帰還
「ケーイチ! ケーイチ!」
後ろから、ずっと聞こえていた声によって止まったのではなかった。
単純に、どこへ行ったらいいものかわからなくて、止まったのである。
「ケーイチ! 治癒士の家なんか知らねえだろ!」
息を切らせたケイトが、呆れた顔で言うのに返す言葉も無い。
リードがこの街に詳しい家臣を走らせたとケイトから聞かされて、ほっとする。
「いやぁ……でもなあ」
ケイトが複雑な表情で言った。
どのように複雑かというと、歓喜と不安が同時に存在することによる複雑さである。
歓喜は言うまでもない、決闘の勝利への喜び。
不安も、言うまでもあるまい。
「……このまま姿くらますのも手だな」
その場にいた治癒士も頑張っているし、補助にと他の治癒士も集めているが、リアッセがどうなるかは不確定であるから、決闘に勝利したと浮かれてばかりもいられない。
なにしろ、リアントゥム男爵家の令嬢を殺っちまったとなったら、どうなることやらである。
もちろん、死人が出ないように「ゆるい」ルールであったし、そのことは双方承知済みのことなのだから、リードは何も言わないだろう。
だが、リアントゥム家においてリアッセに心酔していた者が、仇討の挙に出ないとも限らない。
リードは制止に回ってくれるであろうが、そもそも、リアッセに心酔していた者は、リードのことを温厚過ぎると不平の目で見ていて、その不平を晴らすような意味合いで彼女に服していた者が多い。
自然、そこでリードが制止すれば反発を覚えて、ますます暴挙に走る可能性が高い。
そういう話をケイトにされると、やっぱり逃げとくのがいいか、と思わないでもないのだが、少しだけ心残りがある。
「なんだよ」
「いや、えーっと……」
言ったらケイトに馬鹿だなあって言われると思ったから、恵一は口ごもった。
結局のところ、恵一は、リアッセが心配なのである。
思いきって言ってみたら、ケイトには何言ってんだお前、っていう顔をされた。もっともであろう。
これまでの経緯で、恵一がリアッセにそんな感情を抱くような場面は無かったはずだ。 恵一だって、なんでこんなに心配なのかはよくわからない。
ただ、これまで恵一が手にかけた人間というのは、この世界に飛ばされてすぐに遭遇した野盗しかいない。
あの時は、まだ夢かうつつか、いやもうこれは夢に違いないと確信していたこともあって、実を言うと未だに実感が無い。
それに、後からあれは現実であったのだと認識してからも、ミレーナを追い回していた悪人だったのだから、自業自得であると思うこともできた。
だが、リアッセについては彼女を悪人だと思うようなことはなかった。
やたらと好戦的でおっかない人間だとは思っていたが、それが悪とまでは思えなかったし、決闘相手の恵一に対して、無闇に敵意を向けず、雇われたに過ぎぬ人間と見て配慮する一面もあるのというのも、恵一は知ってしまっている。
最後の一撃にしても、無我夢中で戦っていたら、望外の好機が訪れてそれに無心に剣を打ち込んだだけのことであり、彼女への敵意などは持っていなかった。
その結果、リアッセが死ぬか死なぬかという状態にあることに、恵一は罪の意識とまでは言えぬにしても、後ろめたいものを感じていた。
「戻ろう」
「んー……」
「アレンさんが馬車を用意してくれてるはずだから、いざとなったらそれで逃げよう」
「おう、そうだな」
逃走手段があることに安心したケイトと一緒に、競技場へ戻った。
リアッセは依然として倒れているが、彼女に手をかざす人間が増えていた。元からいた治癒士の他に二人。
ああ、よかった。他の治癒士が捕まったのだととりあえず恵一は望みが大きくなったのに安堵した。
「あー、戻ってきたか」
アレンがそう言って、ちょいちょいと手招きしている。
「あの、彼女は、どうですか?」
「ああ、まあ、最悪の事態にはならんだろう」
その言葉に、恵一は今度こそ肺が空になるような大きなため息をついた。
「で、なあ、レベルの鑑定書持ってるよな」
「え? ああ、はい。常に携帯してます」
「ちょっと見せてくれ」
あれ? アレンは自分のレベルについては承知しているはずなんだけど、なんかおかしいなと思ってすぐに、アレンのすぐ後ろにリードが立っているのに気付いた。
なんだかわからぬ間にも、鑑定書を取り出してアレンに渡す。
アレンはさっと目を通すと、それをリードに渡した。
「ふむ……ふむ……王都のギルドのお墨付きか。……いや、了解した」
リードがアレンに鑑定書を返し、それがそのまま恵一に返ってくる。
「となると……最後のアレはいわゆる火事場の馬鹿力というやつか」
リードは、納得できかねることを無理に納得するように、顎に手をやって唸るように呟いている。
で、ようやく恵一にもわかった。
あまりにも強力な一撃を繰り出してしまったせいで、恵一のレベルに関して詐称疑惑が生じていたものと見える。
いやぁ、レベル10ということになってるけど、はっきりしてなくて鑑定士の人はもっと高いかもしれないと言ってました、とかいう事実は明らかにしたらろくなことにならないので黙っている。
ケイトが、言うんじゃねえぞ、という意味で背中を軽く小突いてくるが、さすがにそのぐらいは恵一にもわかる。
「意識が戻りました。もう大丈夫」
そんな、治癒士の声が聞こえた。それは、リアッセを心配そうに見守るリアントゥム男爵家の人々に向けての声だったようだが、恵一たちの耳にも届いた。
恵一は思わず走り出していた。
「大丈夫なんですね!」
治癒士に、勢い込んで尋ねる。
「ああ、私のレベルでは、完治とまでは行かなかったが、安静にして定期的に治癒を受ければ元通りに治るだろう」
「ああ……」
恵一は、心底よかったと思った。
「よかったぁ……」
だから、自然とそう言っていた。
そのような意図もなかったので全くわかっていなかったが、そのことが、敬愛するお嬢様に手酷い傷を負わせた彼への、リアントゥム家の連中の敵意を著しく削いでいた。
「おい……」
弱々しい声は、リアッセのものだった。
意識が戻ったと言っても、話せるほどだとは思っていなかった恵一は驚いたが、どうやらそれが自分への声らしいと知って、耳を傾けた。
「見事、だった……」
「え、あ、はい」
「我が名誉に、かけて……敗北を、認めよう」
名誉にかけて敗北を認める――なんだか変な言葉だな、と思ったものの、恵一は神妙に頷いておいた。
「無理はなさらず」
「ああ、もう黙る」
治癒士に言われてリアッセは答え、以降言った通りに沈黙した。
もう用は無さそうだと思い、恵一は離れた。
「何か言われたのか」
不穏なことを言われたのなら、色々と考えねばならぬアレンが聞いてきたのでそのまま伝えると、彼は少しだけ、ほう、と感心したような声を出した。
「名誉にかけて敗北を認めたか」
「ええ、そう言ってました」
「それは、お前のためだろう」
リアッセ自身が当人に対して、名誉にかけて敗北を認めたのだ。この上に仇討などと言って恵一を襲えば、それはリアッセの名誉を傷付けることになる。
アレンにそう教えられて、決して憎からず思っていたとは言え、粗暴な印象は拭えなかったリアッセに対するそれがまた少し変わった。変わったというか、正確には新たな面が加わったと言うべきか。
好戦的であるし、粗暴でもあるが、それとは別に、リアッセは本当の名誉を重んじる戦士としての一面があった。
名誉のためにと称して負けを認めないような、偏狭な歪んだ自尊心とは一線を画する心を持っていた。
何かを彼女に言おうとした。でも、それについてこの場でわざわざ感謝を述べるのもおかしな話だ。
担架に乗せて運ばれるのを、黙したまま頭を下げて見送ることにした。
「それでは」
リードが淡々とした様子で声をかけてきた。
「調印を」
そういえば、そうだった。決闘が終わったらこの場で調印をするべく準備は整っていたのであった。
その後は、先日あったことの再現だった。
ミレーナが魔術印を施し、そしてリードも同じことをする。
先日のような豪快な邪魔も入ることなく、両者調印し、ここに両男爵家の間にて紛糾し、一転し、二転し、あわや戦争というところまで行っていた事態は終結を見たのである。
「いやぁ、よかったよかった」
宿に帰ると、ケイトは満面の笑みで言いながら、労うように恵一の肩を叩いた。
「結局今回のことで二万ゴールドじゃけんね。いやぁ、恵一はあたしにとっては神様みたいなもんだよ。いい拾いもんしたよ」
「今回は、さすがに疲れたよ。痛い目にもあったし」
恵一も、あれからすぐに治癒士に治療を受けて、体の痛みはもう無いのだが、ちょっと愚痴ったりもしたくなる。
「まあまあまあまあ、お嬢様もよお、恵一が勝った瞬間に、きゃーすごーいケーイチさんステキー、てなもんよ。もう恵一の株はぐんぐん上がっとるけんね。ふへへ」
なんかもう、ミレーナのこと出しとけばこいつは丸め込めると確信しているかのようなケイトの言葉であるが、あながち間違いとも言えず、そうかお嬢様にいいとこ見せられたな、とか思うといとも簡単に嬉しくなる恵一である。
その日は風呂に入ってゆっくり休んで、翌朝にエイロンを発って城館へと戻り、またそこで一泊してから、行きと同じ御者とイリアを加えたメンバーで王都へと帰ることになっていた。
「失礼の無いように。先方は謝罪に来るのだから神妙にしているだろうが、それをいいことに恨み言などぶつけたりするなよ」
アレンは、強硬派の連中を集めて諭している。
今回の件において、いわば彼の支持層だった人々だが、その支持の原動力はエリックの死に対する怒りである。
近々、調印の条件の一つを果たすために、リードが謝罪にやってくる。
そこで、ハウト男爵側があまりにも非礼を働くとまた面倒なことになりかねない。
リード殿は、今回のリアントゥム家の者がしでかした不始末には直接関係は無く、それどころか率先してエリックの遺族へ謝罪したいと言っているのだから、こちらも節度を持って応対するように、と、アレンは言う。
大変そうであるが、リードが来る頃には恵一たちは王都に向けて出発していて、この場にはいないので、ぶっちゃけもう後のことは知ったこっちゃないのである。
ミレーナと夕食をともにしたら、やっぱりこう、前からそうだったのだがさらに恵一を見る目が頼もしげなものを見るそれになっており、痛い思いしたり転がったりしながら頑張った甲斐があったなと思った。
出発を前に、挨拶回りに行った。
特訓してくれた兵士たちのところに行くと、大歓迎された。
ブレンニールの所へも顔を出すと、とにかく戦争という事態にならずに済んだことを喜んでおり、恵一などはぐっと両手を握りしめて感謝されてしまって、まあ悪い気はしない。
帰りは、また行きと同様である。
御者の隣にイリアが座り、馬車の上にアンが乗って周囲を警戒し、恵一とケイトが左右についていく。
あっちの、城館からエイロンまで行くのに使った馬車がよかったなあ、同乗してお嬢様と話せたし、と思いつつ、恵一は歩く。
来た道を戻っていくだけなので、正直目新しさは無いのだが、行きと違って、ミレーナとはずっと打ち解けたために、夜には宿の部屋にお呼ばれして、結局ケイトが例の召使から貰ってきてしまったカードに興じたりして楽しい道中を過ごした。
もう、仕事は終えた後なので解放感もあって、本当に気楽な旅となった。
王都の壁が見えてきた時には、もう一日ぐらいかかっても良かったのに、と思ったほどである。
「大変お世話になりました」
ミレーナが深々と頭を下げる。彼女は道中もしきりに、今回のことで恩を少しばかりでもお返しするつもりが、さらに恩を受けてしまったと恐縮していた。
そんなんいいですよと言おうとしたら、ケイトが横から、恩を返すのなんて少しずつでいいんですと非常に控え目な意見を述べたので、言えなくなった。
「今度、ケイトさんのお宅にお邪魔しますね」
「おお、歓迎しますぜ」
「尻尾お貸しするぞ」
別れる。
ふっ、と一抹の寂しさが生じるのは仕方あるまい。
家に行くとか、一緒に出掛けようとかいう話はしたし、ミレーナは実際にいつものお忍びでそれを実行するつもりであろうが、さすがにそう頻繁ではないだろう。
ここ数日、ずっと一緒にいたのに、これからはそうそう気軽に会うことはないのだ。やはり彼女は男爵令嬢なのであり、護衛という名目が無ければそばにいることは許されない身分である。
「ケーイチ、美味いもんと、あと酒でも買って帰ろうぜ」
ケイトは、恵一のその感情を見抜いているのかいないのか、どっちともとれるような荒っぽさで肩を叩いてきた。
「あー、酒は、おれあんまし」
「あたしだって、そんな飲めないよ。ちょっとだよ、ちょっと。それから、アンはまだ飲んじゃ駄目な」
「うー、酒、飲んでみたい」
アンは、酒というものに興味を持っているようなのだが、十歳かそこいらなのでケイトがまだ駄目だと言っている。
その晩は、大いに食い、少しだけ飲み、隙を見て飲んだアンが酔い潰れ、ちょっととは言えない量を飲んでケイトが酔い潰れ、二人をベッドに運んでから、恵一も部屋に戻って横になった。
なんだか一仕事終えた達成感に、なんとかこの世界でやっていけそうだと思った恵一だったが、色々と直面させられる事態への対処に忙しくて忘れていたことを思い出す。
魔王やらなんやら、自分がこの世界に召喚された理由、らしきもの。
今回の旅での唯一の収獲は、イリアから聞いた魔王が現れるからそれに備えよと主張する団体のことだ。
イリアも小耳に挟んだだけのことであり、団体の名前も、どの辺りで活動しているのかなども全くわからないが、とにかく、ほとんどの人間がお伽噺の中の存在としか思っていない魔王というものを、現実の存在と認識して動いている人間たちが実際にいることだけは確かである。
是非とも、接触して話がしたい。
というか、はっきり言って現時点ではそいつらが一番怪しい。あの自分を呼び出した美少女は、その団体の構成員の可能性が高いのだ。
いったいなんだって自分なのか、からはじまって、そもそも魔王なんて本当に現れるのか、元の世界に戻る方法は? 聞きたいことは無数にある。
レベル10という、それなりに強い基礎能力とどうやら殺気などに反応して発動する力とで、元いた現代日本よりも危険の多いこの世界で色々巻き込まれつつも、なんとか死なずに生きてこれた。
その過程で、色々な人とも出会い、その中の幾人かとはかなり親密な関係になれた。
元いた世界では、こんなことはありえなかっただろう。
家族とは仲がよかったし、学校に友人もいないわけではなかったが、例えばケイトのようなともに死線をくぐった関係などは望むべくもない。
そういう事態が振りかかったところで、なんの力も無かった自分などは死線をくぐれずに死ぬだけだ。
そういう意味では、こちらの世界に来たことを心の底から嫌がっているかといえば、そうとは言い切れぬことも自覚している。
だからといって、これとそれとは別であって、呼び出した張本人に対してはなにしてくれとんじゃいという気持ちはある。
結果的に色々いい方に転がっただけで、クマに食い殺されている末路だってありえたわけだし、なによりかにより、魔王を倒す、などという大義名分らしきものがあろうとも、それのために全く違う世界で平和に暮らしていた恵一を引っ張ってきて放り出すのは、許されんことだろう。
やっぱり、会いに来いと言われんでも会いに行って、色々聞いて返答次第じゃぶん殴ってやるしかない。
だが、その団体をどのように見つけるか、である。
イリアが聞いたことがあるという程度で、他の人たちは聞いたこともないというのだから、この近辺では活動していないのは確かだ。
恵一などは、最初にその時点で絶望しかかっていたのだが、この世界のことを知るうちに、そう諦めたものではないと思い直した。
この世界は、インターネットなどはもちろんだが、新聞すら無いような状態なのだ。
おそらく、情報については一部為政者が独占しており、庶民にはほとんど下りてこないのだろう。
恵一はインターネットが普及した時代の人間なので、その辺りの感覚に鈍かったのだけれども、かつて読んだことがある小説や漫画で、人の行き来がそれほどに活発ではない時代には、遠路を越えてくる旅人などの持っている情報が貴重であるというのを読んだことがあった。
大体、その手の話だと、旅人が集まる酒場などが情報源となっており、そこで旅人に一杯振る舞って情報を聞き出すシーンなどがあったりするものだ。
よし、それをいっちょ自分もやってみるかと恵一は思った。
若くて酒もろくに飲めない恵一では、その手のシーンでよくある「ガキは帰んな」的対応をされるかもしれないが、そこは食い下がってでもなんとか情報を得たい。
そのためには、一杯振る舞うための元手がいるが、それをケイトに頼んで出して貰わないとな、と思った。
ケイトが持っているゴールドはほぼすべて恵一の働きで稼いだものなのだが、完全に握られており、それをあんまり疑問にも思っていない恵一である。
野垂れ死にしかかっていたところを救ってくれた命の恩人であるとは言え、もう十分その恩は返したではないかと言う人もいるかもしれないが、恵一としては右も左も前も後ろもわからん異世界で、最初にケイトというそれほどに悪質ではない人間に接触できたのは幸運だと思っている。
もっと悪い人間に騙されている可能性だってあったのだ。
ケイトはとりあえず住む家を与えてくれ、ギルド登録して仕事をやることを教えてくれた。
情報が貴重なものだとすれば、ケイトはそれをくれたのであり、やはり感謝するべきだろう。
「よし、明日ケイトに話してみよう」
その日は、ぐっすりと眠った。
翌朝、いつまでもケイトが起きてこないのでアンと一緒に朝食を済ませていると、昼近くなってケイトが寝床から這い出してきた。
「ナメてたな。酒、けっこうやばいな」
昨晩の記憶がほとんど飛んでいるというケイトが、昨日の残り物を「もっとさっぱりしたもん食いたい」と拒否するので、しょうがないので貯蔵してあった果物――例の恵一が最初に食ったリンゴのような果物――の皮を剥いてやった。
皮むきなどろくにやったことがなかったが、ケイトに仕込まれてそこそこできるようになっていた。
本当ならば、今日からまたギルドに通って仕事を探す手筈だったのだが、リーダーというか文字通り引っ張り役のケイトがこの有様なので、今日はもう完全に休むこととした。
旅から戻ってきたばかりであるし、恵一としても完全休養するのも悪くない。
よし、明日からやろう。
そう思いつつ、恵一は、もう一回寝ることにしたのだった。
ここまでで第一章って感じです。
次回から章を改めて新キャラとかも出して第二章となります。




