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戦争反対!

 翌日、公会堂に恵一たちは来ていた。

 ミレーナの護衛である。

 なんでまたミレーナが来ているかというと、どうしても居てもたってもいられずに、アレンへ同行を願ったのだ。

 交渉の席へは入れないと言われても、それでも行くと言って着いて行った。

 アレンは、恵一の目から見て、少し苛立ちつつも、なんだか少し弱々しくも見えた。

 思う通りに事が運ばずに、さすがのアレンも焦りを感じているようだ。

 公会堂の、調印式に使われたのとは別の部屋が、再々交渉の席となった。

 アレンと随員が入る。

 この部屋は反対側に別の入り口があり、リアントゥム男爵家側はそちらから入室するのだろう。

 部屋の前の椅子にミレーナが座ったので恵一はその横に立つ。

「どうだ」

「うー、少し聞こえる」

 ケイトはアンを壁に張り付けさせて聞き耳を立てさせている。獣人の聴力ならもしやと思ってのことだが、少し聞こえるだけで明瞭に会話内容を把握するのは厳しそうだ。

 交渉には、リードだけでなくリアッセが出席した。

 そのことを予想はしつつも、やはりそうと知れるとアレンは面白からぬ表情をする。

 そして、リードは沈黙を保ち、口火を切ったのはリアッセであった。

「当方としては、最初の、代官と約束した条件での調印になら今すぐ応じてもよい」

 アレンとしては、はいそうですかと頷くわけにもいかない。

「いや、こちらとしては応じられない」

 断固拒否した。

 一瞬の静寂。

 だが、これはもう、要請する方も断った方も、最初からそうなることはわかった上での、儀式にも似たやり取りであった。

「そんじゃあ、どうすんのよ」

 ぐっと砕けたリアッセの言い方に、少しムッとはしたアレンだったが、こんなの相手にかしこまっているのも馬鹿馬鹿しくなったので、くつろいだ姿勢になった。

「どうもこうもない。リード殿、先日改めて合意した条件での調印が望みだ」

 視線をリアッセではなく、リードに向ける。

 リードは、間違いなく一度はこちらの条件に合意したのだ。調印式をリアッセがぶち壊したから流れてしまったが。

 最初の合意は、ブレンニールがしたものであり、それを覆したのはアレンだ。

 だが、この二回目の合意に関しては、リードが合意したのであり、今ここに交渉に臨んでいるのもリードなのだ。

 アレンは、ブレンニールと合意したというリードの言葉にほとんど心を動かされなかったが、この場合は当人なのだ。

 あんたが合意したことなんだぞ、とアレンは言外に言っていた。

 同時に、自分で合意したことを妹に振り回されて白紙にするなど、情けないとは思わんのかと挑発する意図もあった。

 だが、リードは沈黙している。

「だから、それはこっちが駄目だってば」

「こっちとしても、これ以上は引けん」

「……じゃあ」

 リアッセが、楽しそうに笑っていた。

 凄く嫌な予感にアレンが慄然とすると――

「ねえ……これはまあ最後の手段よね」

 やはり笑いながら、リアッセが言った。

 戦争――

 その言葉が出るのを覚悟していたアレンは、ほっと息をつく。

 そして、その自分の態度に自分で腹を立てるのであった。

 戦争という凶器を、脅しには使えど、それを行使するのには大きな躊躇いを覚えるのがアレンだとしたら、それを平気で振るえるのがリアッセだ。

 この差は、大きい。

「アレン殿、そちらのお嬢さんは男爵の名代として最初の条件での調印をするために来たのだと聞いた」

 リアッセが突然改まって言った。

「つまり、これは最初の条件に男爵が同意していたということだが……男爵は、この度のあなたの行動を承知しているのか」

「……それは」

 アレンの痛いところである。

 いや、あのまま調印が終わっていればさしたる問題ではなかった。条件としてはよくなっているのだから、これこれこういうふうにしておいたぞと言えば、褒められこそしないがそれほど咎められることもなかったはずだ。

 だが、事態があまりにも紛糾した状態で、男爵に知られるのはまずい。

「承知している」

 と、言うしかない。

「ふうん」

 と、リアッセは明らかにその嘘見抜いているぞという態度である。

 アレンはぶつける先の見つからぬ苛立ちを、ふつふつと煮え滾らせている。

 今、リアッセは、アレンが武器を振るえぬのを見透かして、自らは大上段にその武器を構えて、今にもそれを自分の頭上へ振り下ろされるかと戦々恐々としているアレンを完全に支配下に置いている。

 かつて、リード相手に自分がそういう立場だったから、よくわかる。

 戦争をしても構わないと言う態度や言動が、絶対にそれをしてはいけないという人間に対して、どれだけその行動を掣肘するか。

 だが、アレンはアレンであって、リードではない。

 この嗜虐的な態度を隠そうともしない女は、自分が兄と同じ人間ではないということが本当にわかっているのだろうか。

 絶対に、こちらが戦争には踏み切らないと確信しているのか。

 しているからこその態度であろうが――

「戦争、か……」

 アレンは呟いた。

 リードの表情を探りながらだ。リードは、確かにほんの少しだけ眉を動かした。

「これほどにお互いの求めるところが食い違っては、仕方ないな」

 目にも、声にも、力をこめる。

 一抹の期待をリードにかける。

 リードは、リアッセをいわば上手く使ってアレンを追い詰めているが、彼自身は戦争は本心ではないはずだ。

 こちらも踏み出せば、リードがリアッセを制止にかかるだろう。

 だが、意識して、アレンはその期待を忘れることに努めた。

 そういった期待は、覚悟の力を失わしめ、胆力を損なうと彼は考えていた。

「戦争しかないな」

 敢えて、あっさりとした様子でアレンは言った。

「戦争ね!」

 リアッセが笑った。

 怖いもの知らず、後先考えぬ思慮の浅さ、それらが原動力であろうが二十になったかならぬぐらいの年齢の女が、戦争に踏み込むというのに全く怯みを見せぬのは天晴れであると言うしかあるまい。

「ああ、戦争だ!」

「おう、戦争ね!」

 アレンが立つのと同時に、リアッセも席を立った。

 リードは、動かず。止めるなら今しかないはずだ。

 まさか、こいつも覚悟を決めてのことかと、アレンは完全な非戦論者だと思っていた男を新鮮な気持ちで眺めた。

 アレンとて、全面戦争になるとは思っていない。小競り合い程度であろう。

 リードも、その程度ならばと覚悟したのだろう。

 後は、実際の戦況がどう進むかで講和の条件が変わってくる。

 リアントゥム男爵家の兵が精強なのはよく知っている。だが、それを目標に我が家の兵とて訓練に励んできたのだ。

「よし、それでは」

 次に会うのは戦場だ。

 そう言おうとしたその時、ばーんとドアが開け放たれた。

 開いたのは、アレンが入ってきた――すなわちハウト男爵家側のドアだ。

「ミレーナ、何しに来た」

 そこへ、護衛を従えたミレーナの姿を見出して、アレンはせっかくの場面を邪魔されたとの思いもあって、苦々しげに言った。

「せ、戦争はいけません!」

 ミレーナは、なんとかそれだけを声を張り上げて叫んだ。

 何を言うかと思ったら……そう言いたげなアレンは舌打ちした。

 別にミレーナがそう叫ぼうが喚こうが、彼女にそれを止める力などはない。だが、この場にはリードもリアッセもいるのだ。

 力無きミレーナが何を言おうが、それが弱味とまではならぬというものの、彼らにそれを見られるのは面白くはない。

「ミレーナ、もう決まったことだ」

「いやいやいや、待ってくださいよ!」

 と、割って入ってきたのは、護衛の男だ。名前は忘れた。

 アレンに名前を忘れられた男は、まあもちろん恵一なのだが、彼は一応それなりに覚悟を持ってミレーナに着いてきたのだ。

 部屋の外で何をするともなく待っていると、なんとか交渉を盗み聞きしようとしていたアンが突如叫んだ。

「戦争!」

「え?」

 その声に、恵一たちは驚いて立ち上がり、アンに駆け寄った。

「戦争って言ってる。男の声と、女の声」

 アレンとリアッセが大きな声で叫び合ったその言葉を、アンの耳が拾ったのだ。

 遂に、戦争か……と恵一は、それでもなんだか遠い世界のことのように思った。

 自分のやるべきことは……無い。

 あるとしたら、アレンが戦争に加われと言ってきたら断固拒否すること、そしてあくまでもミレーナの護衛に徹することだ。

 ミレーナは……心配していた事態になってしまい、さぞや心を痛めているだろうな。

 そう思うと、すぐ横にいる彼女の顔を見るのが怖かった。

「っ!」

 声にならぬ声を上げて、ミレーナはドアに向かって行った。

「ちょ、お嬢様!」

 交渉に同席はさせないと、きつくアレンに言われていたのを見ていた恵一は、咄嗟にミレーナが怒られると思ったので止めようとした。

 しかし、ミレーナは制止の声を聞かずにドアに手をかけた。

「お嬢様!」

 非礼だろうか、いや、そりゃもう非礼に違いないとは思いつつも、恵一はミレーナの肩に手を置いた。

「戦争になってしまいます!」

「え? あ、はい」

 見たことのないミレーナの気迫というものに、まず驚いてしまった恵一は全く気迫の無い反応しかできなかった。

「それだけは、いけません」

「……そ、そうですかね」

「そうです。戦争なんて、いけません」

「そ、そうですよね!」

 恵一は、弾んだ声を出した。

 今回の件に関わってからというものの、ケイトをはじめとしてどいつもこいつも戦争はいけないことだという恵一の感覚から外れた言動ばかりする。

 ああ、そうか、おれの感覚が間違っているんだな、と持ち前の流されやすさで流されていた恵一だが、ミレーナだけは自分と似た感覚を有しているというのが事あるごとに感じられて、それだけが僅かに心強かった。

 それでも、アレンが強行してしまえばどうしようもないのだろう。

 そう思っていた。

 しかし、ミレーナは叶わぬとはわかっているのだろうが、その上でアレンを、戦争を止めようとしている。

 なんでかと言ったら、戦争はいけないからだ。

 その感覚は、完全に恵一のそれと一致する。

 もう、どいつもこいつもアレな以上、自分とミレーナだけが同じ意志を持つ、いわば同志だ。戦争反対!

「よし、わかりました。おれも戦争はいけないと思います!」

「は……はい!」

 ミレーナもまた恵一に同志を見出したのか、弾んだ声で言った。

「それでは!」

 ドアが開かれる。

「え? おいおい、待て待て」

 というケイトの声が聞こえてきたが、ケイトも悪い奴じゃないんだけど感覚が違うから同志にはなれぬ。よって無視。

 そんな感じで、ミレーナに着いてきた恵一は、勝手にミレーナと自分はただ二人の同志であると無闇に力み返っており、アレンへの直言だって怖かないのである。

「戦争はいけませんよ。人は死ぬし、お金だって使うでしょう」

 だが、それでも最低限の冷静さは残っていたと言うべきか、同志でもなんでもないアレンには、道義的に戦争はいけないのですなどと説いても鼻で嗤われるのはわかっていたので、無い知恵しぼって現実的な理由を挙げた。

 アレンはもう一回舌打ちした。

 そんなこたあ言われんでもわかっとる、としか思わなかった。

 その上で、人命やらゴールドやらの支出を覚悟した上で、決断しなければいけない立場なのである。

 流れ者の護衛が口を出していい問題ではないのだ。

「ミレーナ、もう言うな!」

 名前を忘れていたというのもあったが、ミレーナだけにそう言ったのは、所詮は恵一はミレーナの付属物であると認識していたからだ。

「しかし! お兄様!」

 アレンとしては、かなり強く言ったつもりであった。

 それでも、ミレーナは引かずに食い下がってきた。

 基本的に、自分としてもこの妹を相当に可愛く思っているのは自覚している。強く言ったつもりで、どこかに軟らかさが残っており、それが妹を引かせぬのかと思ったアレンは今度こそもうミレーナが泣き出すぐらいにきつく言ってやろうとしたところ――

「アレン殿、妹殿がこう言うのだから、聞いてやったらどうだ」

 リアッセが言った。これはもう完全に余計な言わんでもいい一言であろう。笑いながら言っているのだから尚更だ。

 リアッセの目にはアレンと、辛うじてミレーナが入ってはいたが、それ以外は文字通り眼中に無かった。

「いや、あなたも!」

 だから、ミレーナの付属物っぽい何かが自分に向けて言葉を発したのを、最初は何が起きたのかよく認識できなかった、というのが正直なところである。

「あなたもよくないですよ! ていうか、そもそもそちらのお兄さんは戦争してはいけないという意見だと聞いてます。それを、あなたが!」

「……えーっと、誰だお前」

「誰でもいいでしょう! そりゃこっちのアレン様もね、強いことも言ったでしょうけど、戦争までする気はなかったんです! それをあなたが!」

「誰だって聞いてんだ」

「あ、恵一です。恵一天本」

 リアッセの眼光にビビって名乗ってしまった恵一だったが、ミレーナの同志として引くわけにはいかぬと、なけなしの勇気を奮い起した。

「いや、おれの名前なんていいんですよ。あなたが登場してから戦争一直線じゃないですか! 戦争になったら人がたくさん死ぬんですよ!」

 という恵一の「戦争」のイメージは、多分に元いた世界の近現代における戦争であり、たくさん人が死ぬの「たくさん」というのも、それこそ万単位の死体が折り重なった地獄絵図である。

 こちらの世界でも、当然戦争になったら人はそれなりに死ぬが、さすがにそこまでの数は死なない。男爵家同士の小競り合い程度なら尚のことそうだ。

 そのことは、戦争についての感覚が恵一とこの世界の人間で違う一因でもあった。

「戦争が……死ぬのが怖くて貴族やってられっか!」

 リアッセが言った。そのことは、ある意味では彼女の貴族としての責任感からのものである。

 貴族となれば、いざ戦争となったら死を恐れずこれに臨むべきである。

 それは自らの名誉のためであり、主君への忠誠のためであり、ついでと言ってはなんだが領民のためでもある。

 戦争を、死を恐れるような貴族が領民を、その生活を守れるわけがないのだ。

 やや好戦的過ぎるとは言え、リアッセにも彼女なりの責任感があってのことである。

 それゆえに、ひたすらに戦争はいけない、なぜなら人が死ぬから、という恵一の言葉には心が全く動かされない。

 人が死ぬなんて、そんなもん当たり前のことだろうがとしか思わないのだ。

「だったら!」

 と、実を言うとリアッセの眼光やら口調やらに内心怯みまくっているが、それをなんとか抑え付けている恵一はヤケになって叫んだ。

 もう、恐怖を抑え付けるのに全精神を動員しており、あんま物事深く考えるだけの余裕は無くなっていた。

「だったら、アレン様と、あなたとで一対一で戦えばいいでしょう! 戦争なんてしないでも!」

 だから、勢いで、いかにもあんまり深く考えていないようなことを言ってしまった。

 戦争なんかして多くの戦死者を出すぐらいなら、国のトップ同士が殴り合えばいいじゃないかという類の殊更に単純な理屈だ。

 自分で言いながら、そんなの通るわけがない、世の中そんな単純ではないのだということは、恵一なりに心の片隅で理解はしている。

「ほお、名誉の決闘が望みか」

 自分でもわかっていただけに、リアッセが激昂せずに楽しそうにそう言ったのが、意外であった。

 決闘――アレンと決闘するというのか?

 いや、名誉の決闘とリアッセは言っている。それは……言葉から推測するとお互いの名誉を賭けた決闘という意味だろうが――

「私はそれでも構わんぞ。調印の条件を賭けての決闘」

「え?」

 まさか、そう来るとは思わなかった恵一が間の抜けた声を出す。

「しかし、そちらは受ける勇気があるのか?」

 アレンを視線で射抜きながら、リアッセが言った。

 射抜かれたアレンは、苦い顔だ。ていうか、もう基本的にずっとこんな顔である。

「それは、とてもいいな」

 沈黙をたもっていたリードが口を開いた。

「お互いに同じレベルの者を出し合っての名誉の決闘。いいんじゃないか」

 リードを、探るようにアレンが見る。

 意図をはかりかねていた。単純に、戦争になるよりはそっちの方がマシと判断してのことなのか。

「アレン殿……まあ、まず座って。リアッセ、お前もだ」

 一拍の間を置いて、アレンが座り、それを見届けたのちに、リアッセもまた腰を下ろした。

 ミレーナと恵一は、出ていけとも言われないので、そのままそこに立っていた。手持無沙汰もいいところである。

「腹を割って話そう。……結局のところ、お互いに家中を説得しなければならない」

 本当に、結局のところはそこへ行き着くのだ。

 最初のリードとブレンニールの折衝もそうだったし、アレンが引くに引けないのもここで引いたら、部下たちがやっぱり駄目なのかと意気消沈して、リアントゥム男爵家への苦手意識のようなものを持ち続けてしまうのを危惧してのことだ。

「お互いを納得させるために、名誉の決闘という儀式は有効であると私は思う」

 儀式、とリードははっきりと言った。戦争という、儀式の枠内に収めるにはコントロールが難しいシロモノと違って、一対一の決闘はそれが容易だ。

「どうだろうアレン殿」

「……まあ、悪くはないかもしれん」

 回りくどい言い方ではあるが、リードの意図をある程度察して、アレンは言った。

「よし、うちは私が出る」

 リアッセは、ひたすら楽しそうに言った。

 恵一は、その顔を見て、ああ調印式で文書破った時と同じ顔してるなあと思った。

 よく、笑顔だがそれが本心からではないというのを表現するのに、顔は笑っているのに目は笑っていない、などと言うが、リアッセの場合、目もしっかりと笑っているのだ。

 それでも、なんか怖いのだ。

 そういう笑顔を、彼女はする。

「私のレベルは10だ。同程度の奴を見つくろっておけ。それとも、あなたが来るか。アレン・ハウト」

 それには答えず、だが確かに何かを思案するふうに、アレンは静かに沈思していた。

「よし、それでは……細かい条件について話そう」

 リードが、アレンの態度等からこの提案を拒否するものではないと判断して、そう言った。アレンは、それに頷いた。

 とりあえず、戦争は回避された。

 よかったよかった、のか。

 なんだか、自分でもこんなに上手くいくわけがないと思ってたような方法で解決してしまって、拍子抜けもいいとこである。

 それでも、ミレーナがほっとした表情をしているのだから、これでよかったのだと恵一は思った。

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