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そら怒りますわ

「で、どうすんだ?」

 てか、報酬はどうなるんだ? と言いたげな顔でケイトが言った。

「少し調べる必要がありますね」

 苛々が地面を通じてこっちまで伝わってくるような、忙しない足踏みをしながらエリスが言った。

 顔も声も、平静そのものであるが、その足踏みから相当に怒っているのがわかる。

「んっ!」

 突如、エリスが苦しそうな声を出した。

 ゴソゴソと懐をまさぐって取り出したもの――植物の葉っぱらしい――を口に含んでむしゃむしゃと咀嚼する。

「ふぅー、気持ちが落ち着く、気持ちが落ち着く」

 どうやらそれも、昂ぶった感情を押さえる効能があるものらしい。

「まあ、とりあえず千ゴールドはお支払いします」

「おっ、そうか」

 それさえ聞けばよい、と言わんばかりにケイトがスタスタと歩き出す。

 なんか買ってこう、あれ買ってこうかどうしようかとか夕食に何を食うかを話しながらケイトとアンが先を歩き、恵一はその後ろ、そのまた後ろにエリスが続く。

「ケーイチはなにがいい?」

「ああ、おれは二人と同じでいいよ」

 もともとあまり好き嫌いは無い。こっちの食べ物も今のところそれほど美味には感じないものというのはあっても、食えたものではないというものはない。

 前方から、ちょっと何度か足を運んでドアを叩いて蹴飛ばしただけで千ゴールドを手に入れて上機嫌のケイトと、飯がなにより楽しみなアンの楽しげな会話が聞こえてくる。

「……あのゴミが」

 で、後方からぶつぶつとエリスの独り言が嫌でも聞こえてくる。

 気になってチラチラ見ると、そうやってぶつぶつ言っていたかと思うと、また葉っぱを取り出して噛んでいる。

 なんか声をかけてもろくなことにならんに決まっているので、黙っていたが、一応発作でも起こしたらすぐに助けられるように気にしていた。

 舌打ち混じりの独り言を聞いていると、普段は冷静沈着を通り越して感情が無いような印象を受けてしまうが、やはりエリスにも感情があるのだと思う。

 発作を引き起こすことを恐れ、努めて感情に波を立てぬように振る舞っているだけで、素のエリスは怒りもすれば、笑いもするごくごく普通の感情を持った少女なのだろう。

 帰り道、寄るところがあると言うエリスと別れた。

 逃げた債務者の調査を依頼しに行くだろうということはわかるので、わざわざ聞かなかった。

 翌日、エリスは日中は部屋にこもっていた。

 台所にやってきて例のスライムや気持ちが落ち着くという薬を作ったりはしていたが、それ以外はじっとしていた。

 ちょっと気になったのでケイトと恐る恐る覗いてみたら、なんか寝袋に入ってぶつぶつ言っていたので、関わり合いになるべきではないと、はじめっからわかってたっていやわかっていた結論に達したので放っておいた。

「出てきます」

 夕方頃、ふらっと出て行った。

「うーむ」

 ケイトが腕組みをしながら唸る。

「いい加減に決着つけてもらわんと、こっちがしんどくなってきたぞ」

 それはまったくその通りで、さすがに自分たちに向いているのではないとわかってはいても鋭利な矛を家の中で振り回されるようなもので、少々精神的にこたえる。

「調査屋さんに頼んで、実際見つかるもんなの?」

 元いた世界における探偵業だというのはわかるのだが、その探偵業とやらが何をしているかなど実のところ恵一はよく知らない。

 警察に協力して難事件を解決する「探偵」がお話の中のものであり、実際のとこ探偵の仕事は素行調査や人探しであるということは知っていても、それがどの程度の精度を持つものなのかはよくわからない。

「あー、どうなんだろ」

 ケイトも、その辺はよく知らないようだ。

 おそらく、家に張り込んだり、これこれこういう人相風体の人間が泊まったりしていないか、などと聞き込んだりするのだと思うが、どれも時間がかかりそうである。

 相手が、王都に潜伏しているのではなく、遠くに逃げようとしている場合、時間が経過すればするほど王都に根を張った調査屋の網には引っ掛かりにくくなるだろう。

 で、その辺りのことは当のエリスが考えていないわけがなかった。

「やります」

 彼女は、帰ってくるなりそう宣言するように言った。

「やるって、なにを?」

「罰則です」

「あ、やるのか」

「はい」

 昨日の晩に依頼して、ほぼ丸一日かけて調査してもらったが見つからない。

 既に債務者に関しては、ある程度の調査はしていて、目星はすぐにつけられる。

 一日でそれらを全て当たっても手掛かり無し。

 そうなると、地道に探すしかないわけだが、当然のことながら時間がかかる。

「私としても、できればやりたくないのですが、こうなったからには仕方ありません」

 ケイトたち債務者が恐れるエリスの呪術であるが、彼女とて無傷では済まない以上、やはり抜かずに済むなら抜かずにおきたい武器なのだ。

「エリスさあ」

「はい?」

「えっと、エリスってレベル12なんだよね、呪術を使わないでできないの?」

 恵一としては、できればエリスに呪術を使って欲しくない。

「ふむ」

 エリスも、恵一の言わんとすることは理解したようだが、首を横に振った。

「少し、厳しいですね」

「そうなのか」

 エリスもそれを考えないではなかった。

 債務者は魔術の素養などはないので、本来の力で罰則を発動しても、それなりには「痛い」はずだ。

 だが――

「それでは、足りません」

 エリスが、笑った。

 あんまり笑顔とは認めたくない、例の唇の端が吊りあがった笑みだ。

 エリスとしては、債務者はそれほどの覚悟を持って今回の愚行を犯したのではないと考えている。

 覚悟なく嘘をつき、覚悟なく逃走したのだ。

 ならば、罰則の行使である激痛に襲われれば、覚悟なきゆえにとても耐えられるものではなく、すぐに飛んで帰ってきて詫びを入れに来るであろう。

 それならば、呪術を使わずとも十分ではないか?

 と、言おうとして恵一は口ごもった。

 エリスの笑みを見たからだ。

 十分ではない、足りないそうだ。

 笑みを見て、理解した。

 要するに、それではエリスの気が済まないのだ。

 何か言おうとして、やはり口ごもる。

 エリスにしたら、踏んだり蹴ったりの状況である。ただでさえ金を返してもらえていない上に、その際に散々に不義理をされている。

 先祖伝来の家宝を売るからとまで言うので、どうせ大した値段では売れまいと思いつつ待ってやった。

 案の定駄目だったと聞いて、その日が返済日なのだからいきなり罰則を食らわしてやってもいいところをそうせずに、きちんと働いて返せと諭してやった。

 家宝が売れないというのが嘘だとわかって、それでもこちらから話を振ってそれで白状するのならば、金銭的なペナルティだけで済ましてやろうとしていたら逃げていた。

 いちいち検証すると、むしろエリスは所々で温情的な処置をしており、それが全部裏切られているのだ。

 そのエリスが、自分の体に負担がかかるのも構わずに「やる」というのならば、もう自分からは何も言えない、と恵一は思ってしまった。

「おう、そんで、すぐやんのか?」

 わくわくした気持ちを押さえ切れぬケイトが言う。

「はい」

「おう、やったれやったれ」

 どうも、ケイトは自分に対してではない呪術の行使に興味を抱いて見物する気満々なのであるが、そういうのは精神の集中やらが必要であり、気が散る以外の要素ではない見物人の存在などエリスが許すとは思えない。

 かくいう恵一も、少し興味はあるのだけれども、以上のような理由で見ることはできないだろうと思っていた。

「お願いがあるのですが」

 エリスが言った。

 で、そのお願いというのが、

「ちょっと立ち会ってください」

 という、考えていたのとは全く逆のことであった。

「え? 立ち会うの? おれたちが?」

「おう、いいぜ」

 向こうから見物を許可してきたようなものなので、恵一は戸惑い気味に尋ね、ケイトは即頷いた。

 エリスの部屋に移動して、準備に取り掛かる。

「はい」

 エリスが、壺を渡してきた。例の、発作が起きた時に燃やして煙を吸う乾燥した植物が入っている。

 恵一が受け取った壺に、エリスは手を入れた。ほんのりと煙が立ち昇りあの独特の臭いが漂ってくる。

「はい、蓋閉めてください」

「あ、ああ」

 言われるままに、蓋を閉めて壺を密閉する。

 エリスが恵一たちに頼んだのは、それを持って待機していて、もしエリスが発作を起こしたらすぐにそれをくれ、ということだ。

 呪術の行使によって発作が起こった場合、かなり強烈なものになるらしくもしかしたら魔法で火をつけて、などとやっているゆとりが無いかもしれない。

 そのために、あらかじめ火をつけたのだ。

 なんか、そういう話を聞くと、呪術というのはやはりエリスの側も相当のリスクを負って行うものなのだというのがよくわかる。

「はい、五十ゴールド上げますから、頼みましたよ」

 じゃらじゃらと、エリスの手から恵一の掌にゴールドが落ちる。

 どうもエリスにとってはこのことに関しては五十ゴールドが相場になっているらしい。

「では」

 エリスが、借金の契約書を取り出した。

 それを開いて置く。

 恵一とケイトは固唾を飲み、そういうことに興味が無いアンがぼーっとした感じで見守っている。

 契約書の下部にぼんやりと光る場所がある。

 魔術印がそこに捺されているのだ。

 エリスはその上に左の掌を一度置き、またそれを上げた。

 右手に小さなナイフが握られており、それで人差し指の先を切り付ける。

 魔術印の上にかざすようにその指を持っていき、親指と中指で傷付いた人差し指の先端を左右から挟む。

 絞り出された血が、一滴二滴と垂れる。

 それでも、圧迫を止めず、血は落ち続け、魔術印の上に盛り上がるようになった。

 そこでようやくエリスは手を開き、そして人差し指でその血を魔術印全体を覆うように延ばした。

 魔術印が完全に血で隠れたのを確認し、人差し指の先――つまりは傷口をその血の中に浸す。

 そこで、エリスの動きが止まった。

 なんとなくだが、いよいよ術の行使に入ったのであろう。張り詰めた空気が部屋中に満ちる。

 最初からじっと見守っていた恵一とケイトは元より、少し前まで体を揺すっていたアンも動きを止めて、見入っている。

 で、まあ一部始終を見ての感想だが、そりゃ偏見も持たれるわ、としか言いようが無いのである。

 自分の体を犠牲にして、本来の力よりも大きな力を行使できる、というところに偏見を抱かれてもしょうがないなと感じつつも、それにしても行き過ぎではないかと思わないでもなかったのだが、一連の自らの血を使っての行為が呪術に必要であるのならば、そりゃまあ、しょうがねえか、と思わざるを得ない。

 しかも、それをどう見ても重病人の顔をした術者が精神の集中のためであろうが、睨みつけるような目付きでやっているのだから、それを見た人間が、

「あ、これは絶対にまっとうなアレじゃねえな」

 と思うのに十分以上であり、恵一自身も物凄く思った。

 はあっ――と大きくエリスが息を吐いた。

 無自覚に息を止めていた恵一たちが、それに僅かに遅れて息を吐く。

 別に自分たちが息を止めている必要が無いのは百も承知だが、呼吸の音すら立ててはいけないのではないか、と思わせる空気が室内にはあった。

 それで、終わったのか? と探るようにエリスを見る。

 目を見れば、終わったのか終わっていないのかはわかるだろうと考えてのことだ。

 そして、目を見ればすぐにわかった。まだ終わっていない。

 親の仇でも睨みつけているような目は、依然として変わらずだ。

 はあっ――

 また、エリスが大きく息を吐いた。

 まるでそうするべきであるかのように、恵一たちも息を吐く。

 またしばらく、沈黙。

 はあっ――

 息を吐く。恵一たちも吐く。

 それを二回ばかり繰り返してから、少し様子が変わってきた。

 はあっ――はあっ――はあっ――

 息を吐く感覚が段々と短くなってきたのだ。

 しばらくは、それに付き合って息を吐いていた恵一たちだが、さすがにその間隔が物凄く短くなってくると顔を見合わせた。

 これは、どういうことなんだろうか。

 上手く行っていないのか、それともなんか術のクライマックスに入っているのか。

 がくっ、とエリスの肩が落ちた。

 伸ばしていた背筋が落ちた。

 目は変わらずに、そこにいない債務者を睨みつけているかのように触れれば切れそうな鋭さを保っている。

 しかし、恵一は終わったのだと直感した。

 エリスの目が、一つの判断基準ではあった。

 だが、さすがに姿勢が大きく崩れたことは、なんらかのアクシデントが発生したことを語っていた。

 むしろ、今のエリスの目は、矢尽き刀折れても、なおなんとか目だけは敵を睨みつけているような、ある種の凄絶さと虚しさを感じさせるものに感じられた。

「エリス?」

 それでも、大きな声を出すのは憚られて、小さな、隣にいるケイトにすら聞き取れないような声で、恵一は言った。

 むろん、それがエリスに届いたわけはなかろうが、それに合わせるようにエリスは左手を上げ、契約書についた血を拭き取った。

「ど、どうなったんだ?」

 沈黙に耐えられなくなったケイトが、言った。

 エリスは、沈黙。

 長い沈黙だったが、ここはエリスが何か言わねば話が進まない。恵一とてケイトと同じくいったいどうなったのかという疑問以外には何も無い。

「失敗しました」

 結論だけ投げ出すように、エリスは言った。

 最後の方の怪しげな動きで、そうではないか、とは思っていたのだが、やはり失敗したらしい。

 だが、それはわかったが、どう声をかけていいものかわからない。

 なにしろ、この状況で失敗するということがどれほどのことなのかがよくわからない。

 失敗してしまうというのが、よくあることなのか――それならば休んでもう一回やってみればいいと言える。

 滅多に無いことだというのならば、なぜ失敗してしまったのか、という新たな疑問が湧いてくる

 再び、沈黙。

 だが、既に沈黙に耐えるのに限界だったケイトが早々とそれを破った。

「なんで失敗したんだよ。魔術印はちゃんと捺されてるんだろ?」

 そのケイトの言い方からして、魔術印が捺印された契約書があれば、そうそう失敗することはないのだということが推測できる。

「おそらく……邪魔されました」

 と、言っているその顔がピクピクしている。

 間違いなく激怒しており、本心ではそれをぶちまけたいのだろうが、それによる発作を恐れて我慢している感じだ。

「邪魔?」

「相手の人は、魔法とか全然使えないんだよね?」

 ケイトと顔を見合わせる。

「誰か、できる人間に頼んで防護する魔法をかけてもらったのでしょう」

「え、でも、そんなの……」

 呪術を使用したエリスの罰則を防護できるということは、それ相応のレベルが必要なはずだ。

 エリスがレベル12だから、大雑把にその倍と考えてレベル24以上でなければできぬ芸当のはずだ。

 だが、そのレベルの魔術師を雇うにはそこそこの金がいるはず。

 エリスが貸しているのは二万ゴールドであり、それでおさまるものであろうか。

 そのことを言うと、

「無理でしょうね」

 エリスは即答した。

 むろん、相場がきっちり決まっていることではないが、レベル12で呪術を使ってくる相手と契約した罰則を邪魔するようなことは、それなりにリスクのある行為であり、

「二万や三万では引き受けないと思います」

 とのことである。

 ならば、四万とか五万ならば、ありうるのか。

 四百万とか五百万円と考えると、そのぐらい貰えば危ない橋を渡る者もいそうである。

「……家宝を売ったお金を全く使っていなかったとしても、所持金は五万ゴールドがせいぜいのはずです」

「うん」

「まあ、その五万で引き受けてくれる高レベルの魔術師を見つけたと考えるしかないでしょうね」

「えっと、つまり……」

 二万ゴールドを惜しんで、ついつい吐いてしまった嘘のせいで、結局有り金全部使い果たしてしまっているということか。

 嘘をついてしまったことへのエリスの報復を、死すら含むような恐ろしげなものと思って、思い詰めてのことであろうが、つくづく愚かなことである。

 エリスの怒りは、もちろんそこまで考えてのことである。

 彼女自身は既に述べたように、今回の債務者には厳しいどころかむしろその逆で優しく接していたつもりであるため、度重なる裏切りと抵抗には温情を仇で報われたという思いが強く、沸き上がる怒りも跳ね上がらざるを得ないのだ。

「エリス、これからどうするんだ? なにか手伝えることはあるか?」

 エリスのことだから、手伝ったらいらんと言っても報酬をくれるであろうが、一連の経緯を知る恵一としては、無報酬でもなにかして上げたいという気持ちになっていた。

 他のことは知らんが、今回に関してはエリスは非道なことは一切していない。

 それどころか、やはり温情をかけて、それを裏切られたというのが事実だと思うし、そう思えば同情心も湧く。

「そうですね……なにか決まったら声をかけます」

「ああ」

「おう、コレ次第でなんでもするけん」

 無報酬なんぞもっての外なケイトが、例の親指と人差し指で丸を作るアレをやりながら言った。

「ふう」

 エリスが大きく、溜め息をついた。

 ただでさえ体に負担の大きい呪術を使い、その上に結果がこのようなことになってしまってさすがのエリスも疲れたのであろう。

 苛々と足踏みをしながら、葉っぱをむしゃむしゃと噛む。

「ふぅ、気持ちが落ち着く、気持ちが落ち着く、気持ちが落ち着く、凄く気持ちが落ち着く、気持ちが……」

 気持ちを落ち着かせるという葉っぱを噛み噛みするのもよいが、ここは横になってゆったりと体を休めるのがよいのではないだろうか。

「エリス、ちょっと休んだ方が……」

 という恵一の気遣いも全くエリスの耳には入っていない。

 エリスは手に葉っぱを持ったまま、それを口に運ぶでもなく、仕舞うでもなくじっとしている。

「あの、エリス?」

「落ち着くかっ!」

 突然、エリスが叫んで、手にした葉っぱを床に叩き付けた。

 くわっと顔を上げたところで、思い切り目が合った。

「うお、いや、ホントごめんなさい!」

 とりあえず怖いから謝っとけ、という安易な保身術に流れた恵一だったが、エリスは恵一を見ているようで見ていない。

「あのクソ外道がっ! ……がはっ!」

 叫ぶや、苦しげに息を吐き出し、前のめりにぶっ倒れた。

「おあ! ちょ! エリス! 大丈夫か!」

 咄嗟に、受け止めたので床で顔面を強打することはなかったが、恵一の腕の中でエリスはぶるぶると震えていた。

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