脱落
一夜明けて、街にはどうやらウィレス様も重い腰を上げて出陣なさるらしい、という話が流れて、すっかり仇討ちムードである。
ウィレス様が行かないのならばオーレン様に従って往こう、と考えていた者の中にはそれならばウィレス様の指図を仰ごうか、という者も多いが、やはり嫌々なのがどうしても透けて見えるウィレスのことは完全に見限ってオーレン様の下に、という者も決して少なくはない。
そんな中、昼頃にアンリッドへやっていた者の一人が帰還してきた。
「予定通り、今朝出陣しました」
それを見届けてから、一報すべく急行してきたのである。
夜には、オーレンとその軍は順調に行軍を続け、これまた予定通りに城館に一泊することを告げる者が到着した。
速報するためにそこまで見届けてはいなかったが、おそらく主亡き城にてその仇討ちの誓いを新たにして士気を盛り上げていることだろう。
ウィレスの側近がやってきたのは、夜も遅くなってからである。
他にも仲間を何人か伴っていた。
「これはこれは……」
明日から、ウィレスの部隊とオーレンの部隊と、そしてアレンの部隊の三つの部隊がともに一つ目的に向かって進むことになる。
何かと反目が予想される前二者をアレンが仲介したり緩衝材になったりするであろうことは容易に想像できるので、その時はよしなにという用向きかとアレンは思った。
よしなに、と言われても仲介者たらんとすれば片方に肩入れは御法度であるから、困ったなというのが正直なところだ。
「我らが、兵をまとめて出陣することになりましたので……」
「そうですか」
ウィレスは、神輿であるから実際の指揮などは側近が行う。ここにいる連中がそうなのかと思ったのだが、なんだか様子がおかしい。
「ウィレス殿は、出陣なさるのですよね?」
不意に、妙な不安に囚われて、わざわざ聞かないでもいいことを質してしまった。
もちろんです、という返事は無く、歯切れの悪い言葉の羅列が返ってきた。
「まさか、今になって出陣しないというわけではありますまいな?」
側近たちは顔を見合わせる。即答が無いことで、察することができた。
問い詰めると、最初はぽつぽつと、やがてアレンの相槌に覆いかぶせるように彼らは話し始めた。
ずっと部屋にこもっているウィレスに、そろそろ出陣の打ち合わせをとドア越しに呼び掛けたのが夕刻頃のことである。
いくら神輿と言えども、あまりにも担がれるままなのが丸わかりでも困るのだ。
オーレンと、少しばかりは言葉のやり取りもしないといけないだろう。
言われたことに当意即妙に対応して……などというのが不可能なのはわかっているので最低限、これだけはという仕込みをしたいのだが、なかなか出てこない。
やはり一筋縄ではいかんなあ、と呆れた顔を見合わせつつ、その時はまだウィレスが多少むずがっている、程度の認識であった。
それが、いよいよ夜も更けてきたのに、反応が無い。
いい加減に、何事かあったのではないかと思い、ドアを乱打しつつ、お付きの者の名を呼んだ。
三人ばかり、お気に入りの者がどこにもおらず、部屋の中にいるだろうと思われたからだ。
それへも無しのつぶてなので、いよいよドアを力ずくで破ることも検討し始めた頃、囁くような声が聞こえてきた。
分厚いドア越しなので、最初は全く聞こえなかったのだがなにやら声がすると誰かが気付き、静かに耳を澄ますと、確かに内側から声がする。
壁に耳を押し付けて会話を試みると、やはり睨んだ通り、三人のお付きが中にいた。
なぜ呼び掛けに応じなかったと詰れば、ウィレスに絶対に対応するなと命じられていたのだと弁解した。
ウィレスは、つい先ほど眠ってしまい、高官たちの必死の呼びかけを無視し続けることを命令とは言え心苦しく思っていた彼らは、ウィレスを起こさぬよう小声でコンタクトをとってきた、ということらしい。
「まあ、とにかく開けよ」
と、当然のことながら命じたが、拒絶された。
呼び掛けに応ずるな、という命には反した彼らだが、さすがにドアを開くことはできないと頑ななのだ。
「お前らもわかっておるだろうが、明日にもオーレン様が軍を率いてやってくるのだぞ」
呆れ返って、言ったが、彼らの態度を変えることはできない。
「忠義のつもりだろうが、却って不忠の行いだぞ。よく考えよ」
懇々と説いてもみたが、芳しくない。
三人とも、はっきり言って主体性に乏しく、ウィレスの命令に盲従するところがあり、むしろそういうところが気に入られている連中なのだ。
「結局、何がお気に入らぬのだ」
何が、と言えば今日起こった全てのことが気に入らぬのだろうが、特に不興を買っている部分だけでも修正することでなんとか御機嫌をとれないかと尋ねた。
だが、返ってきたのは彼らの認識がなお甘かったということを知らしめる言葉だった。
「ウィレス様は……出陣するおつもりはありません」
「は?」
さすがに、出陣することは仕方なしと納得しているものと思っていたところへ、強烈な鉄槌を喰らったようなものだ。
「いや、先程は、出陣すると仰せであったぞ」
確かに、ウィレスは言った。
決死の諫言と、決断せねば一歩も通さぬと行く手を阻んでの上であったが、確かに、出陣すると言ったのだ。
「それは……」
と、困ったような声が返ってきた。彼らとしては、ウィレス様は出陣しないとおっしゃっている、としか言いようがないのだろう。
さすがに、全員が、先程のウィレスの出陣するという言辞がその場しのぎの嘘だったことは悟っていたが、それを口に出すのを恐れるような不思議な雰囲気が漂っていた。
それをはっきりと言葉にして、皆で認識してしまうことを怖がっていた。
各人に、濃淡の差はあれど、ここまで推してきたからには、オーレンよりもウィレスの方が優れている――或いはマシであると思い、オーレンと比べて臣下に対して過酷ではなく、痛みを与えるようなことを嫌う素朴な優しさもお持ちである、と評価もしてきた。
それが、この有様である。
なるほど、確かに先程は、ウィレスにしてみれば強引に言わされたと主張したいところだろうが、側近たちとしてはウィレスのためを思っての諫言であり、それが容れられたことに喜びも感じていたのだ。
塵芥ほどにも私心無し、とは言わぬ。
ウィレスを推して、これが伯爵となれば多少のいい目も見させてもらえるだろうという打算はやはりある。
だが、それでも裾を掴んでの、行く手に立ちはだかっての懇願に似た諫言は、少なからぬ忠心からのものだと彼らは自負していたし、それを裏切られては心穏やかではいられない。
「ドアを、破るか……」
強硬手段だが、それを言う声は、弱々しかった。
それに賛同が得られぬと、言った者も口を噤んだ。
ドアを破って、ウィレスを叩き起こし、厳しく叱りつけてやるべきか――
或いは、不興を買うことも構わずに、そこまでやったらそれこそ本当の忠義というものかもしれぬ。
だが、はっきり言って、彼らはそこまでやる気にはなれなかった。
この期に及んで虚言を弄して出陣を拒むウィレスに失望していたし、そこまでやる気の無いウィレスを例え引きずり出して連れて行ったところで、どうしても覆い難い醜態をさらしてしまうのは避けられるものではない。
さらには根本的なところで、もうこの人は駄目だ、と思い知ってしまっていた。
オーレンに比べて、とかそういう問題ではない。
王の信頼篤い、王国の軍事の要、武勇の名高きヴェスカウ伯爵家――
その誇り高い、彼らとて、そこに属していることに大なり小なり誇りを持っているヴェスカウ伯爵家の当主として、相応しくない人だ、と心の底から思ってしまったのだ。
薄々とは思っていたことではあるが、とうとう、眼前にそれを押し付けられるような事態に遭って、彼らの中の何かが切れた。
「おそらく、このままウィレス様は出陣なさいますまい。我らは独自にオーレン様に着いて行こうと思います」
話を、そう締めくくった側近――元側近と言うべきか――たちを見て、アレンとしてはさすがにかける言葉が見つからなかった。
側近と呼ばれる位置にいた以上、彼らは皆、それなりの高官であり、下っ端連中と違ってオーレンが伯爵となったら、ウィレスを推していたことから冷や飯喰わされる可能性は高い。
それを承知の上で、いや、それを少しでもマシなものにするために、進んでオーレンの下につこうというのだ。
忸怩たる思いは溢れんばかりに心中渦巻いているであろうし、明日のことを考えれば憂欝でもあろう。
「伯爵の仇討ちはしなければなりません。我らとて、それは伯の死後ずっと思い続けていたこと、戦うことは本望です」
暗に、ウィレスがやる気ねえからそれに付き合っていただけだ、と弁解しているように聞こえぬこともないが、本心は本心なのだろう。
「……それと、ウィレス様の扱いのこともあります」
オーレンが伯爵になれば、長男であり兄であるウィレスは、自分が失態を犯せばいつでも取って代わり得る存在で、大きな不安要素である。
古来、そういう存在に常に付きまとうのが謀殺の危険だ。
「いささかの功績を立てれば、オーレン様も穏当にお取り扱いなさるはず。……元々、野心のある人ではないのです……」
その言葉からは、彼らの幾つかの心情が読み取れる。
ウィレスに呆れ果て見捨てた形になっているものの、完全に見放したわけではなく、できればささやかに権力とは縁遠く暮らして欲しい、という希望だ。
その根底には、そういう人を担ぎ上げてしまった自分たちの不明を恥じる心情がある。
伯爵の存命中には、彼らとて本気でウィレスのことを、オーレンには無い美点を持つ立派な後継候補だと信じて擁立していたのだから、そこまで恥じることは無いだろうとアレンなどは思うのだが、今回のあまりのウィレスの体たらくに、彼の人物に失望するとともに、それを見抜けなかった自らの不甲斐なさを痛感せずにはいられないのだろう。
「まあ、そのことは、私からもオーレン殿には願ってみましょう」
と、アレンがついついそんな深入りじみたことを口走ってしまったのは、色々と欠点もあるのだろうが決して恥を知らぬ者ではない彼らに一抹の好意を抱いたからだ。
「……むしろ、今回のことで却ってそれは上手くいくかもしれません」
ウィレスは、徹底的に腰の抜けた振る舞いで人々の失望を買って評価がどん底まで落ちてしまうであろうが、逆に、そのことがオーレンを安心させ、一応腹違いとはいえ兄貴なのだから、命まで取らんでもよかろうと思わせるのに効果的かもしれない。
はっきりと言明するのを避けたアレンの遠回しな物言いを、側近たちは咀嚼し飲み下して理解するのにやや時間がかかったが、やがて、確かにそうだというように少し表情を明るくして頷き合った。
それでは明日からよろしくと挨拶して彼らが辞去すると、アレンは疲労感から大きく溜め息をついた。
「まあ、これでよかったのかもしれませぬな」
家臣の一人が言うのに、他の者も賛意を示して頷いた。
下手に指揮系統が二本できるよりも、ウィレスが思い切り醜態をさらして後継者レースから脱落し、オーレンが衆望を集めて彼の元に一本化がなされる方がどう考えても戦いにはよいに決まっている。
そこへ、家臣が取り次いできた。
こんな時間に、なおも新たな訪問者かと奇異に思ったが、話を聞いてみるとなんということはない。
「ああ、そうか」
東門で通せんぼを喰らっていたオーレンの家臣が書状を持ってやってきたというのだ。
おそらくは、側近たちがオーレンの指揮下で出陣しようと決めたと同時に、警備兵たちに彼の解放を命じたのだろう。
どうやら、夜通し槍襖に囲まれていたらしい男は、憔悴しきった――しかし任務を達成できた喜びにも彩られた顔でアレンにオーレンよりの書状を手渡した。
内容は、もはや予想はついていた通りのことだ。
近いうちに軍を率いて父の仇討ちのためにトゥーロットに向かうが、その前にアンバースへ寄っていくので、願わくば未熟不才の身で父を倒した大敵に挑むのを憐れんで力を貸して欲しい、という。
「承知した」
というアレンの言葉に、男は感極まって目を潤ませ、すぐさま復命のために発とうとした。
逸早く復命を、という気持ちはわかるし、その真面目さを好もしくも思ったが、だからこそオーレンの軍は今晩は城館に泊まっているから少しここで眠ってから行けと部屋を用意させた。
男も、さすがに気持ちは行けても体力が着いてこないことを自ら悟ったか、好意を感謝しつつ夜明けと同時に起こして欲しいと頼んでからベッドに潜り込み、あっという間に寝てしまった。
「よし、我らも休もう」
鋭気を養うべく、アレンたちもそれぞれ床に入った。
翌朝、興奮と使命感のせいか、まだ薄暗いうちに目を覚ました男は、復命のために出発した。
入れ替わるように、アレンの部下が帰ってきて復命する。オーレンとその軍は予定通りに今朝出立、こちらに向かっている。
「よろしい」
アレンは頷いた後に少し考え、人を官邸へとやった。
ウィレスの様子を探りに行かせたのである。
さすがに、オーレンに会って激励の一つでもしてやるつもりなのかどうか。彼はひたすらに戦争を恐れているのだから、自分の代わりに往ってくれる弟に対して少しは感謝の念があるのではないか。
どうしようもない人物だが、そういう類のお人好しさはあるのではないか、というのがアレンの観測であった。
だが、実際のところウィレスは完全に自室に立て籠ってだんまりを決め込んでいたのでやってくるオーレンに対してどのような対応をするつもりなのか全く見えぬ。
側近というか元側近たちも、一晩明けて一応声をかけてみたそうなのだが、無反応なのでそれならもう本格的に知らんわとばかりに自分たちの準備に取り掛かっており、もはや官邸内においてもウィレスのことを気にかける人物はほとんどいない状態である。
そういうことなら、自分が気にかける必要もないなと思ったアレンは、完全にいないものとして扱うことにした。
昼頃に、オーレンとその軍の到着を告げる先触れが、とうとう門前に現れた。
待ってましたとばかりに、内側から門が開かれた。従軍しようとする兵士たちが大勢で押し掛けたために、門番たちもこれに抗することができなかったし、そもそもあまり抵抗する気も無かった。
やがて、地平線にぽつぽつと人の頭らしき突起が浮かび上がり、軍勢が姿を現した。
「ほお」
軍の先頭集団の中にいたオーレンは、報告を受けて嘆声を発した。
最初は、人を城壁前にやって開門を要請し、おそらく容れられぬであろうから仇討ちに往くことを伝えて我と思わん者は着いてこいと呼び掛けて、それに応えた兵士たちを自軍に加えて往くつもりだったのだ。
既に、門は全開になって、従軍を願う兵士たちが外に出て待っている、という予想よりも遥かに超える歓迎ムードに気をよくしたオーレンは、すぐさまアンバースへ入ろうとしたが、そこは側近が止めた。
「罠かもしれませぬ」
そうやって、オーレンが先頭きってやってくれば、これを殺すつもりではないか。
この辺り、まだまだあの恐ろしい怪物――疑心暗鬼が健在であった。
だが、兵士たち全てがその企みに参画しているとも思えず、多くの者は素直にオーレンを歓迎して指揮下に入ろうとしているのであろうから、あまり警戒感を顕わにするのも彼らを不快にさせてしまうだろう。
結果、数こそそれほど多くないが腕の立つ者でオーレンをがっちりと囲み、そのすぐ後に部隊を後続させ、不慮の事態に対応できるようにした。
熱烈な歓迎を受けつつ、オーレンは門を潜った。
「これは……」
と、オーレンも側近たちも自分たちの疑心暗鬼が馬鹿らしくなってきた。裏表があるようには思えぬ兵士や民たちの歓迎ぶりなのである。
そこへ、人がやってきて先頭の者に取り次ぎを依頼した。
内容は、幾人かの高官――ウィレス派の主立った者――がお目通りを願っているというものであった。
会ってみると、我らも伯爵の仇討ちに同行させてください、という申し出である。
ウィレスの消極的な姿勢に不満を持つ兵士が何百人か着いてくるだろう、という程度の目論見だったのだが、この面子が従軍してくるということは彼らの影響下にある兵士たちもそれに倣うはずで、一部どころか大部分の兵士が着いてくるということになる。
「……兄上も、来るのか?」
オーレンは、自分に有利とはいえ、あまりにも上手く行くのに多少不安になってしまってそう尋ねた。
こうまでアンバースが街全体で歓迎し、兵士の多くが出陣しようとしているのは、もしやウィレスがオーレンに対抗するために勇気を振り絞って出陣を決意し、それを宣言したからではないか、と思ったのだ。
伯爵死後のウィレスの様子から、可能性は低いとしながらもオーレンと側近たちが心配したのはウィレスが一念発起して立ち上がることである。
兄弟で協力して父の仇を討とう――と言われれば拒むことはできない。
まさか、そうなったのではないかと思ったのだ。それならば、下っ端の兵士や民衆が、いがみ合っていた兄弟が仲直りして父の仇を討つのはとてもいいことじゃないかと歓迎するのも納得がいくのだ。
「いえ……」
と、ウィレスの側近は暗さを隠しきれぬ顔と声音で言った。
「ふむ、そうか」
彼から、ウィレスの様子を聞いて、オーレンは無表情で頷いた。
内心では、そんな醜態を見せて側近にも見放された兄はもはや競争相手にはならぬと安堵し、大喜びなのだが、それが顔に出るのを努めて抑えたための表情である。
これならば、とようやくオーレンは肩の力が抜けた様子だった。
今やウィレスの影響は自室の中と数人の召使にしか及ばない状況である。
そこで、オーレンの側近が馬を寄せて彼に耳打ちした。
「うむ、そうだな」
頷いて、彼が求めたのは父との再会である。
ヴェスカウ伯爵の死体は、一時城館に戻ったが今はアンバースの地下に安置されているのだ。
名目としては、伯爵の正室であるウィレスの母の元に、ということなのだが、多少の政治的効果を見込んで、ウィレス派によってオーレンの預かり知らぬところで移動が行われたということもあり、昨日再会が叶わなかったことをオーレンは苦々しく感じていたのである。
そもそも、このように大手を振って街に入れるとは思っていなかったのだが、街全体がこの状態ならば、ということでそれを思い出した者が進言したというわけだ。
もちろん、誰一人拒む者なく、オーレンは官邸の地下にある部屋に通された。元々ひんやりとしたところなのだが、伯爵の死体の防腐のため、さらに冷却の魔術が施されているのでかなりの寒さだ。
さすがに、入室した瞬間にぶるっと震えたが、部屋の真ん中の台に安置されている首なしの死体を見るや、オーレンは寒さも忘れて走り寄り、すがりついて泣き出した。
悲嘆の様を人々に見せるのは政治的効果があるが、この場合はそのような考えとは無縁であった。
オーレンは、父には非常に可愛がられた記憶しかなく、厳しくも優しく、時に手取り足取り武術を教えてくれた師でもあり、様々な思惑や打算などが介在する余地の無い悲しさがあり、それが自然に漏れ出てしまっていた。
そこへ、ウィレスの母がやってきた。
オーレンは一瞬、迷ったふうだったが進んで膝をついて母親に対する礼をとった。
無論、この女性とオーレンとは血は繋がっていないが、正室である彼女にはそうされる資格があった。
母は、色々とオーレンに言葉をかけたが、肝心の彼女の血を分けた息子については何も触れなかった。
触れようがない、というのが正直なところだったろう。触れるとしたら、部屋に籠っているという話をするしかないのだ。
オーレンも、そこは敢えて触れず、父の仇討ちは必ず自分が成し遂げますので御安心をと頼もしげに請け合った。
「伯爵も、今のあなたの頼もしい姿を見れば安心して眠れるとお思いでしょう。これからのこと、頼みますよ」
母は、淀みなく言ったが、オーレンと居合わせた者たちはハッとして身じろぎするのを押さえられなかった。
これからのことを頼む、とはどう解釈しても伯爵家のことを頼むということであり、それをオーレンに頼むということは彼を次期伯爵として認めたということだ。
伯爵の正室――ウィレスの母ですら認めたという事実はあまりにも大きい。
だが、彼女としては実の息子がアレな以上、身の安泰のためにはこれしかなかった。こうまですれば、オーレンは伯爵となった後に実の母を優遇しつつも、父の正室だった自分にもそう悪くはしないはずだ。
涙の痕を残しつつ、晴れ晴れとした顔で地下から地上に戻ってきたオーレンは、そこでアレンの訪問を受けた。
すぐにお会いしようと言ったところに、何人かの側近が耳打ちし、わかっているというふうにオーレンは頷いた。




