突出
父さんの剣、という意味は考えないでもすぐにわかった。
要するに、大鉄槌の餌食になろうとしている剣は、リーンの父が使っていたもののようだ。
「それがどうした?」
と、言ってから、先程からリーンの視線が一カ所に集中していたことを思い、その先がなんなのかがわかった。
リーンは、見覚えのある剣をジェークが持っているのに気付いて、もしやあれは父の剣なのではと注視していたのだ。
その態度は、明らかにその剣にリーンが執着を持っていることを示している。
「あっ」
あれは餌だ。
リーンを逃がさずに突出させるための餌。
「さあ! お前の親父の剣だ! 取りに来ないと……」
ジェークが、大鉄槌を高く掲げながら言った。
「ほら、リーン」
わかっているだろうけど、罠だ。そう言ったつもりだった。
「ジェーク!」
鬼気迫る声でリーンが叫んだ。
「ぶち殺したるぁぁぁぁぁ!」
剣を抜き、走り出す。
「え! 嘘ぉ!」
恵一は驚愕した。
だって、あんなの罠じゃん。考えないでもわかるじゃん。
「ちょ、ちょっとリーン!」
と、言う間にも凄い速さで突き進んで行く。
本来の方針では、ここで逃げる素振りを見せ、時間を稼ぎつつ本隊の到着を待つはずであった。
獲物を包囲下に捕らえた安心感もあって、おそらく敵はそれほど短兵急には攻めてこないはず。
時間が経てば探索部隊として散っていた連中も戻ってくる予定である。
その証拠に、リーンの突進とほぼ時を同じくして、遠くから、例のあの金属音が聞こえてくる。
見やれば、ジェークのすぐそばで、男が垂れた縄を揺さぶっていた。
だが、それが――時が経てば経つほど自分たちが有利になる、という思い込みこそが彼らの弱点であり、そして当方の付け目であった。
実際には時が経てば、討伐隊の本隊が到着して彼らは不利になるのである。
本来ならば、そういう手筈だったのだ。
それなのに、罠というのが丸分かりの手に乗って、リーンが出せる限り最大の速度で突出してしまった。
あれでは、時間を稼ぐもなにもない。
このままでは、本隊到着前にリーンが殺されてしまうというのが大いにありうる。
彼女を生け捕りにして団の最下層奴隷にしてやろう、などという彼らの考えを知らぬ恵一は、リーンが死ぬと思った。
リーンだって、罠だというのはさすがにわかっているだろう。
だが、ここで彼女の死を全く厭わぬ覚悟が最悪の形で出た。
おそらく、リーンはこのまま殺されても構わない、という決心のもとに進んでいる。
「駄目だ!」
リーンを死なせるわけにはいかない。
となれば、やれることは、やることは一つ。
「リーン! 待て! おれも行くから、ちょっと待て!」
恵一も、突出するのだ。
この時、恵一の頭からはリーン以外のものがふっ飛んでおり、その他のことへ頭を使う余裕が無かった。
「え! ちょっと!」
なので、ふっ飛んだものの一つであるエルムントとしては、狼狽を隠し切れずに焦った声を出さざるを得ない。
「マルセス!」
だが、ふっ飛んだもののもう一つであるマルセスは、迷わずに恵一の後に続いた。
アマモトさんの後に着いて行ってしっかり経験を積むんだぞ、とは言っておいた。それを忠実に実行したのだ。
「ああ、もう!」
エルムントはマルセスに後続した。
本来の方針とか、そういうものはとっくに崩れている。
それならば、現況においていかにすべきかを考えねばならぬ。
その辺り、さすがにエルムントは一線を退いたとはいえ、長年戦いに身を置いていた男である。
四人のうち三人が突出してしまったのならば、自分もそれに加わった方が一人その場に残っているよりも遥かに安全である、ということを瞬時に理解したのだ。
「どけコラぁ!」
リーンは行く手を遮る盗賊に向けて叫んだ。
案の定というべきか、ジェークに肉迫はできずに、その前に壁が立ちはだかっていた。
「リーン! 待って!」
少し、まだ距離がある。とにかく、少しでいい、自分が追いつくまで待って欲しいと思い、懇願するように声をかけているのだが、全く耳に入っていないのか、リーンの速度は緩まぬ。
ニヤニヤと笑いながら、彼女の前に立っていた男が剣を構えている。
「このっ!」
リーンは渾身の力で剣を振り下ろした。
その男が、元からのジェークの一味ではなく、以前は父の下にいた者――つまりは、父を裏切った連中の一人だったからだ。
リーンの剣を男は自らの剣で受けた。
それほど日が経っているわけではないので、見違えるほどに上達しているわけではないというのを確認し、男は薄く笑った。
同じ団に所属していたので何度か手合わせはしていた。
お頭のお嬢さんだから遠慮して、勝敗がタイになるように手加減していたが、本気でやり合えば確実に自分の方が強いという確信があった。
今の受けも、余裕を持って受けた。
殺る気ばかりが迸って隙の多い攻撃で、受けるのは簡単だった。
こっちも殺す気ならば、受けずに流して反撃してやるところなのだが、アレは大切な戦利品になるのだから殺すわけにはいかない。
なにしろ、団の特に下っ端連中にとっては待望の、自分たちでも好きに抱ける奴隷になるのだ。
殺してしまったら、奴らに恨まれて寝首をかかれかねない。
それとは別に、彼自身、リーンには執着があった。
前のお頭である彼女の父は、とてつもなく「生ぬるい」やり方だったので、女を犯すようなことは許されずに、当然のことながら溜まっていた。
そんな禁欲生活の中で、団で唯一人の女がリーンだった。
年齢的には子供であり、可愛らしい顔立ちはしているものの色気は無い彼女だったが、既に体は十分に女として「使える」ぐらいにはなっていた。
溜め込んだ性欲は、当然のことながらリーンを欲したが、お頭の愛娘なので手が出せない。
そうやって、欲しながら手を出せぬという経験があるだけに、男も機会あればリーンの体を蹂躙したかった。
そして、その機会がやってきたのだ。
こうして、リーンの攻撃を受けてしのぐ。
そうしているうちに、他の者が何人かで背後から組み付いて制圧してしまえば生け捕りにできる。
「死ねぇ!」
リーンが再び斬り込んでくる。
その殺意たるや尋常ではない。
男はある程度の強さがあるために、その殺意を察知することができ、察知できるがゆえに反応した。
向かってくるリーンを、剣で突こうとしてしまったのだ。
突きは、むろん斬り付けるよりも殺傷力の高い攻撃だ。本来の目的からすれば控えるべき攻撃である。
だが、リーンのあまりもの殺意を受けて、男は本能的に、傷付けないように殺さないようにと手加減していたら思わぬ不覚をとるかもしれぬと悟った。
思わず突いてしまった。
だが、思わず出た行動なために、出た瞬間にしまったと思い、自制が働いた。
そのために、途中で速度が落ち、切っ先の伸びも鈍った。
それが、捨て身で突っ込んできたリーンに幸いした。
リーンは、全身殺意で染まったようにその感情に支配されて、なんの躊躇いもなく突っ込んだ。
理由は単純で、目の前のこの男がどうしても許せず、どうしても殺してやりたいと思ったからだ。
父を殺した主犯はジェークであるが、共犯或いは従犯であるこの男――父の元部下の方がより悪質であると言える。
ジェークは他の盗賊団のお頭であり、やり方も大いに違っていたために最初から父とは互いを敵視しているところがあった。
だが、この男は、父の部下でありながらこれを裏切ったのだ。
主犯を憎みつつも、そちらへの憎しみがより一層強いのも当然である。
もちろん、リーンはそのようなことを筋道立てて考えたわけではない。
直感で、男を見ているうちに、ジェークも憎いがこいつの方がもっと憎いぞ、と思い、その思いに全身を任せて突進しただけである。
男が突きで迎撃してきたのは、自分に向けて切っ先が近付いてくるのだから嫌でもわかった。
体を傾けて、かわした。
ここで、男の躊躇による鈍りがなく、突きが放たれた瞬間のままの鋭さをたもっていたら、かわせたかどうかはわからない。
だが、とにかく、かわした。
体を傾けつつも、不格好にだがリーンは前に進んでいた。
突きを、前進しながらかわすのは至難の業だが、なしうることができればそれは大きな好機となる。
この時も、リーンは完全に男の剣の攻撃範囲外に身を置く体勢になっていた。
男が声にならぬ声を出す。
当然のことながら、彼にもそれがとてもまずいのだということはわかっている。
「死ぃねえ!」
不格好な姿勢からぶん回されたリーンの剣が、横から男の首を叩いた。
剣身は、半ばまで首に食い込み、鮮血が花と咲く。
リーンは咄嗟に剣から手を離し、腰の短剣を抜いてそれで男の左胸を突き刺してえぐった。
どう、と倒れた男の顔を踏みつけ、首に食い込んだ剣を引き抜き、短剣も回収して、ジェークを見る。
「ジェーク! ぶち殺っ!」
きちんと最後まで発音できなかったが、リーンが何を言いたいかは彼女から発されている殺意によってわかろうとせずともわかっただろう。
「むう」
ジェークは、やや怯んだ。
彼自身がなかなかの強さだと認め、当人が同じ団にいた頃に手合わせしたが絶対に自分の方が強い、と自信満々に断言したからリーンの突進を正面から受ける役目に男を選んだのだ。
それが、あっさりと――実際には既に述べたように紙一重なところはあったが――やられてしまった。
少なくとも、ジェークの目からはそう見えた。
この小娘、思っていたよりも強いのか――。
だが、いくらなんでも自分ほどではあるまい。
彼は元々小心で、それが極悪な所業を重ねつつも討伐の手が伸びて来る寸前で逃げ出す機敏さとなって、今日まで生き延びてきたわけであるが、この時はさすがにこの場にいる部下の手前もあって、リーンと勝負する覚悟を決めた。
「よし、おれが相手をしてやる」
ジェークは、持っていたリーンの父の剣を投げ捨てて、自らのそれを抜いた。
「他の奴らを押さえておけ」
と、部下に命じる。
その命により、リーンのところへ駆け付けようとする恵一の前に男たちが割り込んでくる。
「マルセス!」
エルムントが恵一に背を向けながら言うと、マルセスは察して同じようにした。
三人がお互いに背を向け合う形となった。
父の形見の剣という餌に思い切り釣られて突進したリーンを、しょうがない子だなまったくもうと思いながら追っていた恵一であったが、自分もすっかり釣られて突出し、後ろのことなど気にしていなかったことに、ようやく気付いた。
「すいません!」
この、後背に憂いなき形を作ったエルムントに、謝罪と感謝の入り混じった声をかける。
「こうなったら、やりますよ。マルセス、気合入れろ」
「うっす!」
盗賊たちが迫ってくる。
だが、少し距離を置き、止まる。
彼らにしてみれば、お頭とリーンの一騎打ちの邪魔立てをさせずに、さらには時間を稼げばいいのであって、自分から打ちかかったりする必要は無いのだ。
「リーン……」
時間が経てば有利になるのは、彼らよりもむしろこちらであるので、その点において憂慮することはないのだが、本隊到着前にリーンが殺されてしまうのでは、と危惧する恵一にとっては、そうもいかない。
考えようによっては、ここで彼女を見捨てるという選択肢は十分にアリだ。
元々、リーンは正規の討伐隊員ではなく、討伐対象ではないものの盗賊であることには違いない。
利害の一致から協力関係になっていただけのことで、さらには彼女が作戦から逸脱した突出を行った結果の現状である。
あとは本人の努力に期待して投げてしまってもよい。
という理屈は、思いつきもしない恵一は、じりじりと焦れつつ、攻撃してくる気配の無い盗賊たちを見回す。
「来いよ!」
挑発するが、効果は無い。
「そう焦るな、お頭同士の一騎打ちを邪魔するんじゃねえ」
盗賊の一人が余裕たっぷりな様子で言った。
彼らにしてみれば、もはや絶対優位を確信している。
一騎打ちならば、自分たちのお頭の方が強いから負けることはないし、さらには今頃散っていた連中がこちらに向かっている。
ここで打ってかかって、このどう見ても弱そうな若僧が意外に強かったりした場合、反撃にあって怪我するのはつまらんし、そこから包囲が崩されるかもしれない。
それを考えた場合、こうやって距離を取っているのがいい。
「くそ……」
全く向かってこない盗賊たちに、恵一は苦い表情になる。
リアッセとの決闘の時に嫌でも理解したことであるが、恵一の謎の力は殺気によって発動するものらしいので、こういうその気の無い相手というのが一番困るのだ。
だが、このまま時間が経てばリーンが――
行くか。
と、恵一は思った。
今まで、戦うといえば主に受け身の戦いばかりで、そういう発想自体が無かったのだけれども、あの謎の力が無くても、自分はレベル10なのだ。
おそらく、この盗賊どもはそんなにレベルは高くないはず。
リアッセのように、同レベルな上に経験も多い相手には散々にやられてしまったが、レベル差があれば、その地力の差でなんとかなるはず。
よし、行こう。
と、その前にこの三角形の陣形を形成している二人にそのことを言わねばなるまい。
もしかしたら、二人とも、特に冷静沈着なエルムントなどは、状況を見てリーンを見捨てることも止む無しと思ってこのまま動くべきではないと思っているかもしれない。
「エルムントさん、マルセスくん……」
おれはリーンを助けに行きます、と言おうとした瞬間――
「おおおおおおっ!」
裂帛の気合とともに、マルセスが前進した。
「え!」
まさか行くとは思っていなかったので恵一は驚愕した。
「おい!」
それは、エルムントも同じだったようで、彼もまた叫び声を上げる。
「おおぅ! おぅ!」
力強い声とともに、マルセスが斬りかかって行く。
「こいつ!」
斬りかかられた盗賊は、攻撃を防ぎつつ後退する。
マルセスの前には二人の盗賊がおり、その片方に向けて彼は仕掛けたのであるが、視野を広くとっているようには見えぬ。
気合もなにもかも、目の前の一人に向いている。
それが後退すれば、迷いなく追い、追えばもう一人に対して側面を暴露した。
「へっ!」
短く嘲笑した盗賊は、横からマルセスに斬りかかる。
「うっ!」
咄嗟に反応して身をかわしたマルセスであったが、間に合わず、右腕に傷を負った。
右は、彼の利き腕だ。それ自体は致命傷ではないが、血が流出しており、以後の戦闘力の低下は避けられまい。
「よし!」
後退していた盗賊も、マルセスが手負いになったのを見て前進してくる。
もちろん、右腕を斬り付けた盗賊も手を休めずに、息を合わせて同時に斬りかかろうとしていた。
「待て!」
このままではマルセスが殺られる、と思った恵一は彼の救出に動いた。
マルセス自身に対して、真面目で真っすぐなよい青年だなと好意を持っていたことと同じ討伐隊の仲間なのだから当然助けねばならぬという思いだ。
ケイトの懐に入ったエルムントのゴールドに関しては、あんまり考えなかった。
というか、考える余裕が無かった。
マルセスが危ないと思った瞬間に、体が動いていたのだ。
で、マルセス救出に動くということはどういうことかというと、要するに対峙していた敵には背を向けるということだ。
それに、すぐに気付いた。
すぐに、と言っても既に背は向けてしまっており、一瞬一瞬の判断と行動が積み重なって構成されている戦闘においては致命的である。
だが、恵一にとって幸いしたのは、その恵一の拙劣極まる行動に、彼と対峙していた盗賊が過敏に反応し、踏み込んできたことだ。
仲間を助けるためとはいえ、無防備に背中を向ける迂闊さからこれは戦闘経験もろくにない奴だと思った盗賊は、思い切り全力でかかった。
いかに時間を稼げば有利になるのだからといっても、このように無防備な背中を見せられては、行かざるを得まい。
そして、その無防備さは、殺意を誘発した。
殺った!
という快感を伴った確信に引き出されるように、殺意が芽生え、それが凝固したような殺気を放つ。
あ、しまった、背中向けちゃった、と背中を向けてから気付いた恵一は背筋を縦断する悪寒に震えていたが、別のそれが来た。
ゾクゾク、と――
これは、殺気だ。
思うと同時に、世界の感じが変わる。
顔を横に向け、目を横に向ける。
ちらりと見えた。盗賊が上段に剣を振り上げている。無防備な後頭部を思い切り叩こうというのだろう。
じわじわと、男の剣が動く。
恵一は振り返った。
振り返った回転により生じた力を剣に乗せるようにして、横薙ぎに斬る。
さくり、といつもの豆腐でも斬ったような手応えの無さで剣は盗賊の右脇腹の辺りに入り込んだ。
やや斜め上に向けて剣閃は走り、左の脇のすぐ下の辺りを抜けた。
血はすぐには出ない。
この全てが遅くなった世界において、恵一の剣は凄まじい速さであり、血が噴き出すまでに時間があった。
世界の感じが、元に戻る。
戻った瞬間、鮮血が噴き出して切断面より上は後ろへ、下は前へと倒れて行った。
「ん!?」
「なんだ!?」
マルセスに対していた二人は、いきなり味方が一人豪快に切断されて倒されたのに驚いて動きが一瞬だが止まった。
その隙を逃さずに恵一が自分の近くにいた方の男へと斬りかかり、男は必死にそれを防ぐ。
それによって、マルセスは相手が一人になり、しのぐことができた。




