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勝ち組マンションで一人暮らしを始めますよ? 2

 何を話そう、なんて考えてはいけない。基本的に会話は出たとこ勝負の方が上手くいくというのが僕の持論だ。隣の部屋の前に立ち、すっと一息吸ったらノータイムでチャイムを押す。こういう割り切りが出来るからか、実は人見知りなんだ、と告白してもあまり信じてもらえないことが多い。けれど、紛うことなく今僕の心室では、ヘビーメタルなビートが刻まれている。

 本格的に緊張しだす前に早く出てきてくれないかな、と気を揉んでいると、ガチャリとチェーンロックを外す音がした。

 あれ?

 ……そもそも入居者以外はフロントから入れないようになっているのだから、随分用心深いんだな、と疑念……というほどのものではないけれどひっかかりを覚えたのも束の間、それは即座に氷解した。

 なるほど。それは確かに、用心深くもなる。

「……どちらさん、ですかのぅ……」

「ひぃいいいいい!」

 冥府から響いてくるかのような、低い、ドスの利いた声! 瞳孔が定まらない三白眼! 上半身はサラシを巻いているだけで殆ど裸! そして肩口から見事な竜の刺青がコンニチワしている! それは僕内蔵高性能スパコンの分析によれば、ヤから始まるバイオレンスな営利集団のご所属である確率、九十九点九九九九(シックスナイン)

 ああでも、なんとか挨拶しなきゃ。

「お、おひけぇなすって!」

 あああ! 違う!

 会話を出たとこ勝負モードにしていたため、僕の口からは頓狂なセリフがまろびでた。仁義を切ってどうするというのか!? いや、それはある意味では正しいのだけれど。慌てて口を手動モードに切り替えて、続ける。

「手前生国と発しまするは……」

 馬鹿、お前、切り替えられてない!

 ヤクザ屋さんは、当然ながらご立腹のご様子でした。

「ナメとるんかいのぅ! ワリャぁッ!」

 ひぃいいいいいいい!

 流石にこれでご飯を食べているだけのことはあり、僕の心臓は素手で掴まれたかのようにぎしぎしと痛くなった。ヤクザ屋さんに怒られた経験のない方は、幼少期、本気で怒りだした母親を前にして反論も許されずえぐえぐと涙を零しながら頭が真っ白になってなにか風邪でも引いたような気分の悪さに襲われ真剣に殺されるんじゃないかと不安でたまらなかった時のことを思い出して欲しい。大体、その十倍くらいだ。

 ところで聞いた話によれば羊は、凄まじい衝撃に襲われるとひっくり返って失神してしまうそうだ。けれど、僕もひっくりかえりそうだった。というかもしかしたら、後ちょっとでも睨まれていたらひっくり返っていたかもしれない。

「堅気の学生さんに、なにすごんでやがんでぃこのドサンピンがぁ!」

 うわ!

 男らしいバスの重厚な声が聞こえたと思ったら、僕に凄んでいたヤクザ屋さんは僕のすぐ脇を弾丸のような早さでいきなり廊下に蹴り出された。

 え? なに? なんで!?

 まぁとりあえずは心から安堵しているわけですけれど!

「申し訳ねぇ、学生さん」 

扉が全開に開いて、声の主、というより救い主が現れた。

「後でよく言って聞かせますんで、今日の所は勘弁してやってくだせぇ……ってあ、貴方は……?」

 サングラスに、きっちりしたオールバック、濃い口髭。細いながらも筋肉質な長身を、かっこ良く黒のスーツに収めている。ダンディズムの極地のようなその風貌は、一見して只者ではないことを感じさせる。しかし、その彼がどうしたことか、どうやら僕を見て焦りを感じているような……?

「こ、こいつぁ……いけねぇ」

 サングラスのせいで表情が読みづらかったけれど、その一言で、疑念は確信に変わった。疑問であることに変わりはないけれど。とにもかくにも、関わり合いになるのは御免被りたいので急いで挨拶して退散しようと口を開いた……その時だった。

「トシ、どうかしたか?」

 二度あることは三度ある。ヤクザ、ヤクザ、と来たら次もヤクザが出てくるのが道理だろうけれど、ここ最近、世界の法則がおかしいらしい。

 渡り廊下の突き当り左の部屋。僕の部屋と間取りが一緒なら、そこは一番大きな寝室がある場所のはずだけれど、そこから、

 見目麗しい、黒髪の少女が現れたのだ。

 むさ苦しいヤクザを二人も見た後だから、相対性理論に基いて美しくみえたのでは断じて無い。

 彼女の美しさは、精緻を極めている。

 真に美しいものを見た時、人が行う行動は唯一にして無二だという。そんなわけあらへんがなと今までは思っていたけれど、僕は今、遅ればせながら間違いを悟った。

 認めよう。真に美しいものを見た時、人が行う行動は唯一無二。

 すなわち。

時よ止まれ――と、祈るのみ。

 月に二回ぐらい自分で自分をもしかしてアンドロイドなんじゃないかと思ってしまうほど感情の起伏が乏しい僕をしてここまでの感動を与えるのだから、彼女の美しさは推して知るべし。ミス・ユニバースの百倍は綺麗だからミス……なんだ。宇宙より大きい単位ってちょっと思い付かない。ミス他世界網羅的全宇宙とかどうだろうか。なんかミスが酷く場違いだ。というか中国語になっている。全称記号∀を使ってミス∀とかどうだろうか。分かる人にだけ分かる感じがいい感じにスノッブだ。しかしそうするとミス・ユニバァアアアス! なんて連想が出てきてしまうな。いや、意外とミス・ユニバースより強そうで結構アリか? 

 などと、いつもと変わらぬ戯言にふけっている間(持病です)、彼女もダンディな人もいかにもなヤクザの人も誰一人として微動だにしなかった。いくら僕の心中思考速度は常人の十倍は速いとはいえ、多分十秒くらいは経過しているはずなのだけれど。時よ止まれと祈った舌の根も乾かぬうちではあるけど、周りの人間が十秒もの間凍りついたように動かないというのは、やっぱり不気味だった。

 そして時は動き出す、とかなんとか言うべきなのだろうか? 迷っている間に、凍れる時は愉しげな笑い声によって溶かされた。

 「ははは! なるほど、『引越しの挨拶』か! 天才というやつは概して俗人の常識に疎いものだが、俗人の常識に疎くても生きて行けるから天才と呼ばれるのであるが、いやはや、存外その性質は致命的なものなのかもしれないな。才能と引き換えでは割に合わない可能性すらある。全く、舞台の幕があがる前に楽屋がのぞかれては、どんな演出家も型なしだ。いや、喜劇としてはこれ以上の始まりの仕方もないがな、ははは!」

 腹を抱えて、少女は笑う。彼女の言っていることはよくわからなかった。どうも長台詞だと意味を解する前に次のセンテンスが飛び込んできてしまって、消化不良に陥ってしまう。どうも頭が内省に特化しすぎて、外からくる情報に弱いらしい。

 しかし、今がどういう状況なのか皆目検討がつかないのは、一概に僕のお粗末な脳みそだけが原因、というわけではないだろう。

 ヤクザのお部屋に、絶世の美女が一人。そして彼女は僕を見て腹を抱えて笑っているのだ。果たして第一線で活躍する科学者でも状況が理解できるかどうかのカオス具合。僕などは混乱してしまって、自分が次どう動くべきか全くわからず、フリーズを続けていた。

 ダンディなおじさんが廊下に膝を付いて頭を下げる。床に着くまで。

「すいやせんでした、お嬢。かくなる上はエンコも覚悟しておりやす」

「なに、これは策に溺れた私の落ち度だ。許しを請うなら私の方だろう。許せよ、トシ」

 大の男、それもダンディが少女に対して土下座するのでさえ、充分すぎるくらい奇異な光景なのに、それをあしらう少女の様子がいかにも堂に入っていて、奇異の二乗だった。ここまでの全体状況のおかしさも含めて、倍率ドン、更に倍。スタンド使いが二人はいないとありえないほど、ここは奇妙な空間だった。

 ん……? 待て、奇妙といえば、そうか。

 ここにきてやっと、僕は自分が取るべき行動が分かった。

 こんな奇妙な状況においても、まだ僕にはたった一つだけ、事態を解決に導くとっておきの策が残されている。

 それはRPGなんかだと、大体一番下にあるコマンド。

 つまり。

 逃げるんだよォ!

 けれどピンチの時ほど、確率にたよると失敗する。後一撃で撃破される時に限って、命中二十パーセントの攻撃は当たる。

 ぼくはにげだした!

「おっと、何処へ行こうというのかな?」

 しかし、うでをつかまれてしまった!

「私とて、挨拶に来た客人を門前で払うほど常識知らずではないよ。ましてや、十年ぶりに再会した愛しい君を、このまま返すわけにはいかないな」

 待て、今なんて言った? 愛しいと言ったような気がしたのだけれど、人の話を聞くのは大の苦手な僕だ。確信が持てない。

 何か返そうともごもご口を動かしている内に、彼女はそのまま腕を引き寄せて、半ば無理やり僕を部屋へと誘った。腰に手を回して――まるでダンスでも踊り出しそうな至近距離。彼女の甘い匂いが僕の鼻腔をくすぐり、そのせいで余計口が回らない。けれど、もし今の僕の心情を四百字以内で述べよという問題が出されたのなら『最高。死んでもいい。寧ろ死にたい』が正解。本人が言うんだから間違いない。ただ外面的には悲しいことに、思春期の少年の性としてド緊張に固まった顔がそこにある。でもさっきも言ったように寧ろ幸福の絶頂で、この描写に釣られて『緊張している』と書いた奴は減点だ。

 そんな僕の表情を見て、彼女はクスクスと笑う。

「何を緊張している? 長い時を隔てたとは言え、知らぬ仲でもあるまいに」

 はい減点。

 しかし疑惑は、確信に変わった。

「君は僕を、知っているの?」

「……」

 彼女は表情を無くす。

「まさか君は、忘れてしまったというのか。自らの伴侶を?」

「……もし本当にそうなら魂からごめんなさい。そして死ね僕。……でも正直な所、僕には君の記憶が無い」

「ちゃんと検索したか? この目、この鼻、この唇。以前は猫を被っていたゆえ印象は違うかもしれないが、容貌は変わらないはずだぞ?」

「……君の人違いという線は?」

「私、六波(ろくは)()紫苑(しおん)は決して誤らない。失敗することはあってもな。しかしいきなりそんなことを言われても信じられるものではないだろうし、君が記憶の想起に専念できるように客観的な証拠を示そう。君の名前は貴宮明影(あてみやあきかげ)。そうだろう?」

「……貴宮?」

「まさか、本当に違うのか!?」

「いや、そうです。そうだ。僕は貴宮明影」

 そして名乗っていないのに名前を知られている……ということはやはり、僕と彼女は知り合いだったんだろう。しかし記憶の底の底までさらっても、彼女のことは思い出せなかった。こんな美人と知り合ったのに忘れているようじゃ、男としていよいよ終わりかもしれない。草食系とか通り越してカテーテル系男子だろう。

 表情から僕が彼女のことを完全に覚えていないことを察したのか、彼女――六波羅紫苑さんは狼狽し始めた。

「おいおいまさかまさか。さっきからカメラを探しているんだがどこにあるんだ? どっきりはここらへんでいいんじゃないか? あまり引っ張っても面白い表情なぞ決して見せないぞ私は。やめろやめろ信じないぞ嘘だといってくれどうにかして思い出せぱんと手を叩いて頭上に電球でも光らせてくれ金なら言い値で払うからだから」

「ごめん、思い出せない」

 聞いた話によれば、あまりに衝撃を受けると羊はひっくり返って失神してしまうらしい。羊も人間も哺乳類だしもしやと思わないわけではなかっけれど、ここに憶測は確信へと変わる。


 彼女、六波羅紫苑さんは、ひっくり返って、泡を吹いた。




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