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めおと刀  作者: 野生
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第一章(2)

 どれほどの間、そうして男の作業を眺めていただろうか。

 希望を裏切られた傷は未だ癒えない弁慶に、男が唐突に言葉を投げかけてきた。

「気が済んだら、とっとと帰れ。これ以上、お前をここに置く義理はない」

 弁慶の方を振り向きもせず、男はどこか感情のこもらない声で言った。それはもう、邪魔だと言わんばかりだ。

 男の言葉に、弁慶がむっと口をへの字に曲げる。今の今まで心はどん底に落ちていたが、男の言葉は弁慶の悲しみを怒りに塗り替えた。

 この男は弁慶の事情を知っているわけではない。そんなことは分かってる。分かっているが、そこまで冷たくあしらうことはないだろう。

 別にいまさら女だから優しくしろなどと言うつもりはない。男になろうと心に決めた時、自分の中の女は捨てた。

 それにしても、だ。

 なんだ、その言い方は?

 男は言うだけ言って、再び作業に没頭している。

(冷酷魔!)

 弁慶は心の中で罵った。

 その感情が八つ当たり以外の何物でもないことに、気づくことすらなく、弁慶は今から鬼でも殺そうとするかのような形相で男を睨みつけた。

「冷徹。人でなし。物の怪……」

 弁慶が、普段の彼女なら決して口にしないであろう言葉を、ぶつぶつとまるで呪詛のように呟く。

 男は弁慶の言葉を涼しい顔で聞き流し、刀の解体作業を続ける。

 そして、弁慶が恨み言を言い尽くすと、男はやはり振り向きもしないまま言った。

「気が済んだか。じゃあ、帰れ」

 あまりにもあっさりとした言い草に、弁慶は「うぅっ」と喉の奥で唸ると、悔しさを噛み殺すように歯を食いしばった。白い歯と、色の良い歯茎が露わになる。

 弁慶は感情のまま殴りかかることだけは我慢すると、ぎりっと膝を抱く指先に力を込めながら、責めるような口調で言った。

「引き留めたのは、おぬしだろう」

「すぐ死なれたら目覚めが悪いからな。だが……」

 言葉を一度きり、男が振り向く。その眼は、まるで弁慶の心を見透かしているようだった。

「その怒りと悔しさにまみれた顔を見る限り、すぐ死のうとはしないだろう。ならばさっさと出て行け。これ以上、お前の世話を看る義理はない」

 男が再び小槌を振り上げる。弁慶が集めた刀の山は半分ほどに小さくなり、茎が露わになった刀の山が男を挟んで反対側に築き上げられていた。

「さっきから、何をしているのだ?」

「答える義理はない」

 即答だった。

 むっ……と、への字を描いた弁慶が、唇の中央を吊り上げる。

 不機嫌さを顕わにした弁慶は、眉を逆八の字に傾けると、男へ次々と質問をぶつけた。

「おぬしは何者だ?」

「答える義理はない」

「歳は? 拙僧と差はないように見えるが?」

「答える義理はない」

「なぜ拙僧をここへ連れてきた?」

「答える義理はない」

「寝てる間に……拙僧に欲情しておかしなことはしていないだろうな」

「するかっ」

 がぎんっと、のみを打ち込む音が乱れる。どうやら、冷徹だが下劣な輩ではないらしい。

 弁慶はいったん質問を止め、鼻の頭を掻いた。

 不思議な男だ。言葉数は少ないし、愛想も悪い。助けたと思えば跳ね除け、思いやってくれたと思えば無視をする。が、常に冷静かと思えばそうでもない。今みたいに茶化してみれば、それなりの反応を返してくる。

 弁慶のおおらかな考え方が良い方向へ転び、失意や怒りが、今度は男への興味にすり替わっていた。もしかしたら、大きすぎる悲しみに頭のどこかが麻痺したのかもしれないが、今はそれでもいい。

 小槌を振るう調子を取り戻した男に、弁慶は「そういえば」と、今更ながらの質問をした。

「おぬし、名はなんと申すのだ?」

 本来なら真っ先に問いただすべきだが、弁慶は完全に忘れていた。

「答える義理はない」

 帰ってきたのは素気無い返事だ。

 が、今度は弁慶も食い下がった。

「おぬしは死のうとした拙僧を引き留めたのだ。名を教えるぐらいの義理はあるだろう」

 がぎんっと、再び小槌の音が鈍る。

 弁慶は口を噤み、返事を待った。こういうときは、先に口を開いた方が言い負ける。が、男は質問を投げられた身だ。義理よ義理よと言うなら、義理のある質問に答えないのはこれ以上ない不義理だろう。

「ちっ……」

 舌打ちと共に、憎々しい声が弁慶の耳を撫ぜた。

「義経」

 そして、弁慶はわが耳を疑った。


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