心の安寧
足音を立てぬようにそーっと部屋の様子をうかがってみると、先程と全く同じ姿勢で微動だにせず寝ている。
「まあ、発作とかは落ち着いてるみたいだな」
「うん、よかった」
「そっとしとこうぜ」
ケイトのその言葉に大いに同意して、戻ろうとした時――
「殺す」
確かに、聞こえた。
そして、なんか、ぞわっと来た。
例の謎の力が発動する時に似たような感じだ。
明らかに、明確な殺意がその声にはこもっていた。
「絶対に殺す。殺す。……ふふ、殺す」
「大丈夫だケーイチ、寝言だ」
「そ、そうかなあ」
しかしまあ、寝言にしても、そうでないにしても聞いてると気が滅入ってくるのでそそくさと台所に戻った。
「まあ、当然なんだけど。メチャクチャ怒ってるな、ウン」
「うん、まあ……」
当然なんだよなあ、と強く思うのであまりエリスに対して非難がましいことを言うのももちろん思考することすら憚られるのである。
もう、完全に善意をあっさりと裏切られているのである。
しかも、そのせいでかつてない強烈な発作を起こして苦しんだのだ。
怒るなというのが無理な話であり、怒るななどと言おうものならまず間違いなくあの殺意がこっちに向く。
「あの様子じゃ、絶対に復讐するつもりだぞ」
「まあ、そうだろうなあ」
「そん時は手伝ってやろうぜ。エリスの心の安寧のために」
親指と人差し指で丸を作りながら、ケイトは言った。
「うん、エリスの心の安寧のために」
つられて丸を作りつつ恵一も言ったが、実際のとこすこぶる同情はするのでそれ抜きでも協力してやりたいという気持ちになっていた。
翌朝、飯を食っていると、エリスが壁に手をつきながらやってきた。
「お、おう、大丈夫か」
「む、無理しないでいいんだぞ」
ケイトと恵一の声には応えず、エリスはどかっと椅子に座った。
「え、えーっと……」
なんか言わんといかんのではないか、という強迫観念にとらわれまくった恵一は、なんか言おうとするのだが、言葉が出ない。
「ケイトさんに頼みがあります」
「ん? あたし?」
ここでエリスから頼み事があると言われれば、すぐに思いつくのは不埒な債務者への制裁を手伝ってくれ、という話だ。
だが、それでケイトを名指しというのもおかしな話である。
「ケーイチじゃ駄目なん?」
出会った当初に比べたら、ケイトとエリスも随分と打ち解けた……とてもそうは見えん時もあるが打ち解けているのだ確実に。
それでも、やはり漠然とした不安というか、エリスの思惑というのをよからぬ方へと考えがちなのは否めない。
だもんで、恵一でいいならそっちに振りたいというのが本音である。
「……あまり、よくありません」
微妙な表現ではあるが、よくないらしい。
「そうかあ? こう見えて頼りになる男だぞ」
どう見えてるのか敢えて気にしないが、確かにもっと頼って欲しいな、という気持ちはある。
「一応、喋れる程度には回復しましたが、まだ体がだるく、歩くのも億劫なのです」
「うん」
「それで、トイレに行きたいのです」
「あー、はいはいはいはい」
ケイトが激しく頷きながら、後は言うな、というように手を突き出した。
「まあ、確かにそりゃケーイチにはよくないな」
「そ、そうだな」
エリスとて、年頃の女の子である。
冷然とし過ぎているために、そういう方面への興味などがすこぶる乏しいというか全く無いように見えるが、さすがに異性に下の世話はしてもらいたくないだろう。
「謝礼は……十ゴールドでどうでしょう」
「おう、いいぜ。ここでウンコされても困るしな」
早速、ケイトは立ち上がった。
エリスに肩を貸して公衆便所へとえっちらおっちらと向かう。
それを見送りつつ、何もできない自分を不甲斐なく……はさすがに思わない。そんなもん頼まれても困る。
だが、ケイトとアンがおらずに自分だけだったら、エリスはどうしたのだろうか。
まあ、恵一に頼むしか手段が無いとなったら、けっこう平気な顔して頼んできそうな気もする。
そんなんなったら、とは、そら年頃の興奮もすれば勃ちもする男子としては想像の一つもしてしまうのだが、エリスはなにしろそういうものを刺激するどころか萎えさせる部分が強い。
萎える、と言っては失礼であるが、顔色と同様に体つきの方も健康とは言い難いものであり、どうしても性的な対象という感情を持ちにくい。
体つき自体は女らしいのに性格的な問題でそういうふうに見れないケイトとは、また違った意味で、そういうふうには見れない女性なのである。
完全に子供のアンは別にするとしても、同年代の女の子二人と同居していると思えば、あんまり異性と縁の無い人生を歩んできた恵一としてはかなりのビッグイベントであるはずなのだが、とにかくそういう気持ちにならない。
だから、エリスにそういうこと頼まれても、なんだかんだで平常心でできるのではないかとか思ったりもする。
「たっだいまー」
「あ、うん、おかえり」
そんな、健康な男子に相応しいんだかそうじゃねえんだかよくわからんことを考えていると、ケイトたちが帰ってきた。
「はい」
「まいどあり」
エリスが十ゴールドをケイトに渡す。
「おう、ケーイチ」
「ん?」
「ちょっとウンコしながら話したんだけどさ」
「ちょ、ケイト」
エリスをちらりと見ながら、ケイトを制止するが、エリスは別になんともないような顔でいるので、慌てた自分が馬鹿みたいに思えてしまう。
そりゃ、実際のとこ同じ人間なのだから、女性だってウンコするわ、というのはわかっているのだが、わかっていても秘すというマナーがあるではないか。
女だけならば、そういうのもいいのだろうが、この場には恵一という同年代の男性がいるのだ。
――と、そこで思い当る。
ああ、そうか。
自分がそう思っているのと同じように、この子たちも自分のことをそういうふうに見ていないのだ。
今更っちゃあ今更であるが、恵一はそれに気付いた。
「あ? どしたケーイチ」
「ああ、いや、なんでも」
散々こっちが思っていたことなのではあるが、こっちもそう思われていたとなると複雑である。
そういう開けっぴろげさを、性別の壁を越えた友情のように感じて嬉しいところもあると言えばあるのだ。
だが、やはりそういうことに興味は大いにある健康男子なので、自分が全くそう見られていない、というのがけっこうショックなのである。
まあ、その辺はお互い様ではあるのだが――
「んでさ、話したんだよ」
「え、ああ、うん」
「今回の件、改めてあたしたちに協力を依頼したいって」
それは予想できていた話である。
「報酬は二万ゴールドくれるってさ」
「え? 二万?」
だが、報酬についてはあまり考えていなかったので、思わぬ高さに驚く。
「いいのか? エリス」
「はい」
と、エリスが頷いているので、ケイトがふっかけたとかそういうわけではなく、納得してのことであるらしいが。
「状況が変わりましたからね」
「状況?」
「ええ……」
今回、エリスに二万ゴールド返済しなければいけない債務者当人は別にレベルも高くない普通の人間だ。
レベル10の恵一にとっては怖くもなんともない相手である。
だが、少なくともレベル24以上であろう魔術師があちらについているのが判明した。
「あ、そうか……」
「そのレベルの魔術師と敵対する可能性があるのですから、相当なリスクとなります。二万ゴールドの報酬は妥当です」
「えー、でも」
そうなると、また別の疑問というか心配がある。
「そんなのに、勝てるの?」
てか、勝てないんじゃねえの、そんなの、と思わざるを得ない。
「まあ、なんとかなるさあ。ケーイチは強いからね」
「いやいやいやいや」
強いと言っても、レベル10なのである。
レベル12のエリスと協力すると言っても、倍以上のレベルの者に勝てるのか。
「その時は、私は呪術を全開にしてやります。それにアマモトさんが協力してくれれば勝ち目の無い戦いではありません」
「そ、そうなのかな」
「そうだよ!」
と、二万ゴールドの高額報酬に目が眩んでいるケイトが断言する。
「まあ、呪術でパワーアップしたエリスよりも向こうの方がちょいと強いとしてもさ、二人が魔術と魔術で戦ってるとこに、ケーイチが横とか後ろからさっくりやっちまえばいいのさ」
「そんなもんかなあ」
「そんなもんさ! 魔術師なんぞレベル高くたってレベル10の力で一発食らわしゃ仕舞いだぜ」
魔術師というのは肉弾戦に弱く、直接的な物理攻撃に対する耐性は無い。
というのは、まさに恵一がゲームなどを通じて抱いていた魔術師に対するイメージそのものである。
だが、そのものであればあるほど逆に、ゲームとかの感じと同じなの? という疑問が却って湧いてきたりもするのである。
「まあ、魔術師というのはそれほど体は強くないですから」
「やっぱり、そうなんだ」
「身体能力を強化する魔術を使えば別ですが……その時は別の魔術が使えません」
話を聞いていると、どうも魔術師というのは単独では戦闘に向いていないらしい。
火打ち石で苦労して火をつけずとも簡単に火をつけられたり、便利な力には違いないのだが、戦闘で使うとなるとけっこうなレベルと、なによりも敵の攻撃を防いでくれるような前衛役がいて、自らは後衛になるようでないと駄目なようだ。
その辺は、ゲームと同じ感じでいいんだな、と恵一は思う。
「もちろん、レベルが50とかになったら、身体強化と別の魔術を同時に使えたりもするのでしょうけど、さすがにそこまでのレベルの魔術師はそうそういません」
そういえば、恵一がギルドでレベル鑑定してもらった時に、ケイトがレベル50なんて達人クラスだと言っていた。
そのことから、50となるとそうそういないのだろう。
さらに言えば、レベル50の魔術師などいたらいたで周囲が放ってはおかない。大国から宮廷魔術師として超好待遇で招かれたりする存在なので、二万ゴールドの借金から逃げている債務者に五万ゴールドで雇われるとはかなり考えにくい。
「よし、わかった。やってみよう」
こういう時は一頻り愚図ってケイトに背中を叩かれて踏み出す恵一にしては、けっこうあっさりとそして力強く頷いた。
高い報酬にケイトが大乗り気であるし、やはりエリスへの同情もあり、そうすることによって二人とも喜ぶだろうと思ったら頷いていた。
「まあ、大丈夫、だよな?」
しかし、承諾した次の瞬間には不安になってしまい、自分に言い聞かせるように呟いていた。
「大丈夫に決まってんだろ!」
それを耳聡く聞き付けたケイトが、バンバン背中を叩いてくる。
「あたしは、ケーイチは実際もっとレベル高いと確信しとるよ。そんなもんエリスと協力すれば問題ねえって」
ケイトは、依然として恵一はサーチの魔法が効きにくい特異体質であり、ギルドで鑑定されたレベルが本当のそれではないと信じているのだ。
「鑑定した人たちだってよくわかんねえって言ってたじゃん」
「ああ、いや、まあ」
レベル10から50、というそれでは鑑定になっとらんではないかという数値を出したので、それじゃ登録に困るから、間違いなくこのレベルはあるというのでレベル10で申請登録したのだ。
いわば、レベル10というのは最低限これだけは、というものである。
「どういうことです?」
エリスが、会話を聞いて不思議そうに尋ねてきた。
そういえば、エリスにはその辺りのことは話していなかったなと思いつつ、鑑定の際のあれこれを話す。
「ふぅむ」
なんか難しい顔して考え込んでしまった。
「私は、サーチは習得していませんが……体質で効かないとかいうのは初耳です」
「いや、そりゃ鑑定した人らもそう言ってたけどさあ。10だけど、50かもしれないとか言うんだぜ、おかしいだろ」
「それは、おかしいです」
エリスは、断言し、また考え込む。
「ギルドの鑑定士ですから、腕はいいはず。変な間違いをするとは思えない」
「おう、一人はかなりベテランだったぞ」
「でも、健康状態などははっきりとわかったのですよね。……どういうことでしょう」
「だぁから、体質だよ体質……そうとしか思えないじゃんか」
鑑定士にしろ、エリスにしろ、ことの専門家である魔術師連中にことごとく否定されがちな特異体質説を推してきたケイトとしては、だったら他に理由があんのかよ、という気持ちである。
「魔術を邪魔する処置が体に施されている? いや、それでは治癒魔法が普通に効くことの説明がつかない。或いは……」
ブツブツと、エリスが呟き、完全に自分の思考世界に没入してしまった。
たっぷりと十分はそうしていたが、やがて下を向いていた顔を上げ、
「うん、わかりません」
妙に自信ありげに言った。
「なっ、わかんねえんじゃねえか」
その間、とっくにくつろいでいたケイトが勝ち誇ったように言う。
その、自分は勝利したとでも言わんばかりの態度に何か言いたげな顔はしたものの、エリスはそっちは流して、恵一の方を向いた。
「アマモトさん……おそらくケイトさんの言う通り、あなたのレベルは実際はもっと高い可能性がありますね」
「そ、そうですかね」
正直、レベル10と目されてなんか期待されるのも少々重荷なので、その荷重がさらに増すのは勘弁願いたい。
この辺り、恵一も腰が定まっていないというか、ブレているというか――
期待されたら、それに応えたいという気持ちを持っているくせに、いざ期待されてそれが重荷に感じてしまうとついつい腰が引けてしまうのだ。
「さて、それでは私は出掛けます」
「ん? 逃げた野郎探しにいくのか? 体は大丈夫かよ」
「調査業者のところへ行って状況を確認してきます。そちらの方は、業者に任せます。体は歩く分には問題なさそうです」
そこはエリスは割り切って、素人の自分たちが王都をうろついて情報など集めても成果は見込めないと思っていて、プロに任せるつもりのようだ。
「あ、そういえば……」
「なんです?」
「え、あ、いや、大したこっちゃないんだけど」
つい口にしてしまったものの、それほど緊急性を要することではなかったので、出掛けようとするエリスを引き止めてしまう形になったのに気付いて、恵一は慌てて言った。
「どのような些細なことでも聞きたいことがあるなら、後回しにせずに聞いて下さい」
ともに、一つの目的に向かって仕事をするのだ。
恵一自身が重要ではないと思っていることが、実は重要だったりする可能性が全く無いとは言えない。
だから、とにかく言うだけ言ってみろというのがエリスの考えである。
「あー、えーっと、その調査業者の料金ってどんぐらいなのかなあ、って前から聞きたいと思ってて、ちょっと聞きそびれてたんだ」
「ああ、そんなことですか」
「はい、そんなことです」
エリスの反応が、まったく重要でもなんでもないものへ対するそれだったので、やや気後れしつつ恵一は言った。
「まあ、一日千ゴールドというところですかね。けっこう人数を使ってやってもらっていますので」
十万円――と思えば、なんかもう凄い高いとしか思えない。
だが、別にケチではないが無駄な金は決して使わない人間であるエリスが納得して払っているのだから、そのぐらいが相場なのだろう。
「んー? エリスさあ」
ケイトが口を挟んできた。
「それじゃ、もう何日か調査しててさ、これからまた何日かかかってさ、そんであたしたちに報酬払ったら……エリスの取り分無くなっちゃうんじゃねえの?」
「あ……」
今回の件の大元である二万ゴールドの債権を、実際のところはいくらで買ったのかは知らないが、確かに調査にかかる日数次第では赤字になる。
さらには、その計算ですら五万ゴールドが回収できることを前提にしているのだ。
「まあ、そうでしょうね」
エリスは、そんなことはわざわざ言われんでもわかっている、とでも言うように平気な顔して頷いた。
「え、でも、そんなの……いいのか?」
「いいです」
手酷い裏切りに対して、もう損得感情など吹き飛ばす勢いで怒っているのか。
「……私みたいな十五の小娘が金貸しなどやってこれたのはなんでだと思いますか?」
「へ? いや、そりゃあ……」
じっとエリスの顔を見る。
顔色の悪い――たっぷり睡眠をとっていても濃く目の下を彩っているクマ、痩せこけた頬に血色のよくない肌で形成された顔だ。
「呪術、だよね」
「そうです」
エリスが金貸しをやってこれたのは彼女が呪術師だからだ。
「私が呪術を使うから、みんなそれを恐れて、なんとか返済しようとするのです。それがなかったらいくらレベル12といえども、そうは上手く行きません」
本来のレベルよりも倍の力を行使できるという呪術のメリットである面と、暴走してしまうことがあり、その時は契約以上のことをやってしまう代わりに術者もタダでは済まないというデメリットの面。
だが、むしろエリスは、デメリットと言われているところを逆に利用しているところがある。
それにより、実際にレベル24の魔術師よりもさらなる恐怖を債権者に与え、回収をスムーズに行っているのだ。
「ただでさえ、私みたいな子供はナメられるのです」
それが、まんまと債務者に逃げられた、ということが知れたらタカをくくって返済を拒む輩が増えるだろう。
エリスは、実際のところ呪術を使って罰則を発動したことは数えるほどしかない。
大半の債務者は実行せずともそれを恐れて返済しようとした。
それが、そのようにナメた真似をしてくる債務者が増えてきたら、頻繁に罰則を――つまり呪術を行使せざるを得ず、そのことが身体に及ぼす負担は大変なものになる。
「今回の件が、どんなにトータルでマイナスになろうと……逃がすわけにはいきません」
損得勘定が無いどころか、長い目で見て損得を計算した結果がエリスの行動である。
怒りにまかせて動いていると思った自分が浅はかであった、と恵一は少し反省したりしたのだが――
「それに、そもそも私はこういうことをするゴミが大嫌いです」
そう言ったエリスは無表情なのに、押さえ切れぬ怒りが表出しているような物騒な空気をまとっていた。
「では」
身を翻したエリスは懐から、例の気持ちが落ち着くという葉っぱを取り出し、それを口に入れながら出掛けて行った。




