当だ…ボクの力は、無駄ではないんだ…」
玄徳の言葉に頷きかける。そして、何故か泣いてるリリスに笑いかける。これじゃあ、まるで臨終の時みたいじゃないか。
『ハルンツ…すまん…そなたに負担をかけてしまった…すまん…』
「ただ、疲れただけ…ダショー様までそんな顔したら、ボクが死んじゃうみたいじゃないですか」
そこまで喋り、意識が深く深く沈んでいく。眠りの世界に引っ張られながら、半透明のダショーの顔まで泣きそうだったのを微笑みながら眠っていく。
遠くなっていく仲間の声が、不思議なほどの安心を与えてくれるのを感じながら、眠っていった。