40 つなげたいもの
「薄々感じていたけれど…態度が露骨よねぇ。お気に入りのハルンツちゃんは、溺愛だもの」
リリスの呟きに、全員が頷く。ハルンツは、その言葉でなるほどと思い当たる。確かにそうだ。自分の身に危険がせまった時には、必ず助けに現れる。心が弱くなった時には、必ず声をかけてくれる。今晩、こうやって現れたのも、妖星が現れそうだったからだ。
浜では、どれだけ悲しい事があっても誰も手を差し伸べてくれなかった。父親には、良い思い出などない。だから…。
「ボクは、嬉しいです。父親って、こんな感じなんでしょうか?」
『…それは人それぞれだ。なにも、血の繋がりが全てではないし、縁が全てではない。それは感じる心次第だ。私は李薗の皇子でなくとも、玄徳は気に入っている。だから紹介したまでだ。溺愛など…そう見えるのか? そんなつもりはなかったが』
そう平然と答えるダショーに、全員が苦笑する。自分で気付かないのは、かなりの重症だ。そして、とりあえず『気に入っている』と言葉をもらった玄徳は胸をなでおろしている。
「ちょっ、ちょっと待って下さい。つまり、貴方はソンツェ様で」
『そうだ』
「貴方は、ソンツェ様の直系であるハルンツ殿で…」
「どうも、はじめまして」
「貴方は、李薗帝国の白王家の皇子玄徳殿下で…?」
「左様」
「と、その警備と供の方々?」
「その通りで」
「ちょっと、供じゃないわよっ。楽の師匠よっ」
勝手に師匠と名乗ったリリスの抵抗は、アシに届いているのか。ただ、切れ長の黒い瞳は、何度も宙の幽体と旅の面々を往復する。おそらく、頭の中でこの団体の共通項を探しているのだろう。商人の服を着た大国の皇子達一行と、稀代の魔術師の霊と、その子孫の少年。あきらかに流れで異国の血が強い美形の楽師二人。
暫く眉を寄せていたが、吹っ切れたように微笑んだ。
「判りました。その、ソンツェ様を信じます。六華を知っておられるのは、昴家の者のみですもの」
『詳しくは後々話そう。なかなかに、面白い話があるぞ』
「エアシュティマス様、どうかお手柔らかに」
どこまで話すつもりか判らない。思わず釘をさして、玄徳は姿勢を正して、正面のアシを見つめる。
マダールは、そっと玄徳の背後に動いていたが、玄徳はさりげなく右手でマダールの手首を掴んでいた。
「名乗り遅れました。李薗帝国今上帝名代として参りました。玄武家当主 白玄徳と申します。このような騒ぎに巻き込まれた上、助けて頂いた事に感謝を」
「これは…危険なこの地を通って遠路はるばるの旅、ありがとうございます。では、早速に輿を用意いたしましょう」
「いえ、それでは早く着いてしまう。お手数をかけてしまう事は承知で、このまま京へ行かせてはくれまいか」
「殿っ」
「判っている。これは吾のわがままだ」
俯いたまま首を振るマダールと、詰め寄る義仁。その様子に、アシは微笑み頷きかける。
「判りました。では、京まで私も同行してよろしいでしょうか。さすがに李薗名代の使者を先達なしにとは出来ませぬ。案内いたしましょう」
「玄徳、また妖星とか妖獣が来たらどうするの? 危ないから、せめて玄徳は輿を使ったほうがいいよ」
「妖星はもう出ないでしょう。あれだけの量を一度に浄化されたのですから」
マダールが小声で腕を引っ張りながら囁く声に、アシが微笑みかける。見ている者が、反射的に微笑みかえしたくなるような、陽だまりのような雰囲気に包まれていく。
「殿下は、よい楽師殿がおられて幸せですね」
それは、全くの嫌味もなく、正直な心からの賛辞だった。「命拾いしたのは、楽師殿たちのお陰ですよ」と、そう微笑みかける姿に、嘘偽りは感じさせない。そのアシの言動に、義仁の眉間の皺が一本減る。玄徳がマダールの手を掴んでから、眉間に深い皺を寄せていたのだ。
「では、参りましょう」
アシが長い髪を揺らして歩き出した途端だった。ハルンツは、ふと森の奥からの音なき音に気付く。空気を震わさないで伝わってくるソレは、気配に似ている。ただ、はっきりと耳ではないどこかで感じられる音だった。
「白雪? どうしたの? 」
「ハルンツちゃん? 」
アシの玉獣が、飛び跳ねる軽い身のこなしで、ハルンツの傍に駆けつける。金色の瞳はハルンツと同じ森の奥を睨んでいる。その背中の長い毛が、次第に逆立っていく。さわり心地の良さげな尻尾は、膨らんでいく。
「まだ、何か、います」
目をそらす事すら出来ずに、そっと呟いた。黒い森の奥から、風が吹いてくる。その風の起こす木々のざわめきだけが、空気を揺らす。それなのに、音なく響いてくる音は、はっきりとハルンツの中で反響していた。
「苦しいって、腹立だしいって、悲しいって、ずっとそんな叫びが聞こえてくる」
「なんにも聞こえないわよ。ちょっと、怖いコト言わないでちょうだい」
『これは音ではない…思念だ』
「…妖獣です。建物の中に入ってください。取りあえず守護陣をはりましょう」
アシが、迷う事なく腰の刀を抜き放つ。陳達も再び剣を抜き放ち、弓と矢を構える。
『数頭ではないぞ』
「では、どうするのですか!」
「また、演奏する!大丈夫、今度は必ず…」
『妖獣では、もう楽の力では太刀打ち出来ぬ。実体を持たぬ妖星とは違う。獣の体を持ち精霊の力を持っている妖が、妖獣だ。…半端な呪術や武力では、危ない』
「エアシュティマス様、何か良い策はおありですか?」
玄徳の言葉に、誰もが幽体の貴人を見上げる。稀代の大魔術師ならば、最善の策を知っているはず。最高の魔術でなんとかしてくれるはず。期待のこもった視線が注がれる中、誇り高いダショーは、その頭を下げた。
『…策はない。全速力で、この先の泉に逃げよ。確か、天鼓の泉と同じ水脈の泉があったはずだ。アシよ、まだ枯れておらぬか』
「枯れてはおりませぬ。確かに、その泉なら夜が明けるまでしのげるかもしれませぬが…」
アシが、口を濁して全員を見渡す。明らかに、その案にも戸惑っている。
また解説を少し。
前回,『能』の題目やら出てきても関係ありませんと書きました。今回の『天鼓』も関係ありませんので。はい。
あと,アシの衣装について。水干を着させました。あれです。五条大橋で牛若丸が着てたのです。いわゆる,作業着や汚れてもよい服…という位置にあったようですね。ダショーの狩衣は現代風に言えばノーネクタイのカジュアル着になります (それでも貴族達の普段着になっていたのだから…上に一枚羽織っている感覚?…少し,勉強不足ですね) 動きやすさと,イメージしやすさで,水干にしました。ご容赦を。