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結婚式の花嫁を妹に替えるそうなので、私は帰ります

作者: 百鬼清風
掲載日:2026/11/04

「今日、ティボー様と結婚するのはアリックスよ。あなたは花嫁の座を譲ってちょうだい」


 結婚式まであと半刻。控室に入るなり、母はそう言った。


 隣にいる妹も純白の花嫁衣装を着ている。胸元の透けたレースも、子供が何人も持たなければ運べないような長いベールも、姉に遠慮して選んだようには見えなかった。


「お母様。それは誰がお決めになったのですか?」

「わたくしよ。二人はずっと愛し合っていたの。姉なら喜んであげられるでしょう?」


 アリックスは母の腕にすがりながら、私を見る。


「ごめんなさい、お姉様。でも、ティボー様はどうしてもわたしがいいって。愛されないまま結婚するより、よかったと思わない?」


 膝に置いていた手袋をたたんだ。


 妹は昔から、私の持ち物を欲しがった。リボンも、誕生日にもらったブローチも。母は決まって「姉なのだから」と言い、私が断ると、譲るまで不機嫌になった。


(結婚相手まで妹に譲れって? リボンじゃあるまいし)


「ティボー様を呼んでくださいませ」

「お姉様、責めないであげて。好きになってしまったものは仕方がないのよ」

「ご本人のお考えを伺うだけよ」


 ほどなくして現れたティボーは、花嫁衣装を着た私たちを見ても、気持ち悪いほど驚かなかった。妹の隣に立つと、悪びれもせずに言った。


「アポリーヌ、君には悪いと思っている。だが、僕が愛しているのはアリックスなんだ」

「わたくしとの結婚はお望みでない、と受け取ってよろしいのですね?」

「ああ。君はこれまでよく僕を支えてくれた。だからこそ、僕たちの気持ちも理解してくれると信じている」


 侯爵家の親戚の名前を覚えたり、彼の代わりに退屈なお茶会に出席したり。キラキラの妻になるために続けてきたことも、もう必要ないらしい。


 改めて彼の顔を見つめた。結婚が決まった頃は、会う日を楽しみにしていたこともある。けれど、待ち合わせをすっぽかされても、話を途中でぶつ切りにされても我慢するうちに、そんな気持ちは消えていた。


 今日まで結婚するつもりでいたのは、父と交わした約束を守りたかったからだ。


「わかりました。わたくしも、あなたとは結婚いたしません」


 二人に微笑んだ。


「お二人とも、どうぞお幸せに」

「……それだけか?」

「ほかに何か?」

「いや。泣かれても困ると思っていたんだが」

「でしたら、困らずに済みましたね」


 ティボーが黙り込むと、隣にいたアリックスが私の顔をのぞき込んだ。


 控えていた侍女に、婚礼の後で着る予定だったドレスを出してもらった。母が何か言い出す前に、着替えるからと三人に退出を頼んだ。

 花嫁衣装を脱ぐと、思った以上にスッキリした。昼からずっと締めつけていたコルセットも、さっさと緩めてもらう。


 控室を出たところで、母に呼び止められた。


「どこに行くの?」

「家に帰ります」

「何を言っているの。妹の結婚式なのよ。最後まで出席なさい!」


 妹とティボーも、廊下の先でこちらを見ている。母は声を抑えて続けた。


「あなたがいないと、お客様に何と思われるか……」

「花嫁でないのなら、ここにいる必要もございませんでしょう。それでは失礼いたします」


 母に一礼し、侍女とともに馬車に乗る。


 国王陛下が取り決めた婚約なのだから、勝手に花嫁を替えられるはずはない。私が出席したところで、どうにかなる話でもなかった。


(さて、あの三人、これからどうするんだろ。ちょっと見ものだな)


 馬車が動き出しても、窓から式場を振り返る気にはならない。


(今夜、何食べようかな?)


 朝からろくに食べていないことを思い出し、献立を考え始めた。


(せっかくだし、誰にも遠慮しないで、うんと豪華なの頼んじゃおう!)


◇


 伯爵邸の私室に夕食を運んでもらう頃には、窓の外は暗くなっていた。


 普段着に着替え、牛肉の赤ワイン煮をひと口食べる。よく煮込まれた肉はやわらかく、バゲットを添えればソースまで残さず楽しめる。デザートにはイチゴのタルトも頼んである。


 私が好物を頼むたび、母は「アリックスが嫌いなものなのに」と文句を言った。ティボーと食事をするときも、彼の好みに合わせてきた。

 けれど、今夜は一人だ。赤ワインをもう少し注いでもらい、椅子に座り直す。


(そっか。明日からはもう、ティボーのご機嫌なんて取らなくていいんだ)


 そう思うと、つい口元が緩んだ。


「こんな時に、よく食事なんてできるわね!」


 勢いよく扉を開けたのは母だった。後ろには、まだ花嫁衣装を着た妹がいる。


「あなたが勝手に帰ったせいで、結婚式が台無しよ!」

「花嫁はアリックスでしょう。わたくしが帰ったことと、何の関係がございますか?」

「あの司式者が、式はできないと言い出したの。国王陛下がお認めになった花嫁と違う、ですって。お客様の前で!」


 アリックスは乱れたベールを頭から外した。


(いやいや、なんで私のせいになるのよ!)


「ティボー様が、愛し合う二人の邪魔をするのかって怒ってくださったのよ。それでも駄目だと言い張るんだもの。結局、お客様もみんな帰ってしまったわ」

「それは残念でしたね」


 母はテーブルのそばまで来た。


「あなたが残っていれば、納得して譲ったと説明できたでしょう」

「わたくしが説明するだけで花嫁を替えられるのなら、司式者の方もお止めにはならなかったのでは?」

「お姉様がティボー様を諦めたのなら、わたしたちの結婚を認めてよ。陛下にもそう言ってくださればいいのよ」


 妹は私の返事も待たず、母に同意を求めた。二人がうなずき合うのを見て、ナプキンを膝から外す。


「どうぞ、ご自由になさって。ただし、もう関わらないでくださいませ」

「アポリーヌ!」

「お話は終わりました。夕食の途中ですので」


 侍女に扉を開けてもらった。


 母は出ていくまで私をにらみ続けていたが、引き留めるつもりはない。扉が閉まると、運ばれてきたイチゴのタルトを自分で切り分けた。


◇


 翌朝、ロイクが来たと聞き、鏡の前で侍女を振り返った。


(えっ、なんでうちに? ヴァルドワ王国の王弟殿下が?)


 彼とは王宮で何度も話したことがある。けれど、私の結婚式が近づいてからは会う機会が減っていた。

 階下では、母がいつになく愛想のよい声で彼を迎えている。


 社交界では、美しい顔立ちに金髪と碧い瞳、すらりと高い身長、その立場もあって女性からは大変な人気なのだ。


「殿下、お越しくださってありがとうございます。アリックスのことでございますね。あの子も昨日はすっかり気落ちしてしまって」

「今日はアポリーヌ嬢に会いに来ました」

「姉に、ですか?」

「ええ。二人で話をさせていただけますか?」


 ロイクは階段の途中にいる私を見つけると、母の返事を待たずに笑いかけた。


「急に訪ねてすまない。少し時間をもらえるだろうか?」


 応接室で二人になると、彼は昨日のことを尋ねた。


 母に告げられたこととティボーの返事を伝え、自分も結婚しないと決めたのだと話した。ロイクは最後まで聞いて、うなずく。


「陛下もすでに事情をご存じだ。君と彼の婚約は、正式に解消された」

「そうですか。よかった」


 母にまた侯爵家の都合を持ち出される心配もなくなった。安心して笑うと、ロイクは椅子から立ち上がり、なぜか私の前でひざまずく。


「アポリーヌ。私と結婚してくれないか?」


 彼を見下ろしたまま、しばらく返事ができなかった。


「……わたくしに、おっしゃっているのですか?」

「もちろん。君にしか言うつもりはない」

「でも……昨日の今日ですわ」

「私は二年前から、君に求婚したかったんだ」


 差し出された彼の手を、ためらいながら取った。


「二年前の舞踏会を覚えている? 私が君に、退屈していないかと聞いた夜だ」

「ええ。お祝いのご挨拶が少々長い、と申し上げてしまったときですわね」

「皆は立派な挨拶だったと褒めるのに、君だけは違った。私も同じことを思っていたから、あれは嬉しかったな」


(覚えてるよ、もちろん。あの舞踏会のことは)


 その話の後、ロイクは母に選ばれた灰色のドレスを褒めてくれた。


 次は青を着てみたいと話すと、彼は青のほうが似合うと思うと言ってくれた。母に地味な娘と決めつけられていた私も、その言葉のおかげで次の舞踏会の支度が楽しみになった。


「君は相手が私でも、おかしいと思えばそう言ってくれる。話していると楽しくて、いつも次に会うのを楽しみにしていた」

「わたくしも、殿下とお話しするのは好きでした」

「恋人としても、私を好きになってくれたら嬉しいな」


 冗談めかした口調なのに、彼は私から目をそらさない。


(ちょっと……いくらなんでも見つめすぎだってば)


「君には婚約者がいた。しかも、兄が保証した婚約だ。私の都合で壊すことなどできない。だから、気持ちは伝えないと決めていた」


 握られている手に目を向けた。


(ロイクにこんなふうに手を握られたの、初めてだ……)


「昨日、君の結婚式が中止になったと聞いて、喜んでしまった。不謹慎な男だと思うかもしれないが、これだけはどうしようもない」

「そんなふうには思いません。わたくしも、帰ってからほっとしておりましたもの」

「では、今度こそ遠慮せずに言わせてほしい。君が好きだ。ほかの男に譲りたくない」


 社交の場ではいつも穏やかな人が、こんなにもはっきり私を望んでくれる。

 夢のようだ。


(でも、こんなに大事なこと、うれしいってだけで決めたくないな)


「少し、考えさせていただけますか?」

「返事は待つ。だが、これからは堂々と君に求愛させてもらうよ」


 彼は私の手に口づける。

 先ほどまで普通に話せていたのに、顔が熱くなって、うまくお礼も言えなかった。

 頭の中は、宙を舞っている蝶のようだ。


◇


 ロイクを見送ると、母はさっそく何を話したのか尋ねてきた。

 婚約の解消と求婚について伝えた途端、隣にいたアリックスが声を上げる。


「殿下がお姉様に求婚なさったの? そんなの、不公平よ!」

「何が不公平なの?」

「わたしは結婚式を台無しにされたのに、お姉様だけ王弟妃になるなんて」


 母も、今朝とは打って変わって険しい顔で私を見る。


「アリックスはまだ結婚できていないのよ。妹を差し置いて、あなただけ幸せになろうというの?」

「昨日、妹は姉より先に結婚しようとしていたではありませんか」


 母は言い返しかけて口を閉じた。アリックスは構わず、私の前に進み出る。


「だいたい、殿下にはわたしのほうがふさわしいわ。お姉様より若いし、綺麗だもの。ちゃんとお話しすれば、きっと気に入ってくださるわ」

「ティボー様はどうするの?」

「それは……今は殿下のことを話しているのよ!」

「アポリーヌ、求婚はお断りしなさい。妹をこんなに悲しませてまで結婚する必要はありません」


 母の顔を見た。


(昨日、私が花嫁衣装を脱いだときは、悲しくないかなんて聞いてもくれなかったのに)


「お断りする理由はございません。お返事は自分で決めます」

「母親に向かって、その態度は何ですか?」

「わたくしの結婚のお話をしておりますのよ」


 母は私が謝るのを待っているようだったが、謝らずに自室に戻る。


(次にロイクに会うときは、あの青いドレスを着ていこうっと)


 母の好みを理由に、もう一度しまい込むつもりはなかった。


◇


 その日の午後、ティボーが訪ねてきた。

 応接室に入ってきた彼は、挨拶もそこそこに本題を切り出す。


「王弟殿下に求婚されたそうだね。アリックスから聞いたよ。君から陛下に説明してくれないか?」

「何を説明すればよろしいのですか?」

「花嫁の交代には何の問題もなかったと。君も祝福してくれたじゃないか。父上まで怒りだして、まったく話にならないんだ」


 椅子を勧めずに答えた。


「お引き受けできません」

「どうしてだ。君はもっといい相手を見つけたんだろう。僕たちにも協力するべきじゃないか」

「わたくしの結婚と、あなた方のなさったことは別のお話です」

「……君は、僕と結婚できなかったことを恨んでいるんだろう? だからアリックスとの結婚を邪魔するんだ!」


 彼の声を聞きつけた侍女が、廊下から扉を開けた。大丈夫だと伝え、ティボーに向き直る。


「いいえ。結婚を取りやめて正解だったと思っております」

「強がるのはよせ。君がそんな態度なら、殿下との結婚も邪魔してやる。僕の父が侯爵だということを忘れるなよ!」

「その名を使って、彼女を脅すのか」


 開いた扉の向こうに、ロイクが立っている。

 ティボーは私から離れ、慌てて頭を下げた。


「殿下……これは、その、誤解でございます」

「聞いていたよ。君とアポリーヌの婚約は、すでに解消されている。彼女に口添えを要求する資格はない」

「僕はただ、アリックスとの結婚を……」

「それを彼女にどうにかさせるつもりか。今後も彼女を脅すつもりなら、私が相手になろう」


 ティボーは返事をせず、私を見た。


(こっちを見たって、助け舟なんか出さないよ。かわいそうだなんて一ミリも思わないし)


 やがて彼は、消え入りそうな声で失礼いたしますと言い、しっぽをまいて逃げるように出ていった。


「観劇に誘おうと思って来たんだが、ずいぶん腹の立つ話を聞いてしまった」


 ロイクは私の前に来ると、顔をのぞき込んだ。


「大丈夫? あの男のために傷つくことはないよ」

「平気です。わたくしには、もう関係のない方ですもの」

「それならいい。どうやら私のほうが腹を立てているらしい」


 彼は私の手を取り、真顔で続ける。


「あれほど素敵な女性を妻にできる機会があったのに、あの男は何を考えていたんだろうね」


 思わず笑ってしまうと、真面目な顔で話していたロイクまでつられて笑った。

 観劇のお誘いは、喜んでお受けした。


◇


 翌日の観劇には、青いドレスを着て出かけた。


 ロイクは私を見るなり、よく似合っていると言ってくれた。演目は、彼に勧められた恋愛劇ではなく、前から気になっていた喜劇を選んだ。


「誘っていただいたのに、演目まで変えてしまって……」

「君が見たいものを一緒に見たかったんだ。遠慮されたら、そのほうが困るよ」


 幕が下りた後も、しばらく笑いが止まらなかった。


(あの脇役の子が、求婚してきた人をみんな振っちゃうとこ。あそこ、忘れられそうにないな)


「あんなに大勢に求婚されても、誰も好きではないのですから、仕方ありませんわね」

「私は少しも笑えなかった」

「殿下も、ずいぶん笑っていらっしゃいましたよ?」

「見られていたか。だが、私まであの男たちと同じように断られたらと思うと、気が気ではなかったよ」


 帰りの馬車でも、その娘の台詞について話し続けた。ロイクは退屈そうな顔もせず、違う意見を言っては、私の反論を楽しそうに聞いてくれる。


 話し足りないまま伯爵邸に着き、別れ際には私のほうから次の約束を尋ねていた。

 それから数日後、王宮の庭園を二人で歩いた。


 途中で見つけた噴水のそばに、もう少しいたいと頼んだ。


(あ、でも……ここにいたら、温室には間に合わないかも)


「では、温室は次にしよう」

「よろしいのですか?」

「私もここがいい。君が楽しそうだから」


 二人で並んでベンチに座った。水しぶきを眺めながら、思い切って尋ねてみる。


「殿下は、結婚相手をご自分でお決めになれるのですね」

「私は王位を継ぐ予定がないし、自分の領地と財産もある。兄も私が選ぶことを認めているよ。もっとも、君以外を選ぶ気はないが」


 ロイクは私の手に自分の手を重ねた。


「明日も会いたい。その次の日も。そろそろ、しつこいと思われるかな?」

「明日は、わたくしからお誘いするつもりでしたのに」


 彼は驚いた顔をしてから、花が咲いたように笑った。

 その顔を見て、今の返事をしてよかったと思った。


(次は何を話そうかな。そんなこと考えてるだけでも楽しいんだよね)


◇


 あの結婚式から十日ほどたった午後、ラヴァル侯爵邸に招かれた。

 侯爵から直接謝罪したいと言われたためだ。応接室には母と妹、ティボーも呼ばれている。

 ラヴァル侯爵は私に頭を下げた後、息子に向き直った。


「国王陛下が取り決めてくださった婚姻を、当日に勝手に変えようとは。お前は何を考えている?」

「父上に相談しても反対されたでしょう。僕とアリックスは愛し合っているんです。政略結婚を押しつけた父上にも責任があります」

「結婚したくないなら、そう言えばよかった」

「言ったところで、許してくださったとは思えません」

「だからアポリーヌ嬢を式場で辱め、陛下にも事後承諾を迫るつもりだったのか」


 ティボーは答えずに私を見た。


「彼女はもう、王弟殿下に求婚されているんですよ。誰も困っていないではありませんか」

「お前は自分が何をしたのか、まだわからんのだな」


 侯爵は息子を座らせようともせず、告げる。


「お前が結婚相手を選ぶ自由は認める。だが、王家との約束を軽んじ、我が家の信用を傷つけた責任は取らせる」

「父上……」

「お前にはもう侯爵家を継がせん。爵位も財産も、弟に譲る」


 ティボーは父親を見つめたまま、顔を凍りつかせた。


「……そんな。僕は長男ですよ!」

「だから我慢してきた。だが、今のお前に家は任せられん。今日限りで出ていけ」

「待ってください。僕を廃嫡なさるのですか?」

「そう言った」


 アリックスが立ち上がった。


「そんなの嫌よ! 侯爵夫人になれないなら、結婚する意味がないじゃない!」


 ティボーが振り返った。妹は彼から逃げるように母のそばに寄る。


「アリックス、何を言っている。僕を愛しているんだろう?」

「貧乏になったあなたと、どうやって暮らすのよ。わたし、そんな人とは結婚できないわ」

「君が僕と結婚したいと言うから、アポリーヌとの結婚をやめたんだぞ!」

「わたしは侯爵家の跡取りだから結婚したかったの! お姉様と結婚していればよかったじゃない!」


 こちらを振り向いたティボーに、首を横に振った。

 彼は父親に向き直り、廃嫡を取り消してほしいと訴え始めた。


「父上、アリックスがこんな女だとは知りませんでした。結婚はやめます。ですから……」

「相手を替えれば済むと思うな。出ていけと言ったはずだ」

「こんな女ですって? わたしだって、あなたなんかお断りよ!」


 二人の声が重なったところで、応接室の扉が開いた。


「その話が済んだなら、陛下のお言葉を伝えよう」


 入ってきたロイクを見て、母が慌てて立ち上がった。


「殿下、どうか侯爵様にお取りなしを。子どもたちにも、考えの足りないところはございましたけれど」

「二人だけの問題ではありません。花嫁の交代を決めたのは、あなたでしょう」


 母は口をつぐんだ。ロイクはティボーに目を向ける。


「君は王家の保証を勝手に利用しようとしたうえ、婚約を解消された彼女を脅した。陛下は、君に対する信頼を失われた」

「それは、あのときはつい……」

「君とウジェニー夫人、アリックス嬢には、王宮に出入りすることを永久に禁じる」


 アリックスが、母の腕をつかんだ。


「永久って、ずっとですか? 王宮の舞踏会にも行けないのですか?」

「そのとおりだ」

「そんなことになったら、誰と結婚すればいいのよ!」


 母はロイクに何度も頭を下げる。


「どうか、お慈悲を。娘はまだ若いのです。わたくしも、あの子の幸せを願っただけで……」

「そのために、もう一人の娘を犠牲にしても構わないと?」

「それは……アポリーヌは、姉ですから」

「その言い訳は、もう聞きたくない」


 扉のそばから、聞き覚えのある声がする。

 父が杖をついて立っている。椅子から立ち上がり、父のそばに寄った。


「お父様、お体は?」

「まだ無理は利かんが、戻ってきたよ。お前に任せきりにして、すまなかった」


 父は侯爵に勧められた椅子に座り、母と妹を見た。


「療養を切り上げたのは、お前たちのしたことを聞いたからだ。私の留守に、よくもこんな真似をしてくれたな」

「あなた、わたくしの話も聞いてちょうだい」

「今、十分に聞いた。二人とも王都の屋敷から出ていきなさい。領地の別邸で暮らしてもらう」

「わたくしは伯爵夫人ですのよ!」

「だからこそ、娘の式で恥をかかせる真似など許せん。王都には戻さない。生活に必要なものは与えるが、これまでのような贅沢も認めない」


 母が何を言っても、父は決定を変えなかった。

 アリックスは私に駆け寄ってきた。


「お姉様、お願い! 今まで仲良くしてきたでしょう? お父様を止めて。わたし、あんな田舎には行きたくない!」


(仲良く、ねえ。アリックスが優しかったのって、私が自分のものを譲ってあげたときだけじゃない)


 譲りたくないと言えば母に泣きつき、二人で私を責めた。

 妹の手を取らずに、微笑んだ。


「あなたには、愛するティボー様がいらっしゃるのでしょう? どうぞ、お二人で幸せになってね」


 アリックスはティボーを見た。彼は妹から顔を背ける。


◇


 翌日、母と妹は伯爵邸を出ていった。二人のために用意された馬車には、いつものように大量のドレスや宝石箱が積まれることはなかった。


 ティボーも侯爵家から追い出された。ロイクによれば、親しかった友人たちに助けを求めたものの、誰も泊めてくれなかったという。

 二週間後、父は母と妹の暮らしぶりを少し教えてくれた。別邸の使用人が王都に来た折に、様子を聞いたそうだ。


 アリックスは仕立屋を呼べないことにも、晩餐会がないことにも文句を言い、母と毎日のように喧嘩をしているという。かつて母が親しくしていた夫人たちも、二人をお茶会に呼ばなくなった。


「お前は、もう気にしなくていい」


 うなずいた。


(あの子が何に文句を言っても、もう私が譲ってあげるものはないよ)


 その午後、ロイクが会いに来た。


(よし。今日こそ、結婚の返事は私からしよう)


 そう決めて待っていると、ロイクが応接室に姿を見せたので、立ち上がって迎えた。


「殿下、お話がございます」

「私からも。もう一度だけ、言わせてもらえるかな?」


 ロイクは私の両手を包んだ。


「アポリーヌ。私の妻になってほしい」

「はい。喜んで」


 ためらわずに答えると、彼は私を抱きしめた。


「本当にいいのか? もう返事は変えられないぞ」

「殿下こそ、後悔なさいませんか?」

「するはずがない。ずっと君が欲しかったんだ」


 彼の背中に腕を回した。


「わたくしも、殿下がお帰りになるたび、次にお会いする日が待ち遠しくて。これからは、もっと長くご一緒にいたいですわ」

「それは嬉しいな。帰る時間を気にせずに済む」


 彼が少し身を離し、私の顔を見る。


 自分から目を閉じた。ロイクの口づけは思いのほか優しく、唇が離れてからも、しばらく彼の服を離せなかった。


◇


 数か月後、王宮の控室で鏡の前に座っていた。


 純白のドレスは、自分で選んだものだ。袖のレース選びでは最後まで迷い、ロイクにも何度も相談に乗ってもらったけれど、彼はどちらも似合うと言う。


(どっちがいいか聞いてるのに、どっちも似合うって……それじゃ選べないよ)


「今日こそ、私の妻になってくれるね?」


 振り返ると、正装したロイクが扉のところに立っていた。


「ええ。もちろんですわ」

「綺麗だよ、アポリーヌ。会場に連れていくのが惜しくなる」

「お客様をお待たせしてしまいます」

「そうだね。私も、早く皆に妻を紹介したい」


 彼は私の手を取ると、わざと真面目な顔をした。


「安心してほしい。花嫁を替えるつもりはないからね」

「そんなことをおっしゃったら、また帰ってしまいますわよ?」

「それは困るな。君が帰るなら、私もついていくしかない」


 二人で笑い合った。


 あの日は、一人で帰ることを自分で選んだ。


(今日はロイクと並んで歩きたいな)


 その腕に手を添えると、ロイクは扉を開けてくれた。

 会場には、母も妹もティボーもいない。父が参列者の中から私を見つけ、嬉しそうにうなずく。


 ロイクとともに司教の前に立ち、自分の言葉で誓いを述べた。彼も私を妻に迎えると誓い、薬指に指輪をはめてくれた。

 夫婦になった私たちを祝う拍手の中、ロイクは私にだけ聞こえる声で囁いた。


「もう二度と、君を誰にも譲らない」

「わたくしも、あなたのおそばにいたいです。愛しております、ロイク様」


 初めてそう呼ぶと、彼は笑って私を抱き寄せる。

 その胸に手を添え、夫の口づけを受けた。


完。


お読み下さりありがとうございます。

何点でも構いませんので星で評価いただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
んん? 伯爵家は元々妹の方に継がせる予定だったの? のわりには後継者の勉強もしてないみたいだし、優秀な婿に任せるって話ならその婿予定の婚約者もいない?? しかも何故姉を王命を持ってしてまで侯爵家に嫁が…
派閥の関係とかあったのかもな〜家の結婚。それブッチするとか頭沸いてんのかてめえ?ってされても仕方ないよね…まぁ普通に王家の仲立ちした式を直前で花嫁変えるとかそりゃみんなそのまま進行しないでしょ普通…し…
国王が取り決めた婚姻って事は、ディボーの家とアポリーヌの家で縁を繋がないといけない理由があったのでは…? アポリーヌは新しく嫡男になるディボーの弟と結婚しなくて良いの?縁を繋が無くて良かったんなら何で…
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