1.記憶が戻りました
さて、何から話していいものか。
「前世の記憶が戻った」
なんていう状況にあるわけだが……。
俺、鏑矢冬也は現在3歳である。
母がから聞く限りではなかなかハイスペックな血統の持ち主らしい。
代々続いてきた事業を自分の代で一気に拡大し、一代で大手グループ企業にまで成長させた手腕の持ち主である父。
財政界には表立って出てこないが古くから続く名家の子女である母。
そう父への惚気を混じえて聞かされた。
両親の仲は険悪とまではいかないが父が俺含む母子を一方的に嫌っている。
母の方はそんなに……と言うかベタボレなんだが……ぶっちゃけるなら軽度のDVが日常茶飯事です。
俺の記憶が戻ったのも父に蹴り飛ばされて頭をぶつけたショックでというのだから笑えない。
ちなみにこの記憶によると前世はとある企業に努めていたサラリーマンだったようだ。
良い上司に恵まれず、上の尻拭いに奔走する日々。
おかげで会社運営や経営学にまで足を突っ込まざるをえない状況になり最終的にその責を負わされ首を切られた。
記憶をあさってみたがこれはひどい。
上の無能さもそうだが自分の会社よりライバル会社の人間のほうが優しいってどういうことよ?
いろいろあってライバル会社の社長とそれなりの仲になったけど「キミのところに今倒れられると困るんだ」って無茶ぶりはかんべんして欲しかった。
俺は役職もない一般社員なんですけど!
できれば普通に引き抜いてもらいたかった。
ちなみに死んだ記憶はない。
首を切られて以降の記憶が無いのできっと死因はろくでもないものだろうし、知っていたとしても幼児となった俺には無用のものだ。
まぁ、前世の話だ。
父の有り様が前世の無能共を彷彿とさせイラッと来ることはあるが俺はまだ幼児だしな。
そんなわけで現在3歳児の俺は、やることもないので父が俺たちを嫌っている原因を調べてみることにした。
情報源は屋敷で雇っているお手伝いさんのうわさ話だ。
小さな身体は隠れるのに都合がよく、見つかっても迷ってしまったといえば疑われることもない。
……うわさ話に興じていたお手伝いさん達は気まずそうにしていたが。
そうやって集めた情報によると、父は母にお金目的で近づいたらしい。
母というか母の実家の融資目当てというのが正しいか。母はそのためのきっかけに過ぎなかったというわけだ。
まぁ娘がそんな目で見られていると知った母の実家が融資などするはずもなく、門前払いを繰り返していたらしいのだが、母が妊娠していることが発覚してしまった。
そこで怒った当主に「二度とうちの敷居をまたぐことは許さん!」と、二人揃って勘当同然に追い出されてしまったらしい。
そういう経緯で父としては母を捨てて醜聞が立つことを恐れて泣く泣く籍を入れたわけで……当然愛などあるはずもなく……母は実質お飾りの正妻。社交界にも出してもらえない状態と言う具合だ。
正妻などという言葉が出てくるようにどうも女遊びをしているとかいないとか。知らないうちに弟か妹ができてるかもしれないな。
この調査の結果により父への印象は更に悪化し、母へはもうちょっとそのベタボレ状態を何とかしてくれとちょっと文句を言いたいかな。
うん、そこそこ成長して安心したのか母が俺より父を優先してあんまり構わないから若干放置気味です。
記憶が戻ったことで精神年齢が上がったので寂しくはないのだが。
でもその御蔭で一人でこそこそ情報収集なんて真似もできたのだけれど。
そういえば情報収集中に記憶が戻る前との比べられて以前と違うなんてこともあんまり言われなかった。
言われても「子供の成長は早いね」で済まされる程度で助かっている。
それではここで身体は子供、頭脳は大人な俺ができることを考えてみよう。
父に何らかの制裁を加える。……まぁ、何度か殴る蹴るされてるしね。それなりにたまっているものがあるわけだ。
だが、3歳児がどうやって? 前世では一般人だったんだ。人を陥れる方法なんぞそうそう知っているわけがない。現状ではコネも力もない。残念ながらこの案は没だ。
母に離婚を進める。……母に離婚を進める3歳児。シュール過ぎるというか不気味だわ。
と言うか母が父にベタボレなので、言ったとしても聞いてくれるかどうか……よくよく考えたら離婚しても帰る先がない現状ではこれも悪手だ。ボツだ没。
その後も幾つか案が浮かんでは没にしていくが現状すぐに効果を発揮できることはないという結論に達した。
今の家庭環境をどうにかしようとするならば俺自身が時間をかけて力をつけるしかない。
それでも何かできることはないかと考えて、母の実家に定期的に近況を綴って手紙を書くことにした。
これは一応母にも内緒だ。レターセットの入手と手紙の投函は情報収集の際に仲良くなった、母に同情的なお手伝いさんに頼んだ。さすがに3歳児が黙って手紙を出しに行くというのは無理だった。
孫からの手紙で母の勘当を解きやすくなればなーと言う打算を考えてのことだ。
これがどのくらい効力を発揮するかは分からないが少しは心象が良くなってくれることを願う。
……ただわざと年相応な下手な字で書くのはとても疲れた。
そうやって自分の置かれた立場というものを理解し力をつけていくという一応の方針を固めたわけだが、早速けつまずいた。
幼稚園や保育所というものに預けられるということはなかったので外にでるということはできず、一人で出かけるなどということも当然ながら止められてしまう。
母も外にでることはないようなので母子共々飼い殺しといったところか。
屋敷の中の見知った人間は大人ばかりで同年代との交流というものがないのだ。
まぁ、同年代の知り合いができたとして話が合うのかどうかと言われれば、前世の記憶というものがある分どうしても浮いた存在になってしまうのだろうが。
ネットはまだそういうの早いということで端末は与えられていないし、書庫に入り浸って知識を……というのは試そうとしたが書庫は重要書類の保管庫も兼ねており俺が進入することはかなわなかった。
たまたま見ることができたテレビのニュースでここが現代日本風の世界であるということを知れたのが一番大きな収穫といえば収穫か。
一応、大手グループ企業の御曹司という位置づけにあたるのだから英才教育が始まるのを期待していたんだがどうにもその気配がない。
すでに他に継がせる予定の子供がいるのじゃないのかと勘ぐりたくなる。
母に何か習い事をおねだりしようかとも思ったのだが父が母の言うことを聞く姿が思い浮かばない。
じゃぁ父に直接頼む? それこそ冗談だろう。あの男が嫌っている子供の言うことを聞いてくれるとは思えない。
力を付けたいのになにもできない状況で日々がただ過ぎてゆく。
絵本や幼児向けの玩具なんてものはもうあきあきだ。
歳相応の振る舞いができればよかったのだろうがあいにくと暇をつぶすために幼児の振りをすると言うのは俺にはもう無理だ。
そんな子供らしくない部分を俺があからさまにすればさすがに使用人の中にも訝しがるものが出てきた。
けれども、親からあまり愛情を注いでもらえていない子供、という俺の状況にどちらかと言えば同情的な視線が多い。
そんな状況を変えたのは母だった。
たまたま父と同席した時に大人びた俺を気味悪がる父に対し「この子は頭が良いのかもしれない。さすが私とあなたの息子」と絶賛したので、俺は「将来父様のようになりたいのです」と言ってみた。
ちょっとおだてたセリフを言うことでなんか習い事をさせてくれないか? と言う打算込みだ。
相変わらず父はそんな発言をする俺を奇異の目で見てくるが、母が父に「習い事をさせてはどうか?」と交渉を始めたので概ね思惑通りといったところだ。後は父が首をふるかどうかだが……
どこをどうなったのかしらないが母が俺の家庭教師になった。
「本当は専門の人に来てもらうのがいいのだけれどね」と俺に申し訳無さそうな顔をする母。
教育を渋るとは……父め、そんなに俺に金を出すのは嫌か。
それとも俺が賢くなると困るのか? 他に子供がいるのをますます疑いたくなるな。
だがただただ退屈な日々が終わるのはありがたい。
俺は母から教えられる知識を吸収してゆくことにする。
前世の記憶があるとはいえそれがそのままこの世界で通用するのかはわからない。
母を教師にしながら覚えている知識の復習、それと齟齬の穴埋め。
それと前世では覚える必要のなかった名家と呼ばれる家どうしのつきあいかた、しきたりや礼儀作法など名家で育った母の知る知識を叩きこまれていくのであった。
……まぁ名家同士のつきあいかたなんて教えてもらってもうちは成り上がりで名家とは呼べないから相手にされないだろうけどな!