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にこやかな青年

「……」

「……ん? どうした?」

 いつまでもドアをノックしないエリスに、訝しげに恵一が尋ねる。

 決まりきっていない覚悟を、それでも無理にでも決めているところなのだから変に焦らさないで欲しい。

「……合図を、決めておきましょう」

「合図?」

「ええ」

 エリスが言うには、相手との会話交渉は全て自分に任せてくれていいが、脈無しと思ったら攻撃する。

 もちろん、相手もそれあるを期しているだろうが、少しでも悟られぬようにしたい。

 あからさまに、やっちまってください、とかそういう言葉で口火を切るのは避けたいのだ。

「あー、それもそうだな。じゃ、どうする?」

「……あなたの言う通りです」

「へ?」

「あなたの言う通りです、と私が言ったら攻撃してください」

「お、おう」

 単純だけどえげつない。

 相手がよほど警戒していない限り、そう言われれば自分の言い分が通ったと思って油断するだろう。

「それでは」

 ドアをノックしようとする手が、震えた。

「エリス?」

「ふぅ……やはり、緊張しますね」

 と、全く緊張しているようには見えない無表情で言った。

「エリス……緊張、してるのか?」

「してますよ」

 堂々として、そんなものとは無縁と思っていた。

 てっきり、こういった荒事の経験があるのかと思っていたのだが、どうも無いらしい。

 ついつい、彼女の冷静な態度をもってそう判断してしまいがちなのだけども、エリスのそれは発作を防ぐための努めての冷たさであることは、常に頭の片隅に置いておく必要がある。

 ――と、いうことは――

「おれか」

 と、ぽつりと呟いた。

 エリスにそういった経験が無いということは、戦闘経験があるのは自分だけである、ということだ。

 ずっしりと、重みがのしかかってくる。

 責任感とか、そういうものの重みだ。

 だが、奇妙な昂揚もある。

 エリスは、自分を頼りにしているであろう――口には出さないし、態度にも全く見えてはいないのだが、状況的に、そうであろう。そうに違いない。

 おれがヘマしたら大変なことになるぞ、という重圧と、しかしおれがやらねばこの子はどうなる、という昂揚。

 ケイトに対して抱き続けている感情であるが、エリスからは初めてであり、ちょっとそれが新鮮であった。

「よしっ」

「……アマモトさん?」

 一人握り拳を作っている恵一に、エリスが不思議そうに呼びかける。

「ああ、まあ、おれに……」

 そこは先天的にビビりの悲しさ、すっぱりと言い切ることができずに少し言葉が停滞したが、

「おれに、任せろ」

 なんとか、言った。

 言ってやったぞ、と昂揚する恵一を、

「はあ、では、お任せします」

 と、あくまでも不思議そうにエリスは見ていた。

「では……」

 改めて、エリスがドアへと向き合い、手を上げる。

 トントン――

 と、ドアを叩いた。

「はい」

 と、返事をしながら、凄くあっさりと、なんの警戒も無い様子でドアが開かれた。

 調査屋の報告によると、尾行もやり放題の無防備っぷりであったそうだが、やはりどう見ても追われる者を匿っているという自覚がありそうには見えぬ。

 ドアを開けたのは、若い青年だった。三十歳は行っていないぐらいだろうか。

 にっこりと笑って、非常に人当たりがよさそうである。

「ん?」

 恵一は、少しだけ感じた何かの正体が掴めずに訝しんだ。

 どこかで見たことがあるような気がする。

 誰かは思い出せぬが、見たことは絶対にある。勘違いというのはありえない。

「ん? はじめまして……だね」

「はい」

 と、エリスが頷く。

 青年は、じーっと彼女の顔を見ている。

「治療を頼みに来たのかな? ……いや、しかし」

 青年は、自分で言ったことをすぐに自ら否定した。

 エリスの御面相は重病人のそれであるから、そう思ったものの、彼女がふらつきもせずに立っているのを見て、思い直したのであろう。

 そして、その言葉から一つの情報が見出せる。

 治療を頼みに来た、つまり治療を頼まれることがよくあるということであり、治癒魔法をこの青年は使える魔術師であるということ。

 青年が、ここの家主である高レベルの魔術師――すなわち、エリスの契約履行を邪魔した者に違いあるまい。

 恵一にわかったのだから、エリスも当然そのことは察しているだろう。

 にっくきクソ外道を前にして感情穏やかなはずもないが、そこはいつもの無表情で覆い隠している。

「うん、そうか」

 と、青年はやはりにっこり笑いながら言った。

「君は、呪術師だね。……そして、おそらく名前は、エリスさん」

 にっこりと言った。

 にっこりと言うことか、と恵一は思いつつ青年を見やる。その視線に多分に恐れに似たものが含まれている。

 エリスの名前を言い当てたことについては、驚いたと言えば驚いたが、少し考えてみれば不思議なことではない。

 エリスが追う債務者を匿っているのだから、対策を講じるためにも彼女の名前やらレベルやら人となりやらは彼から聞き出して知っているだろう。

 だが、そのことは自分が匿ってますよと宣言しているようなものであり、それをなんの気負いも無くやってのけているのが、不気味と言えば不気味である。

「はい、エリス・アッシュと申します」

 エリスの対応や如何に、と固唾を飲んでいた恵一だったが、エリスもそこは隠さずにすんなりと名乗った。

「ああ、やっぱり」

 笑顔である。

「じゃあ、用件はアレだね」

「アレです」

「まあ、どうぞ。こんな狭いとこで立ち話もなんだし」

 笑顔を崩さず、青年は二人を招じ入れた。

 家の中に債務者は隠れているに違いなく、中へ招き入れるということは、追う者と追われる者の間の距離を縮めることに他ならない。

 それを阻むべき立場である青年が、自らそうすることに、やはり恵一としては不気味さを感じてしまう。

 エリスも、さすがに困惑したのか、すぐには対応ができずに沈黙にくれた。

 共同住宅の玄関は、とても狭い。

 そして、その狭さは二人である恵一たちに、一人で対する青年にとっては有利である。

 恵一とエリスとしては、ある程度の広さがある場所でないと、二人であることを活かしにくい。

 狭いところで肩を並べて対しては、青年の方は一方向だけに注意を向ければよい。

 レベル差があるため、一人一人では勝てぬであろう恵一たちは、挟撃の形に持ち込んで青年が二つの方向へと意を払わねばならぬ状況にするのが勝利の鍵となる。

「では、お言葉に甘えて……」

 と、エリスが少し考えてから、青年の申し出に応じた。

 戦闘前の駆け引き交渉についてはエリスに全て任せてあるが、さすがに大丈夫か、と思う。

 既に、窓などから債務者を逃がしてしまっているから安心しているのだ――という危惧は抱いていない。

 そちらへは、ケイトとアンを配してある。

 債務者はほぼ戦闘能力が無いらしいので、やると決めたら全く容赦の無い二人にかかればどうとでもなるだろう。

 あくまで、この家の中に債務者がいるとして、そこへ恵一たちを招き入れることの意図は、もう部屋に罠を張っていることしか思いつかない。

「エリス、おれが先に行くよ」

 そのことに思い至った瞬間、思わず先に行くエリスを呼び止めていた。

「……そうですか。では、お願いします」

「ああ」

 じりじりと警戒しつつ部屋に入る。

 青年は、それを不思議そうに見ていたが、やがて、朗らかに笑った。

「別に、罠なんか無いよ」

 笑って言うのだが、罠を仕掛けた当人が罠があるよ、と言うわけはないのだ。恵一は警戒を解かずに進んだ。

 青年は、言っても無駄と悟ったのか、警戒する恵一を放置することにしたようだ。

「……確かに、魔法の罠でもあるかと思いましたが……」

 エリスが、呟いた。

「ありませんね……アマモトさん、大丈夫です」

「え? そ、そう?」

 エリスもまた、罠の存在は当然のことながら予想して、探っていた。

 上に乗ったら電撃が走って足を動けなくするような類の魔法の罠を彼女は警戒していたのだが、それは無いのだということがわかった。

「まあ、どうぞ」

 部屋の中は、そんなに狭くない。六畳間ぐらいの広さがあり、さらに奥にもう一つ部屋がある。

 エリスは澄まして、なんの興味も無いという風情であったが、恵一の目は、別室の入り口に吸い寄せられていた。

 まず間違いなく、標的たる債務者はそこにいる。

 いったい、どういう気持ちで隣室の様子をうかがっているのであろうか。

「用件はおわかりのようですが、少し確認させてください」

「ふむ、どうぞ」

 エリスの態度はあくまで冷静であり、青年のそれはにこやかな笑顔を伴った穏やかなものである。

「私がお金を貸している債務者のグエンさんを御存知ですね」

 知っている、というふうに青年が頷く。

 グエンって人だったのか、とそう言えば名前を知らなかった恵一も、内心頷いていた。

「その方が、返済をせずに所在をくらましたことは?」

「うん、知っている。というか、隣の部屋にいるよ」

 と、これまた、まあ察しはついているのでそう驚きはしないが、お前が自分から言うかということを平然と言ってくれる。

 ますます不気味さが募ってくる。いったい何を考えているのか。

 必死に表情などから読み取ろうとするのだが、恵一とて齢十七の若僧である。そうそうわからぬ。

 どう見ても、にこやかな笑顔を絶やさぬ――いわゆる「いい人」にしか見えないのだ。

 しかし、手放しに「いい人だ」と言えぬことをやらかしてくれているのは確実だ。

「……では、彼が先祖代々の家宝を売り払って、私に返済をしてもなお余るぐらいのゴールドを手にしていたのにも関わらず逃げた……ということは御存知ですか?」

 無表情のエリスのそれに、一筋刃物のような相貌が見えた。

 そうか、と恵一は今一つの可能性に思い当った。

 これまでは、魔術師は金で雇われて不法行為を扶助している悪党であるという前提に立っていたが、その割には青年に屈託が無さ過ぎる。

 悪事を働きつつのその態度――にこやかさにいったいこの人の倫理観はどこを向いているのだろうと思い、そこへ底知れぬ不気味さを感じていた。

 だが、もしかしたら、債務者が返済する金があるのにそれを惜しんで逃げたのだということを知らないのではないか。

 それならば、まったくの善意で匿って、契約の履行を防ぐのも、エリスにしたらそれを善意と呼びたくはなかろうが、恵一としては納得がいく。

 今、にこやかに招き入れて話をしようとしているのも、ちょっと返済はできないから契約にある罰則は待ってやってくれとエリスを説得しようとしているのではないか。

 いやいや、おそらくそうに違いない。

 きっと、その笑顔を曇らせて、そんなことは初耳だぞと言うに違いない。そうなれば隣室にいる不届き者はおしまいだ。

「うん、知っているよ」

 だが、青年の口から出てきたのは、恵一の全く予想していなかった肯定の返事だった。

 しかも、相変わらずにこやかな笑顔から発されたのだから、わけがわからない。

 つまり、全て知った上で逃亡の手助けをし、契約による罰則を防いでやった、ということだ。

 いや、駄目だろう。そんなことしちゃ――

 というのが、偽り無い恵一の気持ちであった。

 金が無くて返済ができないので逃げてしまったが、このままでは罰則を発動されてしまう、という話を聞いて同情して防いでやった、というのならば百歩譲ってわからぬことはない。

 だが、金はあるのだ。

 罰則を防いでやるのは、よしとしても、それと同時にいつまでもこのままじゃいかんから、ちゃんと謝って金返してこいと諭すべきであろう。

 或いは――そうしようとしているのか。

 ビビって嫌がる債務者を説得中ということであろうか。

 だが、そんな様子は窺い知ることができない。

 そうならば、とっくに向こうから、ちゃんと金を返せと説得しているのだがどうしても言うことを聞かないで困っていたところだ。だがこうして居場所を突き止めて乗り込まれてしまった以上はしょうがない。彼も観念するだろう。すぐに返済させるから、制裁については勘弁して貰えまいか、という説明とお願いの言葉が出て来ているはずだ。

 しかし、そんなことは青年の口から出てこない。

「私が契約にある罰則を行った時に、それを邪魔する防護魔法をグエンさんに施していたのは、あなたですね?」

「うん、そうだよ」

 これもまた、わかっちゃいるけど念の為、という確認なので答え自体は想像していたものなのだが、ひたすら笑顔なのがどうしても解せない。

 さすがのエリスも感情を抑え切れぬようで、

「そうですか」

 と、言った声の冷たさが尋常ではない。

 無理からぬことと理解はするが、あちらは変わらぬ態度――つまり平静そのものであるのに対し、エリスが感情を動じさせてしまうのはよくない。

 交渉全般、戦闘開始から或いは一旦退くことまで、全てをエリスに任せているのだ。冷静さを失ってもらっては困る。

「エリス」

 その心配が伝わるように、諭すような声音で名前を呼ぶ。

「ええ」

 冷静を保たねばならぬことは、エリス自身がよく知っている。

 恵一の声に、感情の浮沈の感じられぬ、いつもの様子で応えた。

「少し調べさせていただきました」

「ほう」

「あなたは評判もよく、みなさん悪く言う人はいません」

「ああ、お金が無い人の怪我や病気を安く治療して上げているんだ。そのことにみんな感謝してるみたいでね」

「えっ……」

 何気なく青年は言ったが、それは恵一が最初に彼を見た時に感じたものの頭の片隅に追いやっておいた違和感を刺激した。

 どこかで見たことがあるのは間違いないのだが、誰だかわからない。

 その霧がいっぺんに晴れていく。

 この青年は、以前に見たことがある、例の治癒士に責められていた青年だ。

「あなたですか。治癒士の仕事を取って恨まれてるのは」

 エリスも、そのことに気付いたようだ。

 元々、悪意無しとはいかぬので、どうしてもその言葉には鋭いトゲがある。

「ははは、まあ、治癒士の人には、ね」

 いつか治癒士に責めまくられていた時のような苦笑いを浮かべて、青年は言った。

「別に、それはあなたの勝手ですからどうこう言いません。法に触れることでもありませんしね」

 治癒士を生業にしている者にとっては大迷惑な青年の行いだが、治癒を引き受けた際の報酬が定められているわけではない。

 治癒士同士の繋がりでカルテルのようなものがあるわけでもない。

 だが、実際のところ、治癒士たちは半ば暗黙の了解のうちに、価格の上限と下限を一定のところで押さえているところはある。

 その「一定」の下限の方を豪快に超えている価格設定をしている青年は、恨まれこそすれそのことで官憲に引っ張られたりはしない。

「ですが、まあ……ほどほどにしておいた方がよいですよ」

 エリスは善意から忠告した。

 どうしても善意よりは皮肉に聞こえてしまうが、彼女は皮肉や嫌味も相手によってはどんどん言い放つものの、一方で時々ごくごく普通に善意からの忠告をすることもある。

 いくら、法によって官憲に裁かれぬと言っても、それはあくまでも正攻法の話である。

 正攻法にならざる方法――つまりは生活が脅かされた治癒士が結託して凶行に及ぶ可能性がある。

 治癒士、という職業からは荒っぽいことをする人間たちは想像しにくいが、純粋に金儲けが目的の者だって中には当然いるのだ。

「ははは、まあ、うん」

 青年は、エリスの忠告の意味を察しているのかいないのか、危機感の類が全く感じられない笑顔である。

「まあ、それはどうでもよいです」

 実際、エリスにとってはどうでもよいのだ。

「契約の履行を邪魔することは、みんな許しませんよ」

 みんな――という言葉の中に、魔術印の契約を利用している全ての人間と、それによる秩序を保つ責務を自覚している国の上層部が含まれている。

 そして、その裏には、自分がお前を害したところで誰もがその行動を是認するのだぞ、という脅しがある。

「手を引いてください。今、手を引けば不問にします」

 エリスは、青年の明るい笑顔を探るように視線で射ながら言った。

 エリスは冷静だ。

 恵一は、ほっとした。この青年に対する怒りは腸が煮えくりかえって毛穴から湯気が噴き出すぐらいに抱いているはずなのに、怒りに任せて戦闘開始してしまうような軽々しさは無い。

 青年が、高レベルの魔術師であり、これとの戦闘はそれ自体がリスクである、という前提を見失うようなことはない。

 この時点で手を引いて、債務者を引き渡してくれれば不問に処す――

 いくら高レベルとは言え、二人相手に戦闘になるのはあちらにとってもリスクには違いない。

 それを回避できるのだから、取引としては悪くない。

 エリスは、当初は頭から相手の魔術師を契約など知ったことかと嘯くような、根っからの悪徳魔術師と思っていたのだが、青年の様子を見て、取引が通じるのではないかと認識を改めたのだ。

「いや、それはできない」

「えっ……」

 てっきり、応じるか応じないにしても苦渋の決断といったふうな苦悩の末であろうと想像していた恵一のそれを完全に裏切って、青年は一瞬たりとも悩む素振りも見せずに断言した。

 なんだか、おかしいぞ――

 にこやかで人当たりがよさげで、これは無闇に戦闘に訴えずとも話が通じそうだなと思っていたのに、なにかが違う。

「なぜです? ……グエンさんから、報酬を受け取っているからですか?」

 エリスは、依然として探るような眼つきを青年に向けつつ、言った。

「報酬? ああ、いや、そういうものは貰っていないよ」

 青年は言った。にこやかに、だ。

「つまり、仕事としてではなく、善意で彼を助けたというわけですか?」

 訝しげに、エリスは重ねて尋ねた。

「まあ、そういうことになるかな。かわいそうだったからね」

 にこやか、である。

「それによって、私はとても困っているのですが……それについては何か思うところはありませんか?」

 エリスは、激怒しているはずなのだが、それを表出させずに、言った。

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