イズディスユアハウス?
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急な展開すぎて、背中に少女を背負っていても、あまり現実味はわかなかった。そのせいか、予想していたよりかは、もう一人の少女を置いてきたことに関しての罪悪感もなく、無関係な市民を装って警察に通報したことですっかり晴れてしまう程度のものだった。それでは遅かったかもしれないのに、とりあえず義務だけ果たせば、満足してしまう。その程度の良心しか、僕は持ち合わせていない。いや、良心ですら無いんだ、と気づく。ただの義務としてしか、人を助けられない。自発的じゃない。今も、自分で投げとばしていなかったなら、果たしてこの子を背負って逃げたかどうか……なんて曖昧な表現で濁すのはやめよう。僕はきっと、無視を決め込んだはずだ。
心ない、最低な人間。もしくは、人間失格。
それについて思うところがないではないけど、感情の問題を理性ではどうこうできないと先程も言ったように、僕に関することであるけれどこれはある意味僕を超えた事柄なので、どうすることもできないのだった。あの子を好きになろうと懸命に努力した所で好きになれるものではないのと同じように。
つまるところ、心の問題はどうしようもない。そしてどうしようもないことを考えていられるほど、今の僕は暇じゃない。
「あのっ、助けて頂いて、ほんっとうにありがとうございました!」
三つ指付いて頭を下げる純花という女の子。いや、その前に殺しかけたからそんなお礼を言われる筋合いじゃありませんとか、友達の女の子は大丈夫だろうかとか、そもそもなんで追われていたんですか……などなど、いろいろ言いたいことはあるがまず最初に言うべきはこれだろう。
「あの……なんだろう、ここ?」
典型的な空き地。そこに何故かはわからないけど、お約束のように中央にでん、と重ねて置いてある土管。ピラミッド状に積まれたその最下部の一本の中で、僕と彼女は向き合っていたのだ。まさか人が入っているなんて誰も思わないだろうから、それはもしかして隠れ家としては優秀なのかもしれないけれど、彼女はにぱっと笑って、
「私の家です」
そう言い切った。
いいえ、これは土管です。
……。
嫌な予感は、していたのだ。土管の中が色とりどりの折り紙でファンシーに飾り付けられていたり、毛布や、タオル、飯盒など、生活に必要と思われる機材が箱の中にまとめて入っていたり、入り口がダンボールで塞がれていて、少し暖かかったり。
でも、それでもまさかだった。
「君は、ここで暮らしているの?」
「はいっ!」
恐る恐る問いかけると、花マルをあげたくなるくらい快活な返事が返ってくる。そこにありうべき悲壮さは微塵もなく、それが更に哀愁を増していて、薄情なはずの僕の胸の中からですら、何かが軋む音が聞こえてきた。
逃げるのに必死で今まで気づかなかったけれど、よく見れば彼女の衣服はとても汚れている。髪は艶をなくし、ところどころはねてもいるし、白い顔には泥はねの跡があり、手はあかぎれてかさかさだ。本来なら上に『美』がつくだろう可愛らしさがところどころから覗けるだけに、少女のその外見のみすぼらしさは、憐れを誘って止まない。
「あの、君はいくつになるのかな?」
「今年で、十六歳になります」
同い年……意外だった。……しかしどうみても、中学一年生より上には見えない容貌だ。こんな生活をしているから、栄養が足りないのか? などと考えだしてはいけない。もうそろそろタフで知られる僕の心臓も耐圧限界を迎える。
あ、もう遅かったかも。
「人の生き方はそれぞれだろうし、若いうちの苦労は買ってでもするべきものなのかもしれない。僕は君の事情を知らないし、おせっかいを焼いていい間柄でもない。だから無礼を承知してはいるんだけど、それでも言わずにはいられないんだ」
前置き、長いな。興奮しているのだろうか、意外に饒舌に語る僕。しかし本当に言いたいことは、次の一言に集約する。
「危ないよ。こんな所に、女の子が一人で住んでちゃ」
そこだけ言えばいいんじゃないか? そういうのは、大体後になってから気づくものだ。
少女は、困ったような笑みを浮かべている。
「ご心配、ほんっとうにありがとうございます。あはは。でも、けっこう大丈夫ですよ。あう、こういうのなんて言うんでしたっけ? 住めば……ミカド?」
「都、だね」
住んだ所で独立宣言でもするなら、ミカドでもいいけど。
「あや、雨が降ってきましたね」
土管の中に入っているので、雨音が外より聞こえやすい。少女は耳ざとく察知し、「ちょっと失礼します」と言って土管から出ていった。最初はぽつ、ぽつ、という感じだったのに、すぐにバケツをひっくり返したような豪雨になり、土管の中では雨音のゲリラライブが展開された。うるさくて、何も聞こえない。やはり住めば都と言っても限度がある。大体誰が考えた言葉かしらないけど、その人が土管で暮らす人間も想定していたとは思えない。
「あ」
水に濡れた玄関が、へたって崩れ落ちた。まぁ紙だからしょうがない。玄関が壊れると、外の惨状が目に飛び込んできた。まず雨で地面が柔らかくなっているためか、土管が少し地面の中に沈み込んでいる。すると当然、泥水が中に侵入してくるわけで、堰き止める玄関も今はない、泥流が、室内に我が物顔で侵入してきた。
こんな少量の雨で、床上浸水するなんて……。
弥生人だって高床式住居に住んでいたのに、あんまりだった。今はトゥエンティーファーストセンチュリーですよ?
……ふぅ。
慌てて外に出ると、少女はおおわらわで外に置いてあったゴミ……もとい生活必需品を、二段重ねの土管の内、上のものに退避させていた。大体ダンボールが関連しているので、濡れたらまずいのだろう。
「あう、すいません! 一階はもうだめですか!?」
ちょこまかと忙しく走り回りながらも、外に出てきた僕を目ざとく発見して、彼女は声を掛けてくる。僕の頭には濡れ鼠、なんて言葉が一瞬浮かんだ。
「手伝おうか?」
「いえー、二階でおくつろぎくださーい!」
二階というのか。これを二階というのか。一日本語ユーザーとしては釈然としない思いを抱えながら、僕は上の土管へ体を滑りこませた。しかし……この時もう少し考えておくべきだったのだ。言われるままに上へ上がってしまったけれど、土管というものはその性質上円筒形をしている。下には二本の足場があるといっても、その二本も円筒形。言うなれば円筒形の上に円筒形を重ねる円筒形ピラミッド。幼少期に積み木に親しんだ諸氏にはお分かりだろう……というより、人間なら一目見れば直感的にわかるはずだ。
あ、これヤバイな、と。
そう、この家……もとい土管、著しく不安定なのである。
見た感じ小学生の彼女が乗っても、それは問題なかったのかもしれない。しかし僕は、身長百七十三センチ体重六十五キロで、年齢に比して小さい方ではない。寧ろちょっとでかいし、ちょっと重い。体脂肪率は七パーセントだから太ってるわけじゃないんだ、と慌てて補足しておかないと問答無用でデブ認定してくるやつもいる、そんな体重なのだ。
つまるところ、大崩壊である。
土台の一本が弾かれたように転がりだして、上の土管の中にいる僕は、束の間の無重力を味わう。次いでドスーン! と地面を揺るがす轟音が響き、腹部に鉄球でもぶつけられたような衝撃がして、更に僕は強かに天井へと頭をぶつけた。大した高度ではなかったけれど、周りがコンクリの壁に囲まれているせいで、恐ろしい程のダメージを負ってしまった。口元まで、すっぱい胃液がせり上がってくる。部屋……もとい土管を汚すわけにはいかず、ほうほうのていで這い出して、地面へ向かって吐き出した。うげ。
そして、見る。
転がり出した土台の土管は、地面が濡れていて摩擦が少なくなっていたためか、止まることなく延々とごろごろ転がり、なんと隣家との塀をぶち壊して、そしてあまつさえ高そうな外車にぶつかって満足したかのように、やっと止まる。
……。
ゴゥン! と雨中であっても結構な衝撃音が、した。べっこりと車のフレームがへこんだ。どうしたどうしたと好奇心旺盛な近隣住民の方々が、競うように外へ出てくる。
これは端的に言って。
まずい。
「あわわわわわ」
少女はただ目を回している。
これでは会話は無理そうだけれど、これはしょうがないかもしれない。ひっくり返っていないだけ上等な部類だろう。寧ろここに至って冷静さを失わない僕はなんなのだろうか。多分、今日はおどろくべきことに遭遇しすぎて、脳を驚かせるためのドーパミンとかノルアドレナリンとかそういう、エネルギー的なものが枯れてしまったのだろう。
僕は土管の中をざっと見て、重要そうなものだけをひっつかみ、あわあわ目を回す少女の手を取って、脱兎のごとく逃げ出した。
伝家の宝刀逃げるコマンド、本日二度目である。ちなみに命を削る最終奥義なので日に三度が限界です。
「ま、マイホームがー!」
名残惜しそうに、走りながらも肩越しに空き地をみやる彼女に、僕はこんどこそ我慢できず言ってしまう。
「いいえ、あれは土管です!」