卑劣
恵一の位置からも、魔王の鑓にオーレンが薙がれた瞬間に噴き出た血しぶきが見えた。
一瞬の沈黙ののちに、戦場は再び――だが、最前とは違う喧騒を取り戻した。味方は当然ながら悲鳴のようなどよめきを上げたが、魔王とその軍はそのことが果たしてどの程度に自分たちを利するものなのかがいまいちよくわからず、しかし相手の態度から何やら重要人物を討ったらしいことはわかったので、一応歓声を上げた。
「お救いせよ!」
逸早く自失の状態から覚醒したオーレンの部下たちが即座に、倒れたオーレンの周囲に集った。
「後方へ!」
後方へ運んで治癒魔法による回復をせねばならないと判断した彼らは、素早くオーレンを馬に上げようとした。
「駄目だ」
だが、傷がけっこう深く、馬に揺られる負担に耐えられないと認識して絶望する。
だからと言って諦めるわけにもいかない。彼は、ヴェスカウ伯爵になるべき人間なのだから。
「応急処置を!」
そのための包帯などは携行している。だが、その場は戦場であり、そのような悠長なことをするには困難だったが、やらねばならぬ。とりあえず止血をしないと運べないのだ。
そういうわけで、戦場の真ん中に、手当てを受けるオーレンを取り囲む円陣が出現してしまった。
恵一からすると、上手く行っていたし援軍到来でますます成功が確約されたはずの計画をぶち壊された上に、魔王との間をこのように阻まれてしまい、率直なところ、邪魔だなあもう、という気持ちが押さえ切れない。
横に目をやれば、カツヤもまた阻まれて、こちらは恵一のように不満を内心に収めることができずに、邪魔だどけと喚いているが、邪魔には違いない連中も必死であるからどくわけもない。
この向こう側では、押さえの利かなくなった魔王がまた猛威を振るって兵士が次々に倒されているのかと思うと、カツヤが焦る気持ちも理解できる。
回っていくしかない、とは思うものの、すぐ脇が空いているかというと、そこでも両軍の兵士が死闘の真っ最中で、かなり大きく迂回するしかなさそうだ。
それよりも、オーレンの処置が済み、彼らが退くのを待った方がよいのでは?
迷ったが、迷っているうちにカツヤは見切りをつけて迂回にかかった。
さらに迷わされたが、カツヤの後に続いた。カツヤは自分のことをどのように見ているのか、はたまた全く認識外に置いているのかすらわからないが、魔王に対抗するには彼と自分が一緒にいた方がよい。
大きく迂回しなければ……と思っていたが、少し移動するとそこの味方が崩れたのに遭遇した。
もちろん、味方が崩れて穴が開くのはよくないことだが、この場合、それは丁度いい通り道だった。
カツヤもそう思ったようで、進んで空白を埋め、かさにかかって前進してきた敵兵に強烈な逆撃を加えた。
劣勢といえど、魔王とそこそこ打ち合えるのだ。部下の雑兵どもなど問題にならない。ろくに構えもとらずに片手で剣を振り回し、丈の高い草でも刈るように数人を薙ぎ倒してのけた。
相手が強い、となると即逃げ腰になるのは弱兵の拭い難い癖である。或いは、もしかしたらこいつはさっき魔王様とやり合っていた小僧ではないか、と気付いた者もあったかもしれぬ。
一転、退いた敵を見て崩れかかっていた味方が立ち直って攻勢に移った。この辺り、さすがに賊あがりよりも兵として質がよい。
カツヤは、逃げる雑魚などそちらに任せ切って、その目は魔王のみを探し求める。
魔王は、カツヤという押さえがいなくなって、案の定猛威を振るっていた。それゆえにとても目立つ。
よしいたな、とばかりに勇躍して進むカツヤに続く。
目指すところの魔王は、鑓を振って兵士を追い散らしていた。
何人かが、功名心に駆られて打ちかかったが、あまりにもあっさりと叩き殺されてしまい、やっぱりこいつは普通ではないと思い知った兵士たちが鑓の届かぬ位置まで下がり、魔王を中心にぽっかりと円状の空白ができていた。
まさしく望む状況だとカツヤは進んでいく。その視界には魔王以外は入っていまい。
後ろに続く恵一も似たようなものだったが、ふと魔王の背後にいるものに気付いた。
馬に乗った老人だ。
思い返せば、さっきも魔王の近くにいたような気がしないでもない。その時は気にもしていなかったのだろうが、今は妙に引っ掛かった。
引っ掛かりは、その馬に老人だけでなく、小柄な――おそらく少年ではなく少女らしき者が乗っているのに気付いたからだろう。
老人については違和感もなく魔王の軍の一員であろうと処理できたが、あのような幼い少女がそうとは思えない。
まず、真っ先に思ったのが、捕まって奴隷として酷使されているのではないか、ということだが、無理に拘束されている様子もなく、老人の後ろにちょこんと座り手を回してしがみついている姿は、むしろ老人を頼っているようにも見える。
なんらかの理由があってのことだろう――と自然と恵一は思った。どうしてもあのような少女が自分の意志で魔王に従っているとは思えなかった。
で、この乱戦である。いつ彼女に危険が及ぶかわかったものではない。
相手が年端もいかぬ少女であると知れば、すすんで剣を振り下ろす兵士はこちらの軍にはいないとは思うが、しかし、そこら辺は、やはり平和な日本で暮らしていた自分はとても「ぬるい」のだ、ということは多少は自覚している。
そこにおるってことは魔王の手下であり、それならば容赦する必要は無いと考える者だっているかもしれない、というか、やはりそっちの方が多数な気がする。
自分がなんとか、するのもこの状況では無理だろうなと思う。でも、目にして気付いてしまった以上は気になってしょうがない。こういう時、気付かなきゃよかったのになと強く思う。
カツヤが、猛然と進む。再び、魔王との直接対決だ。さきほどのパターンに持ち込めれば魔王は押さえることができるはずだが、油断は禁物だ。
一時的に、あの少女のことは心から追い出そう、とは努めたものの困難であった。目指すところの魔王の背景に常に不安そうな顔で老人にしがみつく少女が見えるのだ。
「くそっ!」
それでも、魔王の全力の攻撃を防御するという、気を抜けばタダでは済まぬ仕事をしなければいけないのだ。
なんとしても、心を切り替えて――
と、思ったそばから、馬が棹立ちになった。よく見えなかったが、おそらく矢が馬に刺さったのではなかろうか。
手綱を握っている老人は、馬術の達者というわけではないようで、馬を制御できずに落馬した。
当然、これにしがみついていた少女もともに落下する。
言わんこっちゃあない。しかし、まさかここで少女に駆け寄るわけにもいかない。魔王は、すぐそこにいるのだ。
だが、そこでまったく予想外だったのは、当の魔王が、正に恵一がそうしたかったように、駆け寄り少女に声をかけたことだ。
「おい、大丈夫か!」
少女は、老人の下敷きになっていたが、もぞもぞと這い出してきたので、あまりダメージは受けていないようだ。
上になっていた老人の方が打ちどころが悪かったのか微動ぐらいはしているが、意識があるようには見えない。
「お師匠!」
少女は、絶叫しながら老人を揺さぶった。
おししょう、という音だけではそれがお師匠と言っているのだということが理解できなかった恵一は、おししょう、ってなんだろう、と思いつつも足は止めずに走り続けた。
カツヤと自分の接近には気付いていないらしい魔王は、少女となにか言い合いをしているようだった。
やがて、魔王は無造作に後ろから少女を抱え上げた。
少女が小柄で軽量なのと魔王の膂力もあって、まるで重量が無いかのようにひょいと持ち上げられた少女は魔王に向けて何か言っていたが、よく聞き取れない。
恵一の耳がはっきりと捉えたのは、魔王の、
「ジジィはもう駄目だ。諦めろ!」
という言葉だった。
少女はそれに対して、涙を流しながら何か言ったが魔王は無視して鑓を振るいながら走り出した。
魔王の鑓先を恐れて人が退いてできた道を行く。その速度はかなりのものだ。
「魔王様!」
悲鳴のような声が、彼の部下たちから上がる。
そんなに速く行かれたら、自分たちはついていけない。
そして、魔王という強力極まりない戦力が抜ければ、彼らはただのならず者である。続々と増援が駆け付けてくる軍隊相手に勝てるわけがない。
見捨てられた! ということは彼らのほとんどが直感的に悟ったであろう。心のどこかで魔王様にとって自分たちは駒以外のものではない、ということは理解していたが、それでも実際に打ち捨てられれば絶望もするし、この際とばかりに罵詈雑言も出る。
散々にいい思いもしてきたが、それは脇に置いて裏切り者、卑怯者、お前のせいでといった類の言葉が浴びせられる。
多少なりとも後ろめたさを感じている相手であれば、それらの声は刃となって精神を傷付けたであろうが、心の底からあんな連中どうなったって知らんわ、と思っている魔王にとってはただの音に過ぎず、耳に入ってこそいたものの内容などどうでもよかった。
魔王が部下を捨てて逃げるつもりだ。
というのは、捨てられた者たちだけでなく、それと相対していた者たちも理解した。
まずい、逃げられるぞ――と思った者たちも多くいた。その強さはとても止められるものではなく、その速度は馬並みだ。
魔王が、とにかく自分一人だけが逃げ落ちることを目的に全力で鑓を振るい、全力で疾走すれば、阻めない。
「逃がすか!」
そこへ、カツヤが突っ込んで行った。救われたような歓声が上がる。逃がしてはいけないということはわかっている兵士たちは、身を呈して――つまりは殺されても殺されても何人もの兵士が立ち向かって足止めすべきだ、という答えは持っていたが、誰もがまず間違いなく戦死者に列すること確定の一番手になりたがらなかった。
そこへ、おれに任せろとでも言うように、なんの躊躇いもなく突っ込んでいく命知らずが現れたのだから歓声も上がろう。
「またか!」
また、こいつらかという怒りと、そして焦りに魔王の表情は歪む。
見捨てられた部下たちにとってはそれで死が決定したようなものなので、罵倒もするだろうが、魔王としても部下を見捨てて――つまりは部下と離れて単独で行動するのには全くリスクが無いわけではない。
言うまでもなく、魔王の後に続く部下たちはその肉体をもって魔王の背面側面を敵から隠していたのであり、そこから離れるということは、包囲されてどうしても死角となる背後からの攻撃にさらされるという危険がある。
それでも単独で逃げることを決断したのは、それなりの計算がある。
自分がなんとしても逃げるのは当然として、できればルルも連れていきたいとは思っていたものの、老人が馬に乗りその後ろにルルを乗せ、彼女が落とされぬように精一杯その老躯にしがみついたのを見て、これは無理か、とは思った。
ルルを下ろさせる理由が全く思い付かない。幼く、魔術師とはいっても戦闘に使えるレベルではないのだ。どう考えても老人とともに馬に乗るのが理にかなっている。
そもそもが、この脱出行は砦をすっかり包囲されそうになってしまった事態へ対処した突発的な行動である。
もう、全てが思い通りにいくなんてことはない。自分が逃げるということのみを考えよう。作戦が上手く行けば、老人とルルは自分と一緒に逃げられるだろうし、その時は後で邪魔な老人をルルに知られず始末することもできよう。
とにかく、前面の敵を叩き、四散させたところで後ろのことは気にせずに全力疾走。これで大丈夫だ。
と、そういう算段だったが、計画に齟齬が生じた。
齟齬の元は、言うまでもない。カツヤと恵一が二人がかりで自分を押さえ込んでしまったからだ。
あの二人がいなければ、少なくともどちらか片方だけであったなら、死人がゼロで押さえることなどできず、圧倒的な力で次々に増える死者に敵は恐れおののき、そこへ部下たちが襲いかかって壊乱四散させられていたはずなのだ。
時間をかければ、他方面の敵が駆け付けてくるというのは嫌というほどわかっていたのに、大幅に計算が狂わされた。
騎兵が迫ってきた時に、計画は完全に破綻したと半ば諦めかけたものの、夢中で振るった鑓が思わぬ事態を引き起こした。
兜を剣で飛ばしてくれた騎兵を思い切り叩くと、どうもそれが重要な人物だったようで戦場のど真ん中で応急処置をおっ始めたのだ。
それのおかげで、例の厄介な二人と距離ができた。
今しかない、と思い、雑魚ども目掛けて鑓を振った。
騎兵が来たということは、その後に機動力では劣るものの数では遥かに多い歩兵部隊が続いているということだ。
魔王もその時ばかりは必死であった。その必死さが屍の山を作り、敵兵に改めて恐怖心を起こさせることに成功した。
逃げるぞ、と老人とルルを顧みた。この状況で自分が走り出せば、老人も察して馬に鞭をくれて続くはず。
ちらりと見て、すぐに目を転じようとしてそれが止まった。視界の中で馬が棹立ちになっていた。
思わず駆け寄った。動けないようなら、さっさと逃げようと決めていたが、都合のいいことに、老人は意識を失っていたが、ルルはそれほどの怪我ではなさそうだった。
迷わず、老人を置いてルルと逃げようとしたのだが、ルルは錯乱して老人を揺さぶって聞く耳を持たない。
抱え上げて強引に連れていくことにした。元々、ルルの足でこの戦場を踏破するのは無理だ。
お師匠、お師匠と泣き叫び暴れたが、運ぶのに全く支障は無かった。
声をかけ、彼女を抱え上げるのに多少なりとも時間を使ってしまったので、後になってよろしくなかったかとも思ったが、幸い、敵兵は恐れて遠巻きにしていた。
その腰の引けた構えから、ビビってるなこいつらと看破して鑓を振るい怒号を発すると案の定、鑓が届く位置からさらに数歩は後ずさった。
走り出した。左脇にルルを抱えて、右手で鑓を前方に扇状に振った。前方に道が開けていく。
今や部下という名の肉の防壁が無いので怖いのは後ろからの攻撃だが、そこは速さでカバーだ。かわしてやり過ごした直後に背後に追随しようにも、その時には遥か先を行っている。前方に阻む者がいないのだから、速度は緩まない。
「離してください。お師匠が、お師匠が……」
まだ、泣きながらそんなことを言うルルに、魔王はせいぜい優しく言った。
ジジィは駄目だ諦めろ。これからおれは遠くに逃げて剣闘士にでもなって金を稼いで楽しく暮らす。その時にはお前にもいい暮らしをさせてやるから。
ろくなことの無い人生で、少し褒められただけであんなに喜んでいたチョロさである。そう言えば他愛もなく喜ぶだろうと思ったのだが――
「お師匠、お師匠! 魔王様、お師匠が!」
ルルはなおも、そんなことを泣き叫ぶばかりである。
魔王は、むっとした。
いい暮らしをさせてやればこいつはなにしろチョロいから、感謝感激してますます自分に対して忠実に仕えるだろう、と考えていた。
彼としては、善意のつもりであった。そして、それに対して当然のようにそれに見合うものが返ってくる、と決め付けていた。
一方的な見返りを期待しての善意と言うしかなく、手放しの善意とは言い難いが、善意には違いなく、魔王という絶対者として振る舞っていただけに、自分が善意をもって何かしてやるというのはその対象者にとってはとても光栄なことであり、ましてやルルならばもちろんそう感じて、自分への忠誠心を持つであろうと思い込んでいただけに、それを手酷く拒絶されたようで、心穏やかではいられなかった。
もう、これはしょうがないと諦めた。とにかく、後で落ち着けばハードモードで生きてきただけに、あそこで逃げなければ老人だけでなく自分とルルも死ぬしかなかったのだという現実を受け止めて納得してくれるだろう。
「おら! どけどけ!」
鑓で前方を薙ぎながら、走る。ルルも相変わらず涙声で何か言っているが暴れる元気はなくなったようだ。
「逃がすか!」
横合いから、聞き覚えのある声がした。嫌な予感に苦渋そのものの視線を向ければ、やはり思った通り、例の二人が自分を追ってきていた。
こいつらだけは、やばい――
こいつらは二人がかりならば自分をなんとか足止めできてしまう。足が止まってしまえばおしまいだ。包囲され、この二人とやり合っている間に他の連中が後ろからちょっかいを出してきたら、そちらまで防いだりかわしたりする余裕は無い。
「なんだ。その子は!」
そいつが、言った。なんだと言われても……と一瞬だけ思ったものの、要するに魔王が小脇に少女を抱えてるのを見咎めたものらしい。
なんでもいいだろうが、と思いつつ無視して走る。
「くっ!」
苦々しげな声と、舌打ちの音。
「きたねえぞ!」
「あ?」
こちとら幾つもの村を焼き、街を破壊した魔王様だ。今更汚いも何もないだろう。
「その子を放せ!」
やたらとルルに拘りを見せるのに、魔王は訝しんだ。そんなもん、なんでお前に指図されにゃならんのか。
「その子がいると攻撃しにくいんだよ! 放せ!」
そいつ――カツヤは叫んだ。
後に続く恵一は、そういうこと言ったらますます放してくれないんじゃないかなと思った。
思った通り、魔王はそれへ従う素振りはなく、それどころか明らかにカツヤに向け、嘲笑を浴びせた。
こいつ、強いけど馬鹿だな。とまったくもって妥当な感想を魔王は抱いた。そう言われて放す奴はいない。
どうやら、幼い少女であるルルのことを、悪逆非道の魔王軍の一味とは思えず、捕らわれたかわいそうな娘であると認識しているらしく、傷付けてはならぬ保護の対象と見ているようだ。
それを理解して、魔王の嘲笑は深くなる。これはまことによい勘違いをしてくれたものだ。
しばらく魔王と並走していたカツヤが、奇声を発した。どうしようもないことを振り払うかのようにだ。
その奇声に、魔王がやや怯んだ。その響きに、なんと言えばよいのか……開き直りともとれるようなタガの外れたものを感じたからだ。
「傷付けたらゴメン! でも、そいつを逃がすわけにはいかないんだ!」
「てめえ!」
それが、自分ではなくルルに向けての言葉であることを魔王は理解した。そして、奇声を聞いた瞬間に感じたおぼろげな不安が輪郭を持つ。
カツヤが、斬りかかってくる。
こいつ――キレやがった。
迷いに迷ったが、とうとう魔王を逃がさないという大目的のためにルルを危険にさらす決断をしたのだ。
「くそ、この!」
魔王は焦ってカツヤの攻撃を防いだが、さらなる焦燥感が襲ってきた。
「絶対逃がすな! 騎兵で先を塞げ!」
不意に耳に入ってきたそんな声のせいだ。乱戦の喧騒の中で、それだけが妙にはっきりと聞こえた。それをやられたら困る、という内容を聴覚が過敏に拾ったのだ。
このままこいつの相手をしていては逃げ道が塞がれる。
しかし、忌々しいことに、やはりこのガキは軽くあしらうのは不可能なぐらいには強いのだ。
いつまでもこいつに追いすがられて、攻撃を防ぐために速度を落としていては騎兵に先行される。
こいつだけは、倒さねばならない。どう考えても、やはりそれだけはやっておかないと逃げ切ることができない、という結論が眼前に立ち塞がる。
厄介なのが、もう一人のやたらと防御が上手い奴だ。危なくなると、こいつが横から手出ししてくるせいで、何度も何度も殺ったというところを邪魔されている。
こいつを、なんとか一撃で倒せればよいのだが、それができたら苦労はしていない。
「お師匠……お師匠……うう……」
必死に考えていると、ルルの泣き声が聞こえてくる。気が散ることこの上ない、てめえわざと邪魔してんのかと思いたくなる。
大体、奴隷の割には優しくしてもらったからって、いつまでもあんなジジィに執着することはないではないか。自分の、いい暮らしをさせてやるぞという優しい言葉も無視しやがって――
ここまでルルが主人であり師匠である老人に依存しているとは思わなかった。
こいつ、この調子だと後でどんなにアレはしょうがなかったのだと言い聞かせても、自分のことを師匠を見捨てたと恨むんじゃねえだろうな。
こんな奴、無理に連れてくるんじゃなかったかな――
果たして、それはどちらが先だったのか。
先に、その方法を閃いて、それをやるためにルルを捨てる理由を見つけたのか。
それとも、ルルが鬱陶しくなってきて、そこでその方法を思い付いたのか。
同時に様々な思考と感情を処理しているうちに、魔王本人にも、どちらが先なのかわからなくなっていた。
だが、とにかく、その方法を採ることにした。それぐらいしか、この状況を打開する手段が思い付かなかったのだ。
右手の鑓を左手に持ち替えて、ルルの顔を右手で掴んだ。それをカツヤに向ける。
「い、痛い!」
ルルは悲鳴を上げたがおかまいなしだ。魔王様が優しくしてやるのは終わったのだ。
「なにを!?」
「おら、放してやるぜ!」
少女を、向かってくるカツヤに投げつけた。
カツヤは、完全に意表を衝かれて振り上げた剣を下げ、飛んでくるルルのことを抱きとめた。
そこへ、魔王の鑓が横薙ぎに襲いかかってくる。
カツヤは呻きながら、鑓が向かってくる方に背中を向けてルルを庇った。
最初のうち、ルルを傷付けるかもしれないと攻撃を躊躇っていたことから予想した通りのクソ甘い行動だ。
鑓に叩かれて、カツヤはふっ飛び、地を打ち、土煙を立てながら転がって行った。ゴロゴロと転がった先でルルを手放してしまったために、彼女もそこから少し転がっていってしまった。
「こ、この野郎っ!」
魔王である。悪いのである。そんな奴だから、そんぐらいのことしてもおかしくないと心のどこかで納得しつつも、それはそれ、恵一は全身が沸騰するような憤りに叫んだ。




