4 少女の予言
まだ耳の奥にざわめきが残っている。頭の中がドキドキしている。興奮してたのか、僅かに汗ばんだ肌に夜風が気持ちいい。
「こんなに話したのは、何年ぶりだろう。おばぁがいた時以来かなぁ」
礼儀や祭事の作法の他は静かな人だった。たまに、気が向くと楽器を教えてくれた。そんな時は暗くなるまで夢中になって手ほどきを受けたものだった。そう、暗くなるまで明かりも点けずに。
今夜は月が満ちてきているから、手元の魚油の灯火で充分に明るい。浩芳は一晩中、ハルンツを通して蓮迦と語りつくす気でいた。そのつもりでの茶会だったらしい。
水鏡を使い、浩芳と幽体の蓮迦とお喋りをひたすら伝えていた。今は誰も恨んでいない事。これは定められた天命だった事。昔話では幼馴染でもあった秀全とした悪戯を浩芳に謝った。 何時だって、傍に居る。どうか体を養生して欲しい。歳の離れた妹を、ずっと見守っていく。どうか、私を忘れないで。何時だって、愛してる。傍に居る。ソコにいるから。
最後は離れて控えていた下人も、みんなが泣いていた。
村からダショーの子の忌み小屋で一晩過ごすことは許されないからと、年寄り衆が迎えにきてようやく帰っていった。「旦那様を野宿させたとあっては、奥様に怒られます!」と、秀全が我に帰って叫び浩芳の服を掴んで拝み倒して、渋々嫌々に年甲斐もなく「明日また来るからね」と虚空の愛娘に言いつつ帰っていったのだ。
あの様子なら、必ず来る。茶会の食器は置いてある。食べ物も「滋養をつけなさい。明日までに全部食べなさい」と、呆れる秀全を黙らせて置いていった。
変わった客だ。長老が止めたが、今まで「夜伽をしろ」と無茶苦茶な要求をした客はいたけれど、「滋養をつけろ」と食べ物を置いていく客はいなかった。
「変わった人だったなぁ」
『貴方も相当、変わってるわ。父様、興味がないものには全く関心持たないの。貴方のこと気に入ったのね』
「蓮迦さん・・・いいんですか?浩芳様はお帰りになりましたよ」
天の川を後ろにして、夜空に半透明の蓮迦が浮かんでいた。
幼女の姿はしているが、時間は彼女の内面に流れていたらしい。なんとなく秀全と同い年らしい大人の落ち着きが、言葉から滲んでいる。
『父さまとは、貴方のお陰で話せたし。いつでも傍に居れるもの。父様の眉間の皺も、無くなってくだろうし一安心よ』
「はぁ」
案外、想われ続けた娘の方があっさりしている。
『貴方、気付かないの?精霊を通さなくても私達、喋ってるわよ』
「あ、え、うわぁ・・・凄い。本当だ」
首を傾げ、考え込んでしまう。こうやって姿まで見えている。精霊に頼まなくても喋れている。
こんな事はいままでなかった。水鏡を使わなくては、死んだ者の姿も声も聞けなかった。
『別に霊媒師になったわけじゃないわよ。貴方に時期がきただけよ』
「大人になると出来る事なんですか?」
毛虫が脱皮して蝶になるように。雛が成長して空を飛べるように。自分も成長して変わったのだろうか。
途端、蓮迦が笑い出した。
笑い声にあわせて風が揺れる。風の精霊達も、楽しそうに踊りだす。長い髪をなびかせ、小人が宙を気ままに踊りだす。
『やっぱり、貴方面白いわ。ふふふ。あんまり言うと、後ろの人に怒られそうだから止めとく』
ハルンツが半透明な蓮迦の後ろを覗き見ようとして、また笑い出す。いたのは風の精霊達だけだった。
『貴方の後ろの人よ。いつも見守ってくれている人』
「・・・おばぁ?それとも母さん?」
恐る恐る、言葉にしてみる。願いを、声に出すのは怖い。願いが叶わないのが、辛いから。叶う事なんて、ないんだ。分かっている。でも、口に出していた。
やっぱり、今日のボクは、少しオカシイ。
『違う。でも大丈夫。この御方もおばぁも、貴方の母親も、貴方を見守ってる』
蓮迦はゆっくりと首振った。結い上げた髪に差した髪飾りが揺れる。
「何か、あるんですか?」
『選択の時がきたの。貴方の運命だから、貴方が決めればいい。困ったら、呼びなさい。私も父様も、いつだって助ける。・・・あぁ、これ以上喋りません』
怒られちゃうと、笑いながらゆっくりと、海の上を歩いていく。
『今晩はよく休むといいわ。あ、そこのお菓子とかは全部食べてあげてね。父様の気持ちなんだから』
「あの!あの、また会えますか!」
このまま海の彼方に行ってしまう気がして、思わず立ち上がって叫んでいた。
もっと聞きたい事がある。知りたい事もあるんだ。動悸が早くなっている。息苦しいほど、気持ちが渦を巻いている。そんなハルンツに気付き、激情を好まない精霊達が散っていく。
『貴方が呼べば、何時だって駆けつける。大丈夫。母様の所にも行くだけ。おやすみなさい』
微笑んで、消えてしまった。
真っ暗な海から、波の音だけが届く。何時もの光景。何時もの音。
今日の出来事が夢でない証拠に、砂浜に並べられた幾つもの茶菓子。時間が経った証拠に、潮が満ちて敷物を濡らし始めていた。これを見たら秀全さんが小言を零す。慌てて敷物を小屋へと引っ張る。夢ではない。全て本物だ。
ハルンツは軽く身震いして、自分の背後を肩越しに振り返る。真っ暗なボロ小屋しかない。自分の期待したことに、そっと溜息を零す。
おばぁに会いたい。母親を、一目見てみたい。後ろの御方なる人にも。でも、どうなるかなんて頼めない。選択の時と言われても、なるようにしか、ならないのだから。
ハルンツは、もう一度溜息をこぼしていた。