12 金翅
鞘から、刀身が滑るように取り出される。
感じるはずのない熱を頬に感じ、白く輝く刀に眼は奪われてしまった。恐怖心もあるが、刀から滲み出てくる強い精霊と意志の力に魅せられてしまう。
静まった砂浜に響く炎の精霊の唸り声が、ハルンツの聴覚を支配する。
「麿と帝に忠誠を誓うのなら、なんでも与えよう。金でも、名誉でも」
「…ボクは、何もいらない。ただ、知りたい。呪術を学びたい。世界の果てまで見てみたい。全て知りたい。だから、ごめんなさい。この村から、ボクは出たいんだ」
「ハルンツ!!」
「なんてことを!お前、村人が死んでもいいんか!」
悲鳴と怒号が静寂を破る。非難の声にハルンツは激しく首をふる。腕を掴んだ秀全の手を、上から握りかえす。強く、強くしがみ付く。舌なめずりをして見下ろす楊燕を見返すために。
「何も知らない事が、すごく怖い。でも、誰かの物になるのは、もっと怖い。ボクは父さんの物でもない。貴方の物でも帝の物になるのも嫌だ!」
「貴様、よく考えて申せ。世界を見たいのじゃろ、学びたいのじゃろ。ならば、この村を捨てよ。そなたを金で売る父も祭事を押し付ける村人など、死んでも構わぬであろう。麿と帝は知識を与えよう。そなたの力ならば、呪術を一通り学べば帝国でも有数の呪術師にすぐなれよう。この村から出してやろう、地位も金もあたえよう。なにが不満じゃ」
太陽の焼けつく光よりも、村人の視線が痛い。心臓が喉から飛び出そうだ。
砂に沈んだ足は、このまま逃げたい衝動で震えている。
頭の中で脈打つ感情が、渦を巻いている。
辺りを飛び回りだした炎の精霊さえ、感情の波に押し返されていく。
「ボクは誰の物にも、もうなりたくは無い。村人を殺されるのも嫌だ」
「激情で炎を弾き返すか。しかし、平常心なしで精霊は扱えんぞ」
舌なめずりをした楊燕が、刀を頭上に振り上げる。
後ろから秀全が体当たりして砂浜に倒れこんだ瞬間、視界一杯に広がる青空に炎の帯が走っていく。顔に熱さを感じた途端に轟音が海から上がる。
逃げ惑う村人から、悲鳴が消える。この半島の端の森あたりが炎に包まれて、辺りの海原から大量の蒸気が立ち上っていた。
「祠が…ニライカナイの祠…守護森が…」
「なかなか扱いが難しいの。さて、もう一度聞く。李薗の為にその力を差し出せ」
砂浜に倒れこんだまま、秀全がハルンツを背後に引っ張り込む。焦げた背中に、ハルンツは思わずしがみつきそうになり、身を引く。このままじゃ、秀全さんも殺されてしまう。
「さすれば、この男も村人も命は救ってやっても良いぞ。二度と子を作れぬ体にしようか…それならば考えてやろう」
視界の端に、腰を抜かして逃げれずにいる父さんが見えた。赤子を抱いて逃げ惑う村のおばさん。泣き叫ぶ幼子は、空を見上げている。
「選択の時…。蓮迦さん…」
蓮迦さんがあの晩言っていた、選択しなければいけない事。
屈辱にまみれて生きるか、村人を見捨てて自分の為に死ぬか。選択はそれしかないのか。
泣き叫びたい。あの子供のように、何も変わらなくても、泣き叫んでみたい。
思わず空を見上げると、目尻から涙がこぼれた。おばぁ、どうしよう。歪んだ空に、白い虎が飛んでくるのが見えるよ。怖くて頭が変になっちゃったよ…。
「旦那様!!」
秀全の歓声と共に、風が舞い降りてくる。空を翔る白い虎が、背に浩芳を乗せて海面に降り立つ。潮風が、穏やかに吹き始める。
「クマリの狐が。玉獣でやってくるとは、尋常ではないな」
「楊燕殿下ほどではありませんよ。空から街道を南下してくる軍隊を見つけました。見れば海南道の道兵が一万ほど。それに、先程いきなり炎が空を突き破って往きました。危うく燃やされるところでした」
砂浜に降り立ち、飄々と語る浩芳は微笑みすら浮かべて秀全とハルンツの前でゆっくりと座り、一度だけ頭を下げて見上げた。
剥き身の刀を前に堂々と、悠然と。
「クマリの大霊会も近いのに、随分と物騒ですね。なにかありましたか」
「全て分かっているのだろう。この子供に随分と入れ込んでいたそうではないか。何を企む」
「企むなど、滅相もありません。ただ、共生者の能力があるのに呪術すら学んでいない様子。ならば、クマリやエリドゥの神殿へ導くべきと思いまして」
「呪術を学ぶなら、春陽の都でも充分じゃ」
「これは異なこと。クマリは大魔術師エアティマスの所縁の地でもあり全ての魂の故郷。エリドゥは呪術学術の中心地です。これほどの力なら正統な呪術を修めるべきでしょう」
「春陽では不足と申すか。李薗もエアシュティマス所縁の地じゃ」
「しかし」
「これ以上申せば、謀反と看做す」
「それはまたご冗談を。一万の兵を呼び寄せていながら、この村に何用でしょう。朱雀の殿下が行幸にいらっしゃる場所ではありませぬ」
口に笑みを浮かべながら、視線で互いの相手を串刺しに射抜く。飾られた尊敬語や敬語が棘になっている。
「春陽での店手形を取り上げるだけで事が収まると思うな。李薗からの即刻追放を考えて申せ。そなたの背後に、クマリが動いているのであろう?でなければ、そなたがここまで庇う事はないであろ」
ほんの僅かに浩芳の肩が揺れ、ゆっくりと首が振られる。
「何故、私の後ろにクマリが動いていると思われますか。調べて頂ければすぐに分かります。この村に来たのは、買い付けのついでに亡き娘の事を見てもらおうと思っただけのこと。この子供と出会ったのは偶然でございます。むしろ、我らの行動に疑念をお持ちの殿下は、なぜそのような名刀まで持ち道兵を動かしているのです。まるで…」
沈黙が、全てを語りだす。見えない言葉が飛び交う。ほんの僅かな視線の揺らぎが真実を暴いていく。
全て、都からわざわざ街道でこの村にやって来た時に、全てが決まっていたんだろう。
一万の兵で村を焼き尽くす事、村人を殺しつくす事、ダジョーの血を一番強く持ったモノを都に連れ帰る事。
この貴人は全て計画通りにこなしているだけだ。そして、実行していく。
ボクは空を見上げて、その瞬間を過ぎるのを耐えるしか出来ないのか。何も出来ないのか。
涙だけ零すことしか、出来ないのか。
「帝国の至宝『金翅』で斬られる事、名誉と思え」
舌なめずりをした楊燕が、刀を振り上げた。
細い眼の中の青い炎が煌めく。残忍に、快感の悦びに微笑みを浮かべて振り下ろしていく。
張り詰めた空気の密度が耐え切れなくなった途端に、反らせなかった眼が奇跡を見た。
炎の精霊が刀から離れていく。止め具が取れたように、火花となって飛び散っていく。刀身は見る間に錆が侵食して赤茶けて浩芳の頭を切る瞬間、風圧に耐え切れずに真っ二つに千切れ落ちた。
「その刀でクマリの血は斬れぬ」
楊燕の頬が引きつる。浩芳が振り返る。視線が、ボクに集まる。
「私の祠と子孫を壊したのが、そなたの寿命を縮めたぞ」
頭上から聞こえる男の声は、堂々と宣言した。
「この浜から五臓六腑無事で帰れると思うな」
狩衣を着流した半透明な貴人が、浮かんでいた。