結婚式の花嫁を妹に替えるそうなので、私は帰ります
「今日、ティボー様と結婚するのはアリックスよ。あなたは花嫁の座を譲ってちょうだい」
結婚式まであと半刻。控室に入るなり、母はそう言った。
隣にいる妹も純白の花嫁衣装を着ている。胸元の透けたレースも、子供が何人も持たなければ運べないような長いベールも、姉に遠慮して選んだようには見えなかった。
「お母様。それは誰がお決めになったのですか?」
「わたくしよ。二人はずっと愛し合っていたの。姉なら喜んであげられるでしょう?」
アリックスは母の腕にすがりながら、私を見る。
「ごめんなさい、お姉様。でも、ティボー様はどうしてもわたしがいいって。愛されないまま結婚するより、よかったと思わない?」
膝に置いていた手袋をたたんだ。
妹は昔から、私の持ち物を欲しがった。リボンも、誕生日にもらったブローチも。母は決まって「姉なのだから」と言い、私が断ると、譲るまで不機嫌になった。
(結婚相手まで妹に譲れって? リボンじゃあるまいし)
「ティボー様を呼んでくださいませ」
「お姉様、責めないであげて。好きになってしまったものは仕方がないのよ」
「ご本人のお考えを伺うだけよ」
ほどなくして現れたティボーは、花嫁衣装を着た私たちを見ても、気持ち悪いほど驚かなかった。妹の隣に立つと、悪びれもせずに言った。
「アポリーヌ、君には悪いと思っている。だが、僕が愛しているのはアリックスなんだ」
「わたくしとの結婚はお望みでない、と受け取ってよろしいのですね?」
「ああ。君はこれまでよく僕を支えてくれた。だからこそ、僕たちの気持ちも理解してくれると信じている」
侯爵家の親戚の名前を覚えたり、彼の代わりに退屈なお茶会に出席したり。キラキラの妻になるために続けてきたことも、もう必要ないらしい。
改めて彼の顔を見つめた。結婚が決まった頃は、会う日を楽しみにしていたこともある。けれど、待ち合わせをすっぽかされても、話を途中でぶつ切りにされても我慢するうちに、そんな気持ちは消えていた。
今日まで結婚するつもりでいたのは、父と交わした約束を守りたかったからだ。
「わかりました。わたくしも、あなたとは結婚いたしません」
二人に微笑んだ。
「お二人とも、どうぞお幸せに」
「……それだけか?」
「ほかに何か?」
「いや。泣かれても困ると思っていたんだが」
「でしたら、困らずに済みましたね」
ティボーが黙り込むと、隣にいたアリックスが私の顔をのぞき込んだ。
控えていた侍女に、婚礼の後で着る予定だったドレスを出してもらった。母が何か言い出す前に、着替えるからと三人に退出を頼んだ。
花嫁衣装を脱ぐと、思った以上にスッキリした。昼からずっと締めつけていたコルセットも、さっさと緩めてもらう。
控室を出たところで、母に呼び止められた。
「どこに行くの?」
「家に帰ります」
「何を言っているの。妹の結婚式なのよ。最後まで出席なさい!」
妹とティボーも、廊下の先でこちらを見ている。母は声を抑えて続けた。
「あなたがいないと、お客様に何と思われるか……」
「花嫁でないのなら、ここにいる必要もございませんでしょう。それでは失礼いたします」
母に一礼し、侍女とともに馬車に乗る。
国王陛下が取り決めた婚約なのだから、勝手に花嫁を替えられるはずはない。私が出席したところで、どうにかなる話でもなかった。
(さて、あの三人、これからどうするんだろ。ちょっと見ものだな)
馬車が動き出しても、窓から式場を振り返る気にはならない。
(今夜、何食べようかな?)
朝からろくに食べていないことを思い出し、献立を考え始めた。
(せっかくだし、誰にも遠慮しないで、うんと豪華なの頼んじゃおう!)
◇
伯爵邸の私室に夕食を運んでもらう頃には、窓の外は暗くなっていた。
普段着に着替え、牛肉の赤ワイン煮をひと口食べる。よく煮込まれた肉はやわらかく、バゲットを添えればソースまで残さず楽しめる。デザートにはイチゴのタルトも頼んである。
私が好物を頼むたび、母は「アリックスが嫌いなものなのに」と文句を言った。ティボーと食事をするときも、彼の好みに合わせてきた。
けれど、今夜は一人だ。赤ワインをもう少し注いでもらい、椅子に座り直す。
(そっか。明日からはもう、ティボーのご機嫌なんて取らなくていいんだ)
そう思うと、つい口元が緩んだ。
「こんな時に、よく食事なんてできるわね!」
勢いよく扉を開けたのは母だった。後ろには、まだ花嫁衣装を着た妹がいる。
「あなたが勝手に帰ったせいで、結婚式が台無しよ!」
「花嫁はアリックスでしょう。わたくしが帰ったことと、何の関係がございますか?」
「あの司式者が、式はできないと言い出したの。国王陛下がお認めになった花嫁と違う、ですって。お客様の前で!」
アリックスは乱れたベールを頭から外した。
(いやいや、なんで私のせいになるのよ!)
「ティボー様が、愛し合う二人の邪魔をするのかって怒ってくださったのよ。それでも駄目だと言い張るんだもの。結局、お客様もみんな帰ってしまったわ」
「それは残念でしたね」
母はテーブルのそばまで来た。
「あなたが残っていれば、納得して譲ったと説明できたでしょう」
「わたくしが説明するだけで花嫁を替えられるのなら、司式者の方もお止めにはならなかったのでは?」
「お姉様がティボー様を諦めたのなら、わたしたちの結婚を認めてよ。陛下にもそう言ってくださればいいのよ」
妹は私の返事も待たず、母に同意を求めた。二人がうなずき合うのを見て、ナプキンを膝から外す。
「どうぞ、ご自由になさって。ただし、もう関わらないでくださいませ」
「アポリーヌ!」
「お話は終わりました。夕食の途中ですので」
侍女に扉を開けてもらった。
母は出ていくまで私をにらみ続けていたが、引き留めるつもりはない。扉が閉まると、運ばれてきたイチゴのタルトを自分で切り分けた。
◇
翌朝、ロイクが来たと聞き、鏡の前で侍女を振り返った。
(えっ、なんでうちに? ヴァルドワ王国の王弟殿下が?)
彼とは王宮で何度も話したことがある。けれど、私の結婚式が近づいてからは会う機会が減っていた。
階下では、母がいつになく愛想のよい声で彼を迎えている。
社交界では、美しい顔立ちに金髪と碧い瞳、すらりと高い身長、その立場もあって女性からは大変な人気なのだ。
「殿下、お越しくださってありがとうございます。アリックスのことでございますね。あの子も昨日はすっかり気落ちしてしまって」
「今日はアポリーヌ嬢に会いに来ました」
「姉に、ですか?」
「ええ。二人で話をさせていただけますか?」
ロイクは階段の途中にいる私を見つけると、母の返事を待たずに笑いかけた。
「急に訪ねてすまない。少し時間をもらえるだろうか?」
応接室で二人になると、彼は昨日のことを尋ねた。
母に告げられたこととティボーの返事を伝え、自分も結婚しないと決めたのだと話した。ロイクは最後まで聞いて、うなずく。
「陛下もすでに事情をご存じだ。君と彼の婚約は、正式に解消された」
「そうですか。よかった」
母にまた侯爵家の都合を持ち出される心配もなくなった。安心して笑うと、ロイクは椅子から立ち上がり、なぜか私の前でひざまずく。
「アポリーヌ。私と結婚してくれないか?」
彼を見下ろしたまま、しばらく返事ができなかった。
「……わたくしに、おっしゃっているのですか?」
「もちろん。君にしか言うつもりはない」
「でも……昨日の今日ですわ」
「私は二年前から、君に求婚したかったんだ」
差し出された彼の手を、ためらいながら取った。
「二年前の舞踏会を覚えている? 私が君に、退屈していないかと聞いた夜だ」
「ええ。お祝いのご挨拶が少々長い、と申し上げてしまったときですわね」
「皆は立派な挨拶だったと褒めるのに、君だけは違った。私も同じことを思っていたから、あれは嬉しかったな」
(覚えてるよ、もちろん。あの舞踏会のことは)
その話の後、ロイクは母に選ばれた灰色のドレスを褒めてくれた。
次は青を着てみたいと話すと、彼は青のほうが似合うと思うと言ってくれた。母に地味な娘と決めつけられていた私も、その言葉のおかげで次の舞踏会の支度が楽しみになった。
「君は相手が私でも、おかしいと思えばそう言ってくれる。話していると楽しくて、いつも次に会うのを楽しみにしていた」
「わたくしも、殿下とお話しするのは好きでした」
「恋人としても、私を好きになってくれたら嬉しいな」
冗談めかした口調なのに、彼は私から目をそらさない。
(ちょっと……いくらなんでも見つめすぎだってば)
「君には婚約者がいた。しかも、兄が保証した婚約だ。私の都合で壊すことなどできない。だから、気持ちは伝えないと決めていた」
握られている手に目を向けた。
(ロイクにこんなふうに手を握られたの、初めてだ……)
「昨日、君の結婚式が中止になったと聞いて、喜んでしまった。不謹慎な男だと思うかもしれないが、これだけはどうしようもない」
「そんなふうには思いません。わたくしも、帰ってからほっとしておりましたもの」
「では、今度こそ遠慮せずに言わせてほしい。君が好きだ。ほかの男に譲りたくない」
社交の場ではいつも穏やかな人が、こんなにもはっきり私を望んでくれる。
夢のようだ。
(でも、こんなに大事なこと、うれしいってだけで決めたくないな)
「少し、考えさせていただけますか?」
「返事は待つ。だが、これからは堂々と君に求愛させてもらうよ」
彼は私の手に口づける。
先ほどまで普通に話せていたのに、顔が熱くなって、うまくお礼も言えなかった。
頭の中は、宙を舞っている蝶のようだ。
◇
ロイクを見送ると、母はさっそく何を話したのか尋ねてきた。
婚約の解消と求婚について伝えた途端、隣にいたアリックスが声を上げる。
「殿下がお姉様に求婚なさったの? そんなの、不公平よ!」
「何が不公平なの?」
「わたしは結婚式を台無しにされたのに、お姉様だけ王弟妃になるなんて」
母も、今朝とは打って変わって険しい顔で私を見る。
「アリックスはまだ結婚できていないのよ。妹を差し置いて、あなただけ幸せになろうというの?」
「昨日、妹は姉より先に結婚しようとしていたではありませんか」
母は言い返しかけて口を閉じた。アリックスは構わず、私の前に進み出る。
「だいたい、殿下にはわたしのほうがふさわしいわ。お姉様より若いし、綺麗だもの。ちゃんとお話しすれば、きっと気に入ってくださるわ」
「ティボー様はどうするの?」
「それは……今は殿下のことを話しているのよ!」
「アポリーヌ、求婚はお断りしなさい。妹をこんなに悲しませてまで結婚する必要はありません」
母の顔を見た。
(昨日、私が花嫁衣装を脱いだときは、悲しくないかなんて聞いてもくれなかったのに)
「お断りする理由はございません。お返事は自分で決めます」
「母親に向かって、その態度は何ですか?」
「わたくしの結婚のお話をしておりますのよ」
母は私が謝るのを待っているようだったが、謝らずに自室に戻る。
(次にロイクに会うときは、あの青いドレスを着ていこうっと)
母の好みを理由に、もう一度しまい込むつもりはなかった。
◇
その日の午後、ティボーが訪ねてきた。
応接室に入ってきた彼は、挨拶もそこそこに本題を切り出す。
「王弟殿下に求婚されたそうだね。アリックスから聞いたよ。君から陛下に説明してくれないか?」
「何を説明すればよろしいのですか?」
「花嫁の交代には何の問題もなかったと。君も祝福してくれたじゃないか。父上まで怒りだして、まったく話にならないんだ」
椅子を勧めずに答えた。
「お引き受けできません」
「どうしてだ。君はもっといい相手を見つけたんだろう。僕たちにも協力するべきじゃないか」
「わたくしの結婚と、あなた方のなさったことは別のお話です」
「……君は、僕と結婚できなかったことを恨んでいるんだろう? だからアリックスとの結婚を邪魔するんだ!」
彼の声を聞きつけた侍女が、廊下から扉を開けた。大丈夫だと伝え、ティボーに向き直る。
「いいえ。結婚を取りやめて正解だったと思っております」
「強がるのはよせ。君がそんな態度なら、殿下との結婚も邪魔してやる。僕の父が侯爵だということを忘れるなよ!」
「その名を使って、彼女を脅すのか」
開いた扉の向こうに、ロイクが立っている。
ティボーは私から離れ、慌てて頭を下げた。
「殿下……これは、その、誤解でございます」
「聞いていたよ。君とアポリーヌの婚約は、すでに解消されている。彼女に口添えを要求する資格はない」
「僕はただ、アリックスとの結婚を……」
「それを彼女にどうにかさせるつもりか。今後も彼女を脅すつもりなら、私が相手になろう」
ティボーは返事をせず、私を見た。
(こっちを見たって、助け舟なんか出さないよ。かわいそうだなんて一ミリも思わないし)
やがて彼は、消え入りそうな声で失礼いたしますと言い、しっぽをまいて逃げるように出ていった。
「観劇に誘おうと思って来たんだが、ずいぶん腹の立つ話を聞いてしまった」
ロイクは私の前に来ると、顔をのぞき込んだ。
「大丈夫? あの男のために傷つくことはないよ」
「平気です。わたくしには、もう関係のない方ですもの」
「それならいい。どうやら私のほうが腹を立てているらしい」
彼は私の手を取り、真顔で続ける。
「あれほど素敵な女性を妻にできる機会があったのに、あの男は何を考えていたんだろうね」
思わず笑ってしまうと、真面目な顔で話していたロイクまでつられて笑った。
観劇のお誘いは、喜んでお受けした。
◇
翌日の観劇には、青いドレスを着て出かけた。
ロイクは私を見るなり、よく似合っていると言ってくれた。演目は、彼に勧められた恋愛劇ではなく、前から気になっていた喜劇を選んだ。
「誘っていただいたのに、演目まで変えてしまって……」
「君が見たいものを一緒に見たかったんだ。遠慮されたら、そのほうが困るよ」
幕が下りた後も、しばらく笑いが止まらなかった。
(あの脇役の子が、求婚してきた人をみんな振っちゃうとこ。あそこ、忘れられそうにないな)
「あんなに大勢に求婚されても、誰も好きではないのですから、仕方ありませんわね」
「私は少しも笑えなかった」
「殿下も、ずいぶん笑っていらっしゃいましたよ?」
「見られていたか。だが、私まであの男たちと同じように断られたらと思うと、気が気ではなかったよ」
帰りの馬車でも、その娘の台詞について話し続けた。ロイクは退屈そうな顔もせず、違う意見を言っては、私の反論を楽しそうに聞いてくれる。
話し足りないまま伯爵邸に着き、別れ際には私のほうから次の約束を尋ねていた。
それから数日後、王宮の庭園を二人で歩いた。
途中で見つけた噴水のそばに、もう少しいたいと頼んだ。
(あ、でも……ここにいたら、温室には間に合わないかも)
「では、温室は次にしよう」
「よろしいのですか?」
「私もここがいい。君が楽しそうだから」
二人で並んでベンチに座った。水しぶきを眺めながら、思い切って尋ねてみる。
「殿下は、結婚相手をご自分でお決めになれるのですね」
「私は王位を継ぐ予定がないし、自分の領地と財産もある。兄も私が選ぶことを認めているよ。もっとも、君以外を選ぶ気はないが」
ロイクは私の手に自分の手を重ねた。
「明日も会いたい。その次の日も。そろそろ、しつこいと思われるかな?」
「明日は、わたくしからお誘いするつもりでしたのに」
彼は驚いた顔をしてから、花が咲いたように笑った。
その顔を見て、今の返事をしてよかったと思った。
(次は何を話そうかな。そんなこと考えてるだけでも楽しいんだよね)
◇
あの結婚式から十日ほどたった午後、ラヴァル侯爵邸に招かれた。
侯爵から直接謝罪したいと言われたためだ。応接室には母と妹、ティボーも呼ばれている。
ラヴァル侯爵は私に頭を下げた後、息子に向き直った。
「国王陛下が取り決めてくださった婚姻を、当日に勝手に変えようとは。お前は何を考えている?」
「父上に相談しても反対されたでしょう。僕とアリックスは愛し合っているんです。政略結婚を押しつけた父上にも責任があります」
「結婚したくないなら、そう言えばよかった」
「言ったところで、許してくださったとは思えません」
「だからアポリーヌ嬢を式場で辱め、陛下にも事後承諾を迫るつもりだったのか」
ティボーは答えずに私を見た。
「彼女はもう、王弟殿下に求婚されているんですよ。誰も困っていないではありませんか」
「お前は自分が何をしたのか、まだわからんのだな」
侯爵は息子を座らせようともせず、告げる。
「お前が結婚相手を選ぶ自由は認める。だが、王家との約束を軽んじ、我が家の信用を傷つけた責任は取らせる」
「父上……」
「お前にはもう侯爵家を継がせん。爵位も財産も、弟に譲る」
ティボーは父親を見つめたまま、顔を凍りつかせた。
「……そんな。僕は長男ですよ!」
「だから我慢してきた。だが、今のお前に家は任せられん。今日限りで出ていけ」
「待ってください。僕を廃嫡なさるのですか?」
「そう言った」
アリックスが立ち上がった。
「そんなの嫌よ! 侯爵夫人になれないなら、結婚する意味がないじゃない!」
ティボーが振り返った。妹は彼から逃げるように母のそばに寄る。
「アリックス、何を言っている。僕を愛しているんだろう?」
「貧乏になったあなたと、どうやって暮らすのよ。わたし、そんな人とは結婚できないわ」
「君が僕と結婚したいと言うから、アポリーヌとの結婚をやめたんだぞ!」
「わたしは侯爵家の跡取りだから結婚したかったの! お姉様と結婚していればよかったじゃない!」
こちらを振り向いたティボーに、首を横に振った。
彼は父親に向き直り、廃嫡を取り消してほしいと訴え始めた。
「父上、アリックスがこんな女だとは知りませんでした。結婚はやめます。ですから……」
「相手を替えれば済むと思うな。出ていけと言ったはずだ」
「こんな女ですって? わたしだって、あなたなんかお断りよ!」
二人の声が重なったところで、応接室の扉が開いた。
「その話が済んだなら、陛下のお言葉を伝えよう」
入ってきたロイクを見て、母が慌てて立ち上がった。
「殿下、どうか侯爵様にお取りなしを。子どもたちにも、考えの足りないところはございましたけれど」
「二人だけの問題ではありません。花嫁の交代を決めたのは、あなたでしょう」
母は口をつぐんだ。ロイクはティボーに目を向ける。
「君は王家の保証を勝手に利用しようとしたうえ、婚約を解消された彼女を脅した。陛下は、君に対する信頼を失われた」
「それは、あのときはつい……」
「君とウジェニー夫人、アリックス嬢には、王宮に出入りすることを永久に禁じる」
アリックスが、母の腕をつかんだ。
「永久って、ずっとですか? 王宮の舞踏会にも行けないのですか?」
「そのとおりだ」
「そんなことになったら、誰と結婚すればいいのよ!」
母はロイクに何度も頭を下げる。
「どうか、お慈悲を。娘はまだ若いのです。わたくしも、あの子の幸せを願っただけで……」
「そのために、もう一人の娘を犠牲にしても構わないと?」
「それは……アポリーヌは、姉ですから」
「その言い訳は、もう聞きたくない」
扉のそばから、聞き覚えのある声がする。
父が杖をついて立っている。椅子から立ち上がり、父のそばに寄った。
「お父様、お体は?」
「まだ無理は利かんが、戻ってきたよ。お前に任せきりにして、すまなかった」
父は侯爵に勧められた椅子に座り、母と妹を見た。
「療養を切り上げたのは、お前たちのしたことを聞いたからだ。私の留守に、よくもこんな真似をしてくれたな」
「あなた、わたくしの話も聞いてちょうだい」
「今、十分に聞いた。二人とも王都の屋敷から出ていきなさい。領地の別邸で暮らしてもらう」
「わたくしは伯爵夫人ですのよ!」
「だからこそ、娘の式で恥をかかせる真似など許せん。王都には戻さない。生活に必要なものは与えるが、これまでのような贅沢も認めない」
母が何を言っても、父は決定を変えなかった。
アリックスは私に駆け寄ってきた。
「お姉様、お願い! 今まで仲良くしてきたでしょう? お父様を止めて。わたし、あんな田舎には行きたくない!」
(仲良く、ねえ。アリックスが優しかったのって、私が自分のものを譲ってあげたときだけじゃない)
譲りたくないと言えば母に泣きつき、二人で私を責めた。
妹の手を取らずに、微笑んだ。
「あなたには、愛するティボー様がいらっしゃるのでしょう? どうぞ、お二人で幸せになってね」
アリックスはティボーを見た。彼は妹から顔を背ける。
◇
翌日、母と妹は伯爵邸を出ていった。二人のために用意された馬車には、いつものように大量のドレスや宝石箱が積まれることはなかった。
ティボーも侯爵家から追い出された。ロイクによれば、親しかった友人たちに助けを求めたものの、誰も泊めてくれなかったという。
二週間後、父は母と妹の暮らしぶりを少し教えてくれた。別邸の使用人が王都に来た折に、様子を聞いたそうだ。
アリックスは仕立屋を呼べないことにも、晩餐会がないことにも文句を言い、母と毎日のように喧嘩をしているという。かつて母が親しくしていた夫人たちも、二人をお茶会に呼ばなくなった。
「お前は、もう気にしなくていい」
うなずいた。
(あの子が何に文句を言っても、もう私が譲ってあげるものはないよ)
その午後、ロイクが会いに来た。
(よし。今日こそ、結婚の返事は私からしよう)
そう決めて待っていると、ロイクが応接室に姿を見せたので、立ち上がって迎えた。
「殿下、お話がございます」
「私からも。もう一度だけ、言わせてもらえるかな?」
ロイクは私の両手を包んだ。
「アポリーヌ。私の妻になってほしい」
「はい。喜んで」
ためらわずに答えると、彼は私を抱きしめた。
「本当にいいのか? もう返事は変えられないぞ」
「殿下こそ、後悔なさいませんか?」
「するはずがない。ずっと君が欲しかったんだ」
彼の背中に腕を回した。
「わたくしも、殿下がお帰りになるたび、次にお会いする日が待ち遠しくて。これからは、もっと長くご一緒にいたいですわ」
「それは嬉しいな。帰る時間を気にせずに済む」
彼が少し身を離し、私の顔を見る。
自分から目を閉じた。ロイクの口づけは思いのほか優しく、唇が離れてからも、しばらく彼の服を離せなかった。
◇
数か月後、王宮の控室で鏡の前に座っていた。
純白のドレスは、自分で選んだものだ。袖のレース選びでは最後まで迷い、ロイクにも何度も相談に乗ってもらったけれど、彼はどちらも似合うと言う。
(どっちがいいか聞いてるのに、どっちも似合うって……それじゃ選べないよ)
「今日こそ、私の妻になってくれるね?」
振り返ると、正装したロイクが扉のところに立っていた。
「ええ。もちろんですわ」
「綺麗だよ、アポリーヌ。会場に連れていくのが惜しくなる」
「お客様をお待たせしてしまいます」
「そうだね。私も、早く皆に妻を紹介したい」
彼は私の手を取ると、わざと真面目な顔をした。
「安心してほしい。花嫁を替えるつもりはないからね」
「そんなことをおっしゃったら、また帰ってしまいますわよ?」
「それは困るな。君が帰るなら、私もついていくしかない」
二人で笑い合った。
あの日は、一人で帰ることを自分で選んだ。
(今日はロイクと並んで歩きたいな)
その腕に手を添えると、ロイクは扉を開けてくれた。
会場には、母も妹もティボーもいない。父が参列者の中から私を見つけ、嬉しそうにうなずく。
ロイクとともに司教の前に立ち、自分の言葉で誓いを述べた。彼も私を妻に迎えると誓い、薬指に指輪をはめてくれた。
夫婦になった私たちを祝う拍手の中、ロイクは私にだけ聞こえる声で囁いた。
「もう二度と、君を誰にも譲らない」
「わたくしも、あなたのおそばにいたいです。愛しております、ロイク様」
初めてそう呼ぶと、彼は笑って私を抱き寄せる。
その胸に手を添え、夫の口づけを受けた。
完。
お読み下さりありがとうございます。
何点でも構いませんので星で評価いただけると嬉しいです。




