3.誕生パーティーにお呼ばれしました
朝、目が覚めて鏡の前に立つ。
昨日の夜に殴られてできたアザがもう消えている。
前世の感覚で考えると治るのが早すぎる。
この世界の人間は自然治癒力が高いのか?
そんな取り留めもないことを考えながら殴られた昨晩のことを思い返す。
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昨日はたまたま夜中に目が覚めた。
部屋に据え付けられていた冷蔵庫に飲み物を切らしていた俺は飲む物を求めて屋敷をぼんやりとうろついていた。
リビングに差し掛かると明かりが灯っており男の怒鳴り声が聞こえてくる。
……この声はよく聞き覚えのあるものだ。
部屋をこっそりと覗きこむと父と母がいて母は泣いていた。
今まで俺の知る限り父の前で母が泣いていたことなどあっただろうか。
父は興奮しているのか手元にあった瓶を振り上げそれをそのまま母へと振り下ろそうとしていた。
――俺は衝動的にそれが振り下ろされる前にかばうように飛び出して――
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俺と母とのすれ違いは母が己の夫とその息子との仲を慮ったからだった。
母は夫から受けた暴行の傷跡を息子である俺に見せまいとしていた。
普段から振るわれる夫から息子への暴力。それに逆いだした息子。
息子は夫を嫌っているが夫を愛する自分のことは嫌うことなく逆に慕ってくれている。
もしこのことが知られて夫に刃向かった息子がどのような目に合うか。
だからこそ母はその切っ掛けをひたむきに隠そうとしたのだ。
これ以上、家族の絆が壊れないようにするために。
俺の傷は一晩で癒えた。だが母は治りきらない傷を日常的に受けていた。
それに気づかずのうのうと過ごしていた自分にギリリと歯噛みする。
俺はなんと間の抜けた男なのだろうか!
怒りで煮え滾る腹の中身を頭からかぶろうとも己へのそれは収まりそうにない。
鏡の中の自分を咎めるように睨みつけていると俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
母の声だ。その声はいつもと変わらないように思えた。
だから俺もいつものように反応する。
ああ、学校にいく時間だ。
そのついて出たもののあまりの無知蒙昧な考えに俺は臍を噛む。
いつもと変わらない? そんな訳がないじゃないか!
守らなければ。あの理不尽の権化から。
俺は殴られた痕……もう消えてしまったが……を戒めるようにひと撫ですると部屋を後にする。
――この日を境として、母が父を賞賛することは二度となかった――
8歳になった。学年も3年に上がり今はもうすぐ夏休みといったところだ。
そんな折、父が妙に意気込んで俺に強い口調で命令を下してきた。
あの日以来、父には敵意を明確にしている。
父もその敵意を押さえつけようと強く命令口調で話すのだから親子仲は前より険悪な状態だ。
今回下された命は、朱孔雀グループのご令嬢の誕生パーティーに俺を連れて行くというものだった。
朱孔雀グループと言うのは日本でも5本の指に入るといわれるすごいところで……うん、ぶっちゃけ俺が知っていることはその規模がすさまじいことと朱孔雀家が一般の人達にも名の知れている名家の一つで名家のコミュニティ内でもランクの高い地位にいるということぐらいで詳しいことは知らない。
朱孔雀の関連グループの名前はよく見かけるし学園でも度々噂に上がるのだが、自分の立場的にそう深く関わることはないだろうとたかをくくって家自体の情報を集めていなかったのが裏目に出たか。
だがまぁ間違ってもうちの父単体では朱孔雀の令嬢の誕生パーティーになぞ呼ばれることはないと言える。なぜか呼ばれているらしいが。どんな裏技を使ったのやら。
母に朱孔雀家の令嬢の誕生パーティーに参加することを伝えたら、母の祖父が個人的な付き合いがあったらしいことを教えてくれた。
母の祖父が生きていた時……母が実家を追い出される前だがその時の評価では母の実家と朱孔雀の格は同等だったそうだ。
母の実家の格については初めて聞いたが格が高いことでも有名な朱孔雀家と同等とかなにげにすごいな。
……とすると母の実家ってひょっとすると本家だったり……本家だった。
本来名家と呼ばれる集団は閉鎖的なコミュニティを形成している。
基本的には名家同士で名前を知られていれば世の中で目立つ必要はないという考えを持っている。
だから朱孔雀家のように表立って名前の出る名家というのは本家から枝分かれした分家の場合が多い。
本家では血を守り分家では実力者を排出させるとともに一部を本家に還元させる。そんな流れができている。
これだけ聞くと本家は分家に養ってもらっているだけのように見えるが本家は本家でその権威を利用したお仕事というものがあるらしい。
朱孔雀家の場合本家であるにもかかわらず直接グループ運営の頭に立っているためある意味有名で一方で異端、変わり者とコミュニティ内の口さがないものたちの間では呼ばれているようだ。
格というのは名家のコミュニティ内のランクのことである。
これは名家を評価するときの指標の一つで、いかに血を守り、かつ無能な血を取り入れていないかというものだ。
これらには平安時代の頃、政治に関わっていた家同士の特権階級意識が元にあるらしい。
それに”血筋だけではなく実力も備えているべきだ”という意識が加わり世の知識人の取り込みを図った結果がこのような評価の大本となっている。
無能な血というのはようするに一般人のことを指すのだが逆を言えば有能であれば一般人の血であっても問題無いということだ。世の知識人というのがこれに当たる。
だが無条件でというわけには行かず名家の誰かに後見人に立ってもらう必要がある。
この後見人の格によって本来無格である知識人の格が決定され、結果迎え入れる家の格にも影響するというわけだ。
なにげに本家の権威によるお仕事の一つだったりする。
昔の事で例えれば、「生まれは悪いが、高い地位の人間に一旦養子に入ってから嫁に迎え入れた」ということがあげられる。
それに照らし合わせれば名家の母の血が流れているとはいえ、母の実家から追い払われたあの父の血が流れる俺自身の格は低いといえる。
そもそもコミュニティの中に俺の名が上がっているのかどうか……
現在も母の実家に定期的に手紙は出しているのだが返事が来ることはない。
これにはそのへんも関係しているんじゃないかと考える次第だ。
命令が下されてからの日々はとにかくうっとおしいの一言だ。
父は事あるごとに俺のところに顔を出し「この機会になんとしてもお近づきになるんだ!」「少しでも良い印象をあたえるんだ! わかっているのか!」とご令嬢と少しでも懇意になれとばかりに俺に発破をかける。
プレゼント選びも何度も高級宝石店に連れだされ、やれ「あの指輪がいい」だの「このネックレスなら印象もいいに違いない」だの他家の子供への誕生日プレゼントに父から渡されたらドン引きだよと言う代物ばかりを見て回っている。
……あれらは俺からのプレゼントとして渡されるのだろうか……。嫌だよこんな趣味だって思われるの。
そう考えた俺は母に無理を言ってお金を工面してもらい、連れられた先の店で朱孔雀の名前にちなんで朱い鳥の意匠の髪留めを父に隠れて購入しておいた。
こういったことは初めてだったので店員さんの意見も聞き、なるだけお金のかからないものを選んだつもりなのだが……それでも数万も飛んで行くその価値観に前世の感覚がまだ抜け切れない俺は「子供の誕生日プレゼントで数万とか……」と金銭感覚の違いに悶えることになる。
そんなことをしていればあっという間に時間は過ぎ、朱孔雀グループのご令嬢の誕生パーティー当日になった。
結局、父が選んだプレゼントは立派な赤い指輪だった。
真ん中の宝石はルビーだろうか? そのまわりにダイヤらしきものがぐるりと添えつけられている。
一体これいくらするんだ? しかも子供の誕生日に立派な指輪とか……と考えていると、俺にそれを手渡し「これで結婚を申し込んでくるんだ」という嘘か本気かわからないことを言い出す始末。
母から名家のあれこれを教えてもらっている俺には「おまえは何を言っているんだ?」とため息が出るのをこらえるので精一杯だった。
だがここまで来るとさすがに父の様子がおかしいと感じる。
記憶が戻った頃は俺に手を上げることはあったにせよもう少し覇気があったような気もする。
キョロキョロとあたりを気にしてどこか落ち着かない父を見て「グループの経営がうまく行っていないのだろうか?」と疑問に思う。
会場に到着すると受付で
「お嬢様へのプレゼントはこちらで一括して受け付けております」
と案内された。
父は「いや、これはぜひ直接手渡しで……」と渋っているが普通に考えてそうだよな。そんなに親しくもないのに手渡しして危険なものだったりしたら困るし。
俺は言われたとおりに指輪の入ったケースを受付に差し出す。
特にラッピングとかしてないんだよね、これ。
結婚を申し込んで来いと言ったことも合わさってこれを渡すにあたって父の中ではどんなストーリーが描かれていたのか気になるところだ。
ここでプレゼントを渡すのであれば髪留めの方は別に渡す必要もないだろう。
そもそも中身を調べるだろうし本当に令嬢のところまで届くのか怪しいところだ。
この髪留めは帰ったら母への贈り物にさせてもらおう。
指輪の入ったケースを渡すと父から敵を見るような目で見られた。
自分の息子に……って元々手を上げるようなそんな扱いだったか。
受付の人が戸惑っているのでこの男は無視して会場に入ってしまおう。