塔の守護者(ガーディアン)
9 塔の守護者
錆び付いた梯子を昇りきった俺は上部のマンホールをグッと上へ持ち上げた。
マンホールの隙間から目が眩むほどの光が差し込む。
俺は頭を地上へ出し、周囲をグルッと見回した。
外はどうやら細い路地のようで、左右には高いビルの外壁が見える。そして一方向に伸びる路地の先には真っ白に照らされた街の風景が覗かせている。
街を照らしている光は日光によるものではない――あの光は間違いなく東京キャンドルが発しているものだ。
目的地となる東京キャンドルは目と鼻の先にある。光の明度を見ればそれは明らかだった。
マンホールから出た俺達はローズを先頭に路地を進んだ。そして路地の出口に差し掛かったところで一度立ち止まり、ローズが顔を出して街の様子を覗き見た。
「前方にラットが8体、空には《クロハネ》が7体か……流石に東京キャンドル付近になると蛮人がかなり多いわね」
顔を引っ込めたローズが考え込むような仕草を取る。
街中に犇めく蛮人の数は相当のものだ。今までのような一体一での戦いはなくなり、これからの蛮人との戦いは十中八九複数での戦いになるだろう。
最も、蛮人に見つからず東京キャンドルに辿り着ける方法があるのならそれに越したことはないのだが、そんな都合のいい奇策があるとは思えない。
考えがまとまったローズは真剣な面持ちでプラズマ砲を手に取った。
「私がこれで蛮人の目を引き付けるわ。君達はまっすぐ東京キャンドルに向かって走るのよ。私もすぐに追いかけるから……いいわね?」
「そんな――っ!」
ローズの提案に納得できなかった俺はすぐ訂正するよう声をかけようとしたが、その行動は恭助によって止められた。
恭助は静かに首を左右に振る。「言わずともわかるだろ」と言われているような感じだ。確かにこの状況ではそれがベストな作戦なのかもしれない。
俺の右腕が遠距離武器に変異すればいいのだが、それはずっと出来なかった。
想像力を銃器の方へ持っていくとなぜか右腕の形状が保てなかった。俺の右腕はどうやら接近戦向きの武器にしか変化はしないようだ。
俺は渋々ローズの提案を承諾した。
そんな俺の顔を見たローズが一瞬だけニコッと笑い、そして街の方角へ向き、プラズマ砲を構えた。
「撃ったと同時に走りなさい! 振り向いちゃ駄目よ」
高らかに言い放ったローズはプラズマ砲を空へ向けた――そしてトリガーを引いた瞬間、青白い光を放つプラズマが空を裂いた。
空を浮遊する蛮人がプラズマに驚き、散り散りに飛び去っていく。
街中に散らばった蛮人が一斉にその光に注目する――この今がチャンスだ。
俺達は路地を抜け出し、一目散に走った。
後方からは再びプラズマが撃ち出される音が鳴り響く。しかし振り向いてはいけない、振り向けばきっと俺は立ち止まってしまう。
そうなればこの作戦は無意味なものになってしまう。それだけで済めばいいが、これは命懸けの作戦だ。俺一人のために皆を危険な目に合わせるわけにはいかない。
ここはローズを信じて先に進むしかない。
俺は前だけを見て、必死に街の中を走り続けた。
走り続けること数分。
徐々に背の高い建物がなくなっていく――そして俺達は遂に目撃した。
「あれが、東京キャンドルか……近くで見ると凄い迫力だな、まるで神殿みたいだ」
頭上に神々しく輝く東京キャンドルが姿を現した。その圧倒的な存在感に目を奪われてしまう。
近づけば近づくほど東京キャンドルの造りが明らかになってくる――青龍寺財閥の会社で見つけた模型の形と瓜二つだ。名前の通り、本当にろうそくのような形状をしている。
白く塗り固められた重厚感のある鉄塔、その天辺で太陽のように光り輝く未知の球体。あそこから発信されている電磁波が俺達をこの世界へ誘った。
ローズは東京キャンドルを破壊し、その電磁波を永久に停止させようとしている。それは同時に俺達の世界をも救うことにも繋がる。
俺達は今、全ての決着を付けるためにここに立っている。もう後戻りなんて許されない。必ず俺達は元の世界へ帰るんだ。
蛮人が隠れていないか周囲を何度も確認しつつ少しずつ進む。そして等々俺達は東京キャンドルの目の前までやって来た。
ビルの陰から東京キャンドルの入口付近を覗き見る。
東京キャンドルの周囲は何もない広間になっていた。整備の行き渡った凹凸のないアスファルトが一面に広がっている。それは逆に、未だ嘗て誰もこの地を踏んでいないということでもある。
不気味な静寂が流れる。この静けさが妙な違和感を持たせてくる。
このまま東京キャンドルに突入するのは危険な気がする――罠があるとは思えないが、ここは慎重になるべきだ。
まずはローズの到着を待ってから東京キャンドルに乗り込んだほうが得策かもしれない。
俺達は一先ずビルの陰に隠れながらローズの到着を待つことにした。
目的地を目の前にして、何もできないもどかしい時間が刻々と時を刻む。
頻りに周囲を見回し、ローズの姿を探す。だが一向にローズは姿を見せない。
――最悪な事態が脳裏を過る。
皆で戻ったほうがいいのだろうか、だがもしローズが俺の想像した通りの状況になっていたとしたら、今更戻っても何も変わらない。
見捨てる。
切り捨てる。
――見殺しにする。
俺は歯を食いしばり、心の底から溢れ出る悪感情を振り払った。
ローズは必ず来る。そう信じて待ち続けた。
――ズンッ
「ん?」
微かに地響きを感じた。
皆も感じたようで、一気に場の雰囲気が緊張する。そしてカリンがまたしても感知能力を発動させた。
「……大きい、とても大きい……うっ!」
そこでカリンは声を詰まらせた。赤い瞳が元に戻り、正常な状態に戻っていく。
なんだ、なにが来る。
一定の間隔を開けた地響きがだんだんこちらに近づいてくる。建物の外壁からパラパラと粉状の破片が降り注ぐ。
この振動は地震のものではい。俄かに信じられないが、これは足音だ。
地面を揺るがす程の重量を持った生物――この世界には色んな種類の蛮人がいる。ならそれに該当する蛮人がいてもおかしくはない。
と、その時だった。
――頭上に大きな影が覆い被さる。
荒い息遣いが聞こえる。重い重圧が頭の上にのしかかるような感覚に囚われる。
ゆっくり頭を上げ、頭上に視線を向ける。
「なっ……に……」
その生物を目の当たりにした瞬間、身体が凍りついたように動かなくなった。呼吸がうまくできない、心臓の鼓動のみが激しく胸を打つ。
伝説上の生物が今、俺の目の前に佇んでいる。
大型トラック一台分の大きさはある広々ともっさりとした足、全ての物を握り潰せそうなゴツゴツとした筋肉質な腕。長身の身体には強靭な筋肉が付き、それを覆うように黒い体毛が生え揃っている。
――巨人。この場合は巨神と言うべきかもしれない。
姿だけを見ると人型をしているが、顔は人間のものではない。
こちらを呆然と見つめてくる巨神の目は四つ存在する。それらは個々に動き、視点がまるで定まっていない。ギョロギョロと眼球を回し、俺達の姿を認識しようとしているように見える。
『いぃぃぃやあああああ!』
カリンと佳奈が甲高い悲鳴を上げる。
その悲鳴のはずみで身体の呪縛が解かれ、手脚が自由に動くようになった。
俺は深く息を吸い込み、一気に大声を張り上げた。
「はなれろぉぉぉおおおお!」
その瞬間、巨神が俺達を掴みあげようと手を伸ばしてきた。前方に巨大な手のひらの影が広がっていく。
俺達は二分するようにその場から退避した。
俺とカリンは右側の路面に飛び込み、そして恭助、佳奈、萌は左側の路面へ飛び退いた。
――間一髪のところで巨神の手を回避する。
そのまま巨神は手を止めず、ビルの外壁を抉り取るように腕を横へ振り抜いた。
凄まじい突風が吹き荒れる。ビルの外壁がまるでおもちゃのブロックのように崩れ落ちる。
五階建てぐらいはあったビルの上部が抉り取られ、ビルの形状は見る影もなくなった。
巨神の手のひらに残ったビルの瓦礫が砂状となって地面へこぼれ落ちる。
もし逃げ遅れていたら、俺達も粉々になっていた。
圧倒的な破壊力を持った腕、そして優に十メートルは超える身長。
これまでの蛮人とは明らかにレベルが違う。言わば塔を守る守護者といったところか――。
しかし勝算がないわけではない。
あの長身では一歩一歩の小回りは効かないはず、大振りの攻撃にさえ注意すれば、難無く倒すことができるはずだ。
幸いにもまだ巨神は俺達の位置を把握していない。ずっと崩壊したビルの方向を向いて彼方此方に視線を向けている状態だ。
これはチャンスだ。今なら簡単に後ろへ回り込むことができる。
俺はグッと右腕に力を込めた。
それだけでは俺の右腕は変異しない。だが俺は自分の能力の発動条件を無意識のうちに悟っていた。
今までに変異した時の事を思い出せば、自ずと答えは出た。
それは【仲間を守る】という気持ち。感情。決意。
それらを想う心が俺の能力を覚醒させる――。
キィ―――――――ン!
――耳鳴りの後、右腕の形状が剣へと変化する。
「うおぉおおおおおお!」
俺は地面を蹴り、巨神の足元まで一気に距離を詰めた。
巨神の背後を取り、足の踵部分を狙う。
剣を振り被り、渾身の力を込めて斬り付ける――
――ブオォン
「なっ!」
勢い任せに振った剣は空を斬った。
狙っていた踵は斬る寸前のところで空中に舞い上がり、俺の剣をギリギリのところでかわした。
視線を上へ移動させる。巨大な足の裏が頭上に広がっている。
そして間髪入れることなく、その足は俺に向かって勢いよく踏み下ろされた。
「くっ、うああ!」
反射的に後ろへ飛び、これも間一髪のところで回避する。
砂埃が立ち込める中、俺はその破壊力を目にした。
今自分のいたアスファルトの地面が、まるで隕石が落ちた跡のようにめり込んでいる。
手と脚が勝手に震え出す。絶対的な恐怖を植え付けられ、真面に立ってもいられなくなる。心臓の位置に手を置き、なんとか呼吸を整えようと試みる。
けれどなぜだ。
巨神は俺の存在に全く気付いていなかったはず。もし気付いていたのなら、それなりに何か動作を起こしたはずだ。
けれど、巨神にそんな素振りは一切なかった。後ろに目がない限り、今の行動は説明がつかない。
巨神がこちらに向き直り、俺をギロリと睨み付ける。
おかしい、何かが変だ。
巨神の動き一つ一つに別の意思を感じる。うまく説明できないが、まるで巨大ロボットと戦っているような感覚になる。
「筐ぃいい!」
呆然と巨神を眺めていたら、突然恭助が俺に向かって大声を上げた。
「こいつ目が見えていないぞ。間違いない!」
「え? なんだって、嘘だろ……だって」
俺を睨み付ける四つの眼球は確かに俺の方向を向いている。見えていないのだとすれば、俺に視点を合わせられるわけがない。
「身体の動作と眼球運動が全く連動していない。それに四つとも瞳孔が開きっぱなしだ……こいつはオレ達の姿どころか、景色さえ見えていないぞ」
巨神がゆっくりとした動作でこちらに近づいてくる。
俺は呼吸を整えながら、ジリジリと後退する。
「……どうすればいい。何か策はあるのか?」
「…………」
恭助はじっと巨神を見つめ、口を閉ざしたまま側方から付いてくる。
俺は巨神の威圧感に押され、東京キャンドル前の広間へと押し込まれた。
逃げ場は十分にあるが、軽率な行動は命取りになる。
巨神がもしも東京キャンドルを破壊してしまえば全てが終わってしまう。一定の距離を維持しつつ、東京キャンドルに近付けさせないようにうまく誘導しなければならない――
その時、何かが脳裏に浮かんだ。
巨神の動作、目が見えていないという事実、それらを統合して導き出せる巨神の不可思議な行動パターン。信じがたい話だが、これしか答えはない。
「恭助、頼みがある」
「なんだ、何かわかったのか?」
「ああ、恐らくこいつ、他の蛮人か何かに操られていると思う。そう考えれば全て説明がつくし、合点もいく」
「…………確かにそれはオレも考えた。だがどこにいるのか皆目見当がつかない。オレ達の位置を把握できる場所にいる事は確かだと思うが……」
俺は周囲を見回した。
周囲には高さが異なった多くのビルが建ち並んでいる。
この場所を一望できる所といえば、この領域内のビル内としか考えられない。
「恭助はカリンを連れて、その操っている主を探し出して欲しい。カリンには悪いが、もう一度感知能力を使ってもらうしか方法はない。ここは俺が受け持つから行ってくれ――」
「無茶だ! 一人でなんて無謀すぎる」
「…………ふっ、一人じゃないさ」
――チャリッ
俺と恭助との間に五センチぐらいの小石が転がり落ちる。
巨神の身体に次々と小石が命中していく。投げられている方向に視線を向けると、そこには二つの人影がある。
佳奈と萌だ。
二人は巨神の進行を食い止めようと、必死になって小石を投じている。
『このノロマ! さっさと次持ってきなさいよ』
『はぁ、はぁ、了解でありますヨシナッチ』
『ヨシナッチ言うな、キモオタッ!』
どうやら佳奈が小石の投げ役で、萌はその補充役のようだ。
この投擲支援がどれだけの効果を成すかはわからないが、心強い援護である事は確かだ。一人ではなく、皆で団結して戦っているのだと実感できる。
「行ってくれ恭助、ここは三人でなんとかする」
「……わかった。でも無理はするなよ」
恭助は「すぐ戻る」と言い残し、カリンの元へと駆け出した。
すると、巨神が恭助の動きに反応して身体の向きを変えた。そしてゆっくりとした動作で恭助に向かって右手を伸ばす。
「っ!」
俺は恭助の後を追い、すぐに走り出した。
右腕の剣を一瞬でハンマーへと換装させ、走りながら振り被る。
恭助がカリンのいる場所に着いた――そこで二人が空を見上げ、巨神の手が迫っていたことに気付く。
恭助は咄嗟にカリンを抱き込むように庇った。そして――
バチィイインという音と共に巨神の右手は止まった。
俺の振り放ったハンマーが巨神の手のひらにぶち当たる。計り知れない衝撃に肩の関節が悲鳴を上げる。
「ぐぅううう……早く行けえぇ」
「筐さん!」
カリンが身を乗り出し、俺の名を高らかに叫んだ。恭助に支えられながらも必死に抵抗して俺の方へ進もうとする。
「駄目だ! 青龍寺さん……筐のことを想うなら、ここは彼に任せたほうがいい」
「でも、でも――」
「君にしかできないことがあるんだ。それで筐も救うことができる」
恭助は思い詰めた表情で俺に一度頭を下げ、カリンの腕を掴み、その場から退避する。
「――っ! 離して下さい、離してぇ!」
悲痛な叫びにも聞こえる声を発しながら、カリンは恭助によって引きずられていく。反抗的な態度を一度も表に出さなかったカリンが、俺のために必死になってくれている。
カリンのためにもここは俺がなんとしてでも食い止める。
「うらぁあああああ!」
俺は再びハンマーを剣に戻し、巨神の手のひらを引き裂くように横へ払った。
ウゴォオオオオ
巨神が野性的な野太い声を上げる。
巨神の手のひらから微かに黒い体液がこぼれ落ちる。全力で引き裂いたつもりだったが、巨神からしてみればかすり傷程度のものだったらしい。
しかし今のダメージで巨神は手を引っ込めた。思ったより時間稼ぎはできそうだ。
「お前の相手は俺だ。遊んでやるからかかってこい!」
俺は右腕の剣を巨神の顔の方へ掲げ、その意思を示した。
巨神の四つの目が俺に集中する。見えていないとわかっていてもかなりの威圧感を感じる。
巨神はその巨体を大きく反らし、左手を握り締めグッと後ろへ下げた。
次は拳が飛んでくる――どっちに避ける。右か、それとも左か――。
「――っ!」
足を何度も動かそうとするが、ぴくりとも動かない。まるで地面に張り付いているかのように足が硬直している。
さっきのハンマーから伝わってきた衝撃がまだ足に残っている。だがそれだけではない、これは知らず知らずのうちに俺が恐怖心を抱いている証拠だ。
強がっている――当たり前だ。怖くて、怖くて、逃げ出したいぐらいだ。
――でも逃げるわけにはいかない。
巨神が弓のように張った左拳を俺の方へ突き出した。
空から山のような大きさの拳が襲い来る。
足は一向に動かない、なら防ぐしか術はない。俺は剣先を上へ向け、剣の背を左手で支えた。姿勢を落とし、衝撃に備える――
――ガクッ
「うっ!」
刃の部分に巨神の拳が乗った瞬間、全体重を支えていた両足が力無く折れていく。
――やばい、潰される。
俺は衝撃を和らげようと、咄嗟に後ろへ飛び退いた――だがそれが間違いだった。
足の踏ん張りがなくなったことで、俺の身体は宙に浮いたまま拳の勢いに乗り、そのまま強引に突き飛ばされた。
――仰向け状態で低空を滑走するように飛ばされる。
頭を上げて進行方向の障害物を片目で確認する。すぐそこに硬いビルの壁が迫っていた。
「うらぁああ!」
瞬時に右腕の剣をハンマーへと換装させ、身体を捻った勢いでビルの壁にハンマーを打ち付けた。
「――ぐふっ!」
壁に当たった瞬間、全身に激痛が走り、思わず吐血した。
しかし奇跡的に意識ははっきりしている。ハンマーの破壊力が壁に激突する際の衝撃を和らげてくれた。硬直していた足も今の衝撃の痛みで正気に戻ったみたいだ。
前方にいる巨神の動きを確認する。
巨神は身体の向きを変え、佳奈と萌の方向へ右足を高く上げている状態だった。
二人を踏み潰す気だ――。
佳奈と萌は空を見上げたまま、唖然としてその場から一歩も動かない。
「うおおおおおおおおおお!」
俺は瓦礫を足で蹴り払い、けたたましい大声を張り上げながら怒涛の如く巨神に迫った。
巨神は姿勢を前へ倒し、踏み付けるモーションに入る――。
「お前の相手は俺だって言っただろうがああああ!」
巨神の左足に回り込んだ俺はハンマーを振り被り、足の小指目掛けてハンマーを振り下ろした。
筋肉と骨がグチャっと潰れる鈍い音が鳴る。
オォオオオオオオオ
巨神は小指を潰された痛みで太い悲鳴を上げた。そしてバランスを崩し、右足を佳奈と萌のいる場所のすれすれの位置にズシンと落とした。
佳奈と萌は地面に腰を落とし、あわあわと口を動かす。
巨神の動作一つ一つが脅威となるこの戦いでは、こっちが確実に不利になる。
本の数秒だけでも巨神の動きを止められれば、こちらにも勝機はある。
(…………っ! そうだ)
俺はある事に気付いた。
巨神は何者かに操られ、自分の意思と反した動きをさせられている。だが、巨神自体の痛覚は失われていない。俺が巨神の手のひらを切り裂いた時も足の小指を砕いた時も巨神は痛みを感じて声を上げていた。
よって巨神は完全に操られているわけではなく、自我をしっかり持っているということになる。そこに付け込めば勝機はこちらに傾く。
痛覚を最も刺激する場所を攻めれば、巨神はその激痛に耐えられず目標を見失う。そこに必ず隙ができるはずだ。
俺はまた右腕のハンマーを剣へと換装させ、佳奈と萌の方向を向いて叫んだ。
「佳奈、萌、俺に大きめの石を投げろ!」
「……えっ?」
言葉の意味を理解できなかったのか、二人はポカンとした表情を俺に向けてきた。
俺は次にジェスチャーを取った。
右腕の剣を頭の後ろまで振り被り、左手を剣の根元に沿え、一気に振り抜く。その動作を二、三回繰り返し、大体のイメージを二人に伝えた。
「……あっ! なるほど」
佳奈が眉をピンッと動かし、俺のやろうとしていることに気付いた。ふらつくように立ち上がった佳奈は周囲を見回し、適当な石を探しにかかった。
「アンタも座ってないで探しなさいよ。また潰されるわよ」
「そ、それは勘弁だっての、でも腰が抜けて――ってイタッ!」
萌が無理に態勢を捩った瞬間、身体に何かが刺さったのか、びっくりするような一声を上げた。
萌が尻の下を探ると、中から拳サイズのゴツゴツとした石が出てきた。
「石、発見伝! しかもボクのヒップに温められたことによって毒の効果をエンチャントさせているっての」
「いいから貸せ!」
佳奈は奪い取るように萌から石をもぎ取った。そして俺との距離を感覚的に計り、ほぼ真正面になるように立った。
巨神が俺のいる方向に向き直る。
準備は整った。
俺はもう一度、右腕の剣を深く振り被り、佳奈に向かって一回頷いてみせた。
その合図と共に佳奈が投球フォームを取る。
「いけぇえええ!」
佳奈は流れるような投球フォームから俺に向かって石を投げつけた。
ゆったりとアーチを描くように石が飛んでくる。俺は石の軌道を読み、右腕の剣に全神経を集中させた。
「カッ飛べぇ―――――――!」
俺は振り被った剣を一気にスウィングした。剣の平らな部分にジャストミートした石はほぼ真上に向かってカッ飛んだ。
流星のように飛んでいく石は瞬く間に巨神の顔面に到達――そしてグチュっという生々しい音と共に巨神が両手で目を抑え、天を仰いで悲痛な雄叫びを上げた。
ウゴォオオオオオオオオオオオオ!
今までにない巨神の大声に地響きが起こる。
巨神はよろけるように一歩、二歩と後退していく。そして背中にビルの外壁が当たったところで動きは止まり、顔を左右にブンブン振って痛みを消そうとしている。
身体の中で最もデリケートで剥き出しになっている部分は眼球だ。感受性が強い眼球を狙うことで、一時的に巨神の動きを封じることができた。
これなら数秒と言わず、数分以上持ち堪えることができる。
そう思った時、遠くのビルの出入り口から恭助が姿を現した。右腕を高く上げ、こちらに合図を送ってくる。
『こっちは片付いた。止めを刺せ筐ぃ!』
恭助の上げられた右腕には何か黒い物体が握られている。恐らく巨神を操っていた蛮人だろう。なら俺のやることはもう決まっていた。
俺は右腕の剣を元の正常な右腕に戻した。
身体中を縛っていた緊張の紐がするすると音を立てて解かれていく。肩の力を抜き、ほっとしたように深く息を吐いた。
そこで佳奈と萌がよたよたと駆け寄ってくる。
「どうして止めを刺さないの? また暴れ出すかもしれないじゃない」
「そうだよカタミッチ、今がチャンスだっての!」
騒ぎ立てる佳奈と萌を尻目に俺は冷静に巨神を眺めて言った。
「もうあいつに戦う意思はないさ。見てみろよ」
俺の視線の先を辿るように佳奈と萌が巨神の方へ顔を向ける。
巨神はビルの屋上部分に手を置き、連なるビルに沿ってゆっくりと後退していく。
その後ろ姿からはさっきまでの嫌な威圧感が全く感じられない。巨体の身体がどんどん小さく見えて、まるで敗北したボクサーのように去っていく。
本来の巨神の性格は穏やかなものだったのかもしれない。身体を操られ、自由を失い、やりたくもない戦闘を強制させられていたのなら、巨神自体に全く否はない。
いくら蛮人が人間の敵だとしても、無闇に命を奪う権利はどこにもない。
俺は何もせず、只々巨神の後ろ姿を見届けた。このまま去っていってくれるなら、それが一番いい結果になるのだから。
――と、思ったその時だった。
巨神の歩んでいく道の先にローズの姿を見つけた。
そしてローズは流れるようにプラズマ砲を構えた。上向きに構えられたプラズマ砲の照準は確実に巨神の頭部を捉えている。
「ローズさん! やめ――っ!」
俺の一声は青白いプラズマの発射音にかき消された。
プラズマの一線は真っ直ぐに巨神の頭部に向かって伸びる――そして頭部に命中した瞬間、周囲の景色が一瞬真っ白に消し飛び、俺の目を眩ませた。
「うっ……くっう」
次第に視界が開けていく。
そして俺は悲惨な光景を目の当たりにした――巨神は頭部を完全に失い、まるでスローモーションのように力無く地面へ倒れていく。
ズゥウウウン
――街全体に響き渡るような凄まじい地鳴りが轟いた。
巨神の大きな巨体は大通りの道を覆い隠すように横たわっている。
そしてそのピクリとも動かなくなった巨神の身体の僅かな隙間からローズが姿を現し、俺達の存在に気付くと、にこやかな表情をこちらに向けて駆け寄ってきた。
「いや~たまげたわよ。まさかあんな蛮人がいるなんて思わなかったわ。でも図体の割にはかなり弱かったわね。あっ! もしかしてこのプラズマ砲が強力だったからかなぁ。さすが私の専用武器ってところね」
ローズは淡々とした口調で巨神を倒した自慢を話し続ける。俺は拳を握り締め、
ローズの正面に堂々と立った。
「……なぜ撃ったんですか?」
「え、なぜって?」
惚けたように首を傾げるローズ。俺はその態度に苛立ち、速攻食って掛かった。
「あいつはもう目が見えていなかった。戦う意思も既になかったんだ。それはあなたも十分わかっていたはずだ、なのになぜ撃ったんですか!」
「……蛮人だからよ」
無表情、何も考えていないような無の表情でローズはそう言った。
血も涙もないとはまさにこのこと、害を成す敵と定めた目標には容赦のない鉄槌を与える。生きるためだとは言え、これでは残虐行為に等しい。
蛮人を殺すことは、人間がネズミやゴキブリを退治している事と何ら変わりはないこと。ローズの表情からは後悔や嘆きの念が全く見えない、それどころか蛮人を倒したという強い優越感が表情に現れている。
俺は手が震えた。
この震えは怒りからくるものではない。自分でもわからないが、これは恐らく悲しみからきた震えだ。
「……筐、どうした筐、しっかりしろ!」
「あっ! 恭助……」
恭助が俺の肩を強く揺さぶった。俺は無意識のうちに自分の心の中に入り込んでいたらしい。いつの間にか恭助とカリンが俺の傍にやって来ていた。
「どこかやられたのか?」
「いや、なんでもないよ。皆無事でよかった。カリンも……」
恭助の後ろにいるカリンに視線を向けた時、さっきまでとは違うカリンの微妙な変化に気が付いた。思い詰めた表情をしているに加え、何やら恭助を気にしているような素振りを繰り返している。
俺が巨神と戦っている間に恭助と何かがあったのは明確だ。一体何があったのか、カリンに直接聞いてみるべきだろうか。
俺はカリンに近づき、声をかけようとした。だがその行動はローズの突発的な発言によって妨げられた。
「さあ皆、東京キャンドルはもう目の前よ。さっきの地鳴りで他の蛮人もここに集まってくるわ、その前に全速で走り抜けるわよ」
ローズが先導を切って東京キャンドルへ走り出した。
「行くぞ、筐」
恭助がポンッと俺の肩を叩き、走り抜けていく。それにならって佳奈と萌も走り出した。
「カリン……どうだ、走れるか?」
「……はい、大丈夫です……」
カリンはか細い声を出して、俺の横に並ぶように走り出した。
俺は何かスッとしない感情を持ったまま、段々と東京キャンドルへと近づいていく。この先、何が待っているのか、俺には予想出来なかった。




