堕ちる遊楽都市
20XX年 ×月×日
それは突然起こった。
平穏な日常は一瞬にして消え去り、この世は『ディストピア』へと変貌を遂げた。
「どうして……どうしてこんな事になったんだ」
これは現実なのか、それとも悪夢なのか――この現実離れした出来事が俺の思考を完全に狂わせていた。
崩壊した街――人間の死体――どこを見渡しても地獄のような惨状が視界に入ってくる。
生きたい、死にたくない――。
ただそれだけを必死に自分に言い聞かせた。
空を見上げれば、そこには薄暗い雲に覆われた灰色の空が広がっている。
あの澄み切った青空はどこへ行ってしまったのだろう。まるで別次元の世界に迷い込んだかのような不思議な感覚に囚われる
帰りたい。死にたくない。
ディストピアとなったこの世界から脱出すること。それが俺に残された唯一の助かる手段であり、今成さなければならない行動だ。
歩き出すしかない。
なぜなら俺はまだ『生きている』のだから。
1 堕ちる遊楽都市
2013年 4月7日
ガタンゴトン ガタンゴトン
山手線を走る電車の中、日向筐は虚ろな目をしながらシートに座っている。
田舎から東京へ上京して来てまだ一週間足らずしか経っていない初の日曜日。
大学での疲労や苦悩から一時的に逃れることができる憩いの時間、そんな貴重な時間を利用して俺はある所に向かっている。
各駅に電車が停車するたび、それらしい服装をした人達が電車の中に流れ込んできた。黒と白のゴテゴテドレス姿の女性や重々しいリュックサックを背負った中年男性。他にもプロ用のカメラを念入りに磨いている人や外の景色を眺めながらニヤけている変人もいる。
今向かっている場所はそんなバラエティ豊かな人種がごった返す東京千代田区に位置する電気街――。
車内アナウンスが流れる。
『次は秋葉原、秋葉原です……お出口は左側です』
そう、目的地は秋葉原、電子関係の機器や部品、それ以外にもゲームやアニメ関連のグッツが大量に販売されている夢の楽園。
田舎暮らしの頃はニュースや雑誌などでしか情報が入ってこなかったため、どんな場所なのか凄く興味があった。漫画やゲームは人並みに好きだし、《オタクの聖地》と言われている街の風景にも期待していた。
車内の独特な雰囲気を持った乗客が左側出口付近に移動し始めた。俺もその列に並び立ち到着を待った。
しばらくして秋葉原駅に到着。電車が止まり、自動ドアが開かれると一斉に乗客が外へ流れていく。遂に人生初のアキバデビュー、居た堪れない気持ちを抑止しきれず、思わず笑みが溢れ自然と足取りが軽くなる。
そして駅の外へ出た――そこはまるで別世界だった。
俺は目を擦って、もう一度大きく目を開けた。
目の前を慌ただしく交差する人間の波、そして鮮やかな看板を掲げた高層ビルが所狭しに立ち並ぶ光景。一瞬ここが日本であることを忘れてしまうかのような不思議な感覚に心が滾った。
「すげー、マジすげー」
秋葉原の街並みに圧倒されて単純な言葉しか出てこない。田舎の風景に例えるなら高層ビルは山、人の流れは川に例えられる。慣れていないせいか目が回ってしまった。これはある種のホームシックにかかっているのかもしれない。
とにかくここでジッとしていても通行人の邪魔になるだけなので、人の波に乗って歩き出すことにした。
日曜日である秋葉原の大通りは歩行者天国となっていた。道路は車が入らないよう仕切りが張られ、歩行者は解放された道の真ん中を堂々と歩きショッピングを楽しむことができる。
(この人混み、見ているだけで酔いそうだ……ウブッ)
想像以上に混み合っている秋葉原の中央通り(ストリート)に気分が悪くなった。休日を楽しみに来たというのに、これでは本末転倒だ。
「こんにちは。メイドカフェいかかですかぁ?」
「え?」
突然メイドのコスプレをした女性に話しかけられた。黒髪のロングヘヤーに翡翠色の瞳が印象的な女性は両手にビラの束を持っていて、そこから一枚のビラを抜き取り、こちらに差し出してきている。
「只今当店《Sisters Wink》で期間限定のキャンペーンを実施中です。ツンデレ姉妹とイチャイチャメイドごっこ、お兄さんも是非遊んでいってください!」
「あ、えっ……と」
後半この子が何を言っているのか理解できなかった。でもこれは間違いない、都会の街でよく出会すと言われている『勧誘』というやつだ。昔、母さんに聞いたことがある。
俺がまだ小学生の頃、家で母親と一緒に刑事モノのドラマを観ていた。
その時やっていた刑事モノのドラマは《勧誘事件》を題材にしたストーリが組まれていた。
そしてドラマの中盤で母親は俺にこう言ったのだ――。
『知らない人には絶対ついて行っちゃ駄目よ』――と。
俺はあの母親の言葉を片時も忘れたことがない。まだ社会というものを知らなかった当時の俺にはその意味が全く理解できなかったが、今となってはその言葉が救いとなっている。
母親の言い付けを守り、大人になった自分を示さなければならない。
事は重大だ。大事件に発展する前に回避するべきだ。
「あの、お兄さん……大丈夫ですか?」
「おっ、おお!」
過去の記憶から帰ってくると、目の前に綺麗なメイドの顔があった。しかも上目遣いで覗いている格好だったので、胸元の谷間が大胆に強調されている。
否応なしに頬が赤くなる――だがここで自分に負けてはいけない。これは『勧誘』なのだから。
「いえ、結構です。急ぎますので、それでは――」
なぜかハードボイルド風にその場を切り抜け、堂々と大股で歩き出した。
それにしてもあのメイドの子、凄く可愛かった。それにメイド姿だったが、お嬢様のような気品に満ちたオーラが伝わってきた。メイド服に着せられているのではなく、完全に自分のモノにして完璧に着こなしていた。もしかしたら俺は千載一遇の出会いのチャンスを逃してしまったのではないだろうか。
(…………忘れよう)
それから俺は有名な某電気店を巡り歩き、最終的には秋葉原の顔とも言えるラジオ会館(本館)へ行き着いていた。
通称《ラジ館》として愛されてきたアキバの名所、正面には【世界のラジオ会館秋葉原】と書かれたネオン看板が取り付けてある。入りたかったが本館は工事中らしく立ち入りが禁止されていた。
写真だけでもと思い、スマホのカメラでラジ館の全体が映るよう撮影した。ちなみにこのスマホは母親が上京記念として俺に渡してくれた物だ。
(よし、完璧)
写真の保存を確認したところで、ある電気屋のショーウィンドウに置いてある薄型テレビの映像が目に入った。
砂嵐、正式名称スノーノイズ――地デジ放送が主流になった今の時代に砂嵐が存在していることに驚いた。
ショーウィンドウには他にも映像が流れているテレビがいくつもある。萌え系のキャピキャピとした女の子向けのアニメだったり、ロボットが登場するアニメの予告編だったり、だがそれらは消音に設定されているようで何も聞こえてこない。
この一台のテレビだけが、まるで別次元にあるかのようにショーウィンドウの中でザーという雑音を流していた。
壊れているのだろうか、だとしたらなぜこんな目立つところに置いたのか――と、ショーウィンドウ越しにテレビ画面へ顔を近づけていくと、突然テレビに映っている砂嵐が微妙に波を打った。
そして砂嵐が徐々に落ち着き、鮮明ではないが、どこかの街の景色がぼんやりと映り込んだ。
戦後のように荒れ果てた街の中央に白くて高い建物が一瞬目に焼き付く。
そして瞬く間に映像はまた砂嵐へと変わってしまった。
(何だ? 接触でも悪いのか)
恐らく映像出力の接触が悪いのだと思い全然気にも止めなかった。
腹も減り始めたので、俺は大通りに戻ることにした。
秋葉原は昼のピークを迎えていた。
時刻は午後1時、電気街と言っても当然飲食店も数多く存在する。
メイドカフェやコスプレ喫茶だけではなく、一般の人向けの飲食店も秋葉原にはある。そのため午前の頃とは比べ物にならないくらいの人の波が一斉に押し寄せて来ていた。
人混みの荒波にも少し慣れてきたのか気分はさっきより穏やかだ。腹が減っているからそっちに意識がいっているだけかもしれないが……。
どこかで腹ごしらえと思ったのだが、今いる道筋にはこれといって入りたい飲食店がない。一旦戻って中央通り交差点を横断する必要があるようだ。
これでも一度だけ渋谷のスクランブル交差点を渡った実績がある。ただその時、何度もすれ違う人の肩や足に当たってしまいその都度睨まれてしまったが――。
もうあんな心が折れそうな気分になるのはゴメンだ。今日はあの日の雪辱戦だと思って挑むのだ、意気込みは十分ある。
そうこうしている間に俺は中央通り交差点へやって来た。想像通り目の前にはアスファルトの地面が隠れるほどの通行人でごった返している。
こうして通行人を見ていると不思議とこんな事を考えてしまう――同じ場所、同じ時間にこうして集まり、同じ方向を目指して歩いている人々。けれど人はそれぞれ違う目的を持ってここにいる。決してお互いが会話したり、接触したり、助け合ったりする事はない。街が騒動になるくらいの事件が起きない限り――
ピピピィ ピピピィ ピピピィ
突然俺のスマホから着信音が鳴り出した。そしてその瞬間奇妙なことが起こった。
俺のスマホだけでなく、周りの通行人全ての携帯端末にも着信音が届いているようだ。不協和音のように重なり合う着信メロディが恐怖心を煽る。
取り出したスマホの画面には見たこともない電話番号が記されていた。しかも電話番号とは到底思えないめちゃくちゃな数字の並びをしている。
通話アイコンに触れる指を画面ギリギリの所で一度止めた。躊躇した理由は、もしとんでもないことが起こったらという嫌な予感がしたからだ――だが好奇心が邪魔をして、その嫌な予感を少しずつ曇らせていった。
恐る恐る通話アイコンに触れ、スマホを耳元へ持っていく――
キィ―――――――ン!
「くっう!!」
スマホから甲高い雑音が響いた。
身体が拒否反応を起こし咄嗟にスマホを耳元から離した。本体が壊れた形跡はない、ただ掛かってきた番号から電磁波や高周波の類だと思われる甲高い雑音が流れ出したのだ。
大通りを埋め尽くす通行人達も俺と同様に携帯端末を耳に近づけ、その瞬間驚きの声を上げている。中には頭を抱えしゃがみ込む人や気を失いその場に倒れ込む人もいる。
一体何が起こったのか理解できない。日本が新手の電波ジャックにでも犯されたのか、或いは電波障害が起きて偶然こんなことが起こったのか――何にしても集団で同じ現象が起こるなんて有り得ないことだ。
ピーピッ ピーピッ ピーピッ
「うわ!」
再び俺のスマホが音を立てた。さっきの着信音とは微妙にリズムが違うことからこれはメール受信音である事がすぐにわかった。しかも今回は俺のスマホだけが鳴っているらしく、他の通行人達の携帯端末からは着信音が全く聞こえてこない。
メール受信音が鳴り終わったところでスマホの画面を確認した。
やはり見たこともないアドレスが表示されている。所々バグっているようでアルファベットのXが連なった解読不能なアドレスになっている。
迷惑メールだとしたらこのまま無視して消去すればいい。けれど、さっきの現象を裏付ける何かが送られてきたのだとすれば、これは無視できないメールだ。
スマホの画面に吸い寄せられるように指が動き、受信したメールを開いた。
(……何だこれ?)
【待っています】
たった六文字の文章が打たれている。その文字数の少ない文章は俺に心霊的な恐怖を植え付けてきた――俺はすぐさま受信メールを閉じた。
悪戯メールであることは確かだが、この状況で受け取ったことが何より意味深で不快に感じた。早速メールを消去しようと画面を操作した――その時。
地面が激しく揺れる。
高層ビルの窓ガラスが今にも割れそうな勢いでガシャガシャ音を立てて暴れている。それに大通りの端に設置された街灯や電信柱はグラグラと地震と連動して横揺れを起こしている。
通行人達が大声を上げて騒ぎ出した。その場から離れようと必死に逃げようとするが、この混雑の中では逃げようにも逃げられない。
大通りの中央でただ慌てふためくしかない通行人達を目の当たりにして俺は動揺し、その場から一歩も動けないでいた。このままじゃマズイ、どうにかして広い場所に非難しなくてはならない――。
しかし状況は更に悪化していく。地震は更に激しくなり、アスファルトにはひびが生じ、地割れにまでに進展した。その地割れは徐々に拡大を続け、遂には建物を損壊させるほどの巨大な大穴へと変わっていく。
大通りの中央にいた人達はひび割れに足を取られ、そのまま悲鳴と共に地割れの中へと消えていく。
逃げ道はもう残されていない。地盤崩壊は着実に俺の足元まで迫っていた。
アスファルトが削られその破片がバラバラと漆黒の大穴へと堕ちていく。まるでこの大穴の先には地獄が待っているような――そんな気がした。
グラッと自分の立っていた地盤が崩れた。足裏の感覚は瞬時になくなり、身体は重力に任せて大穴の中へ落下していく。
「うわぁああああ!」
ブラックホールのように口を開けた大穴の中になす術なく吸い込まれていく。
死んだ。
ただ休日を満喫しに秋葉原に来ただけなのにまさかこんな事になるなんて……。
こんなに短い人生で死ぬ――有り得ない、認めたくない。
目から涙が吹き出した。寄せ集めの想い出が走馬灯のように脳裏を駆け抜け、最後には頭の中が真っ白になった。そして俺は生きる希望を閉ざしたまま漆黒の闇の中へと消えていった。
…………。
……。
顔の表面に生暖かい微風が吹き付ける。そのこそばゆい感覚で意識が戻り、自分がまだ死んでいないという事実がわかった。
意識は朦朧としていた。重たい瞼をうっすらと開け今の置かれた状況を確認する。
建物の瓦礫が目の前に散乱している。それにどこかで見たような飲食店の看板がひん曲がった状態で地面に突き刺さっている。
(ここはどこだ?)
渾身の力を腕に一瞬入れて、倒れた身体を立て直した――そして首を横に向けた瞬間、そこには男性の死体があった。
「うわぁああああ!」
生まれて初めて生の死体を目の当たりにして思わず叫び声を張り上げた。呼吸が激しくなり、心臓の鼓動が耳にまで伝わってくる。
周囲を見渡すと、そこはさっきまでいた秋葉原とはまるで別世界の街になっていた。全ての建物は損壊していて、元が何だったのかわからないくらい形状が変わっている。まるで戦争でもあったかのような雰囲気が街を覆い尽くしている。
「あ、電話!」
錯乱状態のままスマホを取り出し、暗くなっている画面を指で強く擦った。すると画面に明かりがつき機動状態となった。どうやら壊れてはいないようだ。
それに幸運なことにアンテナの電波が三本立っている。これなら電話を掛けることができる――早速、登録されている実家の電話番号に掛けた。
呼び出し音が鳴り続ける。一回、二回、三回――。
――そしてプツッという呼び出し音が途切れる音がした。
「もしもし母さん! 聞こえる?」
キィ―――――――ン!
「ぐっ!」
突然視界が歪むほどの甲高い雑音が耳元に響いた。その影響で頭痛が起こり、しばらく目を開けていられない状態になった。
これでこの現象に会うのも二度目だ。しかも最初に受けた音よりも遥かに大きく感じられた。頭の中がグシャグシャにされたような不快な感覚がじっとりとまだ脳内に残り続けている。
「フゥー……ハァー」
正気を取り戻そうと、一旦呼吸を整える。
スマホを再び操作して、ここが現実でないことを調べてみた。方法はさっき秋葉原で撮影したラジオ会館の写真があるかどうかではっきりするはず――。
「はっ! ……嘘だ、そんな……」
写真は存在していた――身体の細胞が一気に凍りつくような嫌な感じが走る。
これは現実、夢ではない。
「どうして…どうしてこんな事になったんだ」
不意に空を見上げた。そこにはさっきまでの広々とした青空はなく、淀んだ灰色の暗雲が空一面に広がっていた。




