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 41 護るべきもの

 東の空も暗闇に包まれている。灰色の雲の向こうから、星が煌めくのが僅かに見えるばかり。妖の者が活動をやめる夜明けまで、まだたっぷりと時間がある。


「ソンツェ様…泉まで、まだ距離があります。そこまで、皆が無事にたどり着けるでしょうか」

『ハルンツと玄徳が無事にたどり着ければよい。それが、最低限だ」

「そんな…!! 」


 ダショーの言葉に、静まり返る。篝火がはぜる音だけが、やけに大きく響く。

 妖獣に襲われて命を落とせば、その体はもちろん魂までもが食われてしまう。魂は妖獣に取り込まれ、その妖獣が死ぬまで苦しみぬくという。

 生まれ変われる事も出来ない死。それほど恐ろしい事は、ない。


「ダショー様、なにか魔術を使ってください!前…朱雀様に闇夜の精霊を使ったじゃないですか! 同じように同調してやれば」

『もう、これ以上呪術も魔術も…使えぬ。使っては…私が目覚めた意味が無くなってしまう…。我が身に力がなくなっては、ここに存在出来なくなる』


そのまま地に伏するように、ダショーはうな垂れた。その間にも、森の奥から微かな息遣いが、音として聞こえだす。


 「ダショー様っ」

  

 いつだって、青い瞳は自信に溢れていた。過ちを犯す事はなく、正確な判断をしてくれた。労わってくれた。優しく見つめてくれた。

 それなのに、その瞳は力なく、虚ろな瞳は空の高みを見つめた。今の瞬間を見ていない瞳に、ハルンツは動けなくなる。


 「なんで…?」


 ダショーは、自分を無条件で守ってくれるものだと思っていた。でも、そうではない。ダショーは、自分の目的の為に[動かない事]を選んだ。

 世界が歪んで、頬に温もりを一筋作って溢れていく。涙が、感情の堰を越えていく。


 「リリス。ほら、琵琶を構えなさいよ。もう一回高砂(たかさご)をやるわよ」

「マダール! やめよ! 今のエアシュティマス様の言葉を聞かなかったのか! 」

「聞いたわよっ」


 傍らで、マダールが手をひねりあげて、玄徳の手を振り払う。乱れたハチミツ色の髪の間から、緑の真剣な眼差しが玄徳を貫く。


「だから、私は生き残る為の最善の努力をするの!」

「なら逃げよ!」

「玄徳が死んでは私、生きてる意味がないよ! 玄徳が生き残れる為に私が出来る事はここで演奏する事じゃない! 僅かな可能性でも、やってみなくちゃ判んないよ! 」

「そうね。僅かな可能性でもね。私は後悔したくない主義だから、マダールに付き合ってあげる。ほら、ハルンツちゃんも逃げなさい」


 呆然と玄徳とハルンツが立ち尽くす中で、二人は楽器を構えだす。


 「我等は幸せ者でございます」


微かに笑みを浮かべた陳隊長が、ハルンツの前に進み出る。その歩みになんの躊躇いもない。


 「このような場に、我等が盾になれる事ができるのですから。黄、秦、一頭たりともこれ以上は通さぬつもりで戦え」

「はっ! 」

「承知いたしました」

「では、私も役に立つといいのですが」


 三人も、マダールとリリスの周りに立ち、弓に矢をつがえて構える。義仁は、ハルンツの手から三線を取り上げた。戸惑うままに、ハルンツは三線と義仁の顔を見比べる。


「旋律が多いほど、時間は稼げるやもしれません」

「…義仁、ありがとう」

「これはマダールに対してではなく、主に対する忠義ですよ」

「あぁもう! イヤミなのっ? 」

 

 迫り来る殺気と獣の臭いのする風が、緊迫感を作り上げていく。でも掛け合う軽口と口元の笑みは、変わらない。


「…判りました。では、参りましょう」

「こんなの違う!」


 歩き出そうとしたアシの背に、思いっきり叫ぶ。

 ハルンツの頭の中で、「怒り」「恐れ」「悲しみ」の嘆きの声が、繰り返されている。これは、妖獣の叫び。

 共に生きたい。もっと傍にいたい。愛しい人の横にいたい。その声なき声も、ハルンツの中に飛び込んでくる。もちろん、彼らは覚悟の上で居残り盾になる事を選択したのだろう。でも、その後に残るのは、「怒り」「恐れ」「悲しみ」しかない。これでは、また妖星や妖獣の元になってしまう。

 ここで、妖獣の悲しみも解かなければ、何も変わらない。妖獣は、負の感情からの解放を求めて暴れる。自分達を襲っても、それで死んでも、負の感情はなくならない。


「何をぐずぐずしてるの! ハルンツちゃん、早く行きなさい! 」

「殿下、お早く」

「…でもっ! 行けないよ! 」


 このままではいけない。それは判る。感情での叫びが、言葉にならないもどかしさ。苛立ち。涙を零しながら、足だけは踏ん張って首を激しく振る。


「吾も行かぬ! ここにいるのは、玄武家の当主ではない! ただの玄徳として、ここから逃げる訳にはいかぬ! 」

「殿! 屁理屈はいいですから! 貴方を失う事のほうが、大きな損失なのですよ! そのぐらい」

「判っている! 」


 森からの息遣いすら、一瞬止まった。

 

「…それで、そなたらを失って生き延びて、吾はどうする? 神殿でも中途半端、皇族としても中途半端。吾は、忠臣を失ってまで生き恥を晒したくはない! 」

 


『…浄化だ。妖獣は、元は玉獣として生まれるはずだった。その身に宿った精霊の力で、天の法則に従って生きるはずだった』


 ポツリと、ダショーの呟きが闇の隙間から漏れてくる。


『…ならば妖獣の怒りを静めればよい。何も非がないのに、神苑が汚された故に歪んで醜く生まれて蔑まれる運命を嘆き怒っている。だから、妖獣に宿ってしまった穢れを、祓えばよい。元の清らかな玉獣にすればよい』

「では、どうすればよいのですか! 」

『祓えば、よい。全てを清め整える大祓(おおはらい)。ただ、あれだけの数だぞ。とても、出来るとは思えん。馬鹿な事を考えずに逃げよ』


 篝火の明かりが届かぬ闇から、荒々しい息遣いと光る眼が次々と現れる。結界はすでに破られ、宿場を取り囲む塀も、乗り越えられている。


「何故、出来ぬと断言されるのか。ハルンツは、すでに大祓(おおはらい)伎妃(きひ)の術を破っていたはず」

「ボクはやるよ。やらなきゃ。いつか皆を守れるように、今まで精霊文字の練習をしてきたんだから」


 目の前の仲間を守るため、いつか帰る里のみんなの為に、ボクはこの旅をしているのだから。


「だが…精霊文字は吾が行い補助をする。平常心で行わねば術は成功せぬ。ほら、鼻をかめ。鼻ズマリで祭文を読まれてはかなわぬ」


 玄徳は懐中から紙を取り出し、手触りのよい上質の紙で涙ごと版に刷れられる勢いで、ハルンツは顔を拭かれる。

 その中の優しさに感謝しながら、紙を受け取り盛大に音をたてて鼻をかむ。息が続かねば、大祓(おおはらい)どころではなくなる。


『まさか、大祓をするつもりか! 逃げろ! 』

「ソンツェ様、彼らに賭けてみましょう。ほら、白雪が彼に寄り添っています。主の私ではなく、彼らを助けるつもりです」


 アシの言葉に気付き横を見下ろせば、真っ白な玉獣が金色の眼を見上げていた。僅かに鼻を鳴らし、顎をしゃくる仕草。まるで「さっさとやれ」と促すようで、その人のような動作に笑みが浮かぶ。周り一帯、妖獣に囲まれた状況で、体中の緊張感が解けていく。大丈夫。何も変わらない。










 

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