推しに認知されたくないタイプのオタクなので、その恋は解釈違いです!
なろう初投稿です。
よろしくお願いします!
8月19日、8月20日付ランキングで一桁順位いただきました!(下記は確認できた最高位を記載してます)
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6 位[日間]異世界転生/転移〔恋愛〕 - 短編
澄み切った青空をふと見上げ、あまりの日差しの強さに思わず目を細めた。小振りな日傘で遮られる類いの暑さではない。
「……日傘はやっぱり遮光100パーセントが欲しいわよねぇ」
ため息混じりで己の口から無意識に溢れた呟きに、リリーローズは慌てて右手で口元を覆った。
リリーローズ・エドモンド、十七歳。
外務大臣である伯爵を父に持つ歴とした貴族令嬢である。五つ歳上の姉は既に嫁ぎ、二つ下には嫡男の弟がいる。それなりに由緒も資産もある、上流貴族の末席に連なる家に生まれて何の不満も無く育ってきた。
強いて不満を上げるなら、なぜ自身の名は百合と薔薇という属性盛り合わせなのかということぐらいで。
金髪碧眼というわりと整った容姿ではあるけれど、名前負けが過ぎる。せめてどちらかにして欲しかったと、結構な頻度で思ったりするくらいなものだ。
実は、彼女には前世の記憶があった。
物心ついた頃から、リリーローズには日本という島国で生まれ育った記憶が当然のようにあったのだ。
今よりずっと幼い頃は、その異質さを理解できずに、さも当たり前の様に両親や姉に話して困惑させたが、自身の記憶が普通ではないのだと理解するのに、そう時間はかからなかった。弟が話し相手になるくらいに成長した頃には、もうその話題に触れることはなかった。
だからといって、決して忘れたわけではない。
折に触れて、ああこの料理隠し味に醤油が欲しいなとか、アイスが食べたいなとか、ラーメン……とか記憶の糸を手繰り寄せてはこっそりため息を吐いたことなんて、数えきれないほどある。食べ物への執着が強いのは前世日本人だったせいだろう……多分。
けれどまあ、そういった前世の記憶に対する懐かしさのようなものはあれど、愛情深い両親に、頼り甲斐のある姉と可愛い弟。優しい使用人達。リリーローズは自身がどれだけ恵まれた環境に転生したのか、十分に理解していた。
だから家族に迷惑がかからない様に、愚直に、真面目に、どこに出しても恥ずかしくない令嬢として日々研鑽を積んできたのである。
そうした努力の甲斐あって、今日に至ってはちょっとお堅過ぎるところはあれど、品行方正な大変優秀な令嬢として親世代に評判になるほどだった。
そのリリーローズが突如、人知れず挙動不審な行動を取る様になったのはこの春。
彼女が在籍している王立学園に、新入生が入学してきた頃だった。
(夢……?いや、だがしかし、推しを見間違えるか?)
それはもう、落雷にあったかの様な衝撃だった。新入生で賑わう学園のエントランスに不意に視線を向けた瞬間。
そこに前世の推しがいたのだから。
(ジェラルドじゃん!!)
視界を占めたのは一人の少年だった。
天使の輪が見えるプラチナブロンドの髪に紺碧の瞳。スラリとした体躯。微笑みは凶器。まさに美だ。圧倒的なオーラ。眩しい。目が潰れる。決して正面から見てはいけない。
自衛のために咄嗟に柱の陰に隠れたとて仕方がない。暴れる心臓を両手で押さえ、忘れていた呼吸を再開しながら震える身体を必死に落ち着かせて、リリーローズは柱の陰から改めて前方に視線を向けた。
いた。間違いなく、そこに前世の推しが。
正確には推しカプの一人が。
同時に、理解した。
この世界が前世狂ったように嵌った異世界恋愛ものの世界だということに。
◇
そもそもは心理描写に定評のある作家の短編WEB小説が原作だった。それが漫画化されて跳ねた。バカ売れした。毎日続きを神に祈ったが前世の生があるうちには叶わなかった。
それなのに、だ。
まさか推しと同じ空気を吸える日が来るなんて……。内心感動で咽び泣きながら、リリーローズはオペラグラス越しに学園の中庭を凝視していた。
対象は勿論推し。いや今日は推しカプだ。
(あ〜かっっわいいぃ……!!)
ベンチに座って談笑しているのは、この国の王太子ジェラルド第一王子殿下と婚約者のオリヴィエンヌ・シュクレ公爵令嬢。
リリーローズの前世の推しカプである。
眼福だ。まさにここに教会を建てようとしか言いようがない気分だ。
「……かっわいぃ」
嬉しさを抑えられないといった笑顔で話すオリヴィエンヌ嬢の顔を、愛おしそうに見つめるジェラルド殿下のご尊顔……。まだ幼さが残る二人の顔だちにいっそう胸が熱くなる。
そう、リリーローズが知っている推しカプの容姿より彼らは幼かったのだ。
なぜなら原作の舞台は二人が最終学年の年。
今から二年後の世界だったから。
「ありがたい……」
まさか原作のエピソードゼロを拝めるなんてと、リリーローズは目尻をそっと指で拭った。
二人の幼少期は原作にあるが、メインは十八歳の一年間の恋模様だ。それがまさか二年前から見せていただけるなんて。護衛に見つからないぎりぎりの距離から勝手に盗み見していることは棚に上げて、リリーローズは神に感謝する。
ジェラルド殿下は君を愛するつもりはないなんて言うことも、有能な婚約者を蔑ろにして失ってから後悔することもない。十歳の頃から婚約者一筋の、安心と信頼の溺愛王子なのだ。
溺愛と一口に言っても百万通りある。
どんなに夢中だった作品だって、貴様正気か?どの口がと思った瞬間に萎えてしまうことなど、よくある話だ。
一方オリヴィエンヌ嬢はといえば、気高く明るく素直で向上心があるちょっと勝ち気な美少女だ。虐げられだったり彼には他に好きな人が系の思い込みの激しい令嬢であれば、今ほど嵌ったかわからない。短編だと字数が足りず魅力がぼやけたのではなかろうか。
個人的にトラウマ克服やすれ違い設定は長編でじっくり味わいたい派だ。
純粋に一対一の恋愛の醍醐味を楽しみたい時は、極力余計な要素を削ぎ落とし、お互い一途でお願いしたい。本音を言えば、初恋は別の人もご遠慮したいくらいだ。
このようにリリーローズの前世は、非常にこだわりの強い面倒なオタクだった。
しかしその点を考慮してもジェラ×オリは、お互いが初恋の最高に推せるカップリングなのである。
「好きだなぁ……」
ほぉっと、吐息混じりに思わず溢れた声音はまさに恋する乙女そのものだった。
リリーローズの内心を知らぬ者が聞いたなら、誤解してしまっても十分過ぎるくらいには。
「リリーローズ嬢」
「ひっ!?」
背後から突然かけられた声に、無防備な肩が大きく跳ねた。そうして瞬時に己の怪しさに思い至る。推しカプ観察に夢中になっていても、長年の令嬢としての理性は健在なのだ。
じわりと、嫌な汗が皮膚を伝う感触がした。
「何か御用でしょうか?」
すぐさま隙のない令嬢の微笑みを纏って、リリーローズは優雅に振り返った。
勿論、オペラグラスを素早くスカートのポケットへと押し込むことも忘れずに、
けれど声の主を認めると、その微笑みごと一瞬で凍りつく。
オスカー・ロックウェル侯爵令息、十八歳。
辣腕と名高い宰相家の嫡男がいたのである。
恐ろしく整った容姿は、いっそ冷たいとすら感じるほど。少し長めの艶やかなアッシュブラウンの髪から覗くアメジストの瞳が、真っ直ぐにリリーローズを見下ろしている。
「……失礼。これをお渡ししたくて」
「え? 」
張り詰めた空気を破る様に降ってきた声と同時に、差し出された男の手元に視線を移した。
「あ」
そこにあったのは古びた本。
王立図書館に一冊しか蔵書のない、とある小国に関する学術書だった。
「あ、ありがとうございます!でも、どうして」
リリーローズは二週間程前に王立図書館を訪れ、蔵書の有無を確認していた。学園の図書館ではお目にかかれなかったので、最後の希望として。
幸いなことに蔵書はあったのだが、そこで職員から伝えられたのは、無情にも「貸し出し中です」の一言のみだった。
規則は守らなければならない。
リリーローズは返却があった際には連絡してくれるようにと頼み大人しく帰宅したが、いまだに王立図書館から連絡は来ていなかった。
「……貴女がお探しだと聞いて」
混乱するリリーローズに、オスカーはどこか決まり悪そうに口を開いた。
「数年間、誰も気にも留めなかった本だからと……返すのが遅れました」
使用人を遣れば済む話だったのに申し訳ないと、オスカーは僅かに眉を下げながら言葉を続ける。
「職員にあなたの依頼を聞いて、ならば学園で直接お渡しした方が早いかと」
個人情報などという概念はこの世界には存在しない。身分こそ正義。権力は全てを解決する。
オスカーの行為はおそらく善意からきたものだ。それならばと、リリーローズはにっこりと笑って両手で本を受け取った。
「ありがとう存じます。お手間をおかけしました……」
言いながら、申し訳なさそうに視線を逸らすのも忘れない。淑女たるものまじまじと異性の顔を見るべきではない。あと単純に一刻も早くオスカーにはこの場から立ち去って欲しかった。
「お役に立てたなら良かった」
リリーローズの意を汲んでか、オスカーは柔らかな声音でそう言うと「では」と踵を返す。
「ああ」
見送りに、本を持ったままの不完全な形ではあるが、礼儀としてカーテシーの態勢をとっていたリリーローズは、さも今気がついたといったオスカーの呟きに反応が遅れた。
気づいた時には立ち去るはずだったオスカーの爪先は向きを変え、リリーローズの落とした視線の先に磨き上げられた革靴が映っていた。
「リリーローズ嬢」
そういえば、この男は初対面の自分を何故名前で呼ぶのだろうか。
頭上から落ちてくる顰めた声に、リリーローズの脳内にふとそんな疑問が浮かんで消えた。
「疑われる余地のある行動は控えた方が良いでしょう。王太子殿下に関することは、特に」
「!?」
喉の奥が張り付いて、呼吸一つままならない。スカートを掴む指先は微かに震えていた。
「では」
短い別れの言葉を残して、オスカーは今度こそその場を後にした。
けれどリリーローズはオスカーの姿が見えなくなってからもずっと、その場から身動ぎ一つ出来なかった。
「……はぁ」
終わった。
何もかも。
自業自得だ。
推しに浮かれて調子に乗りすぎた。
「これから……どうしたら」
どのように振る舞えば、オスカーの懸案人物から外れられるのか。
リリーローズは手元の本をぼんやりと見つめながら思いあぐねていた。
オスカー・ロックウェル侯爵令息。十八歳。
存在くらいは勿論知っていたが、学年も家門の派閥も違うため、顔を合わせること自体が初めての相手。確か一年間の留学を経て、今春から学園に復学していたはずだ。
リリーローズが知っている情報はそれくらいだった。
なぜなら彼は前世の小説の登場人物ですらなかったのだから。
あの物語はジェラ×オリの十八歳の一年間がメインの短編だ。幼少期の描写はあれど、小説漫画ともにそこは一貫していた。
つまり、メインの二人の恋愛に絡まない人物は登場しない。
宰相の嫡男などメインキャラでもおかしくなかったが、そこは二学年差。物語開始時点でオスカーは学園を卒業している。前世の記憶から得られるものなど皆無だった。
もしリリーローズがピンクブロンドの性悪転生ヒロインだったなら、モブなんて関係ないし!と開き直れたのかも知れない。けれどそうではなかったし、前世の記憶はあれど、あくまでもこの世界が現実なのだと、リリーローズは自覚していた。
ただほんの少しだけ、推しに出会えた奇跡に浮かれて行動を誤ってしまった。
しかし、それは大問題だった。
リリーローズ個人にとっても、伯爵家にとっても。
「みんなに、申し訳ないわ……」
リリーローズは手元の本の表紙をそっと撫でながら、ぽつりと呟いた。
三ヶ月後に、隣国の王弟の訪問が決まっていた。王族の対応は当然王家主体になるが、相手国の中に小国の公女を妻とする侯爵がいた。主だった賓客への対応など心配しようもないが、何か父の役に立てるのではと、リリーローズが個人的に調べていたのだ。
政治の話は父が。社交の面は母が。
他家に嫁いだ姉は華やかで、夜会の際などはよく両親を助けている。自分にも何か出来ることはないだろうかと思案した結果、手薄な賓客への応接に役立てないかと考えたものだった。
前世の最後数年はベッドの上の住人だった。十代で逝ってしまって、あちらの両親にも姉や弟にも申し訳ない気持ちがやはりある。
偶然にも今世の家族構成も同じだったことから、リリーローズは人一倍家族思いの娘に育っていた。
(……仕方ない)
安定した実生活あってこその推し活だ。家名に泥を塗る危険を犯してまでするものではない。心残りはあれどやむを得ない。
(これからは公式供給だけにしよう)
きっぱりと盗み見はやめて、観察出来そうなタイミングを狙った行動も控える。あくまでも誰でもが見られるものに限定するのだ。
「よし」
リリーローズはそう心に決めると、真っ直ぐに前を向いて歩き出したのだった。
◇
オスカーの警告から一週間。
リリーローズは自らの戒めを真面目に守っていた。あれ以来オスカーとの接触はない。
リリーローズが王太子たちとの接触を避けているからだろう。
(そろそろ警戒を解いてもらえたかしら)
そこはかとない寂寥感はあれど、平穏には代えられない。無害な人物と判断されるまで、より一層気を引き締めなければと思っていたのだ。本当に。
(なぜ!?)
それなのに、だ。
リリーローズは今自分が置かれている状況を、受け止められずにいた。
放課後の学園の図書館。
先日、付随する問題はあれどオスカーから渡された本により、リリーローズの考えは無事にまとまった。帰宅後すぐに父に提案出来るように、ある程度資料を作ってしまおうと図書館を訪れたのだが。
空席を探し奥まったスペースまで入り込むと、書棚越しに極端に空いている席が目に入った。
運が良かったと、リリーローズがそちらに向かおうとした瞬間、ふと視線を感じた。
気配のした方を振り返っても誰もいない。気のせいかと歩き出せば、やはりそうではなかったのだとすぐに理解した。
極端に空いているのは当然だった。
そこにいたのはジェラルド王太子殿下とオリヴィエンヌ公爵令嬢だったのだから。
(しまった!!)
完全に気を抜いていた。警備の関係もあってあの二人は基本的に放課後学園に残ることはないのだと。
それがどうだろうか。今目の前では隣り合って座った二人が何やら黙々と課題をこなしている。そういえば新入生は試験が早かったのだと、リリーローズはようやく事態を飲み込んだ。
(真面目に試験勉強する推しカプ尊い……)
本能的に感涙しそうになったが、今の自分にはそんな感傷は許されない。急いでこの場を離れなければと、足音を立てずに立ち去ろうとした瞬間、けれどリリーローズの視線は釘付けになった。
ジェラルド殿下がオリヴィエンヌ嬢の蜂蜜色の髪を一房掬い、そのまま口付けたから。
(ひぇぇぇ!?)
これはまずい。死人が出るレベルだ。そしてそもそもここは学園の図書館である。
思わず焦って辺りを見渡してしまったが、幸運にも視界には誰も入らなかった。爆発しそうな心臓と叫び出しそうな口を手で押さえると、ほんの少しだけ冷静さを取り戻したリリーローズは妙に納得もしていた。
(ジェラルドって正直、めちゃくちゃ我慢してるのよね……)
十歳からの初恋である。間違いなく両想いなので拗らせてるとは違う気もするが、おそらくジェラルドの方が愛が重い。昏いというか。
純粋に恋心を向けているオリヴィエンヌとは違い、色々と複雑な感情が絡まっているのだ。
そこは勿論、綺麗な感情だけではなく……。自分だけを見て欲しいとか、溺れて欲しいとか。
(ヤンデレだったっけ?)
そこまで考えて首を傾げたくなったが、ジェラルドは絶対にオリヴィエンヌが嫌がることはしない。
愛する人にはいつだって笑っていて欲しい男なのだ。悪巧みはしてもオリヴィエンヌに気づかれることは決してない。
為政者として有能なだけだと、リリーローズは思い切り偏った結論に達した。
いつまでも眺めていたいが、流石に危険過ぎる。
推しカプの幸せを祈りながら、リリーローズはそっと踵を返した。
「ッ…!?」
突然、視界が真っ暗になる。
思ってもみなかった事態に一瞬頭が真っ白になり、ああ、これはおそらく人間の胸だと気付くのに一呼吸分遅れてしまった。
「ん…ぐっ!」
離れようとする身体を強い力で引き戻される。背に触れているのは大きく骨ばった、どう考えても男の手で。
「!?」
本格的に恐慌状態に陥りそうになった時、耳元に低い声が落とされた。
「静かに」
「!!」
一度だけ聞いた覚えのある声。
なんでとか、どうしてとか、頭に浮かんだ疑問符は多々あれど、無意識に身体が恭順を選んでしまう。抵抗をやめ、強張った身体から力を抜いた。
「ああ助かります。話が早くて」
僅かに愉快そうな響きを感じたのは気のせいだろうか。
「手を離しますが、決して声を出さないように。そのまま私に着いてきてください」
こくこくと、必死に頷いたリリーローズの身体は解放され、視界が開ける。
(ああ……)
予想通りとはいえ、目の前にいる男の顔に、意識が遠のきそうになった。
◇
「未婚のご令嬢に申し訳ありませんが、扉を閉めさせていただきます」
図書館からすぐの空き教室にリリーローズを引き込むと、オスカーはそう言って後ろ手で扉を閉めた。
逃げ場はない。
危害を加えられるとは思わないが、答え方を誤るとどうなるかわからない、といったところか。
「確認させていただいても?」
探るようなオスカーの視線に、ゾクリと背筋が凍る気がして、リリーローズは無意識に一歩後退りしていた。本能的に、僅かでも距離を取ろうとしたのだろう。
オスカーの眼がすっと細められた。
「担当直入にお聞きします。王太子殿下を監視している理由はなんですか?」
「!?」
「返答次第では家同士の話合いが必要になります」
「……あ、あのっ」
「リリーローズ・エドモンド嬢」
「!!」
視線を逸らすことさえ出来なかった。
ここにきて家名を呼ばれる意味がわからない筈がない。
一つでも誤れば、伯爵家ごと道連れになる。そう思った瞬間、リリーローズは床に膝をつきオスカーに向かって祈る様に両手を合わせていた。
「申し訳ございません!お許しください!誓って王太子殿下に邪な感情は持っておりません!!」
貴族令嬢だとか淑女とか、もはや些細なプライドは躊躇いもなく捨てていた。薄らと前世の記憶にあるジャパニーズ土下座を選択しなかっただけ、まだ理性的ですらある。
悪いことをしたら謝る。悪くなくても謝る。
この窮地を逃れられるなら、謝罪は選択肢にない貴族の常識など躊躇いなく破る一択だった。
「……つまり、王太子殿下とシュクレ公爵令嬢の仲睦まじい様子を盗み見……いや、見守っていただけだと?」
目の前で突然膝をついたリリーローズに流石に慌てたのか、オスカーは直ぐに立つようにとうながしてくれた。だが、それを断ってどうか話を聞いてくださいと涙ながらに懇願したのはリリーローズ自身である。意外と泣き落としがいけるんじゃないかという直感のまま、前世のオタク特有のノンブレス早口説明を一気に済ませ、いまだにオスカーに向かって祈り続けていた。
「はいっ!わたくしお二人の幸せを日々願っているだけなのです!」
「……そう、ですか」
間違いなく、納得いかないという顔をしている。だが、聞いてくれている。もう一息。
「はい!護衛騎士の射程距離に入らない様な行動を心がけておりますし、最近は過度な接触を避けておりました」
「それは、まあ……」
オスカーの瞳が微かに迷うように揺れたのを、リリーローズは見逃さなかった。
「はい!その証拠にこちらのオペラグラスの性能は観劇用の一般的なものになります」
スカートのポケットからオペラグラスを取り出すと、リリーローズは確認してくれとばかりに両手で恭しくオスカーに差し出した。
今日は偶々持っていて良かった。本当に偶々!
オスカーは黙ってオペラグラスを受け取ると、目元に合わせて何度も確認をする。そうして考えを纏める様にオペラグラスを手のひらで握り込むと、小さく息を吐き出してからリリーローズに向き直った。
「お立ちください、リリーローズ嬢」
「……は、はい」
これ以上は逆効果だろう。リリーローズは素直に立ち上がるとおずおずとオスカーに視線を向けた。複雑そうな顔ではあるが、敵意は感じられなかった。
(た、助かった、のかしら?)
リリーローズの疑問に答えるかのように、オスカーは淡々と結論づけた。
「確かに邪な感情はないようですね」
「は、はいっ!」
「ただし、今後も節度は守っていただきます」
「勿論です!」
助かったのだと、それまで不安と緊張で張り詰めていた心が安堵で解放されていく。
花が咲くような笑顔を見せたリリーローズに、オスカーは僅かに目を瞠いた。
そうしてまるで今思いついたかの様に呟く。
「ああ、そうだ」
言うやいなや、オスカーの手に握られていたオペラグラスを、一瞬のうちに眩い光が包み込んでいた。
「!?」
ありえない現実に、目を見開く。
いや、まさか今のは。
そんな筈はと、何度否定しようとも実際に目にしてしまったのだ。
魔術。
ずっと昔に滅びてしまった、神話の話。
この世界には存在しない筈のそれを。
「今までの三倍は距離をとって問題ありません。変わらずに見えますので」
オスカーは固まったままのリリーローズをさして気にかける様子もなく、淡々とオペラグラスを差し出してきた。
「え?えっ!?い、今のって……」
けれど今のリリーローズには取り繕った対応は出来なかった。何せ生まれてから今の今までこの時代に魔術の類が実在するなど知らなかったのだから。
取り乱したリリーローズの様子に、小さく瞬くと、漸くオスカーは答えをくれた。
「絶えてから随分経ちますからね。我が家は少々特殊な血筋なもので」
だから貴女が知らなくても当然なのだと、言外にその瞳に告げられている気がした。
同時に、これ以上の詮索は無用とも。
「くれぐれも殿下の平穏を乱すことのないように、お願いします」
「肝に銘じます!」
オペラグラスを受け取りながら、まるで決意表明かの様にリリーローズは高らかに誓う。
その声に、オスカーの口角が僅かに上がった。反射的に見上げてしまったリリーローズは、先ほどよりずっと柔らかい瞳と視線がぶつかり、固まってしまった。
(そ、そんな顔するんだ!?)
美形の柔らかな表情とは危険極まりない。
突然暴れ出した心臓を片手でそっと押さえながら、リリーローズは何とか動悸を落ち着かせる。
「しかし、こんなに個性的なご令嬢だったとは」
「へっ?」
それなのに。オスカーは人の苦労も知らないで、またまたおかしな事を言い出したのだ。
「いえ。品行方正で有名なリリーローズ嬢は存外愉快な方なのだなと」
「えっ!あ、あの……」
(まさかのおもしれぇ女認定きたっ!?)
非常にまずい気がする。この手の発言は典型的な不穏フラグになりがちだ。
「ああ、そうだ」
けれどそんなリリーローズにはお構いなしで、オスカーは愉快そうに話しを続けた。
「私のことはオスカーと」
「へぇっ!?」
およそ令嬢の口から出るはずのない、間抜けな叫び声をあげてしまったとて仕方がないだろう。
それくらいオスカーの一言は、リリーローズに大混乱をもたらしていたのだから。
「いえ、あの、でもっ……あ!ご婚約者に申し訳ないですしっ!」
「そういった方はおりません」
「!!」
これ以上、不用意に近づくのは危険だと、必死に絞り出したお断りの理由さえ呆気なく退けられてしまい、リリーローズは言葉を失った。
(なんで宰相嫡男に婚約者がいないのよ!?)
「父が納得するような利益をもたらす家からの申し込みが無かった、ということですよ」
まるで心を読んだかのようなオスカーの明確な回答に、もはや抵抗する気すら起こらなかった。
「……なるほど」
リリーローズの諦念など気づきようもないオスカーは、そうしてにこやかに畳みかけてくる。
「これから顔を合わせることも増えるでしょうから」
「え?あ、あの」
「よろしくお願いしますね。リリーローズ嬢」
リリーローズの選べる答えなど一つしかなく。
「は、はいっ……あの……オスカー様」
笑顔がひきつっていたことくらいは許して欲しい。
◇
「あ、なるほど〜」
晴れてお許しが出て以降、無理な接触はしない緩めの推しカプ観察を堂々と出来るようになったリリーローズなのだが、そうすると改めて感心することになった。
オスカーの有能さに。
「これは警戒するよなぁ……」
中庭のベンチでこっそり本を読みながら、およそ肉眼では観測出来ない先にいる推しカプを時折オペラグラスで観察し、リリーローズは一人頷いていた。
角度をそのまま、今日も愛らしい推しカプからほんの少しだけ視線をずらしてみると、そこにいたのはオスカーだった。
今日だけではない。魔術で強化されたオペラグラスを使い出してから、ほぼ毎回王太子の周囲にオスカーを見かけた。護衛から少し離れた場所に。
同時に、王太子に近づこうとする令嬢たちが頻繁に現れていることも知った。
(王太子妃の座、狙いかな?)
現在この国の貴族派閥は大きく二つに割れている。王太子の婚約者であるオリヴィエンヌのシュクレ公爵家はオスカーの父である宰相と同派閥だ。婚約者に決定するまでに、熾烈な駆け引きが派閥間であったのは有名な話だった。
二派に属さない中立派のリリーローズの父でさえ、うっかり母にこぼしていた記憶がある。
(原作で恋敵ポジの令嬢たちってもう動いてたのね……)
原作では可哀想なくらい相手にされないのだが、オリヴィエンヌの恋敵になる令嬢たちの姿をリリーローズが何度も観測していたのだから、オスカーが把握していない筈がない。常に警戒態勢だろう。
この敵対派閥の令嬢たちに加えて推しカプ観察に励むリリーローズが視界をうろちょろしていたのだ。さぞ目障りだったに違いない。今更ながらに申し訳なさで頭が痛くなってくる。
おもしれぇ女認定されたのかもなんて、一瞬でも思ってしまった自分が恨めしかった。
隙あらばな令嬢たちに日々目を光らせているのだ。問題外なリリーローズに多少当たりが柔らかくなるくらいはするだろう。
「あっ」
リリーローズが人知れず罪悪感を感じている間に、視界の中からオスカーが消えた。慌ててオペラグラスを動かすと、すぐにその背中をとらえる。対立派閥の侯爵令嬢が手に何か小さな包みを持って、王太子に向かって近づこうとするのを防いでいたのだ。
(わぁ有能!)
侯爵令嬢は何やら喚いていたが、オスカーの圧に根負けしたのか、結局はそのまま引き下がっていった。
「おぉ〜」
美形で有能で家柄も良く、おまけに存在自体がチートの魔力持ち。その魔力にしたって口止めすらしない豪胆さ。勿論、他言した瞬間にリリーローズが社会的に終了することなどわかりきっているので、誰にも話すつもりはないが。
(うん。いい)
現実に推しを作ると色々と面倒なので本来は避けているが、前世からのジェラ×オリがいる以上今更だ。それに推しは多い方が良い。
オスカーならこの先リリーローズが失望するような相手を恋人や婚約者に選ぶこともないだろう。きっとその時は、問題なくカプ推しに変われる気がする。
(よし!)
一人納得したリリーローズは、この日からオスカーを新たな推しとして観察対象に加えることを決めたのだった。
◇
推しカプと単推しを観察するという楽しい毎日を過ごすようになっていくらか経った頃、リリーローズは少々困惑していた。
なぜだかよく、目が合うのだ。オスカーと。
オペラグラス越しにではあったし、学年が違うため学園内でも直接遭遇することはほとんどなかったのだが、それにしたって心臓に悪い。
リリーローズは推しに認知されたくないタイプのオタクなのだ。
オスカーの場合は諸々の経緯から壁になるのは無理だとしても、今までの様に素知らぬ顔で出来るだけそっとしておいて欲しい。
そんな勝手なことを願いつつも、今日も人気のない学園の渡り廊下を陣取り、オペラグラスで中庭を見下ろすように観察しているリリーローズである。
対象は勿論ジェラ×オリと、やや離れた場所で背景とほぼ同化しているオスカーだ。
(はあぁぁぁ!可愛い〜!癒される……)
推しカプは、いつ見ても仲睦まじく愛らしい。尊さで発光している。早く保護しなくては。大興奮で中庭のベンチに座る王太子とオリヴィエンヌ公爵令嬢を観察していたリリーローズだったが、ふと視界をかすめた違和感の方へと視線を向けた。
護衛の射程距離外ギリギリに一人の令嬢の姿が見える。大人びた容姿から見ておそらく上級生だろう。
何となく気になって、リリーローズはオペラグラスの焦点を件の令嬢へ合わせた。
黒髪の巻き髪に紅の瞳。整った顔立ちからきつめの印象を受けるのは吊り目のせいだろうか。
(うーん?彼女どこかで……)
微かに見かけた記憶があると、リリーローズが思案している間に、黒髪の令嬢は何かを見つけたかのように王太子たちに背を向けて歩き出した。
彼女が向かった先には、オスカーがいる。
(え?)
予想通りというべきか、オスカーの目の前まで行くと令嬢は彼へと話しかけている。けれど興味の無さそうな対応に不満があったのか、段々と興奮状態になるとオスカーに向かって何か捲し立て出したのだ。
まさかとは思うが、今にも手が出かねないくらいの剣幕に見える。
(!?)
どういうつもりなのか。いくら何でも宰相令息に無礼を働く令嬢がいるだろうか。
考えても埒があかない。
気づけばリリーローズは中庭へ向かって駆け出していた。
「オスカー様っ!」
ぜえはあと、大きく肩で息をしながら胸を押さえ、リリーローズはたどり着いた先でオスカーの無事を確かめる。先ほどの黒髪の令嬢の姿はもうどこにも見当たらなかった。勇み足だったかと少しの気恥ずかしさを感じながらも、万が一の場合を考えれば羞恥心くらいは差し出せると、自身を納得させた。
「リリーローズ嬢?」
大きな瞳をきょとんと不思議そうに瞬かせている顔を見れば、微かに幼なさが残っている。いつも冷静なこの男も自分と一つしか違わないのだと、リリーローズは今更ながら実感していた。
「はぁっ……あのっ、揉めているのが、見え、ましてっ!」
あなたを観察してました、とは流石に言えず多少都合の良い弁明をしたのは許して欲しい。そんなリリーローズの気持ちを知ってか知らずか、オスカーはふと目元を緩めた。
「心配してくださったんですか?」
随分と愉しそうな声音に聞こえるのは気のせいだろうか。
運動不足と酸素不足で暴れ続ける心臓では冷静な判断が出来そうになかった。声もなく何度も頷くだけのリリーローズに、オスカーは事の顛末を教えてくれる。
「シスレー侯爵家はご長女の縁談をお断りしても納得いただけなかったようで」
「……あっ」
どうりで見たことがある筈だった。
二年後の原作に、シスレー侯爵家の次女が登場する。先程の彼女によく似た容姿の。
「あのっ……大変……申し訳なく……」
よそ様の色恋沙汰に首を突っ込んでしまった恥ずかしさと申し訳なさで、途端に顔が熱っていく。それもこれも自分勝手にオスカーを観察していたせいなのだ。やはり現実に推しを持つのは危険過ぎる。押し寄せた罪悪感がずしりと重い。一刻も早くこの場を立ち去ろうとリリーローズが気を取り直したと同時に、頭上からオスカーの声が降ってきた。
「そろそろ対象内に入ったと思っていいですか?」
「はい?」
言っている意味が、全くわからなかった。
推しとしての観察対象にならとっくになっているが、多分それとは意味が違う。
思わず見上げてしまった瞬間に、かちあったオスカーの視線から、そうじゃないと告げられている気がした。
「貴女の」
「わたくし、の?」
「興味の持てる」
「あの……?」
戸惑っているうちに、一歩踏み込まれる。
手を伸ばせば、すぐに触れられる距離に。
「異性として」
「へっ!?」
もう一歩踏み込まれて、無意識に一歩、リリーローズは後退りしていた。
(きょっ、距離の詰め方がおかしいっ!!)
内心動転して恐慌状態に陥っていると、オスカーがふっと小さく笑った。
「本は役に立ちましたか」
「え?あ、えと本?あっ、はい……」
突然何を言い出すのかと呆気にとられたが、思いあたる本はあの日手渡された一冊しかない。リリーローズは素直に頷いた。
「あの本、我が家にもあるんですよ」
「……ん?」
「おそらく貴女のお父上もお持ちだと思いますよ」
「えっと……?」
「伯爵に相談せずに調べてたんでしょう?」
「……はい」
その通りだった。何か父の役に立てることはないかと、リリーローズが一人で勝手に調べていたのだから。
それは別にして、オスカーは何と言った?
(え……持ってる?じゃあ、なんで……?)
ありありと表情に浮かんだ疑問は、オスカーに伝わってすぐに答えが返された。
「接点が欲しくて」
「はぁっ!?」
「殿下の入学から、よく目につく毛色の変わったご令嬢がいるなと」
「……」
「あんまり見かけるものですから、こちらからも観察して見てたんですよ」
「……へっ?」
観察対象に観察されていた。
思いもしない事実に、意識が遠のきそうになる。
けれどオスカーは、そんなリリーローズに容赦がなかった。
「唇を尖らせてます。考えごとをしてる時に、よく。おそらく無意識に」
「へっ……え、あ……の」
「勉強熱心で成績も良い。よく図書館にいます。学園内だけじゃなく王立図書館にも。息抜きに読むのは魔術師の連載小説ですね」
「く……っ」
「家族仲が良く、特にお父上の役に立ちたいとの考えが強い。ただし相談せず単独行動も目立つのが難点」
「……」
「で、まず間違いなく外交日程と訪問団の人選からあの本に目をつけるだろうなと」
「……」
「あってたでしょう?」
「へっ?えっ!あれっ、わ、わざと!?」
満面の笑みで返されて、言葉がなかった。憎たらしいくらいに綺麗な顔が、言外にそうだと言っている。
「最初は興味本位だったんですよ」
そう言って、どこか懐かしそうにオスカーは笑った。
「殿下の周囲をうろついてるわりには近寄る素振りもない。どういう魂胆なのかと」
すっと細められた目が、真っ直ぐにリリーローズを捕えている。
「直接話してみると随分愉快な方だったもので……これはと」
「……あ、あの?」
「欲しいなと」
「ッ……!!」
目が笑ってない。全く意味がわからない。
ここから逃げられるルートはないだろうかと、生存本能からリリーローズは必死に頭を働かせる。
「あっ!でも我が家は伯爵家ですし!宰相様のお眼鏡にかなう様な利益はなにもありません!」
そうだ。オスカーの縁談は政略結婚で利益が最優先。たいした益のない伯爵家の娘など、仮に本人が望んだとして父である宰相が認めるわけがない。どうにか冷静になってもらおうと、絞り出した発言だった。
それなのに。
「ああ」
オスカーは笑ったのだ。ふふっと、さも愉しそうに。
「!?」
困惑するリリーローズはまた一歩、オスカーに踏み込まれていた。
「父上は優秀な中立派の外務大臣。家柄は三代前に臣籍降下した王族の公爵家から分家して興した伯爵家……血筋なら我が家より上ですね」
「!!」
にっこりと、背景から効果音が聴こえてくるんじゃないかってくらいに良い笑顔を向けられて、リリーローズはこれ以上抵抗する気力を失った。この世で美形の本気の笑顔ほど恐ろしいものはないのだ。
「これ以上ない、益があります」
そう言い切ったオスカーの笑顔は、いっそ神々しいほどだった。
(わ、わたくしはっ!……推しに認知されたくなくて……リア恋は、ご遠慮したくて……)
なおもぐるぐると脳内で抵抗を続けていたリリーローズだったが、いつのまにかオスカーに掴まれていた右手の甲に恭しく口付けされた瞬間、ようやく全ての思考を放棄したのだった。
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