30 奇策
円卓の上の茶は、すっかり冷めていた。給仕に専念していた義仁も、話の深刻さに手を止めていたからだ。
「つまり、彼らに敵意をもたれなければいい。出来れば、好意を持ってもらうぐらいの…」
「周偉。そなたの頭は激務で調子が悪いようだな。そんな事出来る訳なかろう。物を送って媚びるのか?それとも女を送るか?少し幼いようだから、甘い菓子でも送るか」
自嘲気味の玄徳に、周偉はにこやかに笑い返す。
「さすが殿下。菓子でもよろしいですな」
とうとう、気でもふれたか…。玄徳が呆れて義仁を見ると、義仁も「おかわいそうに」という顔で見ている。
「しかし、どれよりも彼が欲しがるものは、別にあるでしょう」
「では周偉、あの少年は何を欲しているのだ。李薗への警戒が緩むほどの贈り物とは、なんだ」
自信たっぷりに笑顔の周偉を見ていると、玄徳は何故か不安になってくる。この者、多忙と激務が続いておかしくなったかもしれぬ。
「殿下はあのぐらいの年齢の時、何をしていましたか?」
「あ、あれぐらい?そうだな、エリドゥへ留学していた頃か。禁欲的な生活をしていたぞ」
「えぇ。そして、周りには同年代の同性がいた」
周偉の言葉に、義仁も顔を上げる。気は、ふれていなかったらしい。
「あの年頃は、同性の友人と馬鹿騒ぎでもしたいものです。他愛もない話や異性の興味を話したりするものです。彼の故郷はかなりの辺境。しかも逃亡の旅では、友人もなく心細かった事でしょう」
「つまり、我々側の人間を友人に仕立てると」
「あくどいですが、有効な手ですね…」
外野であるはずの義仁が、思わず率直な感想をもらす。本来なら、給仕の役は会話に入る事は許されない。それでも、周偉は義仁の言葉を咎めずに笑い返す。
「信用を得れば、彼が帝国に危害を加える事はないでしょう。うまく行けば、帝国の繁栄に寄与させる事も可能になります」
「しかし、そのような難しい任務をこなせる人材がいるのか。彼らをここに留まらせるにも時間がないし、野放しで関所を越えさせる訳にもいかぬ」
春陽に使いを星輿で飛ばしても、往復二日はかかってしまうだろう。玄徳は考え込んでしまったが、周偉は先からにこやかな笑顔で玄徳を見ている。
「いるではないですか。十代で優秀な人材が。しかも理想的な事に、共生者であり、帝国や諸国の内情にも詳しい。気さくで、社交的、頼れる兄的な雰囲気をお持ちの…」
「お待ちください!周偉殿は殿を推挙されているのか!」
「え、吾か?」
義仁は急須を円卓に叩きつけ、玄徳は大きな瞳を丸くする。
「殿は玄武家当主であらせられます!そのような危険なこと、させれませぬ!朱雀殿の二の舞になったら、帝国の損害は大きいですよ!」
蓋がずれた急須と同じように、義仁の頭からも湯気が出ていそうだ。めったに感情を見せない義仁の怒りを眺めながら、玄徳は反比例に冷静になっていく。
帝国を継ぐ可能性がある者が直接会えば、少年の気持ちは収まるだろうか。友人になれなくとも、互いの顔と人成りがわかれば、無用な争いはなくなるかもしれない。互いへの誤解と恐怖は消えるのは、多分間違いない。
もちろん、会って少年が危険人物と判断されるのならば、自らの命と引き換えに葬ればよい。勝算は少ないが、エリドゥで呪術を学んだ玄徳しか可能性はないだろう。
「周偉は、吾で勝算があると思うか」
「殿!」
目を吊り上げた義仁が振り返る。体から怒りの炎を噴出している形相に、玄徳の頬が緩む。普段、無関心なのかと思うぐらい感情に露わにしない義仁が怒っている。それは玄徳を気に掛けてくれている証拠であり、頼れる証拠だ。
「昔から、周偉の読みは正しいからな。そなたの考えにかけてみようか」
「殿!朱雀が倒れた今、帝国を支えれる白家は玄武家ですよ!もし何かあればいかがするおつもりですか!」
叫ぶのと同時に、口から火を吹く勢い。その義仁に笑って茶碗を円卓に置く。茶はすっかり冷えてしまった。
「玄武が倒れても、取り合えず白虎家がある。ご高齢だが、時間稼ぎにはなる。その後、青龍家の子息が即位なされば良い。取り合えず吾が帝国には優秀な官僚がそろった太極殿がある故、政は彼らがなんとか回すであろう。まぁ…貴族院の連中が煩いだろうが、そこは周偉達が頑張ってくれるはずだ」
「そうではなく!」
「うん。義仁の心配は最もだと思う。だが、吾が行くのが一番良いと思う。もし、もし…このまま朱雀殿が表に出て来られないのなら、順にいけば皇位は吾になる。その吾が行く事で、顔見知りになる事で、将来の李薗が攻撃される可能性が少なくなるのなら、試す価値はあるのではないか?このような状況で白家の者が動かなければ、何の為の白家だ。帝国への忠誠心、民に答える絶好の機会ではないか」
谷底から、旋回して二羽の鳶が飛び上がってくる。
「殿下は、皇位を継ぐおつもりがおありですか…」
突然の周偉の言葉に、玄徳は苦笑し義仁と目を合わせる。
「そなたに聞かれるとはな…知っておるだろう。吾がそのような面倒な事を嫌うのを。ただ、事の流れで皇位の事を言ったまで。出来れば、朱雀殿に継いでもらいたいものだ」
笑って答えたが、周偉の視線に笑顔が消える。真剣な眼差しに、目をそらし『覚悟をしておくよう』言われた錯覚に、玄徳が頷く。
「大丈夫だ。あのような音をだす者に、性根が悪い者はおるまい」
「殿に音楽の何がわかるのですか。大丈夫です。殿には私もついて行きお守りします。大船に乗った気で安心ください」
炎を吐いた勢いのまま、義仁は茶道具を片付けだす。さっそく出立の準備を頭の中で始めたようだ。テラスの外の従者に、細かく指示を出し始める。