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 39 クマリの姫君

 「まだいるぞ…一体どうなっているんだ」


 炊事場の窓から覗き見る玄徳の声が、ハルンツの意識の隅に聞こえていた。

 もう、高砂の二回目も終盤を演奏している。二刻ばかりすぎてから、弦を押さえる指に痛みが走る。里を出てから全く演奏してなかった為に、指先の皮が薄くなっていた。ここ最近の練習で演奏技術のカンは取り戻せても、体力や指先の強さは戻っていなかった。痛みがハルンツの集中力を途切れさせていく。もっとも、リリスやマダールは声にも音にも疲れの色は混ぜる事はないが、戸惑いげに、玄徳達のほうに目配せをしている。終わりのない雰囲気に、あきらかに戸惑っていた。


「これはどういう事なんでしょう。かなりの妖星は消えているのですが」


陳の控えめな意見に、玄徳も頷いて考え込む。マダール達の演奏で、かなりの妖星が清められて退いていた。それどころか、一定の距離に入ったものは、燃えつきるように一瞬明るく輝き消えていった。それでも何十もの妖星が消えていっても、森の置くから明かりに誘われた虫のように新しい妖星が出てくる。キリがなかった。


『とにかく、このままではハルンツ達が倒れてしまう。玄徳、呪術はどれ程できる」

「従四位下です。攻撃系呪術はまだ使ったことはありません」

『守護系のみか。では、この者達並の楽の腕前をもっている者はいるか』


 ダショーの言葉に、誰も返す言葉がない。

 剣を携えた武人と、器用がとりえの家人と、楽好きの楽音痴の皇子に、どれも当てはまらない。


『せめてあと一つの旋律があれば響きで一掃されようが…』


ダショーの言葉に、思いつめた顔の玄徳が荷物の中から笛を取り出す。途端、隅で警戒していた警備隊三人が慌てて駆け寄る。義仁も玄徳の背後から腕を押さえつける。


「殿、ご辛抱をっ」

「それだけはなりません! 」

「皆の安全を考えてください! 」

「落ち着き成されませっ」

「離せ! 吾がこの旅をした事で皆まで危険にさらしているのだ! 吾がなんとかせねばどうするのだ! 」


 玄徳の言葉に、マダールの声が僅かに音を外す。その瞬間に、外からの赤い光が強く光りだした。


『平常心で演奏し続けろ! 』


ダショーの叫びのような声が聞こえても、一度崩れたものは、雪崩をきったように乱れていく。まるで積み上げた砂山が波にさらわれるように、音の粒が空気から零れていく。外からの夕闇の光はますます強くなっていくのが感じられるたびに、気が散っていく。清らかな旋律だった音が、ただの音となる。


「抜剣を命じる! 奏者を守れ! 」

「玄徳さん、駄目だ! 」

 

 悲鳴のような声を上げてから、ハルンツは屋根を見上げる。思わずダショーを見れば、同じく暗い天井を見上げている。

 微かな笛の音が、聞こえた。確かに聞こえた。そう確かめようとダショーと顔をあわせた時、空気を振るわせた笛の音が僅かに聞こえてくる。


『これは、六華(ろっか)か…助かった…大丈夫だ』


 返事の代わりに、再び弓を引く。微かだった笛の音は、次第に確かなモノとなり、確実に旋律に絡まっていく。崩れていった音達が、再び編みこまれていく。さらに複雑に、笛の音と互いの音を響かせていく。和音は増幅して、紡ぎだす祈りは広く波紋が広がっていく。そのたびに、外の光は赤い輝きがあちこちで爆発するように瞬いていく。旋律が波打つたびに、リズムを刻むたびに、小爆発がくり返し辺りが昼のように明るく光りだす。


「なんと…美しいのだ…」


 演奏していても、玄徳らが感嘆する光景は感じられる。それと同時に、光の瞬きとともにハルンツの中に様々な感情が入ってきていた。恐怖、戸惑い、怒り、それが次々に喜びに変わっていく。身が震えるほどの感謝の思いが、なぜかハルンツの中に飛び込んでくる。これは、誰の思い? この世のものと思えない光景の中で、これだけの怒りや恐怖は、どこにあったのだろう。溢れるほどの感謝の念は、誰のものなんだろう。


「もう、大丈夫です。妖星は全て浄化しました」


 笛の音が止まり女の声が屋根の上からかけられて、よろめくように全員が動き出す。煌めいていた光は消え、篝火だけが燃えている。まるで先の光景は夢か幻のような静けさで、互いの顔を見て確認しながら、恐る恐る外に出ていった。


 「みなさん、大丈夫ですか? 怪我などされた方はおりませぬか? 」

 

 落ち着いた声と共に、二つの影が茅葺き屋根から飛び降りてくる。篝火に照らされたのは、若い女性と獣の姿。

 闇夜を溶かしたような黒髪は、炎の光で幾つもの光の冠を彼女にあしらっている。長い髪を高く結い上げ、若い男性や子供が動きやすさから好んで着る水干の衣装から、月のような白い腕と足首を露わにしている。その艶やかさに、思わずハルンツは目をそらしてしまった。

 その横に従うように立つ獣も、長めの毛並みは輝く白さだ。大きい犬程の大きさで、金色の瞳はまっすぐにハルンツを見上げている。まるで今持ってしまった汚らわしい感情を見透かされた気がして、ハルンツは落ち着きなく視線を泳がせてから気付いた。いつの間にか、頬が濡れていた。泣いてたつもりはないのに、泣いていた。これは、なんの涙だろう。


「駆けつけるのが遅くなり済みませぬ。随分と恐ろしい思いをしたでしょう」

「助かりました…もう、覚悟を決めかかったところでした」


そう玄徳が返事をした途端、マダールが鼓を抱いたまま声を殺して泣き出す。顔を両手で押さえたまま、肩を震わせて泣き出す。その肩を思わず玄徳が支え、そっと頭をなでてハチミツ色の髪に顔をうずめた。何度も「よくやった。もう大丈夫だ」と声をかけ、小さな背中を大きな手で撫でていく。


「あれほどの妖星に、よく持ちこたえられました。もう、大丈夫ですから」


 落ち着いた声でマダールを気遣い、手拭いを差し出す。その仕草には、玄徳と同じにおいがする。気品ある、静けさ。全員がそう思ったのだろう。何気なく視線が女性に集まる。その意味に気付いた女性が、改めたように顔を上げ、その場全員の顔を見渡した。


 「名乗り遅れて申し訳ございませぬ。今宵、神苑の宿直を担当しております、昴 アシと申します。この玉獣は白雪。他にも宿直の者はおりますが、応援を呼ぶために場を離れております。また追々やって参ると思いますが、今は取り合えず」

「昴…では、あの昴家の姫でございますか! 」

 

 玄徳の言葉に、ハルンツ、マダールと玄徳を除いたリリスや義仁達が、慌てて地に伏せる。そのいきなりの行動に、ハルンツは戸惑ってしまう。同じように伏せるべきか、挙動不審気味に中腰になりかけたハルンツに、ダショーの喝がとぶ。


『うろたえるな。そなたの遠い従兄弟だ」


その声に、アシが虚空に浮かび上がる幽体に気付き強張る。それでも、うろたえる事はない。


『その手の笛は六華か。懐かしい。よく見せてくれ』

「…なぜ、これが六華とお分かりになるのですか? 』

『遠い昔に、私が使った楽器だからだ。随分と大切に使ってくれたようだな。礼を言おう』

「ソ、ソンツェ様…? ソンツェ様でいらっしゃるのですか! 」


 吹き口の横に、繊細な六枝で幾何学的な花模様が描かれた横笛。六華とダショーが呼んだ笛を腕に抱き、アシはその場に立ち尽くす。切れ長の目は大きく見開かれたままだ。


「あぁ…昔、ソンツェと呼ばれていたと…確か、そうですよね。ダショー様」

『まだ生きていた頃はな。それもクマリで過ごしていた時だけだ。エリドゥではエアシュティマスと名乗ったしな。随分と自分はややこしい事をしていたな』


まるで他人事のように言い、ダショーは付け加える。


『紹介しよう。我が子孫ハルンツ。で、それは李薗帝国の白玄徳と旅の仲間達というところか』


 『それ』で紹介され、玄徳は口をあんぐりと開け、義仁たちは眩暈を起こすようにうなだれる。


 





 

 また解説。前回,高砂を演奏…とありましたが,能の『高砂』から借りました。でも,内容は違いますよ!題目だけです。誤解しないでくださいね。能には,三味線もどきも琵琶も使いませんし謡い手が一人もありえないし。はい,今後『能』の題目がでても,一切関係ありません。

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