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勝ち組マンションで一人暮らしを始めますよ?

 ――春が来た。この季節を好むか嫌うかによって大体その人の性格が分かるというのが僕の持論である。え? 春って基本めでたいものじゃん? と疑問に思った貴方は自分が恵まれた気質の持ち主であることを神か親に感謝した方がいい。春ははっきりとした両義性を持っている。すなわち『出会い』であり『別れ』であり『始まり』であり『終わり』。寧ろどんな季節よりも好き嫌いが別れて当然と言えるだろう。春を楽しめる人は、人生を楽しめる人だ。

 ちなみに。

 僕はどちらかと言えば、嫌いだ。

 春には決まって、嫌なことが起こる。だから嫌いなのか、元々春が嫌いだった僕のネガティブなパワーが、悪いものを引き寄せているのかは分からない。うえに、そんな議論は無意味だ。重要なのは事実。起こったこと、だ。例えば今年なんか、大都会東京から都落ちして、こんな辺境都市に流れ着くという悲惨な事態が発生している。辺境都市なんて呼ぶのは住民の皆々様に失礼かな、とは思わなくもないけど、東京帰りのシティボーイに素直に語らせれば、自然とそんな表現も出てきてしまう。

 N県N市、要はそんな都市だった。

 駅前のヅャスコの御威光が、かなり眩しいぜ。

 しかし、ぼやいてばかりいても仕方がない。僕はヅャスコに手を合わせて挨拶をした後、荷物を満載したスポーツバック(なんと八キロもある)を担いで、駅を出た。十年前、三ヶ月だけ滞在したことがあるだけだったから、かなり不安だったけれど、不安とは裏腹に僕は案外道を覚えていて、迷うことなく、新居にたどり着くことが出来た。ていうか、超駅から近い。迷う隙がない。大体不動産の広告にある駅から徒歩~分という表記は徒歩~でつけたらいいねという隠し文字が火で炙るとでてくるものだけど、これは正に駅から徒歩五分。当初の予想を裏切り僕の腕が八キロのバックにへし折られる前に、そびえ立つ十五階建てのシティマンションを仰ぎ見ることが出来た。

 ……うわ。

 それは写真で見てはいたけれど、とんでもない建物だった。人生に成功を収めた三十代がなんとかやっと住めるぐらいの、そんなマンション。まかり間違っても一介の高校生が一人暮らしをする建物ではない。ないけれど……まかり間違って僕がここで三年間暮らすことになった顛末といえば、こうだ。

僕の父親は、警察庁で働く公務員……所謂官僚だった。あまりご存知ないかもしれないけれど、中央省庁の官僚というものは、地方に行ったり中央にいったりを数年おきに繰り返す、いわば参勤交代みたいな勤務制度を持っていて、その息子である僕は、自然いろいろな土地で暮らしていた。このN県N市もそんな転勤先の一つだったのだけれど、なぜだか僕の父親はこの地をいたく気に入り(ということになっているが、セールスマンに上手いこと乗せられたというのが真実な気もする。だって何の変哲もない街だ)なんとマンションまで買ってしまった。しかし駅近物件とはいえ、誰が好き好んでこんな田舎に住み着こうというのか(失礼)。案の定、借り手不在のまま長い年月が経っていた。

 そこで僕の出番……と一足飛びにいくのは片手落ちかな。いくら、家というものは使っていないと劣化が激しくなるものだとは言っても、普通十六歳の男子高校生(予定)が、そんな理由で親元を離れはしない。そんな理由で息子を辺境都市に飛ばしたのだとしたら、鬼親のそしりを免れないだろう。そして、僕の親は鬼というより仏か神だ。じゃあなんでこんなことになったんだ、と先を急がれるのは当然のことで、僕もこんな風にぐだぐだと回り道せず、すぱっと言い切ってしまいたいのだけれど、如何せん、それを騙るには自分の不甲斐なさを暴露しないわけにはいかないので気が重い。けれど、まぁ、そう、一言で言ってしまえば、

 僕はこの田舎にある高校しか、受からなかったのだ……。

 ……。

 少しだけ、弁解させて欲しい。

 何も僕の頭が壊滅的に悪かった、というわけではないのだ。なにせ、父親は高級官僚で、当然のごとく東京大学出身だし、母親は母親で御茶ノ水女子を優秀な成績で卒業した才女。いくら不肖の息子といえど、理論的にある程度のラインを下回るはずがない。だけれどしかし、そんな偉大な親から生まれた子供としてのプライド、それを満足させるには些か能力値が足りなかったようで、まぁぶっちゃけた話高望みしすぎて、受験校全てに落っこちたのでした。

 そして、あわや中学浪人、と言ったところを(大きな声では言えないが)父親のコネで、このN県N市にある私立根ノ堅州学園高等部に滑り込んだ、という次第である。

 うん、なんだろう。改めて概観すると、最低だった。冒頭に、恥の多い生涯を送って参りました、なんて書いてあってもいいくらいに人間失格だ。親に合わせる顔がないので、正直、これから一人暮らしというのは救われる。もしかしてそういう点も考慮に入れて、父さんはこの学園を選んでくれたのだろうか? だとしたら、つくづく僕には勿体無い親だった。恩に報いるため、今度会う時までには多少マシな新しい顔を用意したい。ジャムのじじいに頼んでおこう。

 閑話休題。

 そんなわけで僕は決意も新たに、ホテルのような一階フロント(なんとコンビニとカフェが入っている)を抜け、十三階にある僕の部屋……というか家へと向かう。なんとなく自分を罰したい気分だったので階段で行こうとも思ったのだけど、階段は三階までしか続いていないらしく、おとなしくエレベーターを使うことにした。

 とぅーん……チン! と楽々十三階。1313号室、ホッケーマスクをかぶった怪人がまず真っ先に襲うとしたらここしかない部屋が、僕の部屋だ。

ここが……僕の……とか期待に胸を膨らませながら新居を外から眺める描写も入れたかったのだけど、いかんせん栄転というわけではないので膨らませる胸がない。寧ろ島流し。寧ろ罪人。僕はすごすごと重厚なスチールの扉を開けた。

 すると……

 あの、クロスの接着剤やらワックスやら塗料やらの匂いが混じった、新築特有の匂いが鼻につく。恐る恐るこんな部屋には場違い極まりない汚いスニーカーを脱いで玄関に上がる。泥棒みたいな心境でぴかぴかの、やたら長く、開放的な廊下を歩くと、突き当りには寝室があった。その寝室の隣も、寝室。そして突き当り右手側には、一番大きな寝室。

 ……三つ?。

 置いといて、先を急ごう。

 突き当りを左に曲がり、トイレとシャワールーム(もちろん別々である)を抜けると、そこにはリビングがある。リビングのはずなのだけど……僕の目にはダンスフロアにしか見えない。なんでダンスフロアにソファーとテーブルがあるんだろう? 邪魔じゃね? と思えてしまう。確か、リビングは二十二畳と聞いていたが、現代っ子である僕には畳で説明されてもよくイメージできていなかった。のだが、なんて広いんだ二十二畳。正気の沙汰じゃない……。そして広さもそうだけど、リビングは全面ガラス張りになっていて、周りに高い建物もないので、雄大な景色をどこまでも見渡せる。なんと、あれほどの威光を放っていたヅャスコも遥か下方に小さく見えるだけなのだ。なんだか天下人のような気分になれる、そんな景色。部屋に入りきるか心配だった、実家から持ち込んだ三箱の引越し用巨大ダンボールは、気づいたら隅っこに固まって置いてあった。何か悲しい。メリケンの人は日本の家を見て「なんだいこのうさぎ小屋はHAHAHA!」と言うらしいけど、その反対が今の僕の状況だろう。なんだいこの巨人の家は? クレイジーだぜ!

 いやホントに。

 こんな場所で一人暮らしだって?  どこの王族なんだ、僕。

 誤解があっては困るので補足しておこう。高級官僚というものはなんとなく、毎夜料亭でげへげへいいながらふぐ刺しをつついているイメージがあるけれど、基本的にそんなにお金を持っているわけではない。父親の年収なんて詳しくは知らないし聞けないけれど、なんでも父さんが就職したバブルの時期では、民間との給与格差は数倍もあり、『公務員に行く奴は馬鹿だ』なんて言われていたものらしい。安定はしているけれど、こんなマンションを購入できるほどお金があろうはずもない。

 つまり、シンプル2000シリーズTHE 庶民の僕である。あるけれど、はてさて人生というのはわからないもので、こんな贅を極めた3LDKで、一人暮らしを開始しようとしている。     

 見たところ、必要な家具は全て備えられているようだった。三つある寝室の内、一番大きな部屋(十畳もある)に荷物を運び込んで、とりあえず当座必要なものだけ取り出そうとダンボールを開けるとすぐ、自分では入れた覚えのない、東京土産としては一番無難な品であろう有名お菓子『東京あぼかど』の緑色の包みが目に入ってきた。丁寧に包装された包みには、手紙が結わえられている。宛名は僕になっているので何の気なしに開いてみると、そこには母さんの字でこう書かれていた。

 『春爛漫の季節を迎えました。息子殿におかれましては、新しい門出にさぞやその若い胸の内を希望に……(以下略)』

 便箋四枚にわたって長々と書いてあるが(果たして息子への手紙に時候の挨拶はいるのか?)、要するに着いたらまずこの菓子折りを持って近所に挨拶回りに行け、ということらしい。近所付き合い、とは東京においては廃れて久しい文化であるけれど、ここは東京ではなく辺境都市N県N市。郷に入っては郷に従わなくては行けないということは理解できる。わりと人見知りする方である僕としては正直気が重いのだけれど、嫌なことは早めに済ませておきたいタイプの人間でもある僕は、軽く身だしなみを整えて、『東京あぼかど』を二包みひっつかんで外へ出た。


つづく


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