恨みはこちらへどうぞ
男たちは三人。年齢は二十代ぐらいのと三十代ぐらいのが二人。
恵一は、身構えた。手をミレーナの前に出して、後ろに下がっているように言おうとしたら――
「兄ちゃんに用がある。お嬢ちゃんは下がってな」
一番年嵩らしい男が言った。
「え? おれ、ですか?」
ただでさえ、おれがこのお嬢様をお守りするのだ、と勝手にナイト気分でいたところだったので、ついつい何も考えずに、ミレーナを守らねばと力み返っていたのだが、男たちの目当ては恵一らしい。
「はあ……なんでしょうか」
そこで初めて男たちをよく観察したが、まず見覚えは一切無い。それとついでにそれほどガラが悪いようにも見えない。ごく普通の一般市民といった感じだ。
「ヘルマンさんを殺った女の仲間ってのは、お前だな」
「え、いや」
いきなり用件から入らずに、そうやって念の為というふうに確認してくるところは冷静らしくて非常によいのであるが、そのヘルマンさんというのを恵一は知らない。
「あの、ヘルマンさんって、誰ですか?」
そんなガラ悪い人たちじゃないし、と安心して思ったことをそのまま口に出したら一番若いらしい男が、なにを、といきり立った。
「てめ、殺しておいて誰ですか、はねえだろう」
下手なこと言ったら怒られるぞ、と思って何も言えなくなってしまうが、ねえだろうと言われてもホントに誰だか知らんのだからそうとしか言いようがないではないか。
「名前も知らねえで殺したのかよ。……ああ、いや、兄ちゃんは直接殺したわけじゃないそうだが」
若い男を手で制しつつ、男が言った。
「あー、もしかして……」
ヘルマンという名前自体には心当たりは一切無いが、それを殺した女の仲間、と言われたことから推測していくと、その人物は一人しかありえない。
恵一は、エリスに殺されてしまった青年のことを話し、ヘルマンとはその人のことかと尋ねると、果たして、そうであった。
そして、そのことは自動的に男の最初の質問への答えとなっていた。
「やっぱり、そうか……」
と、言った男たちの雰囲気があまりよくない方へと変わった。
「あのー、みなさんは……」
鈍い恵一だが、この面識の無い男たちがどういう人たちかはこうなると想像もつく。
話を聞いてみれば、やはり三人とも自分か或いは家族が、とても治癒士に払う金など捻出できないという病にかかった時に、青年ことヘルマンにびっくりするような安い代金で治してもらった経験を持っていた。
恩人が殺された、という報に驚いて集められるだけの情報を集めて犯人の女ことエリスが収監された獄舎へと行ってみたが、当然のことながらエリスとの面会は許可されなかった。
裁判を控えて収監中の人間に、おいそれと会わせることができないのは当然のことではあったが、それとは別に男たちの剣幕からして下手に会わせようものなら復讐だ敵討ちだとエリスに襲いかかって騒動を起こすに違いないと役人たちが危険を感じた、という事情もあった。
で、そこで食い下がる男たちをはっきりと持て余した役人が、女の協力者の男がいてそっちは収監されてないから、話ならそいつに聞けと投げた上に御丁寧にも住んでる場所を教えてくれた。
そこでやってくれば、ちょうどその家から男が一人出てきたのでその前に立ちはだかって、今に至るというわけである。
個人情報とかどうなっとんじゃい、と一瞬だけ思ってそんな常識ありゃしねえんだっていうのも一瞬で悟り、やっぱり超杜撰だな、と思いつつ、男たちへと弁明する。
男たちは、それほど強そうには見えないので、激昂して襲いかかって来られても、どうとでもする自信はあったし、男たちの目当てはあくまで恵一で、ミレーナへなにをどうこうするとも思えなかったが、純粋に男たちと戦いたくなかった。
彼らは、ヘルマンに恩を受け、常日頃からいつかその恩を返したいと思っていた義理堅い人たちだ。
それが、恩人の死という訃報に触れて動揺し、昂ぶった気持ちが停滞を許さず、とにかく何か行動をと自分で自分を急き立てて恵一の前に現れたのだ。
悪意や、利己心からの行動ではない。
自分が傷付くのは嫌だが、同じかそれ以上に、自分がこの男たちを傷付けるのも嫌だった。
恵一は、エリスの弁護をすることで自己弁護した。多少は、自分たちに有利に聞こえるような話しぶりだったかもしれぬが、嘘をついたりはしていないつもりである。
男たちは半信半疑であった。
「とにかく、明日裁判があります。おれも証言するつもりですし、当然エリスも、それからグエンって人も出ますから、傍聴して、それで判断してくださいよ」
そん時は逃げも隠れもしねえとばかりに、恵一は胸を張って言った。
そん時になってやっぱりお前らが悪いと来られたら、逃げたり隠れたりしたいとは思っているが、とにかくこの場はそんなことを感じさせぬ断言ぶりであった。
男たちは、ひそひそと話している。
「わかった。それじゃあとにかく、明日の裁判を聞いてみよう」
「いや、もう、お願いします」
なんでおれがお願いするんだろうかとか思いつつも、つい頭を下げて去っていく三人を見送った。
その姿が遠ざかってから、息をつく。
「ああ、すいません。こっちのことでお時間とらせて」
思い切り、その間待たせてしまったミレーナにも謝る。
「いえ、私は構いませんが……」
ミレーナは心配そうだ。
「ケーイチさんと、それとエリスさん、大丈夫なのでしょうか」
大丈夫です、と断言できない状況である。
やはり格安で治療してもらった人々にとって、あの青年は完全無欠の恩人であり善人であり、なんだったら神様みたいな人間である。
戦闘の際に彼の味方をした男に、今の三人の男。
エリスへは恨みを直接的に向けてこない男は除外するにしても、少なくとも三人は実際に敵討ちなどの行動を起こしかねない人間がいるということである。
彼を殺すのだけは止めておくべきだったのでは、と今更ながら後悔しているところだ。
「いや、まあ、大丈夫ですよ」
心配そうなミレーナに気付いて、恵一は敢えて明るく言った。
彼女にそんな心配をさせないためには、即座にそうせねばならなかったのだが、深刻に思い悩むところを見せてから吐いた言葉なので、説得力は無い。
失敗した、と自覚しながら、恵一はなんとかミレーナを安心させようとする。
この世界に飛ばされて初めて出会い、その出会いが悪漢から剣を振るって守るという非常に英雄的な行為であったため、彼女がそのことで恵一のことをすこぶる頼れる男であると認識してそれを態度で示している。
そのせいで、あとミレーナが華奢できれいな少女なのも大いに手伝って、恵一はミレーナに対してはごく自然に守るべき対象であると思い込んでいるところがあり、自分のせいで不安などを抱かせてしまうことをよくないことであると思っている。
「エリスは……確かにそのヘルマンさんを殺っちゃいましたけど……でも、事情があってのことで、エリスは悪くないんです」
ミレーナの心配を払拭するために言っていることだが、嘘偽りなく、恵一の本心でもある。
「裁判で、それを明らかにすれば、エリスも、おれも、そんな恨みを向けられることはないですよ」
と、願望込みの観測を述べる。実際、これで恨まれたらたまったもんではない。
歩きながらそんなことを話していると、やがてハウト男爵低に到着した。
「ありがとうございました。明日、行けたら行きますから」
「ええ、本当に、心配いりませんよ」
そう言葉を交わして別れた。
翌日、早めに家を出た。
証言については、リーンの時である程度の要領はわかっている。
事実関係を整理して証言内で矛盾が発生しないように気をつける。これをやらかすとそれだけで証言全体への信憑性を疑われてしまう。
それと、エリスが幾度となく温情的な処置をしたこと、発作でえらい目に合ったことなどを情緒的に語って同情を引く。
発作については呪術師特有の問題であり、それ自体は自己責任であると切り捨てられる恐れもあるにはあったが、エリスのような年端もいかぬ少女が苦しんだという話を聞いて単純に同情してくれる者もいるだろう。
まだ人もまばらな公会堂――リーンの時と同じ場所――の傍聴席最前列に座り、あれこれと作戦を練る。
もちろん、またリーンの時と同様、証言という名の弁護をするつもりだ。
「おう」
聞き覚えのある声がした。
「あっ、おっちゃん」
考え込んでいて少し反応が遅れた恵一より先に、ケイトが声を上げる。
「あ、おはようございます。えーと……」
「ヴィックスだ。そういえば、ちゃんと名乗ってはいなかったな」
青年の味方をしていた男――ヴィックスは言った。
ああ、そんな名前だったな、と恵一も思い出す。昨日、警備隊の事情聴取に対して名乗っていたのを横で聞いていただけなので、正直、あまり覚えていなかった。
「今日は、ちゃんと証言するからな。安心してくれ」
ちゃんと証言――つまり、青年のことや自分のやったことを正当化することなく、事実を淡々と述べるということだろう。
「はい、お願いします」
はじめから信じていないグエンはともかく、このヴィックスに土壇場で裏切られたりしたら非常に困るので、恵一は頭を下げておいた。
まあ、それとやはり恵一は彼の恩人であるヘルマンを殺す片棒担いだことを、一応ほんの少し後ろめたく思っているのだ。
ヴィックスが、一方的にエリスや自分を恩人の仇として敵視してきたならば、じゃっかしわ、そいつが悪いんじゃボケ、という気持ちにもなっただろうが、彼が自分がヘルマンをなんとしても止めていればと自分を責めるばかりなので却って申し訳ない気持ちになってしまうのである。
開廷時間が近付き、人が多くなってきた。人が入ってくるたびに何気なく見ていたら、昨日の三人の男もやってきて、ちらりと恵一を見てから空いている席に座り、目に力をこめてまだ誰もいない被告席を見やっていた。
どやどやと、大勢の人間が一団となって入ってきた。
傍聴席はいっぱいで、満員である。
リーンの裁判も、野次馬根性を刺激する経緯のために傍聴人は多かったが、今回はそれよりもさらに多い。
で、やはり最後の方に入ってきた集団が気になった。
あれこれと話しているのだが、ただの雑談という感じがしないのだ。数人で話した結果が他の者たちへ伝達されているようであり、組織だった行動に見える。
「どーした。ケーイチ」
「ああ、あれなんだけど」
ケイトが声をかけてきたのを幸い、聞いてみた。
「あー、あれはたぶん。アレだな」
「アレ?」
「エリスの同業者とか、そういうアレだよ。エリスの味方だから気にするこたないよ」
「え? それって……」
「前に話したろ。今回と同じようなことがあってさ。そん時も契約とかで商売してる人間が殺した方を支持したんだよ。たぶん、それだよ」
「ああ、そういう……」
しかし、一昨日逮捕されて今日裁判だというのに、手際のいいことだ。やはり商売をやっている人間たちだから、みんな独自の情報網というのがあるのだろうか。
そうこうしているうちに、裁判官たちが入廷してきて、開廷を宣言した。
リーンの裁判の時と違うのは、それなりに緊張感があることだ。
純粋な野次馬根性の傍聴人ももちろんいるだろうが、例の三人の男のようにヘルマンに恩を感じていてその恩人の死の真相を知りに来たものや、エリスに味方しにやってきたであろう商売人たちのように、動機は違えど真剣にこの裁判に注目している傍聴人が多いためであろう。
まず、被告が呼び込まれた。
常と変わらぬ平静そのものの重病人の顔をしたエリスが入ってきた。
室内が、ざわめく。情報として、被告の少女は呪術師であるということはそれなりに伝わっていたであろうが、改めてその顔を見て、それを実感したのだ。
恵一は見慣れるぐらいに見慣れてしまったので、最早彼女の血色のよくない顔をエリスの個性みたいに感じてしまうようになっていたのだが、やはり初めて見る者にはそれなりに衝撃らしい。
ましてや、エリスは体つきなどは十五歳の少女の平均よりもやや小さいぐらいであり、それがそんな顔をしていると、痛々しさが目立つ。
だが、それも一目見ての印象だ。エリスは毅然としか言いようのない揺るぎない姿勢と態度を持しており、それを見てなお彼女を弱々しく思う者はおるまい。
もうちょっと、いかにもかわいそうに見える方がいいのになあ――
とは、裁判の有利不利を主眼においた恵一の感想であるが、そこで同情を引くための演技などエリスは死んでもやらないだろう。
「被告の罪状を読み上げます」
裁判官の一人が手元に目を下ろし、罪状読み上げに入った。
ヘルマンに対する殺人。つまるところ、これがエリスの罪状である。
罪状読み上げの際には細かい事情はなく、ただ、エリスと他一名がヘルマンと他一名と彼の自宅において戦闘となり、エリスがメイスによってヘルマンの頭を殴打して撲殺したことが述べられていた。
「なんで殺した!」
傍聴席から、怒号といってよい激しい声が飛んだ。
それに同調する声が次々に上がる。例の三人のようなヘルマンに恩を受けた者たちだろう。
だから、それをこれから明らかにするんじゃねえか、とエリス寄りというか完全にエリス側な恵一は思ったが、ここで傍聴人同士でやり合ってもしょうがない。
「被告、何か言うことはありますか?」
「はい」
エリスは、当然黙ってはいない。
そもそも、今回の一件においては、かの青年は途中から闖入してきた人間であり、彼女の目的は一貫してグエンという男からの金の取り立てであった。
戦闘になったのも、その結果殺したのも、その延長線上のことであり、元々ヘルマンに対する殺意は無かった。話し合いの段階で引いてくれれば戦闘になることもなく、彼を殺すこともなかった。
ざわざわと、傍聴席がざわめく。
契約破りなんてしてたのか、なんでまたそんなことを……という困惑を含んだ声はヘルマンを恩人と仰ぐ人間だろう。
困惑は、契約破り自体を罪悪視する感覚が広く共有されていることを示している。
完全無欠の善人であると思っていたヘルマンが、そのようなことをしていたのを知っての困惑だ。
契約破りはいかん、とにかくいかん、そんなの許してたら契約を伴う行為が全て成り立たなくなるぞ、という声は、例の一団が発したものだ。
「その場にいた人に証言してもらいます」
と、言ったエリスの視線が自分の方に向いたので、恵一は立ち上がった。
「証言しますか?」
「はい」
裁判官の声に応える。いつ証言を申し出ようかと思っていたが、エリスの方から振られるとは思わなかった。
だが、よく考えてみれば自分に有利な証言者の証言を被告が求めるのは当然であり、リーンのように、なんもかんもどうでもいいと無策の極みで被告席に突っ立っている人間がおかしいのだ。
「えー、ケーイチ・アマモトといいます。さっきの話に出てたエリスと同行していたのが自分です」
名乗りを上げてから、恵一は一連の見聞きしたことを証言した。
事実関係は、既に淡々と――それはもう淡々とエリスが説明していたので、それを確かに彼女の言う通りであると追認しつつ、エリスが期限が来てもすぐさま罰則を発動しようとはせずに、家宝を売ってそれで一気に返そうとかいう考えは捨ててコツコツ働いて返せと債務者を諭したこと、家宝が売れて返済するだけの金があるのに嘘をついたとわかってからも、謝れば金を多く徴収して許してやろうとしていたこと、逃げられてしまい他に手段も無いので罰則を発動しようとしたところヘルマンの防護魔術のせいでそれが果たせずに、発作を起こして生死の境を彷徨った――とはやや大袈裟であるが――こと。
それらを、感情をこめて、見た目やら態度やらで凄い冷たい人間に見えてしまってるかもしれんけど、意外にもけっこういい子なんですいやマジで、と熱弁を振るった。
「ヘルマンさんにしても、さっさと債務者の人を引き渡してくれれば、戦う気は無かったんです」
嘘は言っていない。
途中から、エリスは債務者そっちのけでヘルマンを殺す気満々になってたのだが、そこは敢えて触れない。
「しかし、殺さずともよかったのでは?」
裁判官が言った。同種の疑問は傍聴席からも上がっていた。男を無力化し、ヘルマンを壁際に追い詰めて、もうそこで勝負ありだろう、殺すことは無かったのでは、と。
「いえ、彼は全く自分の非を認めていませんでした。油断をすれば反撃してきたかもしれません」
殺すつもりで殺した、というのがエリスの偽り無き本心であるが、さすがにそれをそのまま言わずに、あくまで戦闘行為は継続しており、その範疇でのことであると主張を試みた。
「しかし、今の証言によると魔力の壁が消え、彼の魔力も尽きていたはず。いくら彼が高レベルの魔術師といえど、それほど恐れる必要はなかったのでは?」
裁判官が、なかなか鋭い――つまりエリスにとっては少々痛いとこを衝いてきた。
エリスがあの時言った通り、魔力が尽きれば魔術師などただの人である。まだ魔力に余裕を残していたエリスと恵一の二人がかりならば、それほど恐れる相手ではなくなっていたのは確かだ。
「……それは」
エリスは、一瞬口ごもった。
ほんの僅かに、苦々しげな表情になり、すぐにそれを引っ込める。
「それは、確かに私の落ち度でした。戦闘行為などはほとんど初めての経験で……今少し冷静であったならば、殺さずに痛め付けるだけで戦闘不能の状態にするにとどめる判断ができたでしょう。それは、私も後悔しています」
殊勝に、俯きながら言った。
実際のところは全く後悔していないはずであり、そのような偽りを言うのも、それによって有利になるからに他ならない。
本心に反する法廷戦術上の言動をとらねばならぬことを耐え、覚悟するための苦い表情であった。
「ふむ、なるほど」
質問した裁判官は、それなりに納得したようでそれ以上は追及しなかった。
そして、エリスの要請により、ヴィックスが証言に立った。
彼のやることは、さらなる追認に過ぎなかったが、立場が違う側からのそれであるから恵一のそれとはまた違った意味合いを持って、エリスの言い分を補強した。
「自分の甘い考えにより、このようなことになってしまいました」
最後に、ヴィックスは深々と頭を下げて言った。
いけないことだと思いつつ、ヘルマンに頼まれるままに協力し、いざとなれば自分が最悪の事態にならぬようにしよう――することができる――と思い上がった結果が、自分の力及ばぬ事態へと発展した上での、ヘルマンの死という最悪も最悪の結果である。
「恩を返すつもりが、恩人を殺してしまったようなものです。自分が、もっとちゃんと止めていれば……」
肩を震わせて絞り出すように言ったヴィックスに、それまで事あるごとに騒いでいた傍聴席も静かに沈黙していた。
特に騒がしい傍聴席の二派である、ヘルマンに恩を感じる者たちと契約の重みを守るためにエリスに味方する者たち。前者は、自分たちと同じ境遇にある彼が自分の浅はかさのせいで恩人を死なせてしまったと心から悔んでいるのに同情したし、後者は、ヘルマンへの恩は恩としながらも、契約破りそのものはよくないことだと言っているのだから文句は無かった。
「最後の証言を求めます」
エリスの言葉に、裁判官は頷いた。
これまでの証言者は、傍聴席にいたのをエリスが指名したが、今回のそれは違う。先程エリスが入ってきたのと同じ入り口から、両脇を固められて入ってきた。
言うまでもなく、逃亡癖を指摘されてエリスと一緒に収監されていたグエンその人である。
再び、傍聴席がざわめきに波立った。
オドオドと周囲を見回すばかりで何も言わぬのを裁判官が促して、ようやくグエンの証言が始まった。
しかし、まず名乗った段階でざわめきに無数の棘が生えたように、声も雰囲気も険しいものになった。
――こいつか!
これまでの裁判の進行によって、傍聴する者たちは、それぞれの立場によって様々な感想を抱いていたが、おおよそ共通していたのが、
その、債務者というのが悪いんではないか――
という一点であった。
エリスに味方する一団としては、契約破りの実行犯はヘルマンであるが、彼が死んでしまっている以上、のうのうと生きているグエンに非難の矛先が向く。
ヘルマンに恩を感じている者たちとしては、なんでまた契約破りなんぞやってしまったのか、そのためにこんなことになってしまって……と残念がるがゆえに、その原因であるグエンに対して好意的なはずもない。
豪放磊落で他人の目など気にしない、などという性質には程遠いグエンはその変化を哀れなほどに鋭敏に感じ取って声を出すのも苦しそうになった。
はじめは、強い調子で発言を促し、それが逆効果とすぐに悟った裁判官が、優しく丁寧に問いかける言葉に答える形でグエンの証言は行われた。
呪術師の金貸しとの契約があるのに逃げてしまって、逃げてしまってからすぐにとんでもないことをしてしまったと後悔していたところに出会ったのがヘルマンであった。
事情を話すと同情してくれて、それなら防護の魔法をかけてあげようと言ってくれたのだ、という。
グエンの話しぶりは、まるで途方にくれてなんらなすことを知らなかった彼に、ヘルマンが自分から防護魔法――つまりは契約破りを持ちかけたような感じであった。
一度はグエンが、そんなことをしていいのだろうかと、逃げたくせに倫理的なことを言って、ヘルマンがそれを押し切った、と素直に虚心に聞けばそういうふうに聞こえるような言い様であった。
空気が、また一段と険悪になったように恵一には感じられた。ひそひそと、なんて野郎だ、というようなグエンへの怒りや軽蔑を濃厚に含んだ声が交わされているのが微かに聞こえてくる。
「待ってください」
口を挟んだのはエリスである。
「なんだか、あなたはそんな気はなかったのに、ヘルマンさんに強く奨められて仕方なしに、というふうに聞こえるのですが、本当にそんな感じだったのですか」
今まで自分のも他人のも、証言の途中にこのように割って入る場面は見たことがなかったが、裁判官が咎めないということは、そういうのもアリらしい。
「え、いや、それは……」
グエンは、言われて初めて気付いたかのように狼狽した。
「おいおい、やり方はともかく、助けてくれた人間に責任転嫁するつもりか!」
大きな声が、傍聴席から上がり、同調する声が相次いだ。
グエンは目が泳ぎまくって、反論どころか言い訳すら出てこない。
「死人に口無しってか!」
「お前を助けようとして戦って死んだんだろうが」
「くそっ、なんであんな奴のためにヘルマンさんが……」
怒声の波がただ一人、グエンを目掛けて押し寄せる。
「静粛に!」
こっちの世界の裁判では聞かないなあ、と恵一がかねてより思っていた決まり文句が、裁判官の口から飛び出した。さすがに、裁判の進行に支障をきたすレベルの声だったからだ。
その後、ただでさえ縮こまっていたのに、さらに萎縮しまくったグエンから証言の続きを引き出そうと裁判官も色々と問いかけたのだが、まともな答えは得られなかった。
裁判官たちが顔を見合わせて首を横に振った。
裁判官の指示を受けた係の者がやってきて、入廷した時のようにグエンの両脇につき、そのまま出て行った。
その背中に傍聴席から罵声が飛んだが、グエンはこの場から逃れられることに心底ほっとしているようだった。
恵一は、さすがに哀れみを抑え切れずにその姿を見送った。
ヘルマンことあの青年のことを、よく知らぬ或いは知っていても安く治療してくれる善人そのものの顔しか知らない人々には、グエンの話が、いかにもエリスが指摘したように自分の保身のために死んだ恩人を盾にするような卑劣な言い訳に聞こえただろう。
だが、恵一は、グエンの言ったことは、おそらく事実に近かったのではないかと思う。
少々の倫理観と、大いなる臆病心からグエンが尻込みしたであろうことは彼の性格からしてありうることであり、そこへヘルマンが著しく歪んだ正義感を原動力に、助けて上げるから任せなさいと強引に押し切ったのは、いかにもありそうに思えるのだ。
だが、ヘルマンの歪さを知らぬ人間にとっては、そんなことは想像できず、グエンが必死に頼み込んだのに心動かされて協力する羽目になってしまったのだろう、という方が飲み込み易かった。
今一人、恵一以外にヘルマンの表皮の下の顔を知っているのはエリスである。
だが、彼女はむしろ証言に口を挟んで、傍聴人たちのグエンへの敵意を増大させることに寄与した。
ここまでくれば、さすがに恵一にもその意図するところはわかる。
ヘルマンを撲殺しておいて、そもそもの元凶たるグエンをなぜ金を取り上げるだけで許してしまったのか疑問だったが、このためだったのだ。
あの時、エリスは突如、ヴィックスにやはりヘルマンに恩を感じている者は多いのかと尋ね、多いだろうという答えを得ると、その直後にグエンを許したのだ。
ヘルマンを殺してしまったこと自体を後悔なんぞしていないにしても、彼を恩人と思う人々の恨みを向けられるのは困る。
その恨みを向けられる人身御供というか避雷針というか、そのためにこそグエンは生かされたのだ。
もし、グエンが死んでしまっていたら、この裁判でどんなに一番悪いのはそいつではないかと傍聴人に思わせることができたとしても、恨みを引き付けてくれる効果はそれほど見込めまい。
死人に恨みをぶつけても、ぶつけ甲斐が無いし、死んでいることにより、確かに悪かったが死をもって報いを受けているのだから、と恨みの鋭鋒も鈍ってしまう。
で、そうなるとどうしても自動的に、のうのうと生きている実際にメイスで頭を叩き割った実行犯であるエリスへと恨みが向いてしまう。
澄ました顔で被告席に立っているエリスに、いや悪い子じゃないんだけど、やっぱ怖い子ではあるなあ、と思う。
「判決を言い渡します」
グエンの退廷後も、しばらくは彼への悪口雑言で盛り上がっていた傍聴席が、一斉に静まる。
「被告の行為は殺人というとても重いものであるが、それに至るまでに幾度も穏便にことを済まそうとしていたことは認める」
恵一は、ぐっと拳を握った。正に、恵一の証言が影響を与えたに違いないからだ。
「殺人も、戦闘行為の結果によるものという見方もできるが、被告が冷静に状況を判断していれば命を奪う必要は無かったのではないか、というのは否めない。しかしながら、被告より冷静さを失わしめる事情があったことは考慮に値する」
リーンの時と同じで、上げたり下げたりというか、ここはしょうがないかもしれないけどそれを避ける方法もあったんじゃないの、でもまあその方法をとれない事情もあったのはわかるよ、というような話の持っていき方は、この世界の裁判官の定型なのかもしれない。
「三か月の、禁固刑に処す」
法廷内がどよめく。それが、軽いのか重いのか、よくわからぬ。元いた世界の日本の常識でいえば、人を一人殺しているのだから、軽いのだろう。
「無罪じゃないのか」
例の一団の辺りから、そんな声が上がる。彼らにしてみれば、契約破りという大悪事をした者を成敗したとて罪になんかならねえよ、という感覚なのだろう。
「三か月か……」
「まあ、そんなとこだろう。さすがに、無罪はな」
「本人も、後悔しているみたいだしな。本当に悪いのは、さっきの野郎だよ」
ヘルマンに恩を感じていた人々は、複雑そうだが、あからさまに判決に不満を漏らしている者はいない。
彼らにしてみれば、完全無欠の善人、のはずのヘルマンが契約破りなんぞをやらかしていたのが衝撃的であったし、そうなると無罪放免の可能性すら覚悟していたのだが、それでもやはり実際に手を下した人間がなんらかの罰を受けないと気が済まない、という感情はどうしても存在していた。
「あ、エリス」
引っ立てられていくエリスに、恵一は声をかけた。
「アマモトさん、留守中色々と頼みたいこともあります。明日にでも面会に来てくださいませんか」
「あ、ああ、わかった」
「それでは……」
エリスは、常と変わらず、悠々と引っ立てられて行った。
これにて第3章終了。
次から、もう少し話を動かしたいなあ。




