魔王の砦へ
十人の兵たちは、砦を出ようかどうしようかと決断しかねている間も、周囲の警戒は怠っていなかった。
ある日、五百人を超える集団が近付いてくるのに彼らは気付いた。
どうするか?
その議論は、一瞬で決した。再び砦を放棄して逃げ出す以外に無い。
せっかく取り戻した砦を放棄するのに忸怩たる思いが沸くのはどうしようもないが、二十人とか三十人ぐらいならば奇襲でどうにかなるかもしれぬが、五百では打つ手が無い。
しかし、なんだって今更この砦に戻ってきたのだ、という疑問はあり、離れた所から観察していると整然とした様子ではなく、疲労した身を引きずるような行軍である。
きっと、伯爵の軍に散々に叩かれて逃げてきたのだ――
と、希望に満ちた観測を言い合って、彼らは大いに喜んだ。
数が減り、弱体化しているのならばこんな所に逃げ込んできたのも納得がいく。
守っている者たちから見ても、それほど重要な場所にあるわけでもなく、それほど大きくも堅牢でもない砦だが、それだからこそ身を潜めるのに選ばれたのだろう。
見張っていると、時々、数人の人間が夜間や早朝に砦を出ていくのが散見された。
偵察か、或いはどこか別の所にいる味方のところへ連絡をつけに行っているのか、とも思ったが、それにしてはコソコソと人目を忍んでいる様子だ。
脱走兵か――
と、彼らは結論に達した。
伯爵の軍と交戦して敗れ、頭の自称魔王を見限った者が逃げているのだ。
それを理解すると、即座に彼らの頭に浮かんだのは、なんとかこれを捕らえて状況を聞き出したい、という思いだった。
なにしろ、こちらは十人しかいない。
慎重に好機の到来を待ち、やがて二人だけという少人数で、その上に彼らが潜む方向に逃げて来る連中を発見した。
後ろを振り返り振り返りしつつ、森の中に入ってほっと一息ついたその連中は、すぐに包囲されていることに気付いて愕然とした。
「いや、違う。逃げるつもりじゃなかったんだ」
恐怖も顕わに言い訳を始めるのを見て、兵士たちは目配せし合った。
「見逃して……い、いや、お前らも一緒に逃げよう!」
「そ、そうだ! お前らだってこのまま着いてったっていいことねえぞ」
「魔王だなんて言って……そりゃあ、凄い強さなのは認めるさ。実際にこの目で見てもいるしよ」
「もしかしたら、この人は本当に人間を超えた存在で、伯爵はもちろん王も他の貴族も倒して、自分の国を建てるかもしんねえ、って思ったさ。お前らも、そうだろ?」
「そ、それなのによ。伯爵と親衛隊にあんな大怪我負わされてよ。か、勝ったって言っても伯爵と親衛隊が二……三十人ぐらいか? そ、そりゃそれを一人で倒しちまうんだから強えんだろうけどよ」
「強えにゃ強えけど、そんな人間を超越した、魔王なんていう、そこまで大層なもんじゃねえ。すぐに他の軍隊がわんさかやってきてよ、皆殺しにされちまうよ」
「な! だから、お前らもここで踏ん張ったってもういい目にゃ遭えねえよ。おれらと一緒に逃げようぜ!」
二人の脱走兵は、まくし立てた。命がかかっているだから必死である。
二人の言葉の断片を耳で拾って、兵士たちはいくつかの容易ならぬ事柄を察していた。
「伯爵と親衛隊が倒されただと!? どういうことだ」
「伯爵は、御無事なのか?」
「まさか、伯爵が敗れるなどと……」
口々に飛び交う言葉の断片を耳にして、二人の男にもまた察するところがあった。
必死な中にも、もしかしたら助かるかも、という希望が漂っていた表情は、再び恐怖のみとなっていた。
「あ、あんたら……もしや」
その声に、兵士たちは言い合いを止めて頷き合った。
こいつらに聞けばいいことだ、と至極簡単なことを思ったのだ。
「聞かせてもらおうか、何があったのか……」
兵士たちは、二人の男への尋問を開始した。
命を助けてくれるならば全て話す、と男たちは必死に一縷の望みを繋ごうとしたが、そんな要求できる立場かこのボケとばかりに拷問を加えられて即白状した。
なにしろ、圧倒的な兵力差に押し潰されるように砦を落とされた恨みがある上に、相手は残虐非道の振る舞いをしていた賊徒であり、伯爵についてなんとしても情報が欲しいという熱望もあり、その責めには全く容赦が無かった。
男たちは、遂には生きることなぞ諦めて、延々苦しめられて死ぬか、楽に死ぬか以外の選択肢が頭から無くなり、率直に全てを話してあっさり殺して貰うことにした。
だが、その望みは叶えられなかった。全てを話し、どうせ殺すなら楽に死なせてくれと言った時には、兵士たちは伯爵の死というあまりにも衝撃的な大悲報に錯乱しており、それが少しなりとも収まった時には、二人の男を報復のためになぶり殺す以外の考えなど無くなっていたのである。
悲しみと怒りに任せて二人を惨殺した兵士たちだが、そこでようやく冷静になって彼方の砦を見やった。
あそこに、伯爵の仇である魔王とやらが重傷の身を潜めている。
「監視を続けよう」
と、衆議一致して以前よりも熱心に、砦を見張っていた。
そして、放たれた軽騎兵がここにもやってきた。
砦を見張るために森の中で野営していた兵士たちはボロボロの、それこそ正規兵か山賊か見分けのつきかねる風体になっていたが、さすがに怪しんだ軽騎兵の幾つかの質問に答えて信用を得ると、砦を指差し、あそこに賊徒の首領が潜んでいるようですと興奮を押さえ切れぬ様子で言った。
それを聞いて、軽騎兵も興奮した。
引き続き砦を監視するように依頼して、トゥーロットへと急行した。
「見つけたか!」
無論、オーレンの喜んだことは言うまでもない。
そのことが伝わると、さあ仇討ちだ、弔い合戦だと士気も一挙に盛り上がった。
「先行せよ」
オーレンは進言を受けて、騎兵を三十騎ほど送り出した。
見つけたのはいいが、到着する前に場所を変えられると厄介である。
十人ばかりの歩兵が監視を続けているが、それだけでは心許ないので、騎兵を行かせて監視に加わらせるのだ。
「人数は、やはり五百前後か……」
その少なさに安堵しつつも、アレンからの忠告も決して忘れてはいない。
砦からコソコソと出て行った連中も、全てが脱走というわけではなく、その中に背後にいる他国などの勢力への使者がいないとは断定できないのだ。
明日早朝、出陣――
その命令が行き届くまでもなく、どうやら賊が見つかったらしいぞという情報が流れた時点でそれあることを予想して、既に準備に余念が無い。
剣を磨き、鎧を点検し、馬の様子を見る――そんな兵士たちの風景とは別に、これまでは見られなかった荷を満載した荷車が用意されていた。
ここに来るまで、健在な街を辿るようにやってきた。
食料や寝床のことを考えてのことであったが、ここから先は大きな街などは焼け跡になっていて、これまでのように夜になったら街に入って飯を食ってぐっすり休む、などということは望めない。
軽騎兵が報じてきた砦に達するには、おそらく数日かかるはずで、その間の兵糧は持参していくしかなく、輜重の必要が生じているわけである。
「ほう、ガスパー殿が……」
アレンは、トゥーロットに着く前にそれをオーレンに進言し、その手配も受け持っているのがガスパーであると漏れ聞いて、嘆声を放った。
やはり、ガスパーはできる人物らしい。
目立たぬようにしてはいるが、嫌でもその活躍は人々の目に止まり、今では半ば公然と伯爵の縁者で優秀な人物だと語られるようになっていた。
それでいて、相変わらず腰は低いのでオーレンには気軽に言いかねることをとりあえずガスパー様に相談してみようという具合に、色々な話が持ち込まれているようであり、隠然とした力を持ち始めていた。
大丈夫かな?
と、アレンは先走り過ぎを自覚しつつも思った。
ガスパーに力がつき過ぎたら、どうなるのか。
今のところ、オーレンは彼を信頼しきっていて、家臣として扱いつつも時折、年長者として立てているが、彼が自分を凌駕しそうになった時、心穏やかではいられまい。
おそらく心を開いたきっかけであろう血縁者であるということが、その時には自分に取って代わる有資格者という恐怖に変わる。
その辺りのことを見越しての、ガスパーの決して驕らぬ態度なのであろう。さすがに濁水を飲んできただけあって、そこはわかっているに違いない。
ガスパーは、どこまで行くつもりなのか。
伯爵の身内でありながら世の辛酸を舐めて生きてきた身が、伯爵家に帰参がかない、伯爵にも信頼され、辣腕を振るって栄達する――それで満足するのか、それともそこで満足せずにもう一段もう一段と階梯を上げ続けることを求め、遂には自らが伯爵にならんと欲するのか。
個人的に興味はあったが、先のことだ。
それに、そのことが表面化する頃には、どうせアレンはその場にはいないだろう。
予定通り、翌早朝出立した。
いよいよか……と恵一は思いつつも、どこか気分に乗れぬものがあった。
今回の軍旅に加わったことで、幾つかの収獲はあった。
収獲、というにはあまりよい材料ではないものばかり、というのが頭の痛いところである。
自分をこの世界に召喚した者が確実に存在する、というのはわかったし、その関係者である少女と出会い、彼女の顔はしっかりと覚えた。
しかし、その少女から得られたのは、ただいま討伐に向かっている魔王とは別に、魔王が存在するらしいといううんざりするような情報である。
それが最後とも限らず、いったい魔王などという大層なもんが何人存在するのか。
しかも、それを倒したら元の世界に戻してくれるのかといえば、そこに関しては望み薄である。できるなら、恵一を奮起させるために約束するだろうから、本当にできないのだろう。
――むしろ、魔王とやらに話を聞きたいな。
思ったのは、そのことである。少女たちが、魔王に対抗するための手駒として異世界の住人を強制召喚しくさっているのだから、魔王にとっては明確な敵であり、魔王ともあらば敵の情報を何か掴んでいるかもしれない。
魔王に、あなたを倒すつもりなんかないんで元の世界に戻してくれ、と頼んだら、聞き入れてくれるんじゃないか――
なんてことを、思ったりもする。それなら、それで、と思いかけたりもして首を振る。
そこは、もう、この世界にというか正確にはここに住む人々の中に、幾人も不幸になって欲しくない存在ができており、世界が魔王に蹂躙されることがわかりきった状態で元の世界に帰ることに抵抗がある。
「へえー、すげえなあ」
楽しそうな、ケイトの声が聞こえてきた。
行軍に際して、当然のことながらこれまで以上の強行軍を覚悟していたのだが、意外にも緩やかに……とは言わぬものの、ごくごく普通のそれこそ話をしながらでもできるような速度しか求められていなかった。
不思議に思ったが、既に賊徒の居場所を掴んで監視している以上、移動されても追尾して所在は知ることができるのだから、疲労を蓄積させずに往くべしという進言をオーレンが容れたのだ。
そして、そのようなオーレンの逸る気持ちに逆らうような進言を容れさせることができるのは、ガスパーだけであった。
「えー、ホントにレベル30?」
素直に感心しているケイトと違い、リーンは懐疑的な声を上げる。
レベル30、というとかなりの強さだ。王女の護衛であるイリアよりも高レベルなのだから相当なものだろう。
ケイトとリーンが会話している青年がおり、話の流れからすると彼がレベル30ということらしい。
恵一よりも少し幼く見えるぐらいだから、歳が行っていたとしても十代後半……せいぜい二十歳だろう。
その歳でレベル30とは、感心されたり、疑われたりするのもおかしくない。
だが、そういうこととは全く別の理由で、恵一は目を逸らしていた。
「俺は、魔王を倒すために選ばれたんだ」
得意そうに、青年が言う声が耳に入ってくる。思い上がりと言われてもしょうがないような発言であるが、あの若さでそれほどのレベルにあれば、多少の思い上がりもするだろうなとも思う。
「はいはい、調子に乗らない」
ぺしっ、と青年の頭がいい音を立てた。
「いってえなあ、あにすんだよ」
「調子に乗ってるから修正してあげたの」
「別に調子になんか乗ってねえよ、実際……」
「はいはい、いつもの話ね」
小馬鹿にして受け流すような言い方に、青年はむっとして言葉を切る。
恵一は、ちらりと一瞥してまた目を逸らした。
青年と、そして彼の頭を叩いて言い合いになっている女性。
この二人に見覚えがあった。
「セレナだって、俺が強いの知ってるだろ」
口を尖らせて、青年が再び口を開く。
あの女性は、セレナという名前らしい。そして――
「カツヤが強いのは知ってるけどね」
そうだ。あの青年の方はカツヤだ。
アンバースで、例の少女を追い掛けていた時に出くわして、追跡を断念させてくれた二人組だ。
彼らにとっては、恵一は少女を見初めて嫌がられているのにしつこく追い回していた男であり、決して印象はよくないだろう。
そこで、目を逸らしたわけだが、二人とも言い合いに没頭していて周囲を気にしてはいない。
「下手に強いから、心配だって言ってんの。強くて調子に乗って突出して袋叩き、そんなの戦場じゃ珍しい話じゃないんだからね。ていうか、強い奴がやられるのって大体このパターンよ」
女性――セレナは、眉間に皺を寄せていった。その声音からは、彼を案じている憂色が感じられたが、案じられているカツヤはどうにも不満らしい。
「ケイト、ケイト、あれは?」
そっと、ケイトの袖を引っ張って聞いてみる。
「ん? ああ、なんかアンバースで義勇兵として加わったんだと。嘘かホントか知らんけどあっちの奴、レベル30だってよ、十五歳でだぜ」
「女の人の方は?」
「さあ? 姉ちゃんかなんかじゃねえの」
見た目で彼よりも年上であろうし、やり取りからも、どちらかというと彼女の方が上に立っている感じはする。
行軍中も、頻繁に軽騎兵の出入りがあった。
砦を監視している部隊からの報告である。
既に発見されているとは思いもよらぬらしく、賊どもに動く気配は全く無い。
さらには、どこかからまとまった数の軍隊が現れて合流するということもなさそうであるというのが、オーレンを安堵させた。
その報告はアレンも聞いて、どうやら他国が背後にいるという線は無さそうかなと思った。或いは、見捨てられたのかもしれぬが。
その辺りのことを追及するべく、何人か捕虜をとるべきだということはオーレンに進言しておいた。なにしろどの兵も復讐心に燃えているので皆殺しにしかねない。
三日ほど野営を重ねて行軍すると、いよいよ砦が近くなってきたので、主立った者を集めての軍議が開かれた。
「アレン殿の部隊は、ここで少しお待ちを」
と、地図上をガスパーが指し示して言った。
砦からやや距離をとったところでアレンの部隊が待機している間に、他の部隊は同じく砦からはある程度の距離をたもったままに進軍、砦の四方に達したところで同時に進み、包囲する。
十分な距離はとっているが、砦からの偵察が出てこないとも限らないので警戒は怠らない。発見され、兵力が五百程度と看破されれば砦から出撃して各個撃破に動く可能性があるからだ。
エスティア伯からは、トゥーロットに到着した旨の連絡が来ており後顧の憂いは無い。もっとも、骨を拾われるつもりはなく、勝利するつもりだ。
敵の兵力は五百から増えていない。それどころか脱走を考えればさらに減っている。
だが、ファルクの話に聞いた魔王の強さというのを計算に入れると、当然油断するわけにはいかない。
やがて、オーレンから全ての部隊が配置についたので砦に向かって前進されたしという連絡が来た。
寸秒違わず同時に、というのは無理な話だが、伝令が到着するまでの時間を計算し、できるだけ時間差を少なく各部隊が動き出すように手配してあった。
遠望できる狼煙のような伝達方法が使えればよいのだが、当然そのようなことをすれば砦の者に察知されてしまうので除外されたのだ。
手筈通りに、部隊が動き始める。
その中にあって、恵一はリーンに突っつかれるようにしてけっこう前の方に出て来てしまっていた。
リーンは、前の方――というか、なんだったら先頭に立って突っ込む気満々である。
一応、隊長――そういえばそうだった――の恵一を先頭に立てるつもりのようで、彼女はすぐ後ろにいる。
少し離れたところに、やはりやる気満々な様子で歩んでいるのはカツヤである。こちらは後ろのセレナが前に出過ぎるなとか窘めている。
さっさと行かなきゃ後ろから蹴り飛ばす勢いのリーンに背中を睨まれている恵一としては、少々羨ましく思ったりもしたが、カツヤは、そんなセレナの声が聞こえているのかいないのか。どう見ても目の前に迫った戦闘に心を持ってかれているようだ。
「ほら、ケーイチ」
色んな思いが歩き方に出たのか、リーンがしゃっきりせんかボケとでも言いたげに背中を叩いてくる。
「ああ、大丈夫さ」
リーンを刺激しないために、せいぜい頼もしげに応えたものの、内心では魔王に話が聞きたいけど、そんなん無理だよなあ、と思っていた。
例え、物凄い奇跡が起こって魔王と会話を交わす機会があったとしても、周りにこれだけの人間がいるのだ。あいつは魔王となんか話してた、ということになったら吊るし上げられて、吊るされてしまうに違いない。
そうなったら、自分と交流のあった人々にも迷惑が及ぶかもしれない。ていうか、確実に及ぶ。
「ほら!」
ばしん、とまた背中に衝撃。また、覇気の無い歩き方になっていたようだ。
「だいぶ、よくなりましたな」
老人のその声に、返事はない。
「引き続き、頼むぞ」
その声に対しては、はい、という、か細い声が返って来た。
老人が部屋を出ていくのを、一人の少女が頭を下げて見送った。
石造りのそれほど大きくはない部屋である。
少女は、年齢がよくわからない風貌をしていた。
身長は低く、体つきは貧弱で、あどけない顔付きから幼いのだろうという見当はつくのだが、表情に妙に大人びたところがある。
見る人間によっては、実年齢は幼いといってよい歳だが、かなり苦労をしてきたのだろうなと看破しただろう。
「水」
声がして、それに反応して少女は座っていた椅子から立ち上がり部屋の隅に置いてあって壺の蓋を開け、そこから器に水を移し、それをベッドの傍らにまで持っていき、膝をつき、両手で掲げて、まるで捧げるようにした。
ベッドには、一人の男が横たわっており、無造作に器を受け取り、水を飲み干して無造作に少女の目の前に突き出した。
少女は、その器を再び恭しく受け取った。
男は、不機嫌そうに黙りこくっている。
長い沈黙が続いたが、不意に少女が、か細い声で言った。
「申し訳ありません……」
「あ? なんだって?」
男は、少女が自分から話し出すということを全く考えていなかったらしく、面食らったように返した。
「申し訳ありません……」
「あ? なにが?」
少女は、当たり前のように申し訳なさそうにしているが、男の方にはそのようなことを言われる心当たりが無いようだ。
「私の治癒がもっと上手ければ、今頃御快復されていたでしょうに……」
「は? お前、そんなん気にしてたのか」
そういうことを気にするような存在だとは、思っていなかった。いや、実のところ感情らしい感情が無いと、男はこの少女について認識していた。
「ずっと御不快のようでしたので……」
「別に、お前に怒ってんじゃねえよ。……むしろ、お前はよくやってくれてるよ」
男の言葉が、少女にはとてつもなく意外だったようだ。
「怒ってんのは、あのジジィにだよ」
吐き捨てるように、男は言った。
「お師匠は……」
少女は、困った顔をして言った。男が吐き捨てたジジィことお師匠のことを多少なりとも弁護したそうだが、男の剣幕を恐れて口にできないらしい。
「ったく、なにが魔王だ。なにが世界を支配できる、だ」
魔王――支配――
男は、それらの言葉を、また吐き捨てるように言った。




