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 19 ひとつのはじまり

 もう昼を過ぎた時刻なのに、路地にならぶ幾つかの露天から、香ばしい肉を焼く香りが漂ってくる。刺激的な香辛料と油の混ざった香りをかいたハルンツの腹から、グウゥと食べ物を催促する音が響く。

 今まで育った田舎の漁村では見ることも無かった食べ物の香りに、育ち盛りの体が反応してしまう。残ったパンを口に押し込むように詰め、無料の水飲み場で満たした水筒を傾ける。僅かに竹の移し香の水を流し込んで、たどり着いた橋の欄干に寄りかかる。

 ようやく,人心地を得た気持ちだ。


 『もう、春がくるようだ。渡り鳥がやって来た』


 遥か彼方、行く先のクマリにそびえる山脈に向かい、幾つもの渡り鳥の大群が東から西へ飛んでいく。山頂に雪をかぶった高い山々を越えていくんだろう。

「鳥になる術っていうのは、ないんですか?」

『ない』

ダショーの簡潔な返事に、一人で苦笑いしてしまう。その反面、この旅の連れに深く感謝する。

 もし、たった一人で旅をしなければいけなかったら、きっと精神を狂わせていたに違いない…と。相手がいるから、喋る事ができる。不安も心配も、口に出せば幾分かは楽になる。なにより気を紛らわせられた。


『そうだな…この関所をどう抜けようか。今まで教えた術では無理だな…』

「いっそ、街道を離れて獣道を行きますか?」

『関所止めをしているのだぞ。街道をそれて逃げる事も考えて手を打っているだろう』

「あぁ…そうですね。朱雀(すざく)楊燕(ようえん)様って、けっこう執念深い感じだったから」

『草の根をほじくり返してでも捕まえる気だろうな。こうやって怒鳴ってるに違いない』


 ダジョーが指で眼を吊り上げ、細い糸目を再現する。「似てるっ」と思わず大声で返してしまい、橋を渡る幾人かが、薄気味悪そうな視線をハルンツに投げかけた。

 しまったと思いつつも、笑いを押し込めるのに一苦労だ。周りからは、相当怪しく見えるだろう。

 でも、だからこそ、この一ヶ月の逃避行を歩きこなせた。傍らにダショーがいたからこそ。

 そして、事の起こりを招いたのも、ダショーだ。

 始まりは五百年前と言ってもいい。大魔術師として名声を手にしてエアシュティマスの名を名乗っていたダショーは、たった一人の実子と慕う幾人かの従者とともに大陸の果て、さらに海を渡り南海の孤島二ライカナイまで逃げた。

 そこでの暮らしを経て、子孫達は大陸に戻り、海に突き出た半島に小さな村を作り、そこでハルンツは生まれる。異質の子供として。

 村人からは、何十年に一度の確率で、ダショーの持っていた青い瞳を持つ者「ダショーの子」が生まれていた。

 青の混ざり具合は変わっていたが、共通する異能は精霊を見られること。ハルンツも歴代の「ダショーの子」と同じく祭事を司り一生を終えるはずだったが、父親に強制的に占い師として働かされる。その評判が遠く流れ、都の皇族まで呼び寄せてしまった。

 李薗(りえん)帝国の朱雀(すざく)南家の当主、白楊燕(はくようえん)呪術師(じゅじゅつし)伎妃(きひ)を。


 「あれから、まだ一ヶ月しかたっていないんですよね」

『一ヶ月で、よう頑張った。精霊文字も覚えたじゃないか。僅かに呪術もな』

「でも、まだまだでしょう…あの時みた伎妃の術はすごかった。今になって、ようやく判るようになってきました」


 単調なハルンツの毎日に現れた楊燕(ようえん)達は、術比べを所望し、伎妃(きひ)は雨雲を刺激して雨を降らした。辺り一帯から水の精霊をかき集めて、風の精霊を使い空へと集め使役するには、高度な技術が必要だ。…もっとも、楊燕(ようえん)の狙いはダショーの血統を抹殺する事だったが。

 危機一髪のところをダショーの力を借りて楊燕(ようえん))達を追い返し、偶然に占いの客で居合わせた豪商劉浩芳(りゅうこうほう)の助けを得て、村人はかつての故郷二ライカナイへ逃げ、ハルンツは自分で生きる術を見つけるために、陸路を一人旅することに決めた。

 この異能を求めて来る輩から、逃げなければ生きていけないだろう。

 この全てが、つい一ヶ月前に起きたのだ。ハルンツの十三年という短い一生の中で、最も刺激的な五日間と言っても良い。


「知らないことが、あまりにも多すぎる」


 南の海と空が世界の全てだった。

 自分と僅かな人々しか知らなかった。

 肌を切るような冷たい北風も、植物が芽吹く春の息吹すらも、常夏の村ではどれもが体験した事のないものばかりだった。


 「あの山頂の雪というものも、触ってみたい」


 雨のように降ってくるものだと言われても、想像も出来ない。


『冬になれば、見られる。そう急くことはない。それまでに、充分に寒さの耐性を作らねば倒れてしまうぞ』


 春の霞の中を、また一団の渡り鳥達が飛んでいく。李薗(りえん)に捕らえられることなく、とりあえずクマリへ行かなければ。身を護る知識と呪術を一刻も早く身につけなければ。

 そして、今の自分が出来ること、やるべきことは唯一つ。

 夕刻までに宿屋を決めなければ。沢山の飯が食べれそうな、湯浴みも出来そうな、なおかつ安そうな宿。でも…


「温かく寝れそうな宿であれば、いいか…」


財布の中身を思い出し、最低限の条件を導き出す。村人からの路銀は、あっという間に無くなった。いまは浩芳(こうほう)様からの餞別が頼りだ。ここのところ、野宿ばかりしていたのだから、これぐらいの贅沢はいいだろう。

 山間は日が傾くのが早い。明るいうちに宿屋を決めてしまおう。橋に背を向けて大通りに向かい歩きはじめる。





茅葺(かやぶ)きの屋根は、何年変えてないのだろう。表面の色はかなり変色して痛んでいるし、ところどころに苔も生えている。このままだと、来年の春には茅葺きの屋根に菜の花でも咲くかもしれない。

 これがこの町の風流…なら別だが、周りの宿屋を見るとそんなことはなさそうだ。この宿屋だけ、面の壁や扉も年季が入りすぎて黒光りしている。


『うん、ここなら安そうだ』

「…そう、ですね…少なくとも、定員一杯なんてこともなさそう」


 大通りから幾つもの裏通りに入ったこの宿屋は、ひどく寂れた印象を漂わせていた。反面、通りに近い宿屋はずいぶん繁盛していて、料金は高いし部屋は埋まっていたし、ハルンツのような薄汚れた貧乏旅人が入れない雰囲気だ。その点、ここは敷居が低い。低すぎて、どんな宿屋か怖いくらいに。

 財布の中身を思い出し、覚悟を決める。陽も傾いてきたし、ここらで決めなければまた野宿だ。


「すいません。どなたか、いますかぁ…」


期待半分、逃げる気半分。恐る恐る声をかけつつ、宿の土間に入る。


「はぁーい!ただいまぁ」


思いの他に元気の良い返事が返り、覚悟を決める間もなく一人の女中が駆けて来る。


「はい、お客様お一人様ですか?」

「お、お一人様です」


 妙に尻上がりの抑揚で聞かれ、思わず勢いのまま返事をしてしまった。


 

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