第一章(5)
番茶を一口啜った弁慶が改めて切り出す。
「時にご老人。先ほどの男たちだが」
「ふん。あんな小童ども、何人来ようがものの数でないわ」
「いや、しかし。実際のところは」
弁慶が厳しい目で老人を見据え、そのまま視線を棚の整理を始めた母子に向ける。
その視線が言わんとしていることに、老人は渋い顔をして首を横に振った。
「あの子は、親を早くに亡くしてな。子供も生まれたばかりじゃ。この店が飯の支えになっておる。店を継がせるには……あの性格じゃ。すぐに客と喧嘩しよる」
「爺さまに言われたくないって!」
祖父と孫娘の掛け合いに、弁慶が思わず吹き出す。
弁慶はすぐさま気持ちを引き締めなおすと、口調を厳しくして言った。
「だが、先ほどのように身の危険を犯すほどのことだろうか?」
「お僧殿にはわからぬと思うが、甘さを見せた質屋はすぐに別の野良犬が喰らいついてくるものなのじゃ。何人の仲間が廃業したかのぉ」
「…………」
黙り込む弁慶に、老人は白髪だらけの眉を柔らかく持ち上げた。
「そう心配なさるな。まっとうな商売を続けておれば、お上の助けも借りられる。ここには業物が入ることもあるからのぉ。人間、正直が一番じゃ」
「そうですか」
長年の経験に裏打ちされた老人の言葉に、弁慶はそれ以上言葉を続けなかった。
「それはそうと、お僧さま。お僧さまも質入れかぇ? その籠の中、相当に刀を積んどるようじゃが」
「いや。あの刀は届け物だ」
「おお、そうか。いやいや、午前に50本近くの刀を質ではなく売りに来た方がおられてな。しかも、刀は全部柄が外されておったわい。柄を新たに拵えないといかんから値は安いと言ったんだが、構わぬと言って売っていきおった。酔狂な御仁じゃて。……ん、どうしたお僧殿」
「いや、……なんでもない」
顔を手の平で覆った弁慶が、歯切れ悪く答える。柄を外した50本近くの刀となれば、ほぼ間違いなく義経のことだろう。
一体全体、あの男は本当に何を考えているのか?
「ご老人。その男は、よくこの質屋に来るのか?」
「いんや、今日が初めてじゃ。なんじゃ、知り合いか?」
「いや、うむ……」
老人の問いに、弁慶が腕を組んで唸る。知り合いと言えば知り合いだが、この場合、自分たちの間柄を表す言葉を、弁慶は思いつかなかった。
居候、でもないだろう。いや、これからは付き人になるつもりだが、今はまだ他人と言うほかはない。が、まったく知らぬというわけではないがし。いや、ほぼ知らないと言えば知らないのだが。
「うぬぅ~」
弁慶が頭を抱えて、獣のような唸り声を上げる。
その姿に、老人は困ったような表情を浮かべると、蓄えた顎髭を擦りながら言った。
「まぁ、よい。何はともあれ」
口調を改めた老人は、居住まいを正すと、弁慶に向かって大きく頭を下げた。
「孫娘の危ないところを助けていただき、心よりお礼申し上げる」
「顔を上げてくだされ、ご老人。拙僧は、そんな大したことをしたわけでは」
「何をおっしゃる」
老人は声を幾分和らげると、こちらの様子を伺っていた母子を手招きした。近寄ってきた母から子を預かり、その小さな命を弁慶の腕に差し伸べる。
「抱いてくだされ」
「いや、しかし。拙僧は子を抱いたことは……」
「だいじょーぶ。お僧さまなら」
にかっと、歯を見せて笑う母の笑顔に、弁慶はおずおずと子を受け取ると、そっとその胸に抱きかかえた。
その身体は、とても小さく、暖かく、そして柔らかい命そのものだった。
「なんと……」
吐息のように、弁慶の口から言葉が漏れる。
弁慶の腕の中で、う~っと伸びをした赤子は、泣くわけでもなく、無邪気に微笑みながら弁慶の顔を見上げて、
弁慶の胸を、その小さな掌でぎゅっと握った。
「きゃあっ!」
弁慶の口から甲高い声が響く。重々しい弁慶の口調からは考えられない桃色の声に、老人と母親は同時に目を見開いた。
「お僧殿?」
「お僧、さま?」
二人の戸惑いと好奇の視線が弁慶に突き刺さる。
弁慶は顔を真っ赤にすると、腕の中の赤子を母の腕に慌てて返した。
「せ、せせせ、拙僧は。こっ、こっ、これ、これれ、これにて失礼いたす」
呂律の回らないほど慌てながら、弁慶が籠を担ぎ上げ、逃げるように質屋を後にする。何度も人とぶつかりながら町中を走り抜ける弁慶は、人影もまだらになったところで一息つくと、ふとあの質屋のことを思い出し、首を傾げた。
質屋を継ぐ者がいないと言っていたが、あの母子の夫はどうしたのだろうか、と。