28 密談
茶を極めるのは、容易ではない。星の数ほど多くある茶葉を使いこなすのは、至難の業。僅かな配合の差で、香りもコクも味も変わる。
さらに、芸術品ともいえる茶器を揃えようと思えば、天文学的な金がかかる。茶を極められる者はほとんどいないだろう。
ただ、茶を嗜むのを利用して、様々な会が催されてきた。陰謀も、捏造も、共謀も。そう、政に茶は不可欠だ。
「いつ、ここに着いた」
「先ほど。殿下が改め場に駆け出したと聞き、私も追いかけた次第で」
人払いをしたテラスで、義仁がよどみない手つきで急須に熱湯を注いでいく。それを何気なく眺めながら玄徳と周偉の会話が進んでいく。
あるのは、穏やかで涼しげな山間からの風と、小鳥のさえずりのみ。里の喧騒は聞こえない。
「驚きましたよ。殿下の瞳が輝いていたのだから。伝承には聞いていましたが、王家の方が浄眼を持つ共生者とは本当なのですね」
「吾もだ。これほど精霊の乱舞を見たのは初めてだ。エリドゥの神殿でもあんなものは見なかった」
義仁が小さな筒を、そっと二人の前に置く。まず香りを楽しむ為だけに、一杯目の茶を淹れて香りを移す。
もちろん、その茶は香りを取るだけの為なので濃くて飲めない。捨てるのだ。そして、強く茶碗に残った香りのみを、まず楽しむ。
「エリドゥに留学したのは…近年では玄徳殿下だけでしたか」
「そうだな。お、剣茶を多くしてくれたか」
渋みが強い茶を好む玄徳が芳香を楽しむ姿をみて、義仁が微かに微笑む。絶え間なく、次の茶を入れるために手を動かしながら。
テラスは、何ともいえない茶の芳香に包まれる。
「その殿下からみてどうでした。あの三線弾きは、どれほどの力の持ち主と見ましたか」
周偉は形だけ茶碗を動かし、鋭い視線は玄徳の顔から動かさない。
一瞬の変化すら見逃さないその様子を見ながら、義仁は二杯目の茶を、ゆっくりと別の急須に注ぐ。丁度飲み頃の温度になるまでその作業を繰り返す。
「不思議だな。吾はあの三線弾きが共生者であると、言ってない。なぜ吾に聞くのか。なぜ判ったのか」
ようやく淹れられた二杯目の茶を手に取り、テラスの下の谷底から飛び上がってきた鳶を見ながら呟く。
「そうだな。ひょっとして、朱雀殿に聞けなかったからか」
上昇気流を捕まえた鳶が、螺旋状に回りながら飛び上がってくる。まっすぐに翼を広げた大鳥は、テラスの高さより上を目指して飛んでいく。
「確か、先は交換条件と申したな。ならば、そなたから申すべきであろう。あの者は、何者だ。大霊会前にも関わらず共生者を締め出す触れをだしたのは何故だ。太極殿は何を恐れておる。何を探しておるのだ」
空の高みまで上りきった鳶が、谷底めがけて急降下する。
まるで吹き上がってくる気流で遊ぶかのように。
「ここ一年、共生者を集めたり兵を国境で固めたり…ここまでの行幸の中で、戦が起こると噂はなんども聞いた。民は不安に思っている。太極殿は何を考えておるのだ」
谷底へ滑空していった鳶を見失った玄徳の目が、まっすぐ周偉を見据える。もう、先の青い輝きは無くなっていた。
「さすが玄徳殿下。見込んだだけはありますな…フフッ…ククッ」
「戯れはよい。吾の問いに答えぬ限り、吾は答えぬぞ」
突然、周偉が笑い出したので、憮然とした玄徳が茶を飲み干す。
なんだか、馬鹿にされたような気がしたのだ。
「いや、殿下の言う事はごもっとも。あまりに事態の核を突いていましたので驚いたのですよ」
ようやく香り茶碗を円卓に置き、長い溜息をつく。
一瞬気が抜けたのか、思いもかけず若さの残る顔に疲れの影がよぎった。
だが、四十代にも関わらず太極殿筆頭の官僚を勤める周偉は、その表情をすぐに隠して微笑む。
今の顔、見間違い、ではないな。玄徳は微かに身を硬くする。何を隠している。何を恐れている。太極殿は、何を起そうとしている?
「そうですね。確かに、大霊会前に関所を止めたのは、まずかった。でも、そうせざる得なかった。この李薗を出す訳にはいかなかった。彼が国を出て行くなら、手形の要らない巡礼者に成りすますと思われました。それゆえ、関所を堅くしたのですが…かえって混乱を招きました。大霊会に向けて、共生者も巡礼者も、多くなりますからね」
まるで観念したかのように喋りだす周偉に、義仁は二杯目の茶を置く。
「一ヶ月前、朱雀家の楊燕様が行幸先で倒れられました。今だ体調不良となっていますが…そうではないのです。じつは公の場に出られるのを、ひどく怖がられるのですよ」
「あの楊燕殿がか?!」
自信過剰と王族としての誇りが服を着ているような人物だったはずだ。「まさか」と口元で呟いても、頭の中が真っ白になってしまう。
次の皇太子として望まれ、その能力は高かった。帝になる者が持つ気品も知力も武術も、誇りも。その人物が怖がるなど、何がその御身に降りかかったのか。
「殿下も承知の通り、共生者や呪術者は国の力です。その力を行使しなくとも誇示することで、外交も国防も有利に進みます。そして、近年クマリ族は族長の急死と共に急激に国力を下げています。政は乱れがちに、清らかであるはずの神苑すら荒れ始めて妖獣まで出てきている」
世界の始まりはクマリから始まったという神話まである。そしてそのクマリ族が護る神苑と呼ばれる森は、天と地が最も近い場所として信仰を集めていた。
なぜなら天地創造の時,清き気は星となり、地上に残された清き気は聖なる玉獣と姿を変えて神苑に暮らしているからだ。
精霊を見ることができる共生者は、神苑で精霊と玉獣と姿を変えた星々が舞い踊る姿が見えるという。
「神苑を清浄にするためという名目で攻め入ることも出来ると…クマリ族の自治区に進軍を考えて、共生者たちを集めていたのか!そんな事、許されぬ!」
早口でまくし立てた玄徳に、周偉は微笑んでみせる。
まるで、物知らぬ幼子に微笑むように。
谷底から、鳶の鳴き声が木霊する。
「その頃でした。海南道の果てに妙な共生者がいると、報告があったんですよ。なんでも、水鏡で全てを見通すと」
興奮する玄徳の前に、形よく切られた果物の器が置かれる。思わず配膳をする義仁を睨むが、義仁は玄徳に軽く首を振ってみせた。
「エリドゥの留学経験がおありになる殿下ならお分かりだと思いますが、水鏡は大変高度な呪術です。特別に用意した聖水と水の精霊達を行使しなければ出来ません。ですが、なんの呪文も使うことなく、井戸水で水鏡をしたと」