第二章 〜星々の宴〜
「なんたって、こんなに役人がいるんだよ」
「知るか。あの立て札に書いてあるんだろうが、こんなに遠くちゃ見えねぇな」
「おい、誰か読んでくれや!」
この街が三つの街道の交差点で国境近くにあり、人と物の往来が激しいのは日常の光景になっているが、突然の通達が都から届き広場にこの立て札が立てられてから、数日で街の人口が増えている。この関所で足止めを食らう者が多くなっているからだ。
厚手の外套を纏いわずかばかり汚れが目立つ旅人の集団は、先ほどから立て札の前で文句を並べている。人垣が取り囲み文字が見難いのもあるが、この集団の中に立て札に書かれた達筆な文字を読める者はいなかった。
痺れを切らした男が思わず「誰か読んでくれ」と叫んだ途端、やや甲高くも朗々と響く澄んだ少年の声が上がった。
「一つ、李薗帝国を出国する者、手形を提示すべし。手形の無い者に通行は認めず。二つ、共生者の通行は認めず。呪術使いも同じく。これらの者は手形の提示があろうと出国は認めず。三つ、荷物の改めを強化する。四つ、以上の通達に背く者、もしくは違法な出国を手助けした者を厳罰に処する。…だそうです」
少年が読み終わると、周りの大人は「ほう…」と感嘆の溜息を零した。見れば、ヒョロリと痩せた少年が立て札を読んでいた。
外套の上からでも線の細さを感じさせる少年は、自分達と同じ勾玉を結びつけた杖を持っていた。おそらく、同じ巡礼者なのだろう。
「ということは、なんだ。こんなに関所が込んでいるんは、荷物改めのせいかい」
「迷惑な話だ。俺達巡礼者は別だろうが」
「いや、いちいち手形を出させてるぞ」
人垣の前方からの声に、少年はビクンと肩を揺らす。その場で飛び跳ねて見ようとするが、立ちふさがる人の壁にそれも叶わない。思わず、手近の旅人に声をかける。
「巡礼者は、手形がいらなんですよね」
「いらんはずだけんど、一人ずつ見てんぞ。こりゃ時間かかるわ。坊主も早いトコ列に並んだほうがええな」
一体、都でなにがあったんだ。どうでもいいが、迷惑な話だ。小言を零しながら、旅人の集団が関所入り口から続く長い行列に並んでいく。あっという間に立て札の前の人垣が引いていく。
残された少年は、一人で頭上の立て札を見上げている。見ればまだ子供なのに、付き添いの大人らしき人影もない。おかしなものだ。
先に声を掛けられた旅人が思わず同行者に話しかけて視線を戻した途端、人影はなくなっていた。
「あれ?さっきまでいたんだけどなぁ」
「寝ぼけてないできちんと並んでおけよ。この様子じゃ、日暮れまでに順番が回ってくるか怪しいぞ」
「しかしなぁ。あんな子供が一人じゃ大変だろう」
「大方、召使の侍女かが呼びに来たんだろう。今頃、宿で一休みしてるかもしれんぞ」
そうかもしれない。見れば随分と痩せて汚れていたが、顔立ちは整い外見以上の落ち着きがあった。どこか地方の良家の子息やもしれない。旅人はフードの中から覗いた灰色に鮮やかな青の瞳を思い出し、そう納得して列に並ぶ。
「東桑は李薗最西の都 栄えあれ」
黒字に金の縁取りで堂々と宣言するように書かれた文字が、広場中央の噴水の縁石に刻まれている。この町の先は山が続きなかなかの難所だ。それゆえに、憩いを求める旅人がこの地で体を休めていく。また、旅人目当てに辺りからの商人が集まる。
古くから旅人によって繁栄した町は、旅人向けの無料サービスも充実していた。
「関所は通れないみたいだし、どうしようかな」
先の少年は、町中央の大広場に来ていた。立派な噴水に刻まれた町の誇りの一文を読んで躊躇したが、誘惑に負けて座ってしまう。それほどに、疲れが溜まっていた。
手には、顔ほどの大きさの小麦を練って焼いた素朴なパンを持っている。神殿が配る貧困者や旅人向けの無料の食糧配給で貰ってきたものだ。
まだ温かいパンに齧りつき、無心に口を動かし続ける。塩っ気も少い上にひどく硬く、温かいから何とか食べれるようなパンだ。
広場の中央では同じパンを千切って撒き、ついばむ小鳥の群れを子供に追いかけさせて遊ぶ家族もいる。
『とりあえず、宿を決めろ。よく休み、余裕を持ってから先を考えるのが良い』
パンを食べることに集中していた少年が、虚空に視線を上げる。
『ここまでよう頑張った、ハルンツ』
ハルンツと呼ばれた少年は、思わず微笑む。そして、虚空の先に通行人の女性の一団を見つけ、慌ててフードを深く被り俯く。
微笑まれた形の一団は「かわいぃー」と黄色い悲鳴を上げて騒ぎ出したからだ。素早く立ち上がり、歩き出す。「今の子、可愛くない?キレイだったよねぇ」「やぁん!どこか行っちゃうー」などと騒ぐ声を背後に、足早く広場を去る。
出来るだけ人目を避けようと思うのに、何故こうも目立ってしまうんだろう。
「ダショー様、やっぱり人目のあるところで出てくるのはまずいですよ」
両脇に露天がならぶ賑やかな通りに入り、雑踏の中に混ざった所でようやく独り言を零す。すれ違う人々は、それぞれの用事で忙しくハルンツの独り言に気付くことはない。
『そなたが無用心に笑うからだ。私の姿が見えるのはハルンツだけだ』
「人が多すぎるんです。…世界にこんなに人が多いなんて知らなかった…」
恨めしげに宙を見上げるハルンツには、半透明な貴人が見えている。珍しい灰色に青が混ざった瞳は、普通の人が見えないモノを映し出す。人が纏う気や、精霊の姿や光、そしてダショー様と呼ぶ幽体。彼の先祖でもあり、稀代の魔術師エアシュティマスその人だ。
『この町はまだ小さいものだ。目的地のクマリは私の時でさえ、この町より大きな都であったぞ』
「五百年前でも、これ以上の大きさ?…考えられない」
パンを齧りながらうめくハルンツを、ダショー様と呼ばれた幽体は慈しむように微笑んで見る。瞳はハルンツの瞳が持つ鮮やかな青一色だ。
狩衣の襟を緩ませて着流す貴人は青年の姿をしているものの、堂々と落ち着いた雰囲気をまっとていた。