一章〜青と緑の間から〜 1
「おめぇは俺の子だ」
空も海も赤く染め上がっている。背後に迫る山はすでに夜の深く濃い藍に包まれて、潮風が酷く冷たくなって顔を覆う薄麻の布を巻き上げる。
「おめぇは、俺の子だ」
海の陽と潮風で褐色に焼けた肌と髪、全身の盛り上がった筋肉。ボサボサに伸びた口髭。見るからに漁師といった荒々しい風貌。
どれも似ていない。ハルンツは思わず自分の後ろを振り返っていた。その後頭部に苛立った濁声が投げつけられて、ようやく自分の事かと気付いて首をかしげた。この人は、何だろう。
「聞こえてんのか?ハルンツ、おめぇは俺の子だ。明日からは働け」
「トンサ・・・お前こそ、自分が何言ってるんか分かってるのか。ハルンツは『ダショー(高貴)の子』だぞ!働かせるなんて、とんでもねぇ」
「じゃあ何だ、長老はこいつは忌み小屋でなぁんもせんと、ただ飯食ってりゃいいのか。オバァは死んだんだぞ。誰が面倒を見るんだ。自分の飯の魚も取れん奴をこれからどーするんだ」
「ハルンツは祈りの仕事がある。ハルンツを大事にすれば、ダショーの御加護が・・・」
「はっ!ダジョーの御加護があるのに、なんで俺達はこんなにヒモジイんだ」
長老の言葉をさえぎったトンサの言葉に、周りの村人が思わず息を飲んでいく。
トンサというのは、どうやらボクの父親らしい。
これほど似ていないのは、生れ落ちてすぐに離されて育ったからだろうか。
「こんな半島の先っちょ、目の前は海で後ろは山で米も作れねぇ。山ん中に作った狭い畑で芋さ育てても、食うだけで精一杯じゃ。金になる米も作れねぇじゃ、俺達はいつまでたっても貧乏じゃ。大体ダショーってなんだ。都落ちした先祖だ?こんな所に逃げるから俺達が迷惑するんだ」
「それ以上の侮辱は許さん! 」
長老の喝に、空気が震えた。村人は一斉に身を固めたが、鼻を鳴らしたトンサに手首をつかまれる。
その力強さに、引っ張られて足が砂浜にめり込む。
「こんな細い腕じゃ、魚もとれねぇ。なんか出来る事ないんか」
「魚、とれます」
思わず返事をしていた。けど、周りの村人達は眉をひそめて囁きあう。
「女子供より白くて細いこの子に、一体何をさせるつもりなんだ」
「祭の時は滞りなく祭事を務めてたし、祭文も読んでいたけど……ねぇ」
「大丈夫かね、こりゃ」
勝手な言葉が、夜風にのってハルンツの耳に届いていく。
この人達は、何故こんなに不安なんだろう。ボクは、それほど弱弱しいのか。信用できないのか。
しかたないか。村人の前に出るのは、年に数度の祭の時だけ。あとは、浜の先端のボロ小屋ならぬ忌み小屋で人に合わず暮らしていたんだから。
世話役のおばぁが死んでしまった今、ボクを守ってくれる人はいない。急に、自分の立場がはっきりと理解できた。
ハルンツは改めて、村人の囁きを耳に流す。触れないでおこう。見ないでおこう。体から、力が抜けていくのを感じる。
勝手を囁く村人達の間の前で、トンサはハルンツの顔を覆う薄麻の布に手をかけた。
「こんなの被ってたらうっとーしい。そうだ、占いでもやれ。おばぁに遠見の仕方ぐらい習っただろう」
「うらない?」
「探し人や失せ物を当てるんだよ。祭りでやってただろ」
どうでもいい。何でもやろう。
ボクが頷くと、薄布が外される。周りは声にならないどよめきに包まれた。
「トンサ、なんて事を、トンサ・・・! 」
「青い目じゃ! ダショー様と同じ、青い目じゃ! 浄眼が……」
長老の悲鳴を鼻で笑い、トンサは崩れるように砂浜に座り込む老人達を見下してた。
「こいつは俺の子だ。どうしようと俺の勝手だろう。ほら、こい! 明日から、きっちり働いてもらうからな」
足を砂にもたつかせたまま、引っ張られる。ボクの明日は、どうなるんだろう。
立ち尽くす村人の向こう、真っ黒な空を見上げると下弦の月が山に隠れようとしている。
何時の間に、周りは薄暗くなっていた。ボクの明日は、どうなるんだろう。
内地からきた商売人らしい右手に墨汁の染みを付けた身なりのいい男は、まだ若々しい中年のはずだが、眉間に深く皺を刻み込んでいた。
大きくため息をついてようやく長い身の上話を終えた。
この人は、ただ話を聞いて欲しいだけなのかな。なら休憩しようか。
勝手に思いハルンツが席を立とうとしたのを、後ろから押さえつけられる。さっきまで欠伸をしていたトンサが、ヒゲで隠れた口元に精一杯の愛想笑いを浮かべてハルンツを座らせていた。
この客から、かなりの料金を前払いされたから、腕の力もこもっている。そうじゃなければ、とっくに客1人にかける時間は過ぎていた。
ハルンツは、ため息も肩を落とす動作も隠さずに表した。どうせこの目の前の客は金を搾り取られる。その金は全てトンサという父親が持っていく。ハルンツは金を使う欲望はないのだから、翌朝に父親が二日酔いでも「臭いな」と思う程度だった。ただ、この客が娘を思う気持ちで金を出したのに、酒代として消えるのが見えるようで、嫌だった。
「あのぉ、それでご用件というのは?」
「だから娘を探して欲しい。話を聞いていたのかい」
「すいませんねぇ。まだ仕事始めて一年しか経ってないもんで慣れてないいんすよぉ。大丈夫です、自慢の美人で気立てのいい優しい娘さんですね」
「まだ5つだ」
「ウチの占い師は腕がいいですからね。いやぁ、俺の息子なんスよ」
ぺらぺらと喋る父親。この二人は血が繋がっているのかと、驚く客。
いつもの光景を眼中からはずして、ハルンツは古びた机に置かれた水鉢を覗き込む。それがオバァに習った遠見の方法だった。
水の精霊が動き出す。ハルンツには、水鉢の中の精霊と客が連れて来た精霊が話し合うのが見えた。どこと無く爬虫類の顔を持って手足に長いヒレをつけた小人が、空中を浮遊して泳ぎ戯れている。客は海によくいるのか、やや色も深い青で、ハルンツすら見たことのない種類がいた。その話を水面に写してもらい観ていく。
男が女と結婚する様子。赤ん坊が生まれて幸せそうに微笑む様子。一人歩きを盛大に一族で祝う様子。裕福でも貧乏でも、子供が生まれて成長を祝う家族の様子は、今までの遠見ではどこも一緒だ。
自分が生まれた時は、どうだったんだろう。母親がいれば違っていたかな。自分がダショーの子でなければ、違っていたんだろうか。
「あぁ・・・」
水面に写った結末を見て、ハルンツは思わずため息を零した。
「ちょうど庭で水遊びをしていた時に、大人の人がいなくなった・・・誰かに呼ばれてる。若い男です。狐目の、目が細くて口元に黒子がある」
「キドだ!あいつか!そ、それで娘は」
「レンカさんは死んでいます。その男に連れて行かれて、馬で往くばかり過ぎた丘?墓?裏の林のようなそんな所で圧し掛かられて」
水面には凄惨な赤く染め上がった遺体が写っていた。
さすがに言葉を止めて客をみると、真っ青になり震えていた。隣のトンサは顔を赤くして震えていた。
「阿呆かお前は!!」