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 22 魂拾いの唄

 弓を引いて震える弦の振動の心地よさに、自然とうろ覚えだった旋律が蘇る。

 海へ漁をする家族兄弟の無事を願う唄だった。

 あれは、祠のある聖域の浜から遠くの岩場で声を上げて遊んでいる同い年の子供を眺めていた時のことだった。

 もうその頃には、生活の中心が祭事一色だった。舌足らずな口で、懸命に覚えたばかりの祭文を読み上げ、おばぁの見真似で祈りを捧げる毎日だった。

 だから、遠く磯で遊びながら、沖から帰ってくる船を待つ、迎えに走っていく子供たちの姿がうらやましかった。不思議だった。

 母親は、いなかった。ボクを産み落としてすぐに死んだと聞いても、よく判らなかった。そう、おばぁが僕の母だと、思っていた気がする。物心ついてからは、父親とも離され母もいない毎日。遠くにみる村人の様子を眺め、親はおばぁだと思っていた。

 おばぁという存在から、ボクがいるんだと…そう思っていた。





  《 帰っておいで 荒れる波の向こうから 帰っておいで 私の大切な宝よ  その手でもう一度抱いておくれ  その声でもう一度囁いておくれ 》

 





 「何を待っているの。宝ってなんなの」

 沖を眺める兄弟が、船を迎える母子が歌うその歌がわからず、傍らのおばぁに聞いた。その時は、彼方に見える村の浜から、若い娘が歌っていた。

 海に沈む夕日に向かい、歌い続けていた。


 「あの子の弟が、海に出たきり戻ってこんのさ」

「どこに行ったの?なんで帰ってこないの?」

「…海神様んとこへ、行ったんさ。でもな、ハルンツには見えるだろ。あんの娘の横に、帰ってきてるのが」


 赤く染まっていく景色の中に流れる歌が、ひどく悲しげで、思わずおばぁの手を握り締めた。

 夕闇で隠れていく中、確かに娘の傍らに精霊に似た気配を見ていたから。


 「判ってても、歌うんさ。生きてるもんは、寂しいからな。歌わずにはおれんのさ。待つってことは、辛い事さ。当たり前と思ってたのになぁ…だから大事にしにゃ、いかん。あって当たり前のものなんざ、この世にないんさ」


 おばぁの言葉は難しくて、その時のボクは何もわからなかった。

 ただ、娘と同じ顔をして沖を見つめるおばぁを、黙って見上げていた。


 「そうさな…最初に教える歌は、これにしようかね」


 呟くような言葉を思い出して、故郷を無くして、再びこの曲を弾いて、あの時のおばぁがようやく判った。

 おばぁも、大事な人を無くしたのだろう。あの娘をみて、思い出したんだろう。

 そして、いつか僕も大事なものを無くしてしまう事を、思いやってくれたのだろう。

 寂しくないように。孤独に耐えれるように。自分の心をまっすぐに省みられるように。

 大丈夫だよ。ボクは元気でやっているよ。だから、心配しないで…おばぁ…。

 




  《 泣け泣け海よ さめざめ唄え 帰っておいで 荒れる海の向こうから 帰っておいで 私の宝よ 私の宝よ 》

 




 余韻が消えて、音と曲に酔っていた感覚から現実に戻り目を上げた。

 思いもかけずに、真剣な視線がぶつかる。

 火花が散った感覚に、ハルンツは反射的に頭を下げていた。


「す、すみません!その、今の忘れてください、出来心で、その久々の感覚で嬉しくて、幼稚な演奏でしたっ」


 本職の楽人の前で演奏するなんて、やっぱり無謀だった。

 後悔と羞恥心で三線をマダールに押し返すと、そっと手の上に温かな手を重ねられる。


「マ、マダールさん?」

「ハルンツちゃん。どこで、誰に、楽器を習ったの?」


 リリスの真剣な口調に、戸惑ってしまう。正直に言って、いいんだろうか。

 李薗(りえん)から逃げている自分の身の事を考えて、一呼吸して頷く。


「田舎です。その、育ての親に、教えてもらいました。その、ボクの故郷すんごい田舎で、洒落た曲とか知らなくて」

「海?故郷は海辺なの?」


 緑の瞳の真剣さに、思わず頷いていた。

 しまった…これ以上、ばらしてはいけない。でも、なんで判ったんだろう。ボクは三線を弾いただけだ。唄っていないのに。


 「そうか…うん、潮の音が聞こえたの。なんでかなぁ」

「私もよ。ハルンツちゃんの後ろに、夜の海が見えたのよ。こんな事、あるのねぇ」


 不思議に思う僕を放って、二人は杯の酒を一口飲んで頷きあう。


「これは、天の采配よね」

「運命よ。縁よ。これで大霊会(だいりょうえ)、なんとかなるかも」

「百人力よ!もう、確実だわ!」

「どーしよう!あたし歌姫に選ばれるかな、選ばれちゃうよね、どーしよぉー」


 段々、二人の会話が盛り上げって行く。

 夜空の月まで飛んで生きそうな二人の興奮ぶりに、ハルンツは本能で身の危険を察知する。なにか、よからぬ方向に話が進んでいる気がしてならない。

 三線をそうっと食卓において、身を正す。


「あの、判るように話してください。ボクの演奏、なにがいけなかったんでしょう」


 抱き合わんばかりの二人が、ハルンツに気付いて笑顔で手を取る。ハルンツの手をマダールが握り、その上から大きなリリスの手が重なる。

 

「確かに、田舎っぽい粗があった。技術も、もう少し欲しい。でも、すごく誠意がある」

「ハルンツちゃんの演奏には、人を飲み込む気迫があるの。これは、教えれるものじゃない天性のものよ」

「あたしの歌に、リリスの琵琶、ハルンツの三線があれば、もう大霊会(だいりょうえ)で奏者確実だと思う訳」

「だから、私達と一緒にクマリへ行ってほしいの!」

「あたし達と、組まない?!」


 痛いほど握られ圧迫される手が、これが現実だと叫び続けている。

 この一流の楽人に、一緒に演奏旅行をしようと、こう誘われているのか?

 このボクが、追われ人の、このボクが。










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