38 音の響き
『そなたらには緊迫感というモノがないのか! すでに妖星が風の守護陣を壊したのだぞ! 』
「ダショー様! 」
突然現れた幽霊に凍りついた7人が、ハルンツの言葉に息を飲む。
大陸を統一した稀代の魔術師エアシュティマス。半透明の青年の幽体はクマリ風の狩衣に結い上げた髪を揺らしながら、宙に浮かんでいる。
「あなたが、吾の祖エアシュティマス様ですか? 」
震える声で玄徳が声をかける。その玄徳を一瞥して、ダショーはフンッと腕を組んで見下ろす。
『そなた、李薗帝国の玄徳と申したか。そなたの祖は私ではない。何故そんな事になっているのだ』
「え、え?ど、どう言う…」
衝撃発言。大陸の東の雄、李薗帝国の威厳を本人に否定された李薗側の玄徳達は、顔を強張らせて固まってしまった。見る間に青ざめていく。横にいるハルンツ達には、地の底まで魂が落ちていく音が聞こえるような様子だ。
『私の血を引いた子は我が子タシに他ない。ハルンツ達のみだ。エアシュティマスの長女リだと?…忌まわしい…』
「ダショー様?」
『だが過ぎた事だ。李薗帝国が私の子孫と名乗ろうとも、ハルンツ達に手を出さぬのなら許してやろう。あの朱雀と違い玄徳は話が判るようだし、…我が妃ナキアの血を引いている事は変わりない。許してやるから、さっさと立ち直れ』
「あ、有難き幸せに存じます…」
まだショックから抜け出していないだろう。玄徳は理性だけで返事をする。取りあえず、言われるままに現実に戻ろうと努力しているのか、両頬を何度も叩く。
『とにかく外を見てみよ。ケタはずれの量だ。あれだけの妖星がいれば、守護陣など押し切られてしまう。時間の問題だ』
ダショーの言葉で、ハルンツが土間に下りて炊事場の窓から覗き見る。すると、赤や青白い光の玉が浮かんで辺り一帯が夕暮れのような明るさになっていた。篝火を取り囲むように、多くの火の玉が薄気味悪い炎を揺らがせて浮かんでいる。
「あれが、妖星ですか…」
『神苑も汚れたようだな、私もあれだけの妖星は見た事がない』
「神苑が汚れると妖星が出てくるのですか?」
ダショーの言葉に、ハルンツが首を傾げる。その様子を見て、ダショーはやや宙を睨んで説明をしだす。懇切、丁寧に。先の玄徳達への不親切で未完成な説明とは、天と地ほどの違いがあった。
『世界で、天に最も近い場所はクマリ族の守る神苑だ。距離が近い訳ではない。神の清らかな完璧な気に触れる事が容易くなる場所…と言い換えたほうがいい。その神苑を守るものが、クマリ族長であり、かつて天と地が分かれた時に天から零れた魂が入った大黒という名の刀であり、同じ魂をもった聖獣だ。その三体がそろわねば、神苑の気が乱れてしまう。神苑奥深くで生まれる玉獣の気に、外の陰気が混ざりやすくなる。それが妖獣であり、妖星だ』
「では、その三つの中で何かがそろわなかったから、妖星が出てきたのですか?」
「あぁ! だから族長を決める大霊会があるんだ! 今は族長がいないから、妖星が出てきているんだ! 」
マダールが臆することなく、ダショーとハルンツの会話に飛び込んでいく。ダショーはマダールに微笑みかける。
『そういう事だ。さて、聡く勇気ある歌姫に頼みがある。その妖星を遠ざけるために一曲奉納願おう』
「あ、あたしが歌うんですか?」
外の様子を見ていた玄徳や陳までが、突然の命令に振り返っていた。目の前に広がる尋常ではない量の妖星を前に、何を言っているのか理解できないと言いたげな顔だ。ハルンツも、ダショーの言葉の意味が判らなかった。
『外を見てみよ。あれだけの量だ。守護陣など、意味もない。だから、な』
パンッ…とダショーの音なき拍手が響く。途端に、水面に雫を落とし波紋が広がるように妖星が飛びのいていった。
『大霊会で音楽を奉納するのは、飾りではない。天上と繋がる気を清らかにする為だ。古より伝わる音には、一音一音意味がある。古典曲で辺りの気を清めれば、妖星の力も弱るはずだ。…その声で、想い人を守れるのだ。張り切れ』
「…っ。はい! 」
泣きそうな笑顔を輝かせ、マダールは力いっぱい頷いた。
「じゃあ、私も手伝おうかしら。ほら、ハルンツも三線持って」
「う、うん、想い人って、誰?」
「かなりお子様ね…。あとで教えてあげるから三線出して。調律するわよ」
「教えなくてもいいからっ。早く用意しなさいよっ」
真っ赤な顔でマダールがリリスの頭を叩いている。金色の髪が乱れるたび、リリスは幸せそうに笑いながら琵琶の弦を弾いていく。
マダールが笑うと、リリスも笑う。きっとこの二人は、色々な悲しみも共に泣きながら励ましあって生きてきたんだろう。二人の間には入れないけど、傍にいることは許されたんだろうか。三線を取り出しながらハルンツは、そう思うだけで微笑みがこみ上げてきた。いつか、こんな友が横にいたら、なんて幸せだろう。
「さて、何を弾こうかしら」
「高砂はどうだ?この場にこれほど相応しいものもないであろう」
どこと知れぬ砂浜で、神の化身を表す老夫婦が常緑の大樹の元に平安と生命の慶びを祈る題目だ。呪術的な色も濃く、清めの意味を込めて祭りでは必ず演奏されるものだ。
「いいわね。長いってのが良い。ハルンツ出来る?」
「祭りでは,一人で演奏してましたよ」
かなりの大曲で演奏時間が長い事でも有名だ。囲炉裏を囲んで車座に座ってリリスは額に手拭いを巻き、バキバキと指を鳴らす。ハルンツも腕まくりをして、ダショーに頷きかける。かけてみよう。この場で演奏できるのは、自分達しかいないのだから。この仲間達の為に、やってみよう。
「じゃあ、いくわよ…!」
マダールの鼓の音とともに、無言のうちに音の中に飛び込んでいく。弦の弾く音が、乱れた空気の羅列を整えていくのを、肌で感じていく。マダールの唄声が、夜の空気に解けて闇を薄めていく感覚。リリスの力強い琵琶の音に禍々しさが弾かれていく感覚。見開いたはずの瞳に入ってくるのは、見える事のない光景だけ。感じるままに見えていく。
この高揚感。ハルンツの吐き出す息が、音を紡ぐ快感に甘く酔っていった。
少し解説。この世界の呪術は,音が重要な役割をします。精霊文字や守護陣は,あくまで共生者の能力を高める手立てであり,補助です。普通の呪術では,それらを組み合わせて,効果的な成果を得る…訳です。
だから,一章で祭文を謡っただけで大祓をしてしまったハルンツは,かなりの大物だったわけです。
私達の日常から近いモノは…そうですね,ダショーの拍手かな。神社でする拍手です。あれも,音の響きで周りの気を清らかにしますしね。