罠っぽい
翌日、エリスがまた五十ゴールドあげるから例の薬に火をつけたものを入れた壺を持って見ていて欲しい、と頼んで来た。
「え? ってことは……」
「はい、もう一度、やります」
例の、契約による罰則をやろうというのだ。
「でも、防がれるんじゃ?」
「おそらくは」
恵一は、はてなとエリスの意図をはかりかねたが、彼女が無駄なことを敢えてやるということもあるまいと考えた。
「あ、そうか。その防護魔術だってずっと効くんじゃないんだ」
「そうです」
エリスが頷いた。どのように高レベルの魔術師がかけたものであろうと、持続には限界がある。
「被術者に防護の魔力障壁を張るような術ならば、せいぜい半日が限度でしょうね」
それならば、定期的に新たに施術してもらわねばならぬということだ。
「ポイントは、その際にあちらにも、罰則が発動されたことがわかるということです」
「ん? つまり、あっ、今やられたぞ、って向こうもわかるんだ」
「はい」
「……あー、そうか」
いよいよ得心がいった。
最初は、単純に駄目元で防護魔術が効いている時と効いていない時の合間にいわばまぐれ当たりを期待してやるのかと思っていたが、そうではない。
相手に、まだ諦めていないぞ、油断して防護魔術をかけるのを怠ったりしたら酷い目に遭うぞと警告し、プレッシャーを与えるのだ。
その程度で恐れをなして姿を現し、詫びを入れてくる可能性は低いだろう。
だが、エリスは、最早今回の件に関しては金銭的な損得よりも、約束を破って彼女を裏切った債務者への制裁を優先している。
そのために、そのように精神的な攻撃を加えること自体が、彼女の目的にかなうのである。
さらには、債務者に防護魔術をかけている魔術師に対する牽制の効果もある。
あくまでも、債務者自身にそのような能力は無く、魔術師を雇ってそれに防護してもらっているのだ。
しつこく、何度も罰則を行えば、魔術師の方がいつまでも付き合っていられないと、はっきり債務者へそれを告げるか黙って姿を消すかはわからぬが、逃げてしまう可能性が期待できる。
「ん? あれ?」
よし、それではやろうということになり、いざその時になって恵一の中に疑問が芽生えた。
「どうしました?」
既に、エリスは契約書を広げ、ナイフを持って準備万端だ。あとはまた指を傷付けて血を流し、呪術による契約行使をするだけだ。
「いや、なんか……あ、そうか」
恵一は、自らの疑問の正体に気付いた。
気付いたきっかけは、自分が持っている壺の中身に思いを致したからである。
このようなものを持って待機していることを頼まれた以上、またこの前のようなことがあるかもしれぬということだ。
防護されるという予想外のことが起きたために、感情が昂ぶってしまった前回と比べれば今回はそうなることは予想済みであるから、あれほどに酷いことにはならないのかもしれないが、呪術を行使するということは変わらない。
ということは、当然のことながらエリスの体に悪影響があるということだ。
「だ、大丈夫か?」
エリスの体はもつのか。
「それはかまいません」
だが、そんなことは恵一よりもエリスの方が嫌と言うほど先刻承知のことである。
「さ、それでは始めますよ」
心配そうに見つめる恵一をよそに、当人は淡々とした態度で、以前と同じことをした。
指先を切り付け、溢れ出た血を垂らし、伸ばし、その上に傷口を重ねる。
息を止め、張り詰めた表情で契約書とその上に広がった自らの血を見つめている。
「ふぅ……」
息をつく。それに合わせて付き合う必要は無いのだが自然と息を止めていた恵一とケイトも息をつく。
「やはり、駄目ですね」
元よりそうなるであろうことはわかりきっていたことだ。エリスはやはり淡々としていた。
だが、一応辛いことは辛いらしく、恵一を手招きした。
壺を渡せ、という意味だと了解した恵一は、そうしてやる。
「はい、五十ゴールド」
「まいどあり」
ほとんど何もしてないのにこんなに貰っていいのだろうか、という恵一を軽やかに無視してケイトがゴールドを受け取る。
「さて、それでは私は落ち着いたらまた出掛けます」
その日も出掛けたエリスが、複雑な表情で帰ってきた。
「おう、どうだった?」
ケイトが声をかけるのに、反応が無い。
恵一とケイトは顔を見合わせる。
あまり愛想のよい人間ではないが、声をかけられてそれを無視するような性質ではないことはわかっている。
その表情からして、何か深く考え込んでいるふうであったから、どちらが言うともなく放っておくことにした。
あれから――二回目の罰則発動から、三日ほど経っている。
その間、毎日エリスは依頼している調査屋のところへ行って進捗状況を確認していた。
常に悪くない結果が出ているようで、相変わらずの無表情ではあったが、機嫌はよさそうであった。
一日ごとに、調査の手は着実に標的に近付いていた。
突然、その手が空を掴んで標的たる債務者を逃してしまったのだろうか?
そうと決め付けそうになるが、エリスはあからさまに落胆しているというよりかはとにかく解せぬことに突き当たって考え込んでいるように見えた。
「エリス」
「……ん? ああ、なんですか?」
少し待ってから、そうっと声をかけてみると、今度は反応した。
「どーしたんだよ上の空だぞ。なんか悪ぃ結果が出たか?」
「いえ……」
エリスは首を横に振った。
「むしろ、いい感じです」
「それじゃあ……」
いいじゃん、と言おうとしたケイトに、被せるようにエリスが言った。やはり複雑な表情で、だ。
「よすぎて、却って不安です」
「へ?」
「よすぎる? って、どういうこと?」
「本日の報告で、遂に潜伏場所がわかりました」
「おう……よかった、んだよ、な」
それがわかったのならば、後は乗り込むだけである。今回の件での最大の懸念事項はこの広い王都から逃亡者を探し出せるか、というところだったのでそこがクリアできたのならば喜ばしいことに違いないのだ。
「えっと、なにが不安なの?」
「調査屋の人間が、それらしい人間を見かけたという場所の近辺で聞き込みをしていたそうです」
逃亡者であるから、当然どこかに身を潜めているはずである。
だが、人間一人が完全にこの人口密度の高い都市で隠れおおせるのは不可能に近い。
じっと身を潜めると言っても、ものを食わねばならぬし、食えば排出もする。
当人が食料を求め或いは排泄のために、外に出ないで代わりの者がそうするにしても、少なくとも他者との接触なしでいることはできない。
だが、あっさりと見つかった。
見つけた調査員も拍子抜けしたらしい。
普通に、出歩いていたのだ。
あまりにもあっさりと目の前に現れたので、よく似た別人かと思ったが特徴としては一致していた。
そして、やたらとビクビクと周囲を気にする様子は、やはり逃亡者に相応しいものであった。
そんなにビクビクするならば往来に出て来るべきではなかろうが、そこは食料調達など止むにやまれぬ理由のためだろうか――
だが、そこで一つ思い当ったのが、潜伏場所の移動である。
より見つかりにくく、便利な場所へと移動するためではないだろうか。
それならば、危険を冒して外に出て来る理由としては十分である。
ただ、運が無かった。
よりよい潜伏場所という魅力には抗えず、多少の危険を覚悟の上で出てきたのだろうが正に、そこを捜索中の人間に発見されるとは運が無い。
よく見ると、同行者がいた。
まだ若い男だ。標的であるエリスの債務者と時折言葉を交わしている。
遠いために何を話しているのかはわからなかったが、債務者の方がびくびくおどおどしているのに対して、男の方は悠然たるものである。
見るからに、そういう逃亡者の手引きに慣れているのか、という感じだ。
あれは、もしかしたらそういうプロかもしれぬ、と調査員は思った。
借金やらなにやら、様々な理由で逃げる者へ潜伏場所を手配し、その逃亡を助けることで報酬を受け取る者が、むろん大っぴらに看板を掲げているわけではないが、この王都にはいるという。
とにもかくにも、やることは一つだ。尾行するのだ。
尾行の技術は必須のものだ。その調査員はまだ若かったが、一通りのことは叩き込まれている。
細心の注意をもって開始したが、そのうちにそんなものは必要ないのではないかと思い始めた。
債務者は、相変わらず周囲を頻りに気にしていて、後ろを振り返ることもしょっちゅうだったが、なにしろド素人だ。一通りの心得を承知した上で尾行する調査員を視界にはおさめても、気付けない。
おかしいのは、同行者の男の方だ。
まったく、周囲に注意を払うということをしない。
むしろ、キョロキョロ見回している債務者を大丈夫だとでも言うように宥めているように見えた。
大丈夫ではない。しっかりと尾行されている。
逃亡者の手引きのプロかと思ったが、事情をよく知らずに債務者の面倒を見ているだけの素人ではないか、と思えてくる。あれがプロなら、とんでもない能無しである。
しばらく歩くと、二人はとある飲食店に入った。その際も、債務者の方は不安そうにしていたが男の方はそんなものは微塵も無い。
食料を調達するのか、と思った。当然、持ち帰るつもりであろうと。
だが、二人して席についたので、驚いた。
店の前で出て来るのを待つつもりだったが、そこで立ち止まっているとあのプロではないであろう同行者の男はともかく、さすがに債務者の方に怪しまれるかもしれない。
一瞬だけ悩んで、店に入って席についた。
すぐに出て来るものを、手持ちの金でぴったり払えるように頼む。
二人が店を出た時に、すぐさまこちらもその後に続けるようにとの配慮であったが、あまり必要は無かった。
二人は、どっしり腰を落ち着けて飲み食いし始めたのである。
少量とはいえ、酒まで頼んでいるのに、調査員は呆れるしかなかった。
はじめはこんなところにいていいのかという顔をしていた債務者も、おそらく久しぶりに飲んだであろう酒のせいでその辺の緊張感がきれいに抜け落ちた。
そして、常に緊張感と同居していた彼にとっては、その状態が心地よいのか、いかにも解放感たっぷりに飲み食いしていた。
店を出てからは、いよいよ二人揃って周囲に気を配らず、尾行するにはこれほど楽な相手もいないという体たらくで歩いていく。
これならば、と思い切って距離を詰めてみたところ、会話を拾うことができた。
「いやぁ、大丈夫かねえ、こんなので」
と、債務者が言えば、
「大丈夫ですよ。私がついてますから」
と、同行者が自信満々に答える。
真後ろと言っていい至近距離に尾行者が迫っているのに、どこが大丈夫なのかとさすがに呆れを通り越して笑ってしまいそうになるが、もちろんそこは堪えて尾行を続ける。
やがて、二人はとある家に入って行った。
念のために周囲を回ったが、抜け道で隣家に通じている、などということはなさそうであった。
「はぁ……うん、却って気味悪ぃな」
そこまで話を聞いて、ケイトが大きく頷きながら言った。恵一も同感である。
「……罠、じゃねえのか?」
ケイトが言った。
「はい……」
と、エリスが応じる。
エリスが考え込んでいたのは、正に罠の可能性を疑っていたからである。
まんまと逃げられて、魔術印の契約による罰則すら邪魔されて状況としてはエリスにとって散々なものだ。
だが、目を転じて、まんまと逃げた方へと向ければ、あちらもあちらで手放しで喜べる状況ではない。
既に述べたが、罰則を邪魔する防護のための魔法を施されているとは言っても、当然その効果が無限永久に続くものではない。
エリスが言うには、せいぜい半日であろう、ということだ。
と、なるとエリスが諦めぬ限りは、あちらも防護を解くことができない。常に定期的に魔法をかけ直さないといけないわけだ。
エリスのことは、当然雇い主である債務者から聞いているだろう。
約を違えることを大いに嫌っており、そのようなことをすれば激怒していつまでもどこまでも追ってくるようなイメージで伝わっているはずだ。
それは、正にエリスが債務者と接する際に意図的に植え付けているイメージである。そのような不義理をすれば、恐ろしいことになりますよ、と。
そして、今まさにそういう状況になったら、呪術行使によるリスクも度外視して果てしなく追ってやろうと固く決意している。
とりあえずは、五万ゴールドで雇われているであろう魔術師だが、一体いつまで債務者を守ってやればいいのか、ということに関しては楽観視できぬはず。
そうなると、手っ取り早くことを済ませる方法は、エリスをおびき出して罠を張っておくことだ。
契約の罰則といういわば遠隔地からダメージを与えられる攻撃については、防護魔法で防ぎつつ、わざと所在を見つけさせて乗り込んでくるのを待ち伏せする、ということである。
そもそも、契約破りの片棒を担ぐような魔術師ならばその程度のことはやってのけるだろう。
殺しはしないまでも、捕らえて拷問でもなんでもして契約書を奪って破り捨ててしまえばいい。
「エリス、どうするんだ?」
「ふむ……」
エリスは少し悩んでいるふうだった。
二人が入って行った家の場所はわかっているのだから、乗り込もうと思えば今すぐにでも行ける。
「やっぱり、罠か」
エリスは、黙って考えている。
「調査屋の報告を待ちましょう」
「報告?」
居場所を突き止めたのに、これ以上報告されることがあるのか、という顔で恵一が首を傾げる。
「その家の住人の調査を追加で依頼してあります」
「ああ、なるほど」
「じゃ、まあ、また明日か」
「はい」
「んー、じゃ、ちぃと野草摘みにでも行くか。体鈍っちまうぜ」
「ん、そうだね」
寝ていたアンを起こして、三人で野草摘みに行く。
で、翌日は調査屋に出掛けるエリスを見送って自宅待機である。
「……ただいま帰りました」
「おっ、どうだった?」
帰ってきたエリスに、ケイトが勢い込んで言う。
いよいよ本命の二万ゴールドの仕事も近いと、彼女なりに士気は高まっているのだ。
「ええ、大体のことはわかりました」
「どんな感じよ?」
「まず、その家の住人はやはり高レベルの魔術師でした」
「ほほう」
ということは、その魔術師が十中八九は債務者に雇われて防護のための魔法をかけている者であろう。
最近、男を一人居候させていることは近隣住民も知っているようだ。まあ、大手を振って飲み食いしに行っているので当然である。
その男に関しては、とある酷い金貸しに追われているので匿っているのだと言っているらしい。
「要するに、クソ外道です」
酷い金貸しことエリスにしてみたら、どっちが酷いのか、と言いたくもなろう。
「しかし、外面はよいようです」
と、やや苦々しさを浮かせて、言った。
外面はよい――つまり、契約破りを手伝って報酬を得るような酷い魔術師のくせに、近隣住民の評判はすこぶるよいのだ。
聞き込みをした調査員によると、誰も悪く言うものがいない。
「まあ、裏で悪いことしてる人間ほど、それを隠すために表向きは善行などしているものです」
なんかエリスからピリピリした空気が流れてくる。
エリス、そういうの嫌いそうだもんなあ、と思いつつ恵一が黙っていると、ケイトがそんでどうするのか、と尋ねる。
「……罠の可能性もありますが、乗り込もうと思います」
一瞬だけ沈黙し、決然として言った。
「アマモトさんは、どうします?」
罠が張られているかもしれない、という当初は恵一が想定していなかった事態を経て、エリスが改めて聞いてくる。
「いや、行くよ」
「うん、行くぜ」
ほぼ同時に、恵一とケイトが言った。
二万ゴールドという高額報酬である。ここで降りてしまう手は無い。
と、ケイトは思っているであろうし、けっこう真面目に彼女の借金完済に協力したい恵一にも報酬のことは頭にあった。
だが、それ以上にエリスのことが心配であった。
エリスにそれを言えば、心配は無用であると言うだろう。
恵一が降りたからといって打つ手が無くなるわけではない。他の腕の立つ者を雇えばよいのだ。
だが、ここは多少の自惚れを自覚しつつも思うのだが、とかくその御面相から一目瞭然の呪術師であることで偏見を持たれてしまっているエリスに、真摯に協力したいと思うのはまず自分ではないか、と思うのだ。
「で、何時行く?」
今から行くのならば、白昼堂々乗り込む、ということになる。
「夜がいいでしょう」
昼間では、近隣住民の目がある。
目撃されれば、外面のいい魔術師の方が不法不当な攻撃にさらされていると勘違いした住民が騒ぎ、警備隊への通報などしかねない。
「正面から行くか? それとも忍び込む?」
「……正面から行きましょう。解錠などできませんし……」
鍵を開けて忍び込む――それができれば一番よいのだが、そういうスキルを持った人間は一人もいない。
足音を立てずに忍んで行くというだけならば、獣人のアンには可能だろうが解錠はできない。
「正面ってことは、ドアを叩いて、ってこと?」
そこでどちらさんですか? と出てきたところをいきなりぶちかますのは、全く狙われている自覚が無い者へ対しては有効であろうが、今回の場合は当てはまらない。あちらも自分が狙われていることは嫌ってほどわかっているはず。
「場合によっては、多少の危険を覚悟でそうするかもしれませんが」
「時間かけたってしょうがねえだろ。ケーイチがドアをぶち破っちまえばいいんだよ」
ケイトの意見にそんな乱暴な、と言いたいとこだったが、エリスが一瞬だけ考えてから頷いた。
「確かに、多少強引でも時間をかけずに一気に行った方がいいかもしれませんね」
「え? そうなの?」
慎重なエリスのことだから、却下してくれると思ったのに採用らしい。
「じゃ、ケーイチ、頼んだぞ」
「アマモトさん、お願いしますね」
「あ、はい」
どうやら、自分がドアをぶち破るということに決まったらしい。




