バーチャルリアリティ
7 バーチャルリアリティ
女性の後に付いて行ってまもなく、俺は意外な場所の前に連れてこられた。
そこはさっきまでいた超高層ビル、青龍寺財閥の会社の玄関前だった。
立ち止まることなく、女性は早々とビルの中へ入っていく、俺も見失わないようその後を追って中へ入った。
女性はエレベーター前で立ち止まり、俺が傍に来るのをじっと待っていた。そして俺がエレベーター前に到着するや否や操作パネルを押して自動ドアを開けた。
エレベーターの中に入り、上層行きのボタンを押すと思いきや、女性は軍服の中から携帯サイズの端末を取り出して何やらボタンを押し始めた――
すると、一瞬ガタンとエレベーター内が揺れ、そして上層ではなく下層へ向かってエレベーターは動き出した。
下層、つまりこのビルには地下施設がある。
秘密基地だろうか、そうだとすれば益々この女性の身分が気になってくる。悪を滅ぼす為に結成されたエリート集団の兵士、或いは破壊活動やテロを起こそうとしている工作員なのかもしれない。
どちらにしても余り関わり合いになりたくない集団ではある。
そんな疑惑の念を込めた視線を女性に向けていると、突然女性がヘッドギアに手を掛けて留め具を外し始めた。
そしてヘッドギアを頭から外した瞬間、中からふわっと赤いストレートの長い髪が流れ落ちてきた。
「ふう、暑かったぁ。髪が蒸れるからこれ嫌いなのよねぇ」
「取って大丈夫なんですか? 確か理由があって取れないって言ってましたよね」
「ああ、もう地下に入ったからね。電磁波の影響を受けない地下なら取っても大丈夫なのよ」
「電磁波……それって耳鳴りの事ですか?」
「…………」
俺の言葉を聞いた途端、女性はじっと俺の顔を眺めてきた。まるで心の奥底まで見透かしているようなその瞳は俺の心拍数を一時的に早くした。
やがて女性は目を瞑り、数回頷いてからニコッと笑ってみせた。
「……やっぱりそうか。適合者じゃなきゃあんな芸当は出来ないものね。わかっていた事だったけど、これで安心したわ」
「……はい? 何の事だか全然わからないんですけど。適合者って――」
「話は後……もう着くわよ」
女性は一旦話を打ち切り、自動ドアの前に向き直った。まもなくしてエレベーターの到着音がチンッと鳴り響き、自動ドアがゆっくりと開かれた。
「ここは……す、凄い」
目に飛び込んできたのは想像を絶する光景だった。
闇に近い暗がりのだだっ広い空間にパソコンなどの精密機械が隙間なくぎっしり配置されている。パソコンの画面から放射される青い光が施設内を怪しげに演出していた。
子供の頃に想像していた秘密基地と同じ光景が広がっていたため、俺は終始呆気にとられていた。
その時、暗がりの中からモソッと何かが動いた。どうやら人間のようだが暗くてよく識別できない。その影がこちらの気配に気づき、のそのそとこっちに向かって歩いてくる。
「あ、お帰りなさいローズさん……あ、いえ、ローズ隊長、任務ご苦労様です」
暗闇の中から現れたのは一見頼りなさそうな風格をした男性だった。軍服のボタンは掛け違えているし、髪は寝癖のようにボサボサで、目の下には濃い隈が浮かび上がっている。
その男性の登場とほぼ同時にローズと呼ばれた今まで一緒にいた女性が不機嫌な顔をした。
「ピース、あなた社長室の明かりを消すのを忘れていたそうね」
「えっ……あっ! 済みません。うっかり――」
「うっかりで済むと思ってるのこのドジッ! お前のせいでこの子達がどれだけ危険な目にあったか――」
「す、済みませんでした」
「謝罪は私にじゃなくて、この子達にでしょうがこのドジッ!」
男性は慌てた素振りで俺の方へ向き、深々と頭を下げてきた。
「済まなかった。君達を危険な目に合わせてしまって……本当に申し訳ない!」
「いえいえ、あんな事になるなんて誰も予想できませんし、それよりも俺達を助けて下さって、どうも有難うございます」
俺もカリンを背負いながら深々と頭を下げた。
すると、男性がニタッと白い歯を剥き出しにして怪しく笑みを見せた。そして傍に置いてあるノートパソコンを手に取り、無理やり見せるように俺の方へ突き出してきた。
パソコンの画面には円グラフや棒グラフなどの構成比率を表す統計図表が映し出されている。
「これを見てくれ! 一時的にだけど、凄いエネルギー反応をキャッチしたんだ。こんな反応は今まで観測したことがない、一体誰のものなのかわからないが、もう鳥肌ものだよ」
「は、はぁ……」
人が変わったかのように早口でしゃべりだした男性。誰かさんとよく似ている気がする。
「あ、ゴメン、自己紹介がまだだったね。僕はピース、一応コードネームなんだけど、そう呼んでもらって構わないからね」
ピースは自己紹介の際、ずっと自分の指をピースの形にしていた。そこは敢えて触れないようにして、俺も自己紹介を一通り行った。
そしてローズと呼ばれた女性が間に入ってきて、俺とピースとの会話を一度中断させた。
「それでピース、彼らはどこ?」
「作戦会議室です。皆さんお待ちかねですよ」
ピースは施設の奥の方を指してそう言った。
俺は女性の後に続いて作戦会議室なる場所へと向かった。
施設内には彼ら以外の人間の姿もあった。
作戦会議室に向かう途中でパソコンを操作する人間を三人目撃した。少数精鋭で成り立っている組織だと思われるが、未だ何の組織なのかは不明だ。
けれど、この殺気立った雰囲気から察するに余り感じのいい組織ではないように感じられる。もうすぐ《戦争》が勃発するかもしれないという鬼気迫るものがピリ
ピリと伝わってくるようだ。
しばらくして、先導していた女性がある部屋の前で立ち止まる。
「ここが作戦会議室よ。さあ入って」
「は、はい……」
言われるがまま扉の前に立つ、すると扉は左右に勢いよく自動で開かれた。
――作戦会議室の扉が開いてすぐ俺の目に飛び込んできたのは、変わらない仲間達の姿だった。
「筐! 無事だったんだな。彼女は大丈夫なのか……そうか、気絶しているだけか、よかった」
真っ先に気遣って駆け寄ってきてくれたのは恭助だった。佳奈も萌も無事のようで、俺の顔を見るなり安堵の表情をこちらに向けてくる。
「アタシは別に心配してなかったけど……まあ、おかえり」
「カタミッチ見た、見た! この施設のテクノロジーはマジパネーっての! 某SF映画に出てくる宇宙船の中みたいでもうボク興奮しまくり、はぁ、はぁ、はぁ」
「はぁはぁするなキモオタ! っていうか息すんな!」
「黒ギャルちゃんはボクに助けられてご立腹のようす……でも本当はお礼が言いたくて仕方がない。でも恥ずかしさからそれが言えないでいる。わかる、わかるっての」
萌は自分の身体をギュッと抱きしめ、ウネウネとウナギのように身体を捩った。
佳奈は殺気を放った目で萌を睨みつけた。口元では声に出さずに何度も繰り返し『キモイ』という言葉を発していた。
この二人の遣り取りをまた見れたことは素直に嬉しい。何だかマイホームに帰ってきたような安心感を与えてくれる。だがそれにしても――
(萌とピースはよく似ている)
和やかな雰囲気にまったりしていると、作戦会議室の明かりが突然落とされた。
そして部屋の壁に映写機によるスクリーンが映し出され、それを遮るようにさっ
きの女性がスクリーンの前に堂々と立った。
「再開して喜んでいるところ悪いんだけど、早速会議を始めるわよ。各自速やかに着席して頂戴!」
女性ははっきりした強い口調で俺達に指示を下した。
作戦会議室の中央には四角く輪を作るように会議テーブルが設けられている。ここに座れということだろうが、未だに気絶しているカリンをこのままの状態で座らせるわけにはいかない。
そこで、部屋の隅に備え付けられた革製のソファーにカリンを寝かせることにした。カリンをソファーに下ろした時には、その表情はまるでいい夢を見ているかのような安らかな顔色になっていた。
俺は安心してその場から立ち退き、女性に言われた通りテーブルに着席した。
女性は一度咳払いをして、俺達の顔をそれぞれ見回した。
「それじゃ始めるわね。私はここ《蛮人殲滅部隊》、通称《BSC》の部隊長を任されているローズと言います。まずは手荒な歓迎について謝ります。ごめんなさい」
ローズは深々とこちらに頭を下げてきた。
そして頭を上げて暫し沈黙した後、ニコッと笑ってみせて、ピリッとした場の雰囲気を一瞬にして和らげた。
「硬苦しい前置きはここまで、ここからはディスカッション形式に変えて色々質問などに答えていくわ。さ、遠慮しないでどんどん質問してね」
「…………」
ローズの風変りな態度に対処できず只々沈黙する――だがその静寂をいち早く打ち破った人物がいた。
俺の向かいの席に座っている恭助が小さく手を挙げる。
「まずは根本的なところから質問させてもらいます。この世界は一体何なのか、それと、オレ達はどういう経緯でこの世界に来たのか、その事実を教えてもらいたい」
ローズは恭助の質問を頷きながら聞いていた。返す言葉に悩んでか、立ち位置から部屋の隅に向かって歩き始めた。
すると、数歩進んだ所でローズは足を止めた。
「そうねぇ……君達にとってこの世界は一種の仮想現実に近い世界、つまりバーチャルリアリティってことになる。ここは君達のいた東京とは似て非なる別世界の東京なのよ」
「別世界の東京……ということは、この時代には俺達は存在していないってことになる。未来へタイムスリップしてきたわけじゃないんだ……」
俺は内心ほっとした。
こんな地獄のような未来が2066年に待っていると知った時、俺は心底絶望していた。生きる希望を絶たれ、元の世界に帰ることさえ恐ろしくなっていた。
けれど、これで決断は揺るがないものになった。
俺達は帰ることができる――俺達の世界に。
「それで、アタシ達はどうやってここへ来たわけ……やっぱり秋葉原で起こった大地震の影響なの?」
間髪入れず佳奈が質問をした。それに対してローズは暫し難しい顔をしたが、すぐにこちらに向き直り、口を開いた。
「そもそも君達のいた秋葉原では大地震なんていう自然災害は起こっていないわ」
「…………」
信じられない話を打ち明けられ、俺達は沈黙した。
ローズの支離滅裂な話に思考が一時停止する。それが真実だとしたら、俺達は夢の中にいるようなもの、ここに来るまでの現実が全て否定される事になる。
それを聞いた佳奈がダンッと強くテーブルを叩き、勢いよく立ち上がった。
「はぁ? じゃあ一体あの大地震はなんだったっていうのよ。アタシは確かにこの目で街が崩れ去っていくさまを見たのよ!」
「その大地震が起こる前に何か異変が起こらなかった?」
ローズは佳奈の攻撃的な言動に臆することなく、冷静な態度で俺達に問い掛けた。
過去の出来事を振り返る。あの時何があったか――。
「あ!」
すると、急に萌が素っ気ない声を出した。
「電話、電話だっての! 大地震が来る前に大規模な電波ジャックがあって、通行人の殆どの人達が携帯片手に大パニックだったっての」
そう言えばそうだった。
俺もあの一斉着信事件は新手の電波ジャックではないかと悟っていた。偶然巻き起こった現象ということで片付けてしまうには余りにも不自然な現象だった。
それにあの電話の向こうから流れてきた甲高い電磁波の雑音――。
そもそもの始まりはあの電話からだったんだ。
萌の話を受け、ローズは再度壁に映し出されたスクリーンの方へ歩き出した。
「その電話に出た瞬間に君達はもう既にこちらの世界に引き込まれていたの。大地震が起こったという事実は確かに本当かもしれない……でもそれはこちらの世界で起こった現象だったのよ……映してくれるピース」
『アイアイサー隊長』
作戦会議室の入口上部に備えられたスピーカーからピースの声が流れた。
そして、カチャッという音と共にスクリーンの真っ白な映像がスライドされた。
「こ、これってあの……」
スクリーンに映し出されたのは、今でも目に焼き付いて離れることのない強烈な印象を受けたあの光り輝く電波塔の全体写真だった。
ローズは指示棒を手に取り、スクリーンに映し出された電波塔を差した。
「東京キャンドルって私達は呼んでいる。この電波塔から発信されている電磁波が君達をこの世界へ送り込んだのよ。大地震もその影響で起こったと考えられる」
「……俄かに信じがたい話だ。第一、電磁波程度のものであれほどの大地震が起こるとは到底思えない」
恭助は腑に落ちない様子だった。だがローズは軽く首を横に振り、まだ話の続きがあることを示してきた。
「君達の世界が狂ったのではなく、君達自身が狂わされたのよ。その時、電話を取らなかった人間には大地震なんていう災害は起こらなかったはずよ」
「なぜ俺達の世界のことをそんなに知っているんですか? まるで見てきたような口振りですけど」
ローズは明らかに全てを知っているようだった。けれどそれはおかしい、なぜならこの人は今日初めて出会った初対面の人間だ。そんな人間が俺達のことを詳しく知り、尚且つ次元の違う世界の事まで知っているなんて、どうも怪しすぎる。
「見てきたから知っているのよ」
「え?」
唐突なローズの発言に一瞬呆けてしまった。その意味を頭で整理すると、まさかローズは神様なのではないかというブッ飛んだ発想が生まれた。
「ここに来たことある人間は君達が初めてじゃない。そうね……ざっと数千万人はいるわね。君達の知らない内にこんな現象が次々に起こっている。私はそんな人達をずっと目の当たりにしてきた」
「東京……いや日本全域で電磁波を耳にした人間がこっちに来ているのか?」
恭助が冷静に問い掛けた。
「いいえ、電磁波を受信する範囲は決まっているの、これを見て」
ローズの「見て」という言葉に反応して、スクリーンの映像がスライドし、新たな静止画が映し出された。
映し出されたのはどうやら東京の地図のようだ。
指示棒を持ったローズはその地図上の三ヶ所の位置に指示棒の先を当てていく。すると、その位置に丸い印が付き、やがてその印は赤く点灯した。
「港区にあるここが東京のシンボルである《東京タワー》がある位置、こっちが墨田区にある君達にはまだ真新しい存在の《東京スカイツリー》がある位置、そして新宿区にあるのがあの《東京キャンドル》になる。これらを一本の線で結ぶと――」
指示棒で三ヶ所の電波塔を順になぞっていく――すると、地図上に赤い線で逆三角形の図形が現れた。
「この逆三角形の枠内が電磁波の影響を受ける範囲なの。特殊な電磁波はこの三つの電波塔が起点となって発生しているのよ」
「まるで魔の海域だな。東京キャンドルが建ったせいで今まで統制が取れていた東京の磁場がおかしくなったのかも……そもそもなぜあんな電波塔が建ったんだ」
「東京キャンドルが建った理由は定かではないけれど、一つ確かなことがあるわ」
恭助の問いにローズは確信のある声でそう答えた。
『蛮人の餌を補充するため』
部屋中がシーンと静まり返る。
誰もが口を閉ざし、表情一つ変えず席に座ったままピクリとも動かなくなった。
動揺しているわけではなかった。
ここにいる俺を含めた仲間全員がローズの言った言葉の意味を全く理解できないでいる。だからどう反応すればいいのか悩んでいるのだ。
そんな俺達を見たローズは、迷子になった子供のようにキョロキョロと周りを見回し、自分がアウェイ状態であることに気が付いた。
「あ、あれ? 皆どうしたの……あ、もしかしてチビった?」
「違います! 何ですかその蛮人って……そう言えば、あなた達の部隊名の中にもそんな名前が入っていましたよね――っ!」
ほんの少し前の記憶が微かに蘇った。
俺は『蛮人』という言葉をローズの口から聞いた覚えがある。
ローズと初めて出会った時、彼女が言った言葉の中に『蛮人』という聞き慣れない言葉があった。状況から察するに、それは空から襲い来る化物を指してそう呼んでいるように思えた。
「蛮人ってもしかして、あの化物のことですか?」
「……その通りだけど、化物と言ってしまうのは少し違うわね。あれは人間の進化した種族、《第四世代の人類》なんだから」
「第四世代の人類? 何ぞそれ、凄く滾るものを感じるっての!」
萌が透かさず話に乗ってきた。潤んだ瞳を大きく輝かせ、ローズを食い入るように見つめている。
ローズは一度「おほん」と咳き込み、次の映像に切り替える指示を室外にいるピースに仰いだ。
その指示通りにスクリーンの映像は切り替わり、次は静止画ではなく動画の映像が映し出された。
外の街の様子が記録された何の変哲もない動画だった。
ハンディカメラで撮影された動画のようで、カメラマン視点で街中を詮索しながら進んでいく至って普通の撮影レポート動画だ。
――だがそれは始まってすぐ訪れた。
カメラマンが暗がりの細い路地に入った時、前方に何か蠢いている黒い物体を捉えた。
画面が一度ぶれ、慌てて固定されたカメラ映像はゆっくりと被写体に向かってズームアップを開始した。
ズームアップの際に鳴り響くジィーというズーム音が恐怖心を駆り立てる。
徐々に被写体が鮮明になっていく――そして映ったものはとんでもないものだった。
グチュッという音と共に血飛沫が辺りに飛び散る。
人間が喰われている――肉を切り裂き、内蔵を貪り喰らうその生物を目にした俺は鳥肌が立ち、その光景にぞっとした。
しかも俺はこの生物が何なのかを知っている。それは俺以外の皆も同様だろう。
以前見た時の風格とは少し違うが、間違いない――。
ブリッジ人間だ。
死体の人間を中心に三体のブリッジ人間が群れになり、その人間の肉や内蔵を喰い散らかしている。
『これは僕が撮影したものなんだけど、どうだい、よく撮れているだろ?』
スピーカーからピースの軽快な声が流れた。
「誰がお前のプライベート映像を流せって言ったのよ……さっさと次の資料映像を流して!」
『は、はい。済みません……』
ローズに叱られたピースはすぐに別の静止画をスクリーンに投射した。
それは相関図のような資料映像で、蛮人の進化の過程が事細かく記されていた。
「人間はそもそも《猿人》と言われる祖先から進化した人類である事は知っているわね。《猿人》が第一世代、更に進化した《原人》が第二世代、そして私達の姿である《新人》が第三世代になる。そして――」
ローズは指示棒で資料に添付されたブリッジ人間の立ち絵を強く指した。
「これが《新人》から更に進化した人間の姿。第四世代の人間《蛮人》なのよ」
驚くべき事実が明かされた。
この世界には人間の進化の過程を覆す全く新しい人類が生まれていた。凶暴且つ野蛮な人類、東京キャンドルはそんな人類の食料源として俺達をここへ送り込んだ。
俺達は蛮人の餌、街の中に囚われた哀れな食料。
冗談じゃない――。
人間が人間を喰う社会なんて存在してはならない。人間の命はそんな安っぽいものではない。
俺はグッと歯を噛み締めた。
東京キャンドルへの怒り、蛮人に進化した人類への嘆き、その二つが心の中に渦巻き、居た堪れない感情を生み出した。
そこで恭助が再度手を挙げた。
「オレ達は怪我人の男性が蛮人に変異するところを目撃したことがある。何の前触れもなく、突然男性の身体に異変が起こった……進化っていうのはそんな突発的に起こるものなのか?」
「……その話をする前に、ほら、眠り姫がお目覚めよ」
ローズはソファーの方へ視線を向けてそう言った。
振り向いてみると、そこには寝ていたはずのカリンが目を覚まし、周りをキョロキョロ見回している姿があった。
「起きたかカリン、大丈夫か?」
「……あ、筐さん。ここは一体……私はどうなったんですか?」
「心配いらない。ここは安全な場所だ、助かったんだよ俺達」
「そうですか……。私記憶が曖昧で、余りよく覚えていないんです。でも良かった皆無事で本当に……」
まだあの時のショックが残っているようで、カリンの様子はいつもより弱々しく感じられた。しかし瞳の色は本来の翡翠色に戻り、視力もはっきりしているところを見ると、後遺症の問題は無いと言っていいだろう。
素直に俺はカリンが無事であることを喜んだ。
「少し休憩にしましょう。その子の体調が戻ったら改めて――」
「いえ、聞きます!」
一度部屋から退出しようとしたローズがカリンの一声を受けて立ち止まった。
「私なら大丈夫です。これ以上私のために時間を無駄にして欲しくない。皆と一緒に聞かせて下さい」
頭を深々と下げるカリン。それはローズだけにではなく、ここにいる仲間全員に対して取った行動だった。
そんなカリンの様子を見ていたローズはクスッと笑い、元の位置へと戻った。
「強い子ね。結構好きよ、そういうの。いいわ、話を続けましよう」
俺はカリンに手を貸し、会議テーブルの所まで誘導した。
俺達が着席したのを確認したローズは会議を再開させた。
「君達がこの世界に来る前に耳にした電磁波は言わば《招待状》のようなもの。これは自分の身体に害を成すものではなく、こちら側の世界へ来るためのきっかけでしかないの」
一度間を置いてからローズは口を開いた。
「問題はこちらの世界に来てから一度でも電磁波を耳にした事があるか……そこに重要な意味がある。もし電磁波を耳にしたのならば、人間はすぐさま蛮人へと変異することになる」
「待ってよ! 怪我していた男って携帯電話なんて弄れる状態じゃなかったわよ。でも蛮人になったのは確か……どういう事よ、おかしいじゃない!」
佳奈が疑問を投げ掛ける。
確かに怪我人の男性は一度も電磁波を耳にする機会はなかった。携帯電話以外の方法で電磁波を受けたのならば、とっくに俺達も蛮人になっているはずだ。
一体どういう理由があって変異したのか、まだその実態が掴めない。
そこで更にローズが話を続けた。
「電磁波だけが変異する手段ではないの。もう一つが《感染症》によるもの、例えば蛮人の体液を体内に取り込んでしまった場合、それ以外にも何らかの手傷を負わされた場合でも感染する恐れはある。でもそれらはすぐに症状は出ないけどね」
「体液を取り込む…………はっ! そういえばあの時――」
俺はラジ館(本館)で男性を助けた時のことを思い返した。
ネオン看板を持ち上げ、男性を救い出した後、俺と恭助で男性を担いで大通りまでの道筋を歩いた。
その途中の道には黒い水溜りがあり、何度か怪我をした男性の脚に飛び散ったところを目撃している。
あの水溜りが蛮人の体液だったとしたら、全て辻褄が合う。
「それはわかったけど……まだ肝心なところが聞けていない。あなたは見たはずだ、俺の右腕が異様な武器へと変わる現象を……それにカリンも……あれは一体何なんですか?」
「私も知りたいです。教えてください」
俺の後に続いてカリンが頭を下げて言った。カリンもこの現象に至っては無関係ではない。知りたく思うのも至極当然のことだ。
心の中で過去の出来事を整理する――。
俺がこの世界にきた直後、真っ先に携帯で実家の母親に連絡を取った。その時耳にしたのが二度目の電磁波、つまり蛮人に変異する電磁波を受けたことになる。
しかし、俺の身体には全く変化はなかった。
そして三度目の電磁波――携帯を使用せず、直接耳の中を振動させた電磁波は俺の右腕を歪な剣の形状をした武器へと変化させた。
カリンも同じだ。
俺と初めて出会った廃墟ビルで彼女は携帯電話を握りしめていた。恐らく事態が飲み込めず、どこかに連絡を取っていたのだろう。
しかし、電話の向こうから聞こえてきたのは二度目の電磁波だった。
その時のカリンは錯乱状態ではあったが、蛮人には変異していなかった。俺と同様に時間が経ってから身体の一部(眼球)に変化が現れた。
俺とカリンに一体何が起こったのか、俺はずっとそれが気になっていた。
ローズは俺とカリンを交互に見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「君達二人は蛮人に変異することはなかった。つまり身体に電磁波の波長が適合したという事。蛮人の生命力を自分の身体に宿し、特殊な能力を引き出すことができる《適合者》になったのよ」
「適合者!」
エレベーター内でローズが口に出した言葉だった。
つまり俺の右腕やカリンの眼球の変化は蛮人の能力を具現化したもの、適合者という言葉の意味は蛮人の力を得て自らの身体にその力を宿すことだった。
「反対に電磁波の波長が適合しなかった人間は《不適合者》とされ、すぐさま蛮人へと変異することになる。さっきも言ったけど、蛮人の体液を身体に取り入れてしまった場合も同様よ」
「蛮人を倒す効果的なものはなんですか?」
即座に恭助が質問に入る。ローズはそれを聞いて、ぐっと表情を引き締めた。
「いい質問ね……蛮人を倒す方法は二通りしかないわ。一つは適合者の能力で倒す方法、もう一つは蛮人と蛮人で殺し合う方法の二通りよ。前者はそのままの意味だけど、後者はつまり共食いってことになるわね。君達には直接関係ないわ」
「そうか……わかった」
恭助はそう言いつつ、右手の甲に入った浅傷を摩った。
あれは確かシャンデリアの下敷きになった蛮人から受けた切傷だったはず、今になってまた痛みが出てきたのかもしれない。
「恭助、手……痛むのか?」
「いや、平気だ。全然問題ない……それより今後の事を話し合おう。余りもたもたしていられないからな」
そう言って、恭助は右手をテーブルの下に隠した。
恭助は何かに焦っているように見える。一刻の猶予もないという感じで、会議を早く切り上げようとしているようだ。
それを察したのか、ローズは何も言わず部屋の明かりを付けた。
「では次に、君達が元の世界に帰るための作戦を伝えるわね。まず目的地となる場所は東京キャンドルの頂上よ。そこに君達の世界と通信できる装置があるらしいの」
新たな議題に移り、ローズは淡々と説明に入る。
「通信できる装置ってなんぞ、エスケープに必要な必須アイテムとか?」
萌が茶化すような口調で疑問を投げ掛ける。
それに対してローズは眉一つ動かさず、にこやかに話を続けた。
「ここの社長室で見つけた資料によると、どうやら東京キャンドルから発信されている電磁波は内部でコントロールができるそうなの――で、私はある仮説を立てた」
ローズはテーブルに手を付き、前のめりになって口を開いた。
「携帯電話に受信した電磁波の影響でこちらに来れたのなら、同じく電磁波を使って帰る事ができるはず、その通信装置を使ってあちらの世界の君達自身に電話を掛ける事ができれば、電磁波の波に乗って元の世界に帰れるんじゃないかって」
「――ちょっと待って下さい!」
突然恭助が手を前へ突き出してストップをかけた。
「その方法がもし成功したとして、肉体はどうなるんです? 話から察するに、その方法だとオレ達の《意識》だけが飛んでいくように思える。事実上オレ達の肉体はここに残ってしまうのではないでしょうか」
恭助の言葉に仲間一同が沈黙する。
肉体を残し、意識だけが元の世界に戻ってしまったとしても、それは霊体である事と何ら変わりはない。完全な形で帰れたという実感がなければ、それは死んだ事と同じ事なのだ。
俺達は本当に帰る事が出来るのだろうか――。
不安――焦り――色んな感情が渦巻く俺達を尻目にローズはなぜかずっと笑顔のままだった。
「その点は心配はいらないわ。さっきも言ったけど、ここは君達にとってはバーチャルリアリティの世界なの。君達は意識と肉体が両方こちらに来ていると思っているかもしれないけど、実はそうではなく、意識のみがこっちの世界に来ているのよ」
「えっ! じゃあ俺達の肉体はどこにあるんです」
「君達の世界、そう、大地震が起こる前の秋葉原にあるのよ」
自信に溢れたローズの表情には一点の曇りもなかった。
意識だけがこちらの世界に来ているという真実に俺達は戸惑いを隠せない。
今ここに存在している俺達の肉体は、自分達の無意識な思想が創り出した言わば仮の肉体である事。
五感である視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚は全てバーチャルリアリティであるこの世界が創り出した幻想である事。
そして、現在本物の肉体は現実世界に止どまり、まるでコールドスリープ状態のように静止しているのだという。
「元の世界の俺達自身に電話を掛け、あの時ストップした時間に戻る……そういうことですね?」
「そういう事……そして、東京キャンドルへ行くには君達の力が絶対必要になる。蛮人の能力が必要という意味じゃない。君達のような若い未知の力があれば必ず突破できると信じているの。私達も全力でバックアップする。もうこの世界で人が死んでいくのを黙って見ていられない……お願い、一緒に戦って」
一生のお願いと言わんばかりにローズは俺達の返答を聞くまでの間、ずっと頭を下げ続けた。
俺達はお互いに顔を見合わせ、互いの気持ちを探り合った。
カリン、佳奈、萌は俺と顔を合わせた瞬間、一度コクっと頷いてみせたが、恭助はずっと何かを考え込んでいた――そして。
「それで……BSCのあなた達はどうするんです。この作戦は一方的にオレ達を助けるための作戦だ。あなた達にとってのメリットは皆無に等しい。何か裏があるように思えてならないんですが――」
「おい恭助、何もそこまで言う必要はないだろ。この人は俺達の事を真剣に考えてくれている。それは確かなことだと思うし、現に俺とカリンはこの人に助けてもらっている。借りがあるのはこっちの方なんだぞ」
「…………」
恭助は何も言わず、ただじっとローズを凝視している。
警戒心、それとも疑念があるのか、何事にも慎重な性格の恭助にとってこの状況は余りにも上手く行き過ぎていると感じているに違いない。
ローズはゆっくり頭を上げ、自分を睨み付ける恭助と目を合わせた。
そして一瞬だけ視線を外した後、口角をクイッと上げ再び恭助の目を見つめた。
「君達が元の世界に帰る事ができたら、私は東京キャンドルを破壊して、この世界を平穏で豊かな世界に変えたいと思っているの」
「東京キャンドルを……破壊!」
「そう……あの電波塔さえ破壊すれば、この汚染された街……いえ、日本全域で同じようになっている都市を救うことができるはず。まだ蛮人に変異していない避難民達を救うことだってできる。もうこれ以上、街や人が死んでいく残酷な未来を築くわけにはいかない、私達はそのためにこれからも戦っていくつもりよ」
「……偽善ってわけじゃないんですね?」
恭助が真意を確かめるため、再度強い口調でローズに問い掛けた。
「もちろんよ。信じてとしか言えないけどね」
ローズはその問いに対して、目一杯の笑みを作り答える。
暫し沈黙した恭助はゆっくりと細く息を吐き、やがて短い一言で「わかった」と口にしてローズの意志表示を了承した。
ローズは俺達に対して一際気持ちの入ったお辞儀をして、一言「ありがとう」という感謝の言葉を俺達に向けて言った。
その一言が最後となり、作戦会議は終了した。
ローズの指示で今日はこの施設で一夜を過ごす事になった。
少量ではあったが、パンとスープが食事として提供された。空腹だったはずなのに、食事が余り喉を通らず、俺は半分ほど残してしまった。
作戦決行は明日の昼十二時に行われる。
俺達は元の世界に帰るために、そしてローズはこの世界を蘇らせるために。
お互いの組織が一団となって、それぞれの目的を達成するための戦いが始まろうとしている。
東京キャンドル
第四世代の人間、蛮人
適合者と不適合者
そして、適合者だけに宿る蛮人の力
短い時間の中でこれだけの非論理的な情報が頭の中に入り、俺はずっと困惑していた。
俺のいた世界とは全く関係ない別世界の問題。
そう考えてしまえば簡単な話だが、もし俺達の世界で同じような事が起これば、この世界と同じく日本は汚染され、やがては死の世界になるだろう。
帰るだけでは意味がない――この事を世に伝えることも重要になってくる。
でも、それをどうやって伝える。
伝えたとしても、一体誰が信じてくれるというのか。
俺は先の見えない苦悩と戦い、焦る気持ちを抑止しながら眠りについた。




