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 どしっ、どしっ、と――

 恵一は、剣を振り上げ、青年が張った魔力の壁に振り下ろす行為を続けていた。

「あらかじめ魔力の壁について詳細に説明していなかった私のミスです。すみません」

「うん、それは、いいけど」

 魔力の壁は、言うまでもなく張るのに魔力を使う。魔術を使うためのスタミナのようなもので、恵一はあっさりと「ああ、マジックポイントね」ということで理解していた。

 張り続けることで消耗はするが、それだけならば微量であり、青年のレベルならばかなりの長時間にわたって壁を張れるだろう。

 だが、魔力の壁は衝撃を受けると著しくその存在が縮小する。

 張った壁が、与えられる衝撃を完全に受け止めるというよりは、衝撃に対して同じだけの衝撃を返すことで、お互いの衝撃を相殺するような感じらしい。

 だから、どのように強力な攻撃を貰っても、壁の持つ容量を越えてさえいなければ術者が弾き飛ばされたりよろめいたりすることはないのだが、その代わり急激に壁は薄く小さくなってしまう。

 それを元の厚みと大きさに保つには、絶えず魔力を注ぎ込む必要がある。

「へえ」

 と、エリスの説明を聞きながら、一生懸命に剣を振っていた恵一も得心が行った。

「じゃあ、つまり、こうして、いる度に、この人の、魔力は、減り続けて、いるんだね」

「そうです。だから、無駄ではないのです。その調子で叩き続けてください」

「うん」

 どしっ、どしっ、と飽きることなく叩いていると、明らかに、壁が小さくなってきたのが目に見えてわかるようになってきた。

「そろそろ終わりですね」

「よーし」

 ようやくこの作業も終わりかと思うと熱も入る。

 それにしても、つまりはこの体勢になった時点で青年は終わっていたわけだ。

 これは、青年が魔術師としてのレベルこそ高いものの、戦闘行為の経験には乏しいことが恵一たちにとっては有利に働いたのである。

 仲間の男がやられて二対一になったところで、咄嗟に我が身を守るために全力で壁を張ってしまったのだろうが、悪手であった。

 例えば、ここで戦闘慣れした魔術師ならば、全力で壁を張ってしまえば他の魔術を発動することができなくなってしまうことを承知しているのでそのようなことはしない。

 それをしてもいいのは、仲間の男がごく一時的な戦闘不能に陥っているだけで、少し経てば戦闘に復帰してくるという確信があった場合のことだ。

 青年としては、そのつもりだったのかもしれないが、利き腕を傷付けられただけならばともかく、足を刺されて大量出血した人間はそう簡単に復活できないのだということを、経験不足の彼は瞬時に判断することができなかった。

 小さめの壁を左手に作って、それを盾のようにしつつ、右手で攻撃魔法を放つ、というような器用な真似もレベルからすればできるはずなのだが、それを咄嗟にするだけの余裕を持てなかったのだ。

「ふむ、さて……」

 壁がだいぶ小さくなってきたところで、エリスが青年に声をかけた。

 続けてろ、と目で言われたような気がしたので、恵一はせっせと小さくなった壁目掛けて剣を振っている。

「もう、魔力も尽きてきましたね。こうなってはどんなにレベルの高い魔術師でも、ただの人です」

 もはや恐れるに足りず、とエリスの態度からは本心からの余裕が漂っている。

「隣の部屋にいる債務者を引き渡してください」

 改めて、エリスは要求した。

 この状況ならば、わざわざ青年に引き渡しを受けるまでもないが、エリスとしては青年が自分からそうすることに拘りがあるようだ。

「そして、私に謝ってください」

 いや、エリス、気持ちはわかるけど――と剣を振りながら恵一は思った。

 きちんと、謝罪の言葉を聞きたい、という気持ちは痛いほどにわかる。でも、この青年のどこかおかしな倫理観から考えて、それは無理だろう。

 案の定、青年はなんの反応も示さない。

「土下座して、自分の浅はかな行動によって多大な迷惑をおかけしたことをお詫び申し上げます。まことに申し訳ありませんでした。と、謝ってください」

 構わず、エリスは要求を続ける。

 青年は、やはり無反応。

「自分は悪いことをしていたのに、それに気付かず善いことをしていたと思い上がっていたゴミです。あなたによってそのことに気付きされました。自分は生きている価値の無い生き物ですが、もう二度とこのようなことはしないのでお慈悲をかけてください、お願いいたします、と謝って額を床に百回叩きつけてください。そうすれば、半殺しで許して上げないこともないです」

「あ、いや、エリス」

 エスカレートする一方のエリスの要求に、恵一が口を挟む。

「そんなの、この人が聞くわけが」

「そんなことは、できない」

 恵一が言うのに、青年の声が被さるように重なった。

 ほら、やっぱり、という顔を向けるとエリスもまた、そんな顔をしていた。

「そんなの聞くわけがない、というのは私だってわかっています。ただ、万が一反省してそれを態度で見せてくれるならと思い、一応言ってみただけです」

 と、そんなことをしている間にも、恵一は剣を振り続けていたのだが……

「あっ、消えた」

 とうとう、青年が張っていた壁が無くなった。つまり、魔力が完全に尽きたということだ。なんらかの手段で回復させない限り魔法が使えない……つまり、ただの人になったということだ。

「あなたのような人間は、言ったって、いや実際に痛い目にあったってわからない」

 エリスが言いながら、右手を腰にやる。

 壁際にしゃがみ込んだ青年は、それをやや呆然と見上げている。

「あなた……勝っても負けても、そんな大事にはならないと思っていたでしょう?」

 エリスの右手が腰のメイスを掴んで手に取ったのを、確かに青年は見ていた。

「だから、そんな顔をしている」

 青年は、ある意味では物凄く無邪気な子供のような顔をしていた。

 あれ? いったい何が起こるのかな? と――いうような。

「自分は困っている人を助けただけ。困っている人を助けるのはいいことだ。いいことをしている自分がそんな酷い目に遭うわけがない」

 メイスが、上を向く。ぼうっ、とそれが光った。

「そういうあなたみたいな人間が、私は大嫌いです」

 重い音がした。

 エリスが振り下ろしたメイスと、青年の頭が接触した音だ。

「ちょ! エリス!」

 危機感皆無の青年とは違って、それを感じていたはずの恵一も、あれ? 本当にやるのか? という戸惑いが逡巡となって反応が遅れた。

 青年が横倒しに倒れ、頭から流れ出た血が床を浸し始めるのを見るに至って、いや、エリスは本当にやる子だよな、となんか遠くの世界の出来事を思うみたいに思っていた。

「あーあ」

 困惑した声を出し、それに続ける言葉を見失っていた。

 咄嗟に、なんてことするんだよ、という類の言葉が喉元まで出かかっていたのだが、そんなん言ったらエリスが怒るな、と思ったので飲み込んだ。

 それに、考えてみれば、既に一度戦闘になってしまい、そして謝罪を拒まれた以上、もう実際にぶっ叩くしかないのだ。

 青年はぴくりとも動かない。いや、時々痙攣はしているが……。

「こりゃ、どうかなあ」

 このまま死んでしまうだろうか。助けるには治癒魔法をかける必要があるが、この場にいてそれができる人間はエリスだけである。

 このようにした張本人であるエリスがそんなことしてくれるとも思えないが、殺すことで裁判沙汰になる面倒を考えたら、今の一発でとりあえず我慢して、治療したりしないだろうか。

「ん?」

 エリスにそれを言おうとしたら、彼女はメイスを構えていた。

 構えている、というふうには一目見た時には思えなかった。それというのも振り上げたりしているわけではなく、両手で柄を持ち、先端の球体部分を床につけるように下に向けているのだ。

 メイスは、まだぼうっとした光を放っている。

 エリスが、両手を右上に回していく。それに従って、メイスの球体が天井を向く。

 どっかで見たような形だなあ、と恵一は思った。そのまま両手を同じ軌道を描いて元に戻し、そのまま左に振り抜けば――

 ああ、あれだ。ゴルフだ。と、恵一は思い当った。

 ゴルフのスイングと同じ形なのだ。

「んん?」

 あれがゴルフスイングだとすると、ゴルフボールがあるべきところにあるのは……

「あっ!」

 と、恵一が気付いて叫んだのに一瞬だけ遅れて、

「死ねッ!」

 エリスが叫んでメイスを振った。

 ゴルフボールがあるべき場所にあった青年の頭にメイスが激突して、先程よりも大きな音が鳴った。

 何かが割れた、というのがなんとなくわかる音。

 何が起こったのか想像はついてしまうので、恐る恐る目をやれば、青年の頭は完全にカチ割られて脳漿らしき白いものが飛び散っていた。

「うわちゃー」

 こりゃ、死んだな、と諦観を抱きつつ、やはり恐る恐るエリスを見る。

「ふふーん」

 エリスは、勝ち誇ったような顔で、笑っていた。

 なんだかんだで、今まで見た中で一番純度の高い、心からの笑顔に見えた。

 できれば、青年は痛め付けるだけで殺さないで済ましてもよかったのでは、と思わないでもない恵一だが、その反面では、あれは殺したって自分の非を認めるような生き物じゃなかったのだから、いっそ殺っちまうしかエリスにとってはおさまりつかなかっただろうなあ、というのもわかってしまっていたので、あまり彼女を咎めたりするようなことをする気にはならなかった。

 嗚咽の声が聞こえてきたのはその時だ。

 その元はと見やれば、床に倒れ伏した男が発したものだった。

 時間が経ち、腿から流れた膨大な血が床に広がっている。

 エリスが歩いていき、その傷を見ると、屈みこんで手をかざし、腿の傷に治癒魔法をかけ始めた。

「エリス?」

 この人は助けるの? という疑問を含んでいることに気付いたエリスは頷いた。

「とりあえず、話を聞きます。その話次第ではやります」

 青年に与したもんは誰でも彼でも皆殺しじゃ、というほどに怒りが狂乱を招いているわけではないことにほっとしつつ、治療を見守る。

 腿の傷を塞いで、エリスがやや距離をとり、変な素振りしたら即斬れ、と言われている恵一が男の傍らに剣を持って立っている状態で話を聞いた。

 エリスが、わざと完全回復させるまで治癒しなかったので、男はまだ立てぬようだが声を出す分には問題無さそうだ。

 てっきり、青年に渡っていると思われたゴールドが手元に残っていたので、それを使って雇われたのかと思っていたら、男もまた債務者から金を貰っているわけではないことがわかった。

 では、何かと言えば、彼は青年に対する恩義のためにこの度の仕事を引き受けたのだという。

「恩義?」

「嫁と子供が大怪我をした時に、治療してもらったんだ。そんな金持ってないって言ったら持ってるだけでいいと言って……」

 治癒士の営業妨害していることには間違いないが、青年のそういった行動は、こういう治療費が払えない、という人間にとっては「恩義」としか呼びようがないありがたい行動だったのだな、と改めて認識させられて、恵一は少々後ろめたい気持ちになった。

「ふむ、そうですか」

 そんなもん欠片も感じちゃいねえ、という顔しているのはエリスである。

 だが、男に悪意を感じているかというと、そうではないらしい。

「まあ、それは確かに恩には間違いありません。それに報いようとするのも当然のことです」

 しかし……とエリスはやや顔を曇らせる。

「あなたは、ことの次第を知っていたのですか?」

「ああ……」

 つまり、金があるのに返さないで逃げている債務者を匿っているのだということは、承知していたということだ。

「そんなの、さっさと金貸しに突き出してやれ、とは言ったけど、あの人は聞かなくて」

「もっと、強く言って欲しかったものですね」

 呆れたように、エリスは言葉を吐き捨てた。

 まったくその通りだし、それがよくないことだと認識しているのならば、せめて実際に剣を取って味方することは避けて欲しかったと恵一も思った。

「ですが……まあ、恩人にどうしてもと言われたら断れなかったのだというのはわかります」

 言いながら何時の間にか、腕の傷も治療してやっている。エリスとしては、恩に報いるという行動自体に対しては好意を持つらしい。

 見るからに意気消沈している男は、脳漿ぶちまけて事切れている青年の死体を改めて見やると、深く大きな溜め息をついた。

「こうなることも想像していないわけじゃあなかったが……」

 だが、結局は殴り込んでくる金貸し――つまりはエリスのことを甘く見てしまった。

 呪術を使った状態でも青年の方がレベルが高いのだから、こちらが圧倒的に有利という気になるのも無理はない。

 だから、どうせこちらが勝つだろうから問題あるまいと思ってしまった。

 青年は、自分を殺しに来た相手に対してもそうひどいことはしないだろうし、万が一しようとしたら自分が止めればよいと思っていた。

 それが、結末は恩人である青年の死である。

 男にとっては悔んでも悔やみきれまい。

「まあ、あなたに非が無いわけではありませんが、その人は自分で自滅したようなものですよ。あまり気に病まないよう」

 やはり、エリスはこの男に対しては妙に優しく、気遣うようなことを言った。

「エリス……肝心のが残ってるんじゃないか?」

「ああ、もちろん忘れてはいませんよ」

 エリスが、隣室を見る。

「えーっと、エリスさあ……やっぱり、その債務者の人も殺すのかな?」

 青年を殺った以上、そっちも同じ所へ送ってやるのであろうと九割九分確信しながら尋ねる。

「さあ、それは話してみてからですね」

 だが、意外にもエリスは完全に殺す気でいるわけではないらしい。

「そもそも、そんな大層な……」

 と、そこまで言ったところで、隣室から音がした。

 おそらく、窓を開けた音であろうことは推測がつく。

「逃げましたか」

「そのようだねえ」

 二人のある意味ではとても暢気な様子に、男が、

「いいのか? 逃がして」

 と、二人よりも焦燥に駆られたような表情で言った。

 彼にしてみれば、自分がそのようなことを決める権利など無いことはわかっているが、青年があんなことになった以上、そもそもことの原因を作った債務者がこのまま痛い目にもあわずに逃げてしまったら、なんだかとても納得がいかないのだ。

「あ、そうか。契約があるか……」

 だが、ふとそのことに思い当ったようだ。青年のようなタダで守ってくれるような奇特な人間がそうそういない以上、防護魔法の効力が切れた頃を見計らって契約による罰則を発動すれば邪魔するものなく、その激痛は債務者を襲うだろう。

「まあ、それもありますが……」

 つんざくような男の悲鳴が聞こえてきたのはその時だ。

「おう、やったなアン!」

 とかいう声もその後を追うように聞こえてくる。

「逃げられると思ったかコラ!」

 心の底から楽しそうなケイトの声を確認して、二人は悠々と家を出た。

「おう、こいつだろ、債務者って」

「窓から出てきたから、とりあえず撃っておいたぞ」

 ケイトとアンの足下で、右足のふくらはぎの辺りに矢が刺さった男が苦悶の表情をして倒れている。

「まあ、人目がありますから、中へ」

 夜になって人通りが少なくなった頃を狙っていたとはいえ、それが全く無いというわけでもない。

 恵一が引きずって、債務者の男を家の中へと引っ張り込む。

 その後についてきたケイトとアンは、まず男の姿を認めると身構えた。

「おっ、なんだ。敵じゃないのか、そいつ」

「ああ、違う違う。敵……だったんだけど、今は違う」

 と、説明する間に、青年の死体というもっとインパクトのあるものを発見してしまい、ケイトとアンの目も興味もそちらに移ってしまう。

 恵一は、手短に、この青年が一度見かけたことがある治癒士に罵倒されていた青年であるということも含めて一通り説明した。

「へえ、そうなんだあ。で、そっちのおっちゃんは、この兄ちゃんに奥さんと子供を助けてもらったことがある、と」

「うん」

「ふぅん」

 と、ケイトはやや感慨深いものがあるらしい。

「その兄ちゃんが、あたしの病気を治療してくれてた、としたら……たぶんあたしの父さんも同じことしたと思うよ」

 もし、青年がもっと早くこの王都に現れて自分たちと出会っていたら、と考えたことが一度や二度はあるケイトとしては、青年がやらかしたことでエリスが大迷惑を被ったというのは理解しても、その死に対しては、あまり冷淡ではいられないようである。

「安く治療してやってるだけなら、みんなに感謝されてこんなことにはならなかっただろうにな……治癒士には恨まれただろうけど」

 ケイトの言葉に、悔しさをまだ拭い去れぬ男が、苦しそうな顔で頷いている。

「つかよ、そもそもの元凶はよ」

 と、ケイトが視線を転じる。

 その先では、青年の死体の前に膝をついて項垂れている債務者がいた。

 それまで、足が痛い矢を抜いてくれ治療してくれ、謝る金は返す、んで謝るからなんとか勘弁してくれと騒がしかったのだが、今は一言も無い。

「グエンさん……」

 エリスが、債務者――グエンに声をかける。

「さすがに、この人の死を目の当たりにして言葉も無いようですね。……それでも騒いでたら即殺してました」

「あ……あ、ああ……」

 嗚咽のような、恐怖に震えたような声が漏れた。

「どうせあなたのことですから……こんな最悪の結果になるなんて考えてもいなかったのでしょう」

 エリスの声に、怒りと呼べるような感情は乏しかった。それよりも、それを向けられた者が寒気を感じるような冷たさがあった。

「魔術印の契約書を、呪術師の私と交わしておきながら短絡的に逃げるような人ですからね」

 どんどん安易に、墓穴を掘るようなことをして、心のどこかしらでその墓穴に自分が落ちることはあるまい、となんの根拠もなく思い込んでいる。

 そんな人間だからこそ、ついつい嘘をつき、ついつい逃げたりできるのだ。

「家宝を売ったお金を僅かとは言え手放したくなかったのですか? でも、それであなたが二万ゴールドを惜しんだ結果が、コレですよ」

 あくまでも、エリスの声は軽蔑を冷たさで包んだような寒々とした響きをしている。

 それは、グエンの心を十二分に打ちのめしているであろうが、ここにいる誰もが、それをやり過ぎだとは思っていない。どのようにそんなつもりはなかったとしても、結果は色々おかしなところや独善的なところはあったと言えども、困っている人間を助けたいという気持ちを持っていた一人の青年の死なのだ。

 誰もが、エリスがグエンの心に加えている攻撃を、大なり小なり仕方の無いことだと思っていた。

 いや、ただ一人アンだけがいつものように「なんかよくわかんない話してるけど、わかんなくても困らないから問題無いぞ」と言わんばかりの顔をしているが。

 声にならぬ音声を口から出しながら、グエンは上半身を前屈させ、青年の死体に対して跪いた形になった。

「なあ、エリス……この人、どうすんの?」

 かなりきつめの言葉攻めをしているものの、今のところそれだけである。

「もちろん、それなりに痛い目に合……」

 やはり肉体的制裁もやるのか、と思ったところ、エリスは不自然に言葉を切った。

「この人、だいぶ手広く治療をしていたようですが……」

 しばらく沈思黙考した後に、男に声をかけた。

「あなたのように、恩を感じている人間は、やはり多いのでしょうか?」

 突然話を振られて、まさか自分に来るとは思っていなかったらしい男は、ああ、とか、うん、とか言って幾分戸惑っていたようだったが、

「そりゃあ、恩に思っている人間は多いだろう」

 それが、死んでしまった青年の名誉に関わることであるかのように、強い調子で男は言った。

「ふむふむ、なるほどなるほど……」

 まさか、エリスがそんなことで情状酌量の余地とするとも思えないが……と言うか、その余地によって救われるべき青年はとっくに殺っちまっているのであるが。

「グエンさん……」

 ひっ、という悲鳴を漏らしつつ、エリスから距離をとろうと這いずるグエンにかけられたのは、冷たい声であったが、内容はそうではなかった。

「いいでしょう。とりあえず、有り金全部貰ってよしとしましょう。……ああ、裁判で証言はしてもらいますよ」

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