26 出会い
「このような辺境の地に、白王家の殿下わざわざ足を運んでくださった事に我等警備隊一同、感動で打ち震えており…」
御簾向こうからの言葉に、玄徳は微かに頷く仕草をする。たったそれだけで、この場が声にならないどよめきで震えていく。長々と続きそうな祝辞と感謝の言葉に、玄徳は軽く手を上げて、傍らの義仁に合図を送る。
やや渋る義仁に、もう一度強く眼で合図を送る。
「御簾を上げよ」
もう、小一時間も同じような感謝の言葉が続いている。もちろん、玄徳には、その感謝の気持ちが判っている。
普通の者は、一生の間で皇族の者を見る機会など、まったくない。例え、命を掛けて役職をまっとうしてもだ。遠くから姿を拝謁できれば良しだろう。そして拝謁できる事は、この上なく名誉な事だ。それが良いか悪いかは別にして、そういう事になっている。
だからこそ、この場にいる者達の感動はとてつもなく大きい。この辺境の地で、皇族を見る機会などない。そして、彼らは故郷を遠く離れて国境警備という重労働についている。
ならば、その代償として「有難い拝謁」を許し感謝の言葉を聞かねばならない。それが、それも、皇族の仕事だろう。
玄徳は自分の存在に価値がある事を判っている。皇族に生まれた自分に課せられた『存在する』仕事は、帝国という歯車を回すためにある程度有効な油差しであることを。
しかし、関所の役舎に来てからずっと感謝され続けても、困る。そう、ものには限度がある。
「おぉ…殿下…」
御簾が上げられ正装した玄徳が立ち上がり上座を降りると、どよめきが起こり兵達が小波のように頭を下げていく。
「そなたらの働き、帝国は感謝しておる」
「なんと…殿下のその御言葉、勿体のうございます…」
「面をあげよ」
警備隊隊長に声をかけると、厳つい肩に軽く手を掛ける。百戦練磨の武人の奮えが、玄徳の手に伝わる。
「最近は妖獣も出るという。皆々、充分に気をつけよ。吾はそなたらの働き、この胸にしかと刻みつけよう」
「で、殿下…」
感激のあまり顔を上げてしまった隊長に、微笑み返す。その途端、感極まった嗚咽があちこちで起こりだす。
「た、大儀であるっ」
思わずそう言い切り、早々に衣を反して御簾向こうに歩き出す。
背後から「殿下 万歳!」「玄武家の繁栄を!」「帝国よ 永遠なれ!」の万歳が上がるのが聞こえる。背中に冷や汗が一瞬流れていくのを感じながら足早に退室する。
そう、ものには限度がある。…やりすぎた。
「結構な演説でしたね」
「悪かった…ここまでやるつもりはなかった」
人気のない外廊下を足早に進みながら、控えていた義仁の皮肉に溜息を零しながら冠を渡す。妙な汗を随分とかいてしまったので、山からの風が心地よく感じる。
「やや軽率でしたが、それでも良かったと思いますよ。御簾越しではなく直接声を掛けた事は、最前線で血と汗を流す彼らに大きな励みになるでしょう」
「なら、よいがな」
義仁の言葉に苦笑いをして、ふと横の中庭に視線を移す。
なにか、聞こえた気がした。
「どうなされました?この後、周偉殿と出立の挨拶を兼ねた茶会を。先ほど星輿で春陽から到着されたそうで」
「待て」
予定をそらんじ始めた義仁を、手で制する。外の喧騒の音の中に、また聞こえた。 この音は何だ。
「…三線か?」
「関所改め場からですね。ほう…流れの楽団が手形改め代わりに演奏しているのか、中々良い音です。少しは待つ者達の慰めになるでしょう」
「…そうではない…」
思わず義仁の腕を強く握る。寒気がする。
この音は、尋常ではない。聞いている者の心の奥底を撫でていく。いや、響き渡っていく。まるで、祭礼で神に捧げるかのような寸分の狂いもない整った音の粒。それでいて、この旋律の奏で方をされたら、感情の琴線を振るわされてしまう。抗えないほどの、美しい音達。
「誰が、誰がこの音を出しているのだ!」
手入れされた中庭に躊躇う事なく立ち入り駆け出し、可憐に咲いた草花を飛び越えていく。
「殿、殿っ!そういう軽率な行動はお控え下さいっ。先ので懲りてないんですか!」
そう叫びながら、義仁も躊躇い無く中庭を突っ切り走り出す。
改め場に駆け込むと、眼の前に白州が広がっていた。役人が座る上座の建物も壁はほとんどなく、開放的に作られた改め場の前には玉砂利が敷き詰められ、三人の男女が座っている。
「これ、勝手に入って…あれ?」
殆どの者が白州の演奏に聞きほれていた。その中で気付いた男が、明らかに役人ではないが煌びやかな格好をした玄徳に戸惑っていた。
ここの関所の役人ではないのは明らかだが、その只者ではなさそうな姿に、注意すべきか迷っていた。その動きに気付いた周りの者達も、明らかな異質の登場に固まってしまう。
「…っ!御簾を!御簾を下げよ!その方の姿を晒してはならぬ!」
もう一人、男が駆け込みながら叫びだす。その殺気立った様子に、役人達全員が一瞬ビクンと痙攣を起す。
「玄武家の白玄徳殿下だ!早く御簾を下げよ!屏風をここへ!」
数人の下人達が、手にした屏風を回りについたてていく。
貴賓の間にあった屏風や、主廊下に飾ってあった屏風と、ここまで追いかける途中に担いできたのだろう。何枚もの屏風が統一感なく雑然と立てられていく。
そして、一瞬の金縛りから解放された役人たちが、慌ただしく白州側の御簾を下げていく。
屏風に囲まれた玄徳に、まだ息が荒い義仁が椅子を差し出す。じっと白州を凝視したまま立ち尽くす玄徳に声を掛けようとして、義仁が息を飲む。
「殿、瞳が…」
見開かれた瞳に、微かに青い光が宿っていた。




