すごくいい仕事
「さあ、バリバリ仕事してバリバリ稼ぐぜ」
ケイトの威勢は最初はすこぶるよかった。
「いい仕事がねえなあ」
しかし、段々愚痴っぽくなり、
「やる気はあるんだよ! いい仕事ねえのかよ!」
ギルドの受付に食ってかかって恵一に止められるようになった。
問題は、まさにそこであった。
やる気はあるけど、仕事が無いのである。
ギルドとて、常に満遍なく仕事を揃えているわけではない。いや、できるだけ満遍なく仕事を揃えようとはしているのだ。
しかし、無いもんは無い、という時もあり、今がまさにその時であった。
クマ退治より帰ってから十日。
大きな仕事が無く、野草採取とか小動物を狩ったりで凌いでいた。
「うちにゃあクマ殺しのケーイチがいるんだぜ。これじゃ宝の持ち腐れだよ」
恵一としては野草採取もけっこう楽しかったのだが、ケイトにしてみればクマをパンチ一発で粉砕する男がそんなことしていては「もったいない」のである。
獣人のアンはその手のこととなると力を発揮していた。
ケイトもそれに気をよくしてアンを褒めていたので恵一としては、よかったよかったと思っていたのであるが。
だがしかし、ケイトにしてみれば利子分が稼げなければ売り飛ばされるのだ。それを思えば恵一も、いや野草採取もいいじゃないとばかりは言っていられない。
やっぱり、ケイトがそんなことになるのは絶対に嫌だ。
「んー、もうこりゃ前借するしかねえな」
あんまし響きのよくないワードがケイトの口から出てきた。
「借りるって……また借金するのか?」
「借金っていうか……いやまあ、借金には違いないけど、金貸しから借りるんじゃなくてギルドから借りるんだよ」
前借というのは、仕事の報酬を前借するということだ。
とりあえずギルドから金を貸してもらって、あとでその分の仕事をこなすということである。
「あたしなんかレベル3で無理だけど、ケーイチならレベル10だし、クマ退治の実績もあるし、いけると思う」
要するに、クマ殺しのケーイチの名義でギルドからゴールドを引っ張ろうという算段なのだ。
「うーん……そうだね、そうしようか」
恵一は、どうしても自分名義の借金というのに嫌な感じはしたのだが、それをしなければケイトが売り飛ばされるのならば仕方がない。
「……ありがとな、ケーイチ」
恵一があっさりと同意したので、さすがにケイトもいつになくしんみりとしている。
「よし、それじゃ行こうか」
「うん」
ケイトと恵一が立ち上がり歩き始めると、ベッドでゴロゴロしていたアンがその優れた聴覚で音を聞きつけ、部屋から飛び出してついてくる。
ギルドへ到着すると、ケイトが受付に行った。
「あー、ちぃと言いにくいんだけどさ、コレを融通してもらいたいのよ」
親指と人差し指の先端を合わせて輪を作ってケイトは言った。
恵一は、アレを示すのはこっちの世界でもコレなんだなと思いつつ成り行きを見守っていたのだが、話が思ってもいない方向に行った。
「え? あたしら……っていうか、ケーイチを指名してるん?」
「ええ」
ギルドに対して、ケーイチ・アマモトに伝言を頼みたいという依頼が来ており、その伝言というのが一度会いたいという内容であり、その主というのが……
「男爵の娘ぇ? いや、マジで? 名指しで?」
「ええ、なんといっても男爵の御令嬢ですし、一度お会いしてみたら」
「いや、それは……うん、そうだな。男爵言うたらコレ持ってんだろう」
ちらっと見てくるので、恵一は頷いた。
「それでは、先方に会う意思があることを伝えておくので、また明日にでも来てください」
「お、おう」
というわけで、前借はもちろん仕事を探すのも止めてその日は帰ってきてしまった。
「男爵の娘かあ……なんだと思う? いい仕事回してくれんのかな」
「うーん、なんだろうね」
「クマ退治で名は上げたけど……推奨レベル9の仕事だしなあ、いきなり貴族から声がかかるってのはなあ……なんか厄介な話かもなあ」
ケイトは訝しんでいるが、多少厄介だろうがコレ――と指で輪を作って――がよけりゃ受けようぜという結論は最初から決まっている。
翌日ギルドへ行くと、本日午後にギルド内の一室にて面会したいという伝言が来ており、それを了承した。
その時刻まではまだあるので一度家に帰ってから時間を潰す。
ケイトとアンが昼寝を始めてしまったために静かになった家で、じっくりと考える。
公侯伯子男――
という序列をなんとなく覚えている。
爵位の中では、男爵というのは一番低い位だ。
恵一は、それほど歴史に詳しくないので、そういった名称にはむしろ創作物の中で親しんでいる。
恵一がこれまで目にしてきたものの中では、男爵というのはあまりよい扱いではなかったように思う。
平民とかよりは偉いんだけど貴族の中では大したことなくて、なんだったら最後には王様とかに悪事がバレてしまい成敗されるようなやられ役だったりして。
それでも男爵ともなれば、やっぱり偉いのだ。
恵一は頭の中にある一番下とか、そういうイメージを追い出すことにした。
こっちは記憶喪失……ということになっている流れ者であり、ケイトだって父親がいささか功績ある者とはいえ叙勲などはされていないようだから平民には違いない。
男爵の方が圧倒的に権力を持っているのであり、勝手なイメージを抱いたままで自分でも気付かぬうちに見下ろすような態度をしてしまって怒りを買ってはたまらない。
そんな偉い人――とりあえず会いたいと言っているのは当の男爵ではなく御令嬢らしいが――に会うというのは緊張もするし、億劫ではある。
だが、逆に、気に入られるチャンスであると前向きに考えるべきだ。
ケイトが言っていたように、何か割のいい仕事を依頼してくれるのかもしれないのだ。
それについても、男爵当人ではなく娘であることから、それがどれほどの金を動かせるのかは知らないが、もしかしたら男爵が出てきてそれが露見して騒ぎになるのを嫌って娘を代理に立てているのかもしれない。
とにかく、話を聞いて、そりゃあんまりにも無茶なことを頼まれたら断るが、なんとかなりそうなことであれば聞き入れておこうと思う。
無茶だからと断れるものか、と不安になるが、そこは男爵であるからそこまでの力はあるまいと思うしかない。
或いは、断られる可能性を考えて、当人ではなく娘が出てきているのかもしれない。
陽が落ち始めてきたので、ケイトとアンを起こしてギルドに向かうことにした。
それほどに精緻な時計が存在しないので時間については、日本よりも幾分というかけっこうアバウトである。
それでも、あんまり待たせるのはまずいのでできるだけ早く行こうと促すと、ケイトも同意した。
ギルドに到着すると、相手はほんの少し前に来て待っているらしい。案内されてギルド内の一室にとやってくる。
「ケーイチ、失礼の無いようにな。相手は男爵令嬢じゃけんね」
「ああ、わかってるよ」
恵一としては、ケイトの方がいつもの調子でやってしまうのではないかと怖かったのだが、そこは彼女はこの世界――貴族というものが存在する世界で暮らしてきた人間である。
「あま……恵一天本です。お初にお目にかかります」
恵一がたどたどしく、挨拶したのに対して、
「私は、ケイト・カリーニングと申します。こちらのケーイチ・アマモトと仕事をし、ともに暮らしています。よろしければ私も同席させていただきたく……こちらはアン、見ての通りの獣人です。お目に入れたくなければ下がらせます」
と、なかなか堂に入ったものである。
「お二人とも退室には及びません。部屋にいてくださってけっこうです」
ブラウンの髪をした少女が、柔らかい声で言った。
その椅子に座った少女の斜め後ろに、こちらはおそらく二十代の半ばから後半ぐらいであろうと思われる髪を短く刈り上げた女性が立っている。
女性にしてはけっこうな長身だ。恵一よりも少し高いから175センチはあるだろう。
位置関係からして、座っている少女が男爵令嬢で、後ろの女性は護衛だろう。
「どうですか?」
女性が身を屈めて、少女に囁いた。
「……やっぱり、この方です」
弾んだ声で少女は言い、女性はそれはよかったとでも言うように微笑んだ。
「あの……」
と、言おうとした恵一を強めにケイトが肘で突いた。
こちらから声をかけるのは非礼ということか、と察して恵一が黙る。
「ああ、すみません」
だが、むしろ少女の方が、恵一をほったらかして勝手に自分たちだけで話していたことに恐縮して頭を下げた。
「アマモト殿……私と貴方とは初対面ではありません」
「え?」
と、言われてじっと顔を見る。
貴人の女性の顔をこんな風に見るのって、たぶんあんまり礼にかなった行為ではないんだろうなとは思うのだけど、そんなことを言われたらそうせざるを得ない。
「あっ」
恵一はわかった。
正直、消去法である。
こちらに来て、会ったことのある若い女性など限られている。ましてやわざわざ自分を呼び出して会いたいという人間はそういない。
いや、一人しかいない。
「あの時の」
「はい、助けていただきありがとうございました」
改めて深々と頭を下げた男爵令嬢は、間違いなく恵一がこの世界に飛ばされてすぐに出会った少女であった。
「私、ミレーナ・ハウトと申します。ずっと会ってお礼がしたかったのですが、このように遅くなってしまい申し訳ありません」
「ああ、いやいや、そんな」
彼女は、ずっとケーイチのことを探そうとしていたのだがなにしろ手掛かりが全く無い。
そこへ、全くそれとは関係なく、最近やってきた記憶喪失の男がクマを殴り殺したという噂を聞き、その男の話をさらに聞くと、彼は記憶を失い平原に倒れていたが、そこで追われる少女を助けて野盗をあっさりと撃退したという。これはケイトが言い触らしたのが噂になったのだろう
それを聞いて、もしやと思いギルドを通じて接触をはかってみたのだという。
一頻りミレーナの感謝の言葉を気持ちよく受けていた恵一だったが、そもそもなんで彼女がその場でろくにお礼も言えず、恵一の名前すら聞けなかったのかといえば、警備隊の登場に彼女が一目散に逃げてしまったからである。
そのことはずっと気になっていた。
もしかして、助けたらいけない人間を助けてしまったのでは、という一抹の不安を、いやでもあんなに可愛いんだから大丈夫だろうという、根拠がありそうで実は全く無い理屈でねじ伏せていたのである。
もしかしたら、聞いてはいけないことなのではと思いつつ、男爵令嬢という思っていた以上にしっかりとした身分があるのであるから、やはり何か理由があったのだろうと思い聞いてみることにした。
「ああ、それは……」
ミレーナは恥ずかしそうに俯いた。
「あれは、まったくもって私の浅はかさ迂闊さです」
要するに、お忍びで遊びに出ていたら野盗が出没するような所までずんずん行ってしまい、ああいうことになったのだという。
「警備隊が現れた時にも、調べを受けて身分が知られたらお父様に叱責を受けると思って逃げてしまったのです。本当ならば、そのようなことは気にせず、むしろあの場で警備隊の保護を受け、アマモト殿についても説明をするべきでした」
正直、あそこで恵一は悪くないのだという証言をできる立場の人間は彼女だけだったので、逃げてしまうのはけっこうひどいなあとは思うのだが、だいぶ反省してるようなので恵一は敢えて言わなかった。
「貴方がいなければ、私は殺されていたでしょう。貴方は命の恩人です!」
こんな可愛いんだから殺さないでアレして売り飛ばすよなあ、とか思ったけどこれも言わないでおく。
「どのようなお礼をすべきか、考えたのですが」
お礼、という言葉で思い出した。
とりあえず取っとけ言われて貰った細身の剣である。
クマとの戦いで折れてしまったというと、それほど高いものではないから気にしないでくれということであった。
「それでお礼なのですが、申し訳ありませんが、私がそれほどのことができるわけではないのです」
金やら権力やらを持っているのはあくまでも父親だ。やはり彼女自身が彼女だけの判断で動かせるものはたかが知れているのであろう。
それでも、娘の恩人に対する礼なのだから男爵がむしろ自分から進んで何かしてくれてもよさそうなものだが。
もしかして……この子、父親とは上手く行っていないんじゃあないか?
勝手な推測であるが、そう考えたらかわいそうになってくる。
お礼なんて、可愛いあなたの感謝の言葉だけで十分です――
とか言ってみたかったりもしたのだが、そんなこと言おうものなら言い終わる前にケイトに張り倒されるので言わない。
それに、できる限りのお礼はいただきたいというのも本音である。どれほどの金になるかは知らないが、少しは借金返済の足しになる。
「実は私、お父様の名代として領地に行くことになっています」
男爵ともなれば、領地を持っている。常にそこにいるわけにもいかないので、男爵自身は年の半分は王都にいて、不在の間は代官が領地経営を行っている。
なんでも領地でトラブルがあり、それ自体は代官の方でどうとでもなったのだが、決裁の類が必要であり、そこで男爵の名代に指名された彼女がそれをしに行くのだという。
「ほうほう、それで」
いつのまにか、ケイトがずいずい前に乗り出してきている。段々地が出てきていて大丈夫かいなと思いつつ、恵一も話の先は気になったので黙っていた。
「そこで、領地への往復の間の護衛をお願いしたいのです」
「ほうほう」
もう完全に恵一より前に出てケイトが頷いている。
「往復で二週間程度。あちらで時間がかかったとしても一週間を過ぎることはないでしょう。約三週間になりますが、その間の護衛を一万ゴールドでいかがでしょう」
「やります。やらせてください」
「いやお前、勝手に……いや、やるけどさ」
「ケーイチぃ、一万だよ一万、二か月分の利子に……いやいや、元金を少し返せるじゃんか」
「う、うん、そうだね」
「あのう……お受けいただくということでよろしいでしょうか?」
なんか二人でひそひそやってるのをなにか揉めてるのかと思ったらしく、ミレーナが尋ねてきた。
「あ、はい、もちろんやらせていただきます」
「ふへへへ、おまかせください」
ミレーナは笑みを見せると、ハッとして言った。
「あの、もちろん命を助けていただいた恩が一万ゴールドで返せるとは思っていません。これからもできる限りのことはさせていただきますから」
「あ、そ、そうですか。いやまあ、とりあえずはそれで十分です」
出発は、明後日早朝、またここで落ち合おうということになった。仕事中の食費宿泊費などは男爵より出るので、報酬一万ゴールドとは言うものの、実際にはそれ以上ということになる。
「ああ、それと彼女が……」
大体の話が終わったところで、少女は後ろの女性を紹介した。
「イリア・カムと申します。今回の件には、私も同行いたします」
「イリアさんは、普段は姫様の護衛をしているのですが、今回姫様の御好意で同行してくださるのです」
「へ?」
てっきり、ミレーナの護衛なのかと思っていたが、彼女は本来はこの国の姫の護衛らしい。
「私、姫様には大変よくしていただいておりまして。実は、今回のことも姫様のアイデアなのです」
命の恩人らしき男と会うことができそうだが、お礼らしいお礼もできないという話をしたところ、今度領地に行く時の護衛か何かにその男を雇えばよい、そのことは自分から男爵に話しておくとまで言ってくれた。
「はあ、姫様がそこまで……」
「はい、とても優しいお方で」
無邪気にミレーナは言うのだが、ここでまさか姫様が出てくるとは思っていなかったので、恵一はやや話に着いていけなかったというのが正直なところである。
明後日のことを改めて確認して別れた。
「いやぁ、ケーイチのおかげでどんどん運が向いてくるな」
ケイトはもちろん機嫌がよい。
「男爵令嬢なだけでなく、姫様とも仲がいいとは、これはもう媚売りまくるしかねえぜ」
ちなみに、ケイトもアンも同行することになっている。
「媚売るのか」
と、言ったのはアンだ。
「おう、貴族には獣人なんか近付けるな、ってのもいるけどあのお嬢様はそんなことないみたいだから売っとけ売っとけ」
「なあ」
「ん、なんだい」
「もしかして、あの子、父親と上手く行ってないのかな」
と、恵一は先ほど感じた疑問をケイトに言ってみた。
「ああ、まあ、言われてみりゃそうだけどさ。まあ、色々あんだろ。厳しい人なら自分で軽々しいことして危ない目に合ったんだから、それの始末は自分でしろって言うかもよ」
「そうかなあ」
そう考えると、それを見かねて姫様が男爵に、あくまで仕事を依頼するという形にして一万ゴールドぐらい出してやれと言ってくれたのかもしれない。
もちろん真相はわからないが、ミレーナが父親と仲がよくない、などという想像を振り払うことができるのだから、恵一はそれを信じることにした。
「ああ、そうだ。あたし寄るとこあるから先に帰っといて」
ケイトが、途中でそう言い出した。
「寄るとこ?」
「ああ、金貸しんとこにさ。三週間ばかり留守にするけど夜逃げじゃねえぞ、って言っておく。あいつらあたしらが長いこと空けたら大騒ぎしそうだからさ」
「ああ、そうだね。てか、おれも行こうか?」
「いや、大丈夫さ。一万ゴールドの仕事を男爵から受けた、って言えば納得するだろう」
ケイトと別れて、アンと二人で家に帰った。
ベッドに寝転がり、明後日からの仕事のことを考える。
要人の護衛など、自分にできるだろうかという不安は当然ある。
ケイトはその辺、やっぱりというかなんというか楽観的であった。
「実際は、護衛はあのイリアって人がやってくれるよ。姫様の護衛ってことはレベルもかなり高いはずさ。護衛の仕事を頼んだって形にして、ケーイチにゴールドくれるってことだよ」
とのことである。
一応、仕事という形で雇われるんだから、なんもしないというわけにはいかんだろうと思うのだが。
まあ、そういった仕事への不安は不安として、やっぱりちょっとウキウキもしてしまう。
自分のことを恩人と思うミレーナと旅をするのだ。
なんか間違いでも起こっちまうんじゃねえかとか、期待してしまう。
だが、間違いが起こりそうになったら護衛のイリアが速やかに阻止するだろう。当然、護衛のプロたるイリアの同行はありがたいことなのだが、そう考えるとちょっと邪魔でもある。
「はーあ、んな夢見てねえで。仕事しっかりやろう」
とにかく、できるだけミレーナのそばにいて脅威があれば全力で排除。クマ退治を経て自分がそこまで弱くないというのはわかった。なんとか、やれるだけやってみよう。
「たっだいまー」
「ああ、おかえり」
ケイトが帰ってきたので夕食にする。
「ったくよ、あいつら全然信用しねえの」
その席上、ケイトは先ほど寄ってきた金貸しでの話をするが、案の定と言うべきか男爵から高額報酬の仕事を受けたことにすこぶる懐疑的な態度を取られたらしい。
まあ、しょうがないと言えばしょうがない。
口の軽いこと羽毛のごときなケイトも、さすがにお忍びしてたら野盗にさらわれそうになった男爵令嬢を助けたとかそういう話は黙っていたので、どうしても男爵から突如依頼が舞い込んだ、という説得力に乏しい話になってしまうのである。
「しょーがねえから、改めて契約書交わしたよ」
と、ケイトは言った。
一カ月経っても帰ってこなかったら、ペナルティを受けるという内容の契約書である。
ちなみに、ペナルティとしては全身に苦痛を受ける感じらしい。実際はそれを盾にして、それが嫌なら従えと言って当初の予定通り売り飛ばすつもりだろう。
最初に恵一は、指切りを連想した。
嘘ついたらハリセンボン飲ます、というアレだ。
だが、この世界での重要な契約書というのは、魔術師が一枚噛んでの契約になっているらしく、ハリセンボン飲ますというのが比喩表現ではないのだ。
全身に苦痛を、というのもなにも契約者、この場合は借金取りたちがわざわざケイトを叩いたりするわけではない。
契約者が契約書にある罰則規定を発動させることを立会人の魔術師に告げれば、魔術師はその契約書を媒介にして魔術を発動し、ケイトには罰則である「全身の苦痛」が発生する。
契約書作成の際に、ケイトは魔術師に対して契約厳守を宣誓して署名し、魔術印と呼ばれるいわば捺印を済ませている。
これをやっていると契約違反をした場合、どのように言い逃れしようとしても逃れることができない。
この際に、どうしても魔術印ができない場合は最初から契約を守る気が全く無いのだと見なされて契約が結べない。
当然、双方の契約者をある程度上回るレベルを有する魔術師しか立会人にはなれない。
そうでないと、いざ契約を実行させようとしても相手の方がレベルが高いので魔術が効かない、ということもあるのだ。
「恵一も契約は軽々しくやるんじゃないぞ」
と、ケイトには散々言われている。
そういう意識は、恵一にもあった。
両親にもそういうことは言われたことがあるし、本とかテレビでも、まさに軽々しく契約書に署名捺印してしまって酷い目にあうような話がたくさん出てくる。
しかし、こちらの世界では魔術が噛むことによって、契約の履行が裁判所などを介してのものではなくダイレクトに行われるために、逃げることが困難というかほぼ不可能である。
立会人の魔術師のレベルが低いと、いざペナルティを実行しようとしても上手くいかぬとは既に述べた通りだが、もちろんそんなことはみんなわかっているので、最低でも10はレベルが高い魔術師を立会人に選ぶし、もしもいなければ契約自体を交わさない。
王都であるから、商行為は活発であり、そうした業務には契約が必要とされるためレベルがある程度高い魔術師は、契約書交付の立会人の仕事だけで暮らせるそうだ。
つまり、それだけ報酬を取るということであり、あまり少額の借金等では紙の契約書だけで済ます。
ケイトの場合は、五万ゴールドという大金のために魔術契約書を交わしているというわけだ。
「そうだケーイチ、武器買いに行こうぜ」
翌日、ケイトに言われて出掛けた。
例の細身の剣が折れてしまい、目下恵一は武器らしい武器を持っていない。
何から何までイリアに任せるというのも気が引ける恵一としては、むしろ自分ができるところは自分がやって、手に負えなくなったら彼女に出張っていただくという感じにしたいと思っていたので、武器は欲しい。
「まあ、一万ゴールド入るけんね。クマ退治の三千の残りがあるから、そこそこ高いのでもいいぜ」
あれこれ見て、恵一が選んだのは鉄製の剣だった。
「おう、それにすんのか」
「ああ」
実際に陳列されたものを一本一本手に取ってみて、長さと分厚さ、すなわちリーチと耐久力を考慮しつつその中でも片手で無理なく振るえるものを選んだ。
「千ゴールドか。なんだったらもう一本サブに買っとけよ」
いつになくケイトが金離れがよいので、言葉に甘えてもう一本短めの剣を六百ゴールドで買った。
武器が一つではそれが壊れた時に難儀するのは、先のクマとの戦いで身に染みている。
翌日早朝、ギルドにてミレーナたちと落ち合い、王都を出た。
男爵領内の城館まで六泊の予定とのことであった。
何話か書き溜めできたんで、もうしばらく週二更新で行けそうです。