取り立て
かなり遅く目が覚めた。
寝ぼけ眼で台所へと行くと、ケイトとアンが昼飯を食っていたのでそのおこぼれに預かる。
「エリスは?」
「出掛けたぞ。そろそろ帰ってくるんじゃねえかな?」
果たして、食って後片付けをしていると、エリスが帰ってきた。
表情は険しい。
やっぱり不機嫌だな、と思いおっかなびっくりになりつつ、恵一は僅かな違和感も抱いていた。
機嫌がよろしくないのは間違いないが、ここ数日のエリスにあった苛々としたじれったさを噛みしめるような様子が無いのだ。
その代わりに、すっきりと言ってよいのか――不思議な晴れやかさがあるのだ。
「あの、エリス?」
「アマモトさん、仕事を頼みます」
「え、ああ、うん」
それについては、話を聞かなくてはならない。
恵一は、エリスがそれほど悪辣なことはしないと信じているが、それにしても事情を了解せずにああしろこうしろと言われて動く気にもなれない。
ことの発端は、予想通りだ。
大金が入るアテがあるから借金はそれで返す、と豪語していた債務者のアテとやらが外れて返済が不可能になった。
借金の額面は二万ゴールド。
エリスが買い取った際はそれよりも安い値段であったが、そこは企業秘密ということで教えてくれなかった。
アテが外れてエリスは怒った――というわけでもない。
堅実を好む彼女は、そもそも大金の入るアテとやらを頭から信じておらず、そうまで言うなら返済日まで待ってやる、という態度で終始していた。
信じていないものがその通りな結果となっただけで、別にどうということはない。
すぐさま罰則を行使する、というわけでもなく、大金で一気に返済とか考えないでコツコツ働いて返せ、と諭した。
そう聞くと、借金取りとしては悪どいどころかむしろ善良親切に属するように思える。
債務者は、カラ返事をしつつ呆けたように天井を見つめていた。
アテが外れて最も失望落胆しているのは間違いなく当人である。
その日はもう話が通じまいと思ったエリスは、辞去した。
だが、どうしても気になることがあった。
引っ掛かるものがあるのだ。
債務者は落ち込んでいた。これで借金返済して身軽になれるのだと信じ込んでいたのが上手く行かなかったのだから無理もない。
だが、引っ掛かる。
再契約の際はケイトやゲオルグと同様に、エリスが呪術師と知ってそいつも散々に怖がり、嫌がり、逃げようとしてコケてとっ捕まったりしていたのである。
エリスは、とりあえずすぐに罰則を発動しなかったとはいえ、コツコツ働けと言うその言外にはそうしなければやるぞ、という意思があり、それが伝わるようにしたつもりだ。
それなのに、あまり恐れる気色が無い。
呆然自失だったとはいえ、少しそこが引っ掛かるのだ。
そこで、エリスは調査業のところへ出向いて、調査を依頼した。
調査業というが、要するに探偵興信所の類である。
王都へ来てからそれほど長いわけでもないエリスが、既にそういう業種の人間と馴染みになっているらしい様子が話からは窺えた。
恵一は不思議に思ったが、今回の件のように必要となることは多いのでエリスは新地に到着したら寝床を確保すると、地元の調査業者を回る。
幾つか回って、ここはと見定めたところと契約し、まずは土地の金貸しの情報を聞き出す。
タダではなく、仕事として依頼してという形でだ。
調べようと思えば、わざわざそのようなことをしないでも調べることは可能だが、時間がかかるし、なによりも仕事を頼みきちんと金を払うことによって多少なりとも信頼関係が築けるとエリスは考えている。
その結果、色々と想像はしていた中で最も不快な結果が出てきた。
最初は確報ではなく、さらに調査を進めるとのことであったが、エリスはほぼ確信していた。
感じた引っ掛かりが、それで凄くすとんと納得できたのだ。
それで腸煮えくり返りつつ、だが確報ではないのでまだ動けないという状態がここ最近の極度の不機嫌である。
恵一がエリスから感じた奇妙な晴れやかさは、そのせいであったのだ。
不快極まりない結果が出て、そのこと自体には依然として不機嫌であるものの、もう待たず自ら動いてよいのだということが、エリスを晴れやかにさせていた。
晴れやかに、と言っても基本的な感情のベースは怒りであり、表情は決して穏やかではない。
「で、調査の結果はどうだったの?」
その顔におっかなびっくりしつつ、恵一が尋ねた。それを聞かねば話が進まぬし、そもそも純粋に興味もあった。
「要するに、アテは外れてなどいなかったのです」
不快以外の感情を読み取ることを許さぬ不快っぷりで、エリスは言った。
大金のアテ、というのは債務者が先祖から受け継いできたという壺やらなにやらの骨董品であった。
実際見せてもらったが、エリスの目からするとただの古ぼけた道具類にしか見えず、とても高い値段がつくとは思えなかったが、持ち主が妙に自信満々に断言することには、
「足下見られて買い叩かれたとしても、まあ十万ゴールド」
ということであった。
「十万!」
かける百してゼロを二つくっつけて……
――一千万円!
高校生の恵一にとっては、まごうことなき大金である。
むろん、それよりも数倍数十倍する億単位の金が世の中を飛び交っているのは知識としては知っているが、自分の視界に入るものではなく、やはり実感として一千万円というのはとてつもない大金であった。
アテが外れていなかった、ということは――
「十万ゴールドで売れたのか」
「いえ」
エリスは首を横に振った。
「さすがに、そこまではいかなかったようです。……ですが、五万ゴールドぐらいにはなったようです」
「半分……いや、それでも」
十分に大金だ。
そして、その金額ならば、エリスへの借金を払うにも十分以上の額である。
「ええっと、つまり……」
言おうとしてから、言っていいものか迷って言い淀む。
「ええ、つまり、いざ大金が入ったら金を返すのが惜しくなって、嘘をついたのです」
「ああー」
エリスの凄まじい不機嫌ぶりもそれならば納得がいく。
ただでさえ、エリスは金貸しによって得られる利益よりも、相手が約束を順守するかどうかを重視しているところがある。
無いものは返せない、という手合いにもならばすぐさま罰則を、というわけでもなく、今回のようにそれを猶予したりもする。
ゲオルグなんかにはだいぶきつく当たっているが、エリスにしてみればあいつはあんぐらいしないと動かん、という確信があるためであり、言い方を変えればゲオルグ自身のためであると言って言えないこともない。
そんなエリスであるから、金があるのに無いと嘘をついて返済を逃れようとするのは許し難い所業であろう。
「そいつ度胸あんなあ」
素直な感嘆の響きが、そのケイトの声にはあった。
エリスの債務者であり、彼女と契約を結んでいるという立場としてはケイトもそうであるから、そのことの重大性もよくわかるのだ。
ケイトが同じ立場になったら、呪術による報復的な罰則発動を恐れてそんなことはとてもできない。
「でも、そいつも呪術の怖さはわかってんだろうに、なんでそんなことしたんだかな」
「まあ、魔がさしたのでしょうね」
金を惜しんで、最初にふっと嘘をついてしまったために、それをつき通す羽目になっているのであろう。
エリスが言うには、その先祖伝来の品々に大層御執心で手放すのは心底嫌そうであったのだが、エリスという呪術師と契約を結ぶことになってしまい、それから一刻も早く解放されるために売却を決意したようだ。
足下見られても十万!
という自信の品をその半分で買い叩かれてしまい、アテが外れてしまった。
そんなもの百ゴールドにもなるまいと思っていたエリスからすれば、アテは外れていないということになるのだが。
ここで、思惑通りに十万で売れていたら、どうなったかはわからない。
だが、十万のうちから二万出すのならば、まだ残りは八万もあるのでけっこうすんなりと返済したかもしれない。
五万から二万となると、どうしても惜しいという感情が生じてしまい、ついつい嘘をついてしまったのだろう。
「今頃、いつ罰則を発動されるかと気が気ではないでしょうね」
「えーっと……おれに何か頼みたいってことは、エリスは契約の罰則をやるつもりは無い……ってことだよね?」
契約の履行も、それに伴う呪術のことも恵一は完全な門外漢である。手伝えることがあるとは思えない。
「ええ、あれは私もそれなりに辛いので、最後の手段です」
では、いかなることをするのか。
「嘘をついていたことは許せません」
「あ、いや、エリス!」
「はい?」
「そのう……殺れ、って言うならちと引き受けかねるよ。確かにその人は悪い人かもしれないけど、さすがに」
殺し犯しなんでもござれの盗賊団とは、さすがに同列に扱うわけにはいかない。
「別にそこまでする気はありません」
「それはよかった」
「そうですね……四万ゴールドばかり貰っておきましょうか」
二万のところをペナルティで倍いただくということだ。それでも一万は残るのであり、やったことを考えると全額没収でないだけ優しいとすら言える。
「それと、まあ、ちょっと痛い目にあってもらいましょう」
「えーっと、その痛い目、っていうのをおれに頼みたいんだね」
「はい」
殺せ、と言うよりかは遥かに穏当であるが、抵抗はある。
「報酬はいくらよ?」
恵一のメンタルなんて知ったこっちゃねえとばかりにケイトが尋ねる。
「そうですね……二万ゴールドの十分の一、二千ゴールドでいかがです?」
「よし、まかせとけ」
ケイトが二千の辺りで被せるように快諾した。
「いや、ケイト」
「おう、こんなぬるい仕事で二千なんて他じゃありえんぜ、やっとけやっとけ」
いや、そりゃあ確かにすこぶる「割のいい」お仕事なのではあろうが。
「まあまあ、ケーイチの気持ちもわかるぜ、いくら嘘ついた奴って言っても殴ったりすんのは嫌なんだろ」
「うん、まあ……」
「でもな、ケーイチがやんなかったらエリスがやるんだぞ。なにするかわかんねえぞ」
「それは……」
「殴られた方がマシだったって目に遭うに決まってんだからケーイチが殴ってやってそれで済ましてやるのがそいつのためさ。そんであたしたちにはゴールドが入る。……関わる人間誰も損しねえぞ。こんないい話は滅多に無いぜ」
恵一を上手いことだまくらかそうとしているというよりも、心の底からそう確信して全く疑っていないケイトにぐっと迫られて、
「う、うん、そうかもね」
と、いつものようにあっさり頷かされてしまった。
「……まあ、最後のチャンスを与えてもいいでしょう」
「チャンス?」
「ええ、これから行きますが、私は何か隠していることはありませんか? といかにも何もかも知っているぞ、という感じで尋ねます」
「ほう」
「それで、観念して全て白状して謝れば、痛めつけるのは止めにしましょう」
「うん、それがいいよ」
と、恵一は大賛成だったのだけど、
「いや、よくねえよ! 二千ゴールドはどうなんだよ!」
ケイトが大反対である。
「まあ、その時も半分は出しましょう」
「半分……っていうと、千ゴールドか」
それでも大層な金である。ただ着いて行って実質なんもしないでそれならよいではないかと思うのだが、ケイトはそんなら殴って二千の方がよいだろうと言う。
「よし、ケーイチがやんねえならあたしがやるよ」
と、言いつつ恵一が素振りに使っている木の棒を持ち出してきた。
「まあまあまあまあ」
必死に宥めつつも、なんでまたこんなにやる気なのだと思う。
「その野郎、借金きれいに返してその上まだ余るってのに嘘ついて金返さんってのが信じらんねえ」
まあ、ケイトが同じ立場なら、そういう嘘をつく子ではないので大喜びで借金を返済してしまうであろう。
「しかも、嘘つきの上にとんでもねえ馬鹿だぞ。相手はエリスなんだぞ、呪術で報復されたら、とか考えねえのかね」
確かに、それは恵一も思っていた。再契約の状況からして呪術師を恐れているのは間違いないのに、なんでそんなことをしたのか。
やはり、魔がさしてしまい、引き返せなくなっているのだろう。
それならば、最後のチャンスに飛び付いてくるのではないかと思う。
「三秒だ。三秒待っても白状しなかったらあたしは行くけんね」
債務者の家へと向かう途上、木の棒で肩を叩きながら、ケイトはもう恵一に任せる気が無いらしい。
「三秒は、短くないかなあ、ちょっと悩んだら三秒なんてすぐだよ」
顔も見たことない債務者のために、猶予時間の延長を説得してみるのだが、ケイトは応じない。
「ったくよ、せっかく借金返せるのによ、馬鹿じゃねえか、ああん」
で、まあ、聞いていると、要するにケイトの激しい敵意の源は嫉妬である。
借金を一括返済できる大金が手に入った、という羨ましくてしょうがない境遇なのにつまらない嘘をついて、墓穴を掘っている。
自分なら、そんな馬鹿なことはしないのに、なんでそんな自分のような正直者ではなく嘘つきで馬鹿な奴に幸運が舞い降りたのか。
「着きました。ここです」
エリスが立ち止まった。共同住宅の前である。
ゲオルグが住んでいるところと似たようなところだ。人口が多く、その分部屋代も高い王都において手頃な価格で済む共同住宅は人気で、そこかしこに建っている。
「それでは」
と、エリスがドアをノックする。
棒を構えて、ドアが開いた瞬間に打ち込みかねない気迫のケイトを押さえつつ、固唾を飲んで待つ。
「留守じゃないか?」
なんの反応も無い。
「おう、アン、あたしがちょっとかますから、部屋の中で物音がしないか聞いてくれ」
「んむ、わかった」
アンが頷いたのを確認し、ケイトはドアを乱暴に叩いた。
「おう! 金返さんかいコラ! 埋めたんぞコラ!」
叫びつつ、手が痛くなるぐらいにドアを叩き、痛くなってからは蹴りまくった。
どこから見ても聞いてもタチの悪い借金取りである。実際は取られる側なのだが。
叫ぶのも、ドアを蹴るのも止めて目配せすると、アンがドアに耳を押し付けた。
「どうだ?」
小声でケイトが尋ねる。
「……んー、全然、音はしないぞ」
エリス以外の声と乱暴なノックというかドアへの物理攻撃は、今日はエリスが一人ではなく仲間――それもどう考えても荒っぽい――を引き連れて来ていることを語っており、居留守を使って息を潜めているのならば、相当なプレッシャーになっているだろう。
どんなに音を立てまいとしても、心の動揺が体に影響を与えて、思わず動いてしまい、音を立ててしまうに違いない。
「うん、やっぱり、音しない」
「えー、じゃあ、ホントにいないのかなあ」
獣人のアンがドアに耳を押し付けて聞き耳立てているのだ。それでもなんの音も拾えないということは本当に留守の可能性が高い。
「エリス、どうする?」
問われて、エリスは少し考えて、出直すことにした。
ケイトは面倒臭えなあ、と不平満々だったが、どう転んでも最低でも千ゴールド貰える仕事なのだからと宥めると、それもそうだなと納得した。
夕方頃にもう一度行ってみたが、やはり不在。
また明日にしようということになり、翌日はかなり朝早くに出掛けた。
まだ寝てるんではないかという時間であり、この時間なら間違いなく家にいるであろうと踏んでのことであったが――
「んー、音はしないな」
エリスが普通にノックしても反応無しなので、またケイトが乱暴にノックしてアンに聞き耳を立てさせたところ、無音である。
「ふむ……」
エリスは、小さく呟いて考え込んでいる。
「この時間にいねえってことは昨日は帰ってねえのかな」
「そうだろうね」
「あ、まさか」
ケイトは苦々しい表情で言った。
「大金が入ったからって豪遊してるんじゃないか」
「それは……」
そんなことをしたら、せっかくエリスについた嘘が、嘘だとあっという間にバレてしまう、そんな馬鹿なことはしないだろう……とそこまで考えて、そんな馬鹿なことをするようなアレかもしれぬと思い直す。
「五万ゴールドをそう簡単に使い切れるとも思えねえけど、一万ぐらいならその気になりゃ一晩で無くなるぞ」
もしそうだとしたら、取るものが無くなってしまう。
「本来返してもらう二万ゴールドに、嘘をついた罰としてもう二万ゴールド。四万ゴールドいただくことはもう決めていますから、それに足りなくなっていたらその分はまた借金として扱うだけです」
淡々と、エリスは言った。
また昼頃に行くとやはり不在、夕方というか夜になってから行っても、不在。
「あー、こりゃ相当豪勢にやっとるね。もう三万ぐらいは使っちゃってんじゃないか」
豪遊説を推しているケイトは、心配そうに、と言ってもどうせ自分の懐に入る金ではないのである意味気楽に言った。
「まさか、と思っていましたが……」
独語して、エリスは共同住宅の大家のところへ行くという。
大家は、資産家だった夫を亡くしてその遺産で共同住宅を建てたという、既に老境に入った婦人であった。
エリスが契約書を示し、事情を説明して、鍵を開けてもらうことになった。
この辺り、やはり恵一にはそんなんしていいのかという違和感があるのだが、それを感じたらすぐにこっちの世界ではこういうもんなんだ、と自分を納得させる癖が既についてしまっている。
どうしても、金を借りた者は貸した者にある程度のことならされてもしょうがないというか当然である、という空気がある。
部屋の中は、まあ殺風景と言ってよい。
借金を抱えた人間の住居なので、必要最低限のものしか無いといった感じだ。
まるで祭壇のように、敷布をかけた台があったが、この上に先祖伝来という品が誇らしげに鎮座していたそうだ。
エリスは、全く遠慮なくタンスを開けて中を物色していた。
「服が、だいぶ減っています」
と、確信に満ちた声で言った。
なんで減っているのかわかるかと言えば、最初に来た時に金目のものは無いかと、やはり全く遠慮なく家主の目の前でタンスを開けていたからである。
その時に、金目のものは無いことはない、先祖伝来の品なので手放すつもりはなかったんだが、あんたみたいな呪術師と契約してしまった以上しょうがない、これを売りに出すと壺やらなにやらを見せられたのだ。
「まさか、と思いましたが……」
さすがに恵一もケイトも薄々察しがついたが、それゆえにエリスの怒りがわかるので黙っていた。
「まさか、なんなんだ?」
察しはつかんし察するつもりも無いアンが、無邪気に聞いた。
「逃げたのでしょう。……ゴミが」
エリスは、唇の端っこを僅かに吊り上げる笑みを浮かべつつ、吐き捨てた。




